祖母は三年前に祖父を亡くして以来、ずっと一人で暮らしていた。なのでもともとは両親と共に暮らしていたわけではない。
だが一年前に痴呆を患ってからというもの、両親とともに実家で暮らすことになった。
ちょうど私も都内で一人暮らしをしていたこともあり、私が使っていた部屋を祖母が引き継ぐ成り行きとなった。
祖母の容体を見に行きたかったのであったが、新社会人としての仕事をこなすことに精一杯だった私は、連休があってもなるべく疲れたくないので外出はしなかった。
その結果、なかなか実家へ顔を出すことなくとうとう一年が過ぎようとしていた。
当初は連休があったらちょくちょく帰ってくると母親に話していたのであるが、蓋を開けてみればこの様である。
だが、さすがに大晦日には実家に帰らないわけにもいかない。なによりも私自身が帰りたかった。
そんなわけで大晦日の前日、私は実家の扉を開いた。田舎なので家の扉には鍵など付いておらず、誰でも自由に出入りできる。
玄関で靴を脱ぎながらも、私は少し緊張してした。それはひさびさに帰郷したからではなく、祖母についてであった。
じつは祖母の容体の変化については、あらかじめ母親から伝え聞いていた。なんでも痴呆はますますひどくなるばかりで、鬼が来たなどと呆けたことを繰り言のように叫ぶのだという。
私はそんな祖母を見るのが怖かった。以前のような優しい祖母でいて欲しかった。
しかし、淡い期待はすぐに裏切られた。
私が座敷に座る祖母へ声を掛けたとき──。
早よ、行けや
そう言葉を突き返された。
それも何度も何度も繰り言のように言い続ける
。私は胸に穴が空いたような喪失感があった。しかし、これは病気…。仕方ない、ことである。
私はそんな風に自分を納得させたのだが、同時に罪悪感も芽生えていた。
もっと早く会いに来ていれば…。
ごめんね、もっと早くに来れなくて
私がそうぽつりと言ったとき、祖母はぴたりと繰り言を止めた。
そして、じっと私を見詰めたあとで──。
ごめんねごめんね──
祖母は壊れた九官鳥のおもちゃのように、ごめんねと繰り言を発し始めた。
このとき、私ははっとした。
祖母は真似をしていたんだ。
じゃあ…。
私はさっきの言葉を思い返した。
早よ、行けや
これは祖母の言葉なのだろうか…。
早よ、行けや
はよ、行けや
はよ、いけや
早よ、いけや
早よ、逝けや
──。
座敷には、祖母のごめんねという繰り言が虚しく響き続けていた。
作者Yu