ああ、また、あの人と一緒のシフトだ。
憂鬱で、休みの日も気持ちが沈む。
初めは違った。気に入らない事はあったけれど、そこそこ上手くやっていたのだ。
何年か経ち、互いの小さな不満が募って解消出来なくなった。
ある時、決定的な出来事があって、それからはもう、一緒に仕事をするのが苦痛でしかない。
仕事をしていない時も、その事ばかり考えてしまい、気持ちが沈む。
介護の仕事は、人材の墓場だと言うけれど、
程度の低い人も実際多い。
他では絶対通用しないのに、我が物顔の人もいる。特に私の職場のように、女だけなら尚更だ。
他では通用しない、あぶれた人材…
私も、その一人なのだ。
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彼女は年だから、何年かすれば辞めるだろうか。そうなったら、穏やかな毎日になるだろうか。
…いや、そうなったら、また別の懸念材料が出てきて、同じ事なんだろう。
私の能力と、弱さの問題だ。
わかっている。けれど、「あの人がいなければ」という思いは、どんどん大きくなる。
人間関係が原因で辞めた人は、次の職場でも人間関係で苦しみ、お金が原因で辞めた人は、次の職場でも、お金で納得出来ない。
クリアしないで辞めても、だいたい同じ事になる。
こんな時、仕事を辞めるという選択肢もあるのに、同じ箱にいるのを選ぶのは、私のような者によくある事だと思う。
他に出来そうな仕事は無く、若くもない。
新しい事に飛び込む勇気はないし、そうした所でまた、どうせ苦しむのだ。
それよりは、今の箱での苦痛を選ぶ。
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この頃、彼女はタガが外れたのか、謂われようの無い事でも、すぐに私を罵倒するようになった。
もう、ダメだ。このままでは私はおかしくなってしまう。普通に仕事をしているつもりなのに批判されて、何が正しいのか、もうわからない。
まくしたてる顔を見ながら「死ねばいいのに」と思った。
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死ねばいいのに…いや、いっそ_。
「敵がきたぞー!皆を起こせ!」
ある日の夜勤中、幻覚をよく見る入居者が、居室から飛び出して来た。戦時中、たくさん人を殺してきたという男性だ。
いつものようになだめて、隙を見ながら非常食だと、安定剤を口に入れる。
すぐに落ち着く事はあまりなく、大抵は興奮が収まらない。
男性の方が寿命が短いし、戦争経験者の認知症の男性も少なくなってきた。
こういう時、他の入居者は、耳が遠かったり、睡眠薬を飲んでいたりで、案外起きて来ないものだ。
起きた所で全員認知症。言いくるめてまた寝せるだけ__そうか。
私の黒い考えは決まった。
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数週間後、あの人と二人の夜勤日がやって来た。
明け方近く、朝食の簡単な準備が始まる。
彼女はいつも、入居者の対応を私に押し付け、調理に入る。
包丁を使う音が聞こえる。
「隊長。敵襲です。」例の入居者の耳元で、私は言った。カッと目を見開き、辺りを伺っている。上手いこと起きてくれたものだ。
失敗しても、次の機会が十分にあるためか、私は落ち着いていた。
台所に誘導すると、彼女が気付いて私に小言を言う。
「…ちょっと。ちゃんとやってよ!こっちに来させるなって、何度も言ってるでしょ!」
そんなのはお互い様なのに、クドクドと言う。
他のスタッフにだったら言わないはずだ。
でも、もうこれで終わり。
手袋をした手で包丁を握り、反対の手で彼女の肩を掴み、先ずは腹を、刺す。
脱力気味になった所で、近くの壁に背中を押し付けて、
刺す。
刺す。
人の体って、スムーズに刺せないものだな。
力もいる。
もっと、何度も、間髪入れずに
刺し続けたかったのに。
彼女は私の腕を掴みながら、何が起こっているのかわからないという表情のまま、崩れて行く。
「触んなよ。」
私は言って、動かなくなった彼女を蹴った。
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「他の入居者の部屋にいたんです。センサーマットのコールは鳴りましたが、すぐには行けなくて…。その内に悲鳴が。行った時にはもう、血まみれで倒れていました。」
私は、警察の事情聴取を受けていた。
あの後、包丁を入居者に握らせたのだが、予想外な事に、興奮して私に襲いかかってきた。
驚いたが、そこで激しく揉み合いになったのが上手く作用してくれたようで、痕跡が曖昧になったようだ。
実際私もケガをした。いくら高齢とはいえ、男の人の力には敵わない。
揉み合う内に、入居者が頭を打って放心状態になり、偶然私は助かった。
本来なら、血液の飛び方や足跡、彼女の抵抗の跡等、不自然な所があったのかもしれない。
でも、現場が検証不可能なほど荒れており、詳しくは調べられなかったらしい。
ともかく状況は、私に有利に進んだ。
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その後、認知症の入居者による、介護員の殺害と言うことで、一時期世間を賑わせたが、その内に別のニュースに塗り替えられていった。
殺人があった施設であっても、認知症を受け入れてくれる所はいつだって足りない為、入居者が減ることは無かった。
スタッフも入れ替わりはしたが、私を含め何人かは残った。
あの入居者は退去して警察病院へ。
家族はと言うと、平謝りに方々に謝罪し、かなり苦労したようだ。
後で考えれば杜撰な計画だったが、上手く運んでくれた。
本当は私が刺したのではと、陰口も聞こえてきたが、私は気にせず、大きい態度を取るようになっていった。
人を殺した事で、底辺の私にも、やはり何かが作用したのだろう。
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十数年後、同じ施設に勤め続けた私は、古株になって、我が物顔で仕事するようになっていた。
スタッフも、私には面と向かって反論出来ない。自然と入居者にもきつく当たるようになっていったが、上にはゴマをすり、上手く立ち回っている。
悪口は意に介さないし、その分仕返しもしている。相手は泣いても追い詰められても、私には逆らえないのだ。
辞めたい人は辞めればいい。弱い奴は仕事を続けていけないだけだ。
それに、誰かを力で威圧するのは気持ちがいい。この狭い箱に限っての事だけれど、私にとっては仕事のしやすい環境だった。
今日もスタッフを叱責した。
何を言っても、うつむいてるだけの子で、いつもイライラする。
入居者には娘のように思われているようだが、私にしてみれば、単にスタッフの中で一番若い女だから、可愛がられているだけだ。
この頃は、彼女を見るだけでイラッとする。
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ある日。彼女と二人の夜勤中、私は台所で朝食の準備をしていた。
そこで、徘徊している男性入居者を目にし、うんざりして声を掛けた。またか。
「○○さん。どうして部屋から出たの!」
「ああ。探してたんだ。あんたを…あんたを殺さないと…娘が苦しんでるんだ。」
「…え?」
その時、彼女がやってきた。
私は言った。「ちょっと!ちゃんとセンサーマットのコール聞いてたの?徘徊してたじゃない!台所には来させないでよ!」
「いえ。スイッチは切っておきました。
と言うより、私が来させたんです。
…お父さん。この人だよ。押さえててくれる?」
「ああ。お前の為なら、何でもするよ。こいつか。こいつがお前を苦しめるんだな!」
入居者は、馬乗りになり私を床に組み伏せた。
しっかり両手を押さえられ、逃げられない。跳ね返そうとするが、高齢者であっても男性の力には敵わない。
叫んでも誰も来ない。来た所で、認知症の入居者に、どう助けて貰うのか。
「私は、他の入居者の居室にいて、気付くのが遅れた事にしますから。
なるべく不自然じゃないようにしたかったんですけど、でも、これだけはやらないと。」
彼女は手袋をはめた手で包丁を持ち、膝を着いて頭側から私を覗き込むと、包丁を口に差し込んだ。口の中が切れ、血の味がする。
「_っ!お…えが…い!やめ…!」
「他の先輩に聞いたんですけど、昔、ここで入居者がスタッフを刺したって。
あれ、ホントは刺したの、あなたじゃないんですか?現場がメチャメチャで、証拠がうやむやになったそうですね。
それまで弱かったあなたが、それからずいぶん変わって、今みたいになったって。
ま、どっちでもいいんですけど。私の事、随分いじめてくれましたよね。」
「ごえんなさ…」
「あなたの声、ムカつくんですよね。二度と喋らないで下さい。」
そのまま、包丁を押し込み、私の喉を貫く。
「_!ごっ。ぐっ、がほっ。ごっ_」
声にならない声を上げる。苦しい。痛い。息が出来ない。ヒューヒューと、空気の漏れる音がする。
「人を見下す目も、同じようにしてやりたい所ですけど、バレないように殺すには、あんまり痛ぶるわけにもいかないんで。
お父さん。次は、ここを押さえてくれる?
生体反応がある内に、争った跡を付けないと」
「ああ。お前の言う通りにするよ。これで、お前は苦しまないんだな?」
「うん。取り敢えずは、この人さえいなければね。」
彼女の声が遠くなっていった。
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「はい。私が見たときにはもう…。入居者さんから、何とか包丁を取り上げて。後はもう、よく覚えていません。」
事情聴取は、割とあっけなく終わった。
あの人が、入居者にも酷い対応をしていたのは皆の知る所だし、包丁を見たのがきっかけで、襲いかかった可能性が高いとされた。
パワハラを受けていた私にも、当然疑いの目は向けられたが、現場の争った跡が滅茶苦茶だった事から、確証は得られなかったようだ。
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私は、仕事を続けている。
あれから、次から次へと、酷い人材がやって来た。
あの人がいなくなったからって、ストレスが無くなる事はないが、せっかく手を汚したのに、辞めるなんて勿体ない。
私はいつも考えている。同じ手は難しいだろう。他にも、あるはずだ。バレないで殺す方法。
犯罪者の七割は逮捕されていないというのは、何の話だったか。
私のように苦しんでいる人の話はよく聞く。
方法はきっとみつかる。
同じ考えの人と、協力してみようか。
どなたか、いらっしゃいませんか?
作者パンダ13
特定の職業の方を批判したり、特定の症状の方を貶めるものではありませんが、お気を悪くなさる方がいらしたら、申し訳ありません。
従事なさっている方のご苦労には、頭が下がるばかりです。