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中編3
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垂れ流し

ある日母親が大きな荷物を持って帰って来た。

中身はなかなかにガッシリした浄水器。

職場の同僚女性から譲り受けたそうだ。

元値は10万円近くする本格的な浄水器のようで、一般的な浄水器のように蛇口にカートリッジを装着するだけでなく、そこからチューブを伸ばした先に本体を設置する仕様のものだった。

チューブを伝って本体に流れた水道水がろ過された後に蛇口から流れるのだ。

本体にはいくつかボタンがあり、そのボタンによって出てくる水の種類が選べる。

調理用、飲用、少し酸性の強い洗い物用、そして最後に赤ちゃんのミルク用のボタンがあった。

「このミルク用の水を使うことはまず無いよね」と家族で笑った。

なかなか年季の入ったこの浄水器、3度に一回カートリッジを自動で洗浄する大きな音が鳴る。

ブーーーーン

「いや音うるさっ」

妹が言った。

自分が一番気になったのは、水を流す際に流れる音楽だ。

蛇口から水が流れる間、バッハのメヌエットのメロディが鳴るのだ。10万近くもするくせに、このチープなメヌエットの電子音がなかなかにミスマッチだった。

「もう使わないし捨てるのも勿体ないから、ただで譲るからどうしてもって…」

母が困り顔でそう言った。

その夜、2階の自室で眠りについていた自分はふと目を覚ました。

かすかに一階から音が聞こえる。

〜〜♪

メヌエットの電子音だった。

誰か目を覚まして水でも飲んでいるのだろう。

そう思ったが、電子音は一向に鳴り止まない。

それと同時にパタパタと何やら忙しそうに一階を小走りする足音も聞こえた。

「夜中に何やってるんだよ…てか水出し過ぎだし」

そんな事を思いながら、気付けばそのまままた眠りについていた。

早朝6時、仕事が朝早い自分はいつも家族の中で一番に起床する。

携帯のアラームで目を覚ました自分は、すぐにその異変に気づいた。

「え…まだ鳴ってる?」

浄水器の電子音が依然鳴り続けていたのだ。

水が出しっぱなしになっていると考えた自分は急ぎ足で階段を降りた。

廊下の先のキッチンのある居間からはやはりメヌエットが流れていた。

「水止め忘れてるじゃんばか…」

急いでリビングのドアを開ける。

リビングには誰も居なかった。家族全員寝ているのだろう。

リビングは真っ暗で、キッチンの蛍光灯だけがあかあかとついていた。

案の定、水は垂れ流しだった。

急いでシンクに駆け寄り水を止めた。あの電子音もやっと止まった。

それとほぼ同時に、背後でカチッと音がした。

はっと後ろを振り向くと、電気ケトルがゴポゴポと音を立てて沸騰していた。

カチッという音はたった今ケトルのお湯が沸騰したことを示す合図のはず。数分前に誰かがセットしたのか。

家族が起きている気配はない。

背後でパタパタとまた足音がして思わず飛び上がる。

慌ててリビングの電気をつけるも、そこには誰もいなかった。

浄水器の本体を見ると、ボタンがミルク用の設定になっていた。

その後、仕事から帰って来ると、家族に今朝の話をした。誰もお湯なんて沸かしてないし、夜中に起きてもいないという。

「パタパタって、そもそも家のみんなスリッパ履かないだろ」

父の一言にブルっと寒気がした。

「垂れ流しって、それ壊れてるんじゃないの?だとしたらそれが一番問題だけど」と母が蛇口を捻る。

メヌエットの電子音と共に水が流れる。

また蛇口を捻ると水が止まった。

「なんだ、ちゃんと止まるじゃん」

母がそう言うのとほぼ同時に本体からカートリッジ洗浄の音が鳴り響いた。

家族全員がその場に凍りついた。

本体から出た音は明らかに女性のうめき声だったからだ。

力の限りいきんでいるような、女の野太いうめき声。

「お産…」

ポツリと零した妹のセリフに全員が青ざめた。

浄水器のミルク用のボタンが光っていた。

昨夜垂れ流しだった水…

翌月の水道代に母が絶句したのは言うまでもない。

今も浄水器は家に置いてあるが、ミルク用のボタンだけは、ガムテープで固く塞がれている。

「この前の夜、なんかずっとどこかのドアが軋んでる音してたんだけど、今思えば赤ちゃんの鳴き声だったような気もする…」

相変わらず、妹は余計な事しか言わない。

母が家に持ち帰ってきたものは、本当に浄水器だけなのだろうか。

Concrete
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