長編12
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ぴょん

「えーめちゃくちゃ綺麗じゃないですか」

大学卒業を間近に控えた俺はある物件の内見に来ていた。

築2年の二階建てアパートの二階、寝室にも使えるような広いロフト、コンロも二口、家具、カーテン、エアコン付きでおまけに独立洗面台まで付いている。メインとなる居間は8畳あるのでソファを置いても窮屈には感じないだろう。

実際この物件を不動産担当が紹介してくれたのは他の物件を全て見せてくれた最後だった。

不動産屋で間取り表を見比べながら、どれもイマイチぴんと来るものが無かった中、一番下に隠れていたこの物件の間取りを俺が見つけたのだ。

他の物件よりも明らかに条件が良いのに対して、家賃が驚く程安かった。

事故物件なのではないかと思い切って尋ねた俺に対して担当の人は

「いえ…ニアミス、ですかね」と答えた。

いざ内見に来てみると、そんな疑問も吹き飛ぶような綺麗でモダンな造りに、すぐに虜になった。

「それで、ニアミスっていうのは実際なんなんですかね…?こんなに良い物件なのにこの家賃はさすがに不安になりますけど…」

ロフトの梯子を降りながら担当に尋ねた。

「あはは…このアパートでは何も無かったんですけど…」そう言いながら担当は居間にある身長大の窓のカーテンをシャッと開けた。

「この隣に住む方が亡くなられたんですよ」

窓の外を見ると、洗濯物を干すベランダのすぐ向こうにもう一軒のアパートのベランダが見えた。

「え、ここじゃなくて隣のアパートですか?」

正直少し拍子抜けした気分だった。ニアミスというから割ときつめのものを想像していたのだが…隣は最早別の生活空間である。

「はい、一応このベランダのすぐ隣に面した部屋なので…」

「もしかして、自殺とかですか?」

「あ、いえ自殺ではないですよ」

「じゃあ…殺人とか…」

「いえいえ、事故です」

「事故?」

尚更ハードルが下がる。

「ベランダからバランスを崩して転落されて、打ち所が悪かったみたいで、それでお亡くなりになられたみたいです」

隣のベランダから人が落ちたというのは少し引っかかりはするが、それが故意ではなく事故だというのなら人より少し鈍感な自分にはそこまで気にやむ事ではなかった。

職場から近いのもあり、結局ここに引っ越すことに決めた。

このアパートの他の部屋はこの部屋に比べて家賃が高めなのもあり、二階にはまだ自分しか住んでいないようで、他の人が入ってくるまではベランダの喫煙も問題はないだろうという嬉しい知らせに俺は早速ベランダでタバコに火をつけた。

荷解きもあらかた片付いたのもあり、後で近くのスーパーに食料調達にでも行こうと考えてながら煙を燻らせていた。

ふと顔をあげると、向かいのアパートの部屋、あの転落事故があったという部屋の明かりがついていることに気づいた。

「え…人住んでんの?」

向かいの部屋のカーテンが閉まっており、中の様子は見えないが、夕方で辺りがもう暗いせいで明かりがついていることは確認できる。

そういえば、担当の人に向かいの部屋の入居状況を聞くのを忘れていた。

カーテンの向こうでボヤっとした影が浮かび、部屋を往復し始める。

入居者がただ部屋の中を歩いてるだけのことだろうが、姿が見えないだけに少し気味が悪くなる。

タバコの火を消してベランダから部屋に戻り、カーテンを閉める瞬間、

向かいの部屋のカーテンが勢いよく開くのが一瞬見えた。

こちらがカーテンを閉めるタイミングと完全にシンクロしていたのと、向こうの明かりの逆光のせいでシルエットが一瞬目に入っただけだったが、たぶん、男だった。

もう一度カーテンを開けて確認する気にはならなかった。

どうせなら俺がベランダにいる時に向こうがカーテンを開けてガッツリ姿を確認できていた方が、こんな風に気持ち悪い気分にならなくて済んだのに、と思った。

買い物に行く支度を済ませて、部屋を出ようとした時、思い切ってカーテンを開けて外を確認してみた。

向かいの部屋のカーテンは閉まっており、明かりも消えていた。

相手のベランダに洗濯物が干してある様にも見えない。

尚更、相手があの時カーテンを開けた理由が分からなかった。

その夜、ロフトに構えた寝室に上がり、眠りについた。

-------

しばらくして、ギシギシと何かが軋む音で目が覚めた。

ロフトを降りた居間、その窓の外、向かいのベランダから聞こえていることに気づく。

「何してんだろ…」

寝ぼけた頭でそんなことを思った次の瞬間、

「ぴょんっ」

そんな声と共に外でギャンッと金属の激しく軋む音、

そのすぐ後に

ドォォン!!!

何かが地面に叩きつけられる音が聞こえた。

あまりの音に俺はその場に飛び起きた。

慌ててロフトを降りてカーテンを開け、下を確認する。

アパートの下には、何もなかった。

「ベランダからバランスを崩して転落されて……」

そんな担当者の言葉が不意に頭をよぎり、背中に寒気が走った。

咄嗟に向かいの部屋へと視線を移した。

部屋の明かりは消えていた。

「夢…?寝ぼけてたのか…?」

なんとも言えないソワソワした気持ちのまま部屋に戻り、カーテンを閉めた時、また向かいの部屋のカーテンが開いた。

1度目は偶然にしても、2度目はさすがに気味が悪い。

俺はカーテンをほんの少しだけ開け、その隙間から外を覗いた。

思わずすぐにカーテンを閉め、ベッドに転がり込んだ。

向かいのベランダから、人影が身を乗り出す様にしてこちらを凝視していたのだ。

男の人だったのは確かだった。

その日はそのまま布団から顔を出さずに夜を過ごした。

真夜中の奇妙な軋む音、そして「ぴょんっ」という声は連日、同じ時間に繰り返された。

いくら鈍感な俺でも、内見の時に聞いた転落事故とこの現象を結び付けずにはいられなかった。

一つ腑に落ちないのは、担当者は内見の時に、事故だとこれを断言したことだった。

思いがけずベランダから転落した人が「ぴょんっ」なんて言葉を果たして口にするのだろうか…

連日、あの音に悩まされて満足な睡眠も取れずにいた俺は晩酌用の酒を買いに部屋を出た。

アパートの階段を降りた時、丁度一階の部屋から人が出てくる所だった。

このアパートに引っ越して初めて目にする住民だった為、珍しく思いながらも会釈してその横を通り過ぎた直後、

「あの…」

その住民から声をかけられた。

肩まである綺麗な髪の女性だった。

「え、あ…俺ですか」

「すみません、もしかして上の階に引っ越して来た人なのかな、と思いまして…」

「あ、はい、挨拶せずにすみません。先週新しく越して来ました○○です」

「やっぱりそうだったんですね、不動産の方からその…となり、の、事も聞かれてるんですかね…?」

となりの事があの転落事故の事だということはすぐに分かった。

「あ、はい、聞きました。その、ベランダから落ちて…亡くなられた、話ですよね?」

女性は、知っていたのかといった様な目配せをした後に申し訳なさそうに頷いた。

「なんか怖いですよね、事故とはいっても隣の方と揉めた挙句の結果と思うと…住んでる身としては何となく気持ち悪くて」

「え、揉めてたんですか?」

住民トラブルの話は初耳だった。まさか俺の部屋の前の住民と関わりがあったとは思ってもいなかった。

「ええ、上の方、多分バンドやってた方みたいで、私の部屋にも結構漏れてて、音楽の音が…違う建物とはいえ、真向かいの部屋となると尚更うるさかったんじゃないかと…」

話を聞くと、俺の前の住民は夜中に自ら流す騒音で何度か隣のアパートのあの部屋の住民からクレームを貰っていたらしい。

再三の注意にも耳を貸さず大音量で音楽を流し続けた結果…

「乗り込もうとしたみたいですよ、隣のベランダから、隣の部屋に…」

「え…降りずに直接飛び移ろうとしたってことですか?隣のベランダに?」

「はい、どうやら当時相当飲んでたらしくて、私もその夜すごい声で隣の方が怒鳴り散らしている声を聞きました。そのしばらく後にベランダの手すりから足を滑らせて…」

あの毎夜耳にするギシギシという音が手すりに足を掛ける男の姿と重なる。

最後に俺は不安に思っていたことを尋ねた。

「あの、今その部屋って誰か住んでるんですかね…?」

返答は俺の中の僅かな期待を裏切る物だった。

「いえ、今は誰も住まわれてないですよ。」

-------------

深夜、俺はあの音が聞こえない様にヘッドホンで音楽を流しながら布団にくるまっていた。

自分の中で恐怖が少しずつ大きくなる。

この気持ちをどうにか紛らわせる為、友達に電話をしようと携帯を操作した時、ヘッドホンの音が止まり、突然部屋に大音量で音楽が流れ出した。

誤って携帯が部屋のBluetoothスピーカーと繋がってしまったようだ。

あまりの音に俺は思わず携帯から手を滑らせた。

手から離れた携帯がロフトから居間へと落下し、ガツンと大きな音を立てる。

衝撃で壊れたのかそれと同時にスピーカーの音も止まる。

突如訪れた静寂にバクバクと脈打つ心臓の音だけが耳に響いた。

「びっくりした……」

携帯を拾おうと梯子に足をかけたその時、

「ぴょんっ」

あの声が聞こえたかと思うと

ドォォン!!!

アパートの下で大きな音が響いた。

俺は思わず梯子から足を引っ込め布団に潜り込んだ。

タイミングが最悪だ、まるで自分の出した音に怒っているみたいじゃないか。

思い込めば思い込むほど恐怖は増していく。

この日はこのまま寝てしまおう。

そう思ってぎゅっと目を瞑った。

「ぴょんっ」

また外で声が聞こえた。

その直後にドォォン!!!とまた落下音が轟く。

同じ日に2度聞こえるのは初めての事だった。

背中をゾッと冷たいものが駆け上がった。

「ぴょんっ」

ドォォン!!!

まただ…

「ぴょんっ」

ドォォン!!!

あの人はきっと

「ぴょんっ」

ドォォン!!!

この部屋のベランダに届くまで

「ぴょんっ」

ドォォン!!!

……続ける気なんだ。

「ぴょんっ」

一層大きな声が聞こえたその時

ガァァン!!!

窓のすぐ外で今までとは違う音が鳴り響いた。

ベランダに着地した音だと直感した。

ミシミシとベランダの床を踏みしめる音、そして…

バンッと窓に手を叩きつける音に俺の体は硬直した。

キュルキュルと貼り付けた手を窓に這わせている。

布団の中で震える自分の体に冷たい風が当たった。

ロフトから恐る恐る居間を覗く。

カーテンが風でなびいている。

窓が開いていた。

なびくカーテンの下から2本の黒い足が見えた。

咄嗟にロフトから顔を引っ込めた俺はこのままどうすればいいのか途方に暮れていた。

携帯は居間に落としてしまっている。それに誰かに連絡を取ったとして、この状況がどう変わるというのだろうか。

その時、

ヴーー

ロフト下からバイブ音が響いた。

携帯が鳴っている。友達からの電話の掛け直しかもしれない。

ヴーーヴーーヴ…

着信音が止まる。最後のチャンスを逃してしまった様な気がして俺は絶望した。

もう一度ロフトから下を覗いた時、携帯の前にしゃがみ込む人影を見た。

携帯は切れたのではない、あいつが切ったんだ。

その時、しゃがみ込んだ人影が突然顔を上げた。

俺は咄嗟に顔を引っ込めたが、遅かった…見られてしまった。

それに俺も相手の顔が…見えた。

「打ちどころが悪かったみたいで…」

不動産の担当者の声が脳裏に響く。

打ちどころが悪いって…人はあんな顔になってしまうのか。

へしゃげた男の顔が頭から離れない。

頼む…このまま何もせず出て行ってくれ…

布団の中で祈る様に目を瞑って固まっていた。

あれから何一つ音がしない。

あの男はどうなったのか、俺が見えていなかったのか…別に何かをする訳ではないのか

そう考えながらほんの少しだけ梯子の下を覗いた。

梯子を掴みしっかりとこちらを見上げる男と目が合った。

上ってくる…。

俺はもう布団に戻り震える事しかできなかった。

ギシ

ギシ

一段、また一段と足音は梯子を上ってくる。

俺は全身を布団の中に仕舞い込み、ぎゅっと縮こまった。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」

頭の中で唱え続けた。

次の瞬間、

強い力で外から布団が引っ張られた。

「うわああ!!」

俺は必死に布団にしがみつく。

この布団が俺とあいつの間にある唯一の障害であり命綱だ、これを取られたら……

死に物狂いで布団を掴んでいた俺はふと足元の違和感に気付いた。

あれ…俺の足、外にはみ出して…

そう思ったのも束の間、俺の足を二本の腕が掴み、布団の外へと一気に引き摺り出した。

「……!!!」

声にならない悲鳴で暗闇の中布団に戻ろうともがくが、どこにも布団が見つからない。

冷たいフローリングの上で無防備に体をさらけ出している恐怖に気がおかしくなりそうだった。

暗すぎて男の姿もなにも見えない。

偶然手に触れた布の感触で布団を見つけた俺はそのまま布団に潜り込んだ。

パニックでもう隠れることが精一杯だった。

布団の中で俺の体は金縛りにあったかのように硬直していた。恐怖で動かない、とかそういうものではなく、本当にピクリとも動かなかったのだ。

アイツが同じ布団の中にくるまってこちらを見ていたというのに。

次の日の朝、俺はハッと目を覚ました。

あのまま気を失っていたのか。

男は姿を消していた。

俺の体は冷や汗でぐっしょりと濡れていた。

ロフトを降りると居間に落ちている画面の割れた携帯を拾い上げた。携帯の角が余程強く当たったのかフローリングには凹むどころか小さな亀裂が入っていた。

俺が真っ先にしたかったのはこの部屋をすぐに出る事だった。

アパートの階段を降りた所でふと背後に何かを感じた俺は、自分の部屋を見上げた。

俺の部屋のベランダからあの男が身を乗り出してこちらを見下ろしているのに気づき、咄嗟に目を逸らす。

もうあの部屋はダメだ、引っ越さなければ。

降りて来た俺に気付いたのか、一階の部屋から先日の女性がこちらを覗いているのが見えたが、話す気になれない俺は軽く会釈だけしてその場を後にした。

その足のまま向かった不動産屋で担当者の人と話した。

「解約します、あの部屋。解約させてください」

「そうですか…確かに今あなたが話した事が本当であれば私も引っ越します…違約金等はご心配なさらず」

「詳しく聞かなかった俺も悪かったですが、騒音トラブルの件とか、そういうのも事前に教えてもらいたかったです… きっと俺の前の人も俺と同じ目にあって引っ越したんだと思うし…」

「あ、いえそれは違いますよ」

俺の話を担当者が遮った。

「前の方が解約を決めたのは転落事故よりも前でしたので」

「え、事故が関係してたんじゃなかったんですか?」

自分が思い込んでいた事とは全く違う事実に思わず聞き返した。

「実はまた別に原因があったみたいで…その、ストーカーといいますか…」

「ストーカーですか?」

「はい、下に住まわれてる方から付き纏われていたみたいで」

意味がすぐには分からなかった。下って…

「下って俺の部屋のすぐ下の方ですか?あの女性の?」

「はい、どうやらその階下の天井から上を覗いていたとか…もちろんその穴は○○さんが住まわれる前にきちんと修繕してますよ」

「いやそういう問題じゃないですよ…」

開いた口が塞がらないとはこういうことか。

「その人に次は俺が狙われるとか考えないですかね…」

がっつりあの女性と話してしまっていた事実にゾッとした。覗くって…もしかしてあの亀裂か?

今朝一階から覗いていた女性の顔が頭に浮かんだ。

「でも、もうその方も現在はいないですし、その可能性は低いかと思いまして…」

申し訳なさそうに答える担当を前に俺の思考は停止していた。

「…いやいましたけど。女性の方。俺話しましたけど」

また潜り込んでいたのか?

「ええと…いや、それはちょっと…」

「ちょっとなんですか?俺この前しっかり話しましたよ、というか話しかけられました」

「んんと、すいません、これもまた新しくお伝えする事ですけど、その女性はもう亡くなっていまして」

「…は?」

「転落事故の時、その女性が丁度ベランダの真下にいらしたようで…それでその落ちて来た男性と…」

ドォォン!!!

あの音の時、死んでいたというのか。

隣の男も、

下の女も。

『いえ、今は誰も住まわれてないですよ』

あの時だけ表情の消えた女の顔が頭から離れない。

Concrete
コメント怖い
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@珍味 様
お久しぶりです。いつも自分の作品を読んでくださりありがとうございます。
今回も楽しんで頂けたならば本望です…
また次のコメントも楽しみに執筆に励ませて頂きます!

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@アンソニー 様
コメントありがとうございます。
読んでくれた方からの「怖い」の声が一番の執筆への原動力です…
次作でも更なる恐怖をお届けできる様精進して参ります!

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@あんみつ姫 様
すごい…こんなに読み込んだレビューを頂けるとは…嬉しい限りです。
確かに最近事故物件という言葉をよく耳にするようになりましたね。前々からなんとなく今回の話の構想はしていたのですが、トレンドにしっかり思考を持っていかれてたのかもしれません笑
よろしければまた次作も読んでいただけると嬉しいです。

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