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長編13
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黒い人

私には姉が一人いました。

私の家は、O県の片田舎の旧家でした。何代か前は村の庄屋をしていたということで、その頃の名残か、住んでいる家は近所のそれよりも大きなものでした。

私が10歳になるまで、家には、私の他に、先程言った4歳違いの姉と、父母、そして、父方の祖母と祖父の妹(私達は大叔母と呼んでいました)が同居していたのです。

田舎の家にありがちですが、家は長男が相続する、ということで、父親が本家となっていました。しかし、父には私と姉の二人しか子ができず、そのため、私達がお嫁に行けば、本家は次男の子が継ぐことになる、と言われていました。

小さい頃から私は、この家が怖くて嫌いでした。

家そのものが古くて大きくて不気味だったのも確かですが、正確に言えば、家が怖いのではありません。物心ついたときから、時折家を覗いている「黒い人」が私にはどうにも恐ろしかったのです。

私が「黒い人」に最初に気がついたのは、おそらく4歳の頃だったと思います。

家の庭で落ち葉を拾って遊んでいると、垣根の向こうからじっと私を見ている黒い人影がありました。最初、影だから黒いのかと思っていましたが、そうではないようです。黒い帽子をかぶり、黒色のコートのようなものを着ていました。下半身は見えなかったのですが、私はそこも黒いのだろうと想像していました。

何より、顔です。本来、帽子の下に見えるはずの人間の顔に当たる部分までも影で塗りつぶしたように黒黒としているのです。そして、真っ黒にも関わらず、なぜか「笑っている」ということがわかったのです。

男は近づいてきて、私に何かを言いました。私は怖くなって家の中に逃げ込みました。

このあとも、何度かその人影を見たことがありました。

ある時、祖母にその話をしたことがあります。祖母は、私と姉とを前にして、こんな話をしてくれました。

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昔、この家の何代か前のご先祖様が、お前たちの言っている、その「黒い人」に初めて会ったんだ。

その頃は大変な飢饉で、村中のもんが食べるのに苦労していた。昔の飢饉というのはそれはそれはひどいもので、虫や草の根や木の皮、食べられるものは何でも口にしていたんだ。それでも死んでしまうもんが後を絶たなかった。

ご先祖様は、そんなとき、山の中で「黒い人」に会いなさった。そこで、黒い人はご先祖様にこう言ったそうだ。

「食べ物と引き換えに、お前の願いを叶えてやろう」

得体のしれないモノの申し出だったが、飢えに飢えていた当時のご先祖様は、その申し出に対して「村人が飢えんでいいようにしてほしい」と願ったそうだ。

それ以来、時折、本家の女の元にだけ、その黒い人が現れるようになった。

黒い人に名はない。私も、私の義母も、ただ「黒い人」とだけ言っている。

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そして、最後に祖母はこう言いました。

「黒い人は離れて見ている分にはなんにも悪いことはない。

 ただ、話しかけてきたら注意しなければいけないよ。

 話しかけられたら、すぐにそこから逃げること。

 万が一、答えてしまったとしても、決して願いを叶えてもらってはいけないからね」

私はとても怖いと思いました。何度か黒い人を見ていた私は、また話しかけられたらどうしよう、そればかり考えていました。

姉が黒い人を見ているかわかりませんでしたが、姉も怖がっていたところを見ると、見たことがあったのかもしれません。

怖がる私達を見て、祖母は

「なあに、お前たちが大人になって、結婚すれば見えなくなる。アレは本家の女性の前にしか現れないから」

と言って笑うのでした。

こんな事がありましたが、幸運なことに、黒い人を見るのはそう度々ではありません。私は徐々に黒い人のことを忘れていました。

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時が流れ、私が小学3年生になった頃でした。

中学校に上がったばかりの姉が突然、学校に行かなくなったのです。今で言う不登校というやつです。都会ではさほど珍しくないのでしょうが、田舎ではそういった話はめったに聞きません。母も、祖母も、大叔母も姉を散々説得しました。

が、姉は頑として学校に行こうとしませんでした。

世間体が悪いということで、姉は家の一番奥の部屋にずっといさせられ、学校には「病気になった」ということで押し通してたようです。

姉は私にも事情を全く話そうとしませんでしたので、私もなぜ姉が学校に行かないのか、見当がつきませんでした。ただ、食事もあまり取らず、部屋から殆ど出ない様子だったので、実は本当に病気なのではないかと思っていたのです。

姉が学校に行かなくなって、3ヶ月程った頃です。そろそろ夏休みという季節でした。

姉の通っている学校で、食中毒事件がおきました。生徒が20名ほど下痢や嘔吐を訴え、そして不幸なことに一人の女子学生が亡くなってしまったのです。

地方版とは言え、大きく新聞にも取り上げられたので、記憶に残っているかもしれません。

その事件と関係があるのかないのか、姉は、1学期の終業式だけ、学校に行くことができたのです。

母と祖母はとても喜んでいました。夏休みの宿題だけを受け取り、テストも何も受けていないので、評価のつかない通知表を持って帰ってきた姉に対して満面の笑みで迎え入れたのです。姉もまんざらではない表情でした。

姉の嬉しそうな顔を久しぶりに見たので、私はとても安心しました。

ところが、それから、ちょっと姉の様子が変になったのです。

どこが、というと説明しにくいのですが、ちょっとした言葉遣いや仕草、振る舞いが、以前の姉と違うのです。

例えば、前の姉だったら「醤油とって」と言うところを「お醤油をとって」と言うとか、夜、着替えを準備してから寝ていたのが、朝に準備するようになるとか、その程度なのですが、日常生活の端々で、おや?と思うことがあったのです。

それはそうと、夏休み中、姉は元気に過ごし、今までは一人で摂っていた夕食も家族と食べるようになりました。引きこもっていたせいか、若干やつれたように見えましたが、顔色もよく、本当に元気になったんだなと思いました。

2学期になって、果たして姉は学校に行ったのでした。

母も祖母も一安心しました。それから、特に問題なく、半年が過ぎようとしていました。

ただ、変化がないわけではなかったです。あとから考えればあれは予兆だったのでしょうが、例の違和感は続いていましたし、何より、姉はよく食べるようになりました。

私は小さい頃からよく食べる子で、前は姉の2倍近く食べていましたが、その私にも負けないくらい、いや、私以上に食べるようになったのです。

そして、あんなに人一倍食べているにも関わらず、ものすごく痩せていったのです。

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そして、とうとう、あの出来事が起こりました。

その日は私が小学校4年に上がり、梅雨に差し掛かった頃。ジトジトと雨の降っていたのを覚えています。

私が学校から帰ると、姉の靴がすでに玄関にありました。

中学生の姉は、いつもなら、私よりずっと後に帰ってくるので、ちょっとおかしいなと思いました。中間テストだろうか?と思いましたが、それはちょっと前に終わったはずです。

『具合が悪くて早退したのだろうか?』

私は変に思いながら、三和土を上がりました。

家の中はしんと静まり返っています。父は仕事に出ているのですが、母もいないのだろうかと訝しく思いました。

すると、客間から物音がしました。ガタっとか、クチャとかそんな音だったと思います。

私は恐る恐る客間のふすまを開いてみました。

姉でした。

姉が、制服姿のまま、こちらに背を向けて、なにかの上にかがみ込んでいます。クチャクチャという音は姉が発していたようです。

「お姉ちゃ・・・」

言いかけて私は固まりました。姉が覆いかぶさるようにしている下にいるが、祖母だとわかったのです。そして、畳が流血で真っ赤に染まっていることも。

息を呑む私に気づいたのか、『姉』が振り返りました。

その時の光景は生涯忘れないでしょう。

姉の口元は真っ赤に染まっていました。もちろん祖母の血です。

ここに来て、ようやく私は理解しました。

姉は、祖母を喰っていたのです。

強烈な違和感があったのは、姉の表情です。口は真っ赤に染まっているのに、目つきや表情は普通の姉のままでした。まるで、普通に食事をしているところに、妹が帰ってきたので振り返った、そんな風でした。

実際に、

「おかえり」と笑顔で言うのです。

私は腰を抜かしたのか、その場にヘナヘナと座り込んでしまいました。人間は怖さの限界を超えると、本当に立っていられなくなるんだなと妙に感心した記憶があります。

そんな私を尻目に、姉はまた、クチャクチャと祖母を喰らい始めました。

『逃げなきゃ』

そう思っても体が言うことを聞きません。このままじゃ、と思っていると、後ろから大きな手で抱きかかえられ、客間から引きずり出されました。

そこには大叔母がいました。

私が声を立てようとすると、「しっ」と人差し指を口に当て、

「静かに。そっと離れれば大丈夫だから。あれは、すぐには襲ってこないよ」

そして、そのまま台所まで抱きかかえるように連れて行かれました。

「大おばさま、あれ、あれ・・・・」

私はやっと声が出ました。大叔母は、ため息をつくと、こう言いました。

「いいかい、すぐに、ここから離れるんだ。お母さんは村の寄り合い所に行ってるはずだから、そこにいくと良い。お母さんと、お父さんには、「アレに入れ替わられた」と、伝えておくれ」

そして、流しの下から一番大きな出刃包丁を取り出すと、

「あたしがいながら・・・済まないね・・・」

そう言って、客間に向かっていったのです。

やっと動けるようになった私は、音を立てないよう、大急ぎで玄関から逃げ出すと、一目散に母がいるという寄り合い所に向かいました。

大叔母から言われたことを伝えると、母は真っ青になり、震えてしまいました。

母が連絡し、父が来て、3人で家に戻ったのは、もう、夕暮れ時も過ぎた頃でした。家には救急車と数台のパトカーがきており、大騒ぎになっていました。母も、父も、警察から事情聴取を受けるということで、そのまま警察署に連れて行かれてしまいました。

10歳だった私にはあまりたくさんのことは教えてもらえませんでしたが、後で新聞を読んだり、大人たちから伝え聞いたところでは、姉が祖母を殺し、止めようとした大叔母が誤って姉を殺してしまった、とそういう事になっていました。

大叔母は逮捕され、実刑判決を受けました。

私達一家はそれがきっかけで生家を去り、同じ県の市部に引っ越しました。

私が中学生に上がったとき、大叔母に会う機会がありました。

刑務所での面会でした。

大叔母は思っていたより元気そうで安心しました。刑務所というとひどい環境を想像していましたが、そうでもないようです。

「あなたには、あの日何が起こったか、ちゃんと伝えておかなきゃいけないね」

そう言って、話し始めました。

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おばあちゃんから聞いただろう?黒い人の話。

あの、黒い人は、バケモンなんだ。

私達のご先祖様は、アレに「村のみんなが飢えないように」と願っただろう?食い物と引き換えに、と。そして、村に帰ってみると、村人の半分が死んでいたって話さ。

そう、みんな、飢えなくなったよ。生き残った人はね。

ご先祖様は頭を抱えた。絶望して慟哭したそうだ。

でも、悲劇はこれだけじゃなかったんだよ。数日後、アレがご先祖様を訪ねてきた。

これは家族も見ていたらしい。真っ黒い何かが主と話している。そして、いつの間にかいなくなっていた。不思議に思ったが、それから、落ち込んでいた主が元気になったので、家族は胸をなでおろしたらしいよ。雨も降るようになり、なんとか、飢饉を脱することができたのも幸いした。

でも、その後だ、主には変化が起きた。

まず、よく食うようになった。前の2〜3倍は喰うようになったらしい。飢饉を経験し、食い意地が張ったのだろうと最初は思われていたようだ。でも、そんなに喰っているのに、どんどん痩せていったっちゅうことだ。

どっかで聞いた話だって?そう、お前の姉さんと同じだ。

そんな事があってから数年が経った。主には息子が2人、娘が1人できたそうだ。主の変化は大食らいになったくらいだったので、さほど問題はなかったらしい。

そんなある日、旅の坊主が家に泊まることがあった。

その坊主は、主に面通りをすると、驚いたような顔をしたという。

そして、こっそりと、主の妻に言った。

「旦那さんは、物の怪に憑かれとる。いや、取って代わられとる」

主の妻は、数年前の飢饉での出来事、その後の主の様子などを坊主に話した。坊主は得心した様子で、

「黒い人が訪ねてきたとき、本当の主は殺され、そいつが主の皮を被っているんだ。ああいう物の怪は身体がない。身体がないから物も喰えん。だから、主の体を奪って物を喰うてるんだ。もう、あれからは獣の匂いがする。そのうち、人を喰うようになるかもしれん。」

と言うた。主の妻は震え上がった。そういえば、主の所作が前と違うと思うことが多々あったのだ。

「儂にまかせておけ」

坊主は主のいる部屋に入ると、念仏を唱え始めた。

すると、みるみる主の顔色が悪くなり、首を押さえて苦しみだす。

「お前は人を喰うじゃろう。どこから来たか!悪鬼よ」

恫喝するように坊主は言う。主は冷や汗を流しながらも笑みを浮かべ

「なんじゃ、糞坊主!貴様の経などで、何ができる」

「それに、残念じゃったな。この体じゃ人は喰えん。ダメじゃな。男はだめじゃ」

坊主が念仏の声を高めると、更に主人は苦しみ悶える。それでも、主人は坊主を縊り殺さんとするように、にじり寄っていく。

ひときわ声を高めると、主人の体はグラリと傾いだ。その一瞬の隙に、坊主は床の間にあった刀を取り上げ、やにわ主を斬り殺した。

そして、妻があっと声を上げる間もなく、返す刀で主の首を切り落とした。

妻が叫び声を上げると、切られた首から何やら黒いものが飛び出し、障子を破って外に出ていくのが見えた。

「御覧なさい」

坊主は妻に斬り殺した主の遺体を示した。首の中、腹の中、ともに真っ黒だった。

そこにはあるべき臓腑がまったくなかった。

「あなたの主人はもうとっくに亡くなっていた。今まで飯を食らっていたのは、今飛び出していった物の怪だ」

そう言って、座り込むと、数珠をとって今度は穏やかに経をあげ始めた。

そして、一通り供養が済むと、妻に振り返り、

「主の亡骸はきちんと弔うがいいだろう。だが・・・あなた達の子だが、残念だが、物の怪の血を引いてしまっている。この後も、あの黒い物の怪がやってきて取り憑こうとするやもしれない。どうやら、あの物の怪は男の皮を被っても大したことはできないらしい。だが、女子の場合は人を喰うようになるやもしれない」

「子らに伝えなさい。たとえ物の怪にあっても、言葉をかわさぬように。約束をしてしまえば、その返報として身体を求めてくる。決して約束をしないように・・・と」

それから、この家の、特に女子の前には時折、あの黒い人が現れ、体を奪う機会を狙うんだよ。

実はね、私の姉も体を奪われたんだ。今となってはなんの願いをかけたのか分からんが、私の姉さんも、14歳で人を喰らおうとした。そして、私の兄が撃ち殺したんよ。私は一度、姉さんが変わったのを見ているんだ。なのに、実際にMさん(私の祖母の名)を喰うところを見るまで、お前の姉さんが入れ替わられたことに気が付かなかった・・・。

本当に済まない、済まないことをした・・・。

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そう言って、大叔母は後はひたすら涙を流し続けました。

これが、うちで起こったことです。

大叔母の妄想とお思いですか?でも、私は実際、祖母を喰っている姉を見ています。

この話をあなたに話したのは理由があります。

ひとつ、疑問があるんです。

姉は、いつ、黒い人に願をかけたのでしょう?

私は夏休み前の、集団食中毒のときではないかと思っています。

おそらく、姉は中学校に入ってすぐに意地悪な級友に目をつけられ、いじめられたのではないでしょうか?

それで、「学校に行かれるようにしてほしい」とか「〇〇さんを追い出してほしい」とか、そんな願をかけてしまったのではないでしょうか。

と、すると、姉が入れ替わったのは、その後からです。たしかに私はあの食中毒事件の後の夏休みからすでに姉の違和感に気づいていました。

それでは、なぜ、女子と入れ変わったアレは、すぐに人を喰わなかったのか?

どう思いますか?

そう、私も同じ意見です。

「女」であることが明確になるのはいつか?

それまでは、男女の区別はあまりないのかもしれません。

あの日、姉は具合が悪くて早退したそうです。

もっと具体的に言えば、「初潮」が来たのです。

姉は「女」になりました。

だから、アレは人を喰えるようになった・・・、のではないかと。

私は昨日で14歳になりました。いいえ、初潮はまだです。クラスでも遅いほうだと思います。

でも、無理ですね。抑えておくことはできません。

私、記憶が曖昧なのですが、4歳のとき、

初めてアレに会ったとき、言葉をかけられました。

その時、何も言わなかった、自信がないんです。

入れ替わられた人に、自覚があると思いますか?もし、なかったら?

確信が持てません。

4歳以前の記憶?

それはとても曖昧です。

食べる量?

食べる量はもとから多いです。でも、この通り、クラスでも痩せている方です。

・・・

どう思いますか?

私は、どうしたら良いでしょうか?

Concrete
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