長編8
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身を捧げる

私は、ある分野の研究員をしている。

仕事は充実しているものの、あまり良い出会いに恵まれていない。

職場の人に相談した所、マッチングアプリを薦められ、抵抗はあったけど、少し前からやっている。

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職場の人に相談しながら選んでいくと、中にはデタラメだとすぐに分かる物もあるが、案外まともなのも多い事が分かった。

ある程度の情報がここで分かるし、使い方によっては便利だ。

その結果、何人かとLINEのやり取りをするようになり、相性の良さそうな人と食事に行った所、付き合って欲しいと言われた。

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それから一月が経ち、そんなに会う機会は無かったものの、順調に進んでいた。

相乗効果か、仕事も上手くいっている。

職場の人達の選択眼は凄いと思う。

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「お電話です。以前卒業論文に協力した大学の方から。」

職場に私宛の電話がかかってきた。

以前、ある大学の卒業論文に協力してから、時々こういう依頼がある。

「もしもし。お電話代わりました。」

…プツッ

電話は一方的に切れてしまった。

私は意に介さず仕事に戻る。

仕事の進捗状況が順調な事を上司に報告し、今日は久しぶりに定時で職場を出た。

スマホを見ると、彼からLINEが入っている。この後食事に行く約束をして、店に向かう。

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"家に呼んで欲しい"

と、前にも彼に言われていたが、仕事が忙しく片付いていないという理由で断っていた。

「…実はね、片付いてないっていうのもあるんだけど、他にも、人を呼ぶのに抵抗がある理由があって…」

彼が、食事の手を止めて私を見る。

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「私が住んでるのは、会社に提供された一軒家だって、前に話したよね?

そう、研究員をしてる会社の。

大ざっぱに医療系って言ってたけど、実は、抗毒血清の研究をしてるの。解毒剤みたいな。

…中でも、蛇の毒に対する血清を研究してるんだけど、家でも研究したくて。

蛇、飼ってるの。毒蛇。」

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あまりに予想外だったのだろう。

彼が何も言わず驚いたように目を見開く。

「専用の部屋に入れてあるんだけど、十種類以上はいて。あ。もちろん、鍵もかけてるし、届けも出してるよ。けど、やっぱり引くでしょ。蛇が自宅にいるのって。

ごめんね。なかなか言い出せなくて。」

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だが、これで少し合点がいっただろう。

多少行き遅れはしたが、見た目も悪くなく、

しっかりした職場に勤める私が、独り身な事にも。

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「それでも良ければ招待するけど。平気?」

彼は少し考えて、やっぱり行きたいと言った。私は次の機会にと約束をして、今から家の片付けを進めたいと笑って別れた。

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実際、家は散らかっている。

こういう時の為に、片付けておけと上司にお節介で言われた事もあるが、過剰労働なのは

事実で、家に帰ると特定の事以外、何にもやりたくなくなるのだ。

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今日は早く帰れたが、いつもはそうは行かない。あまり待たせるわけにもいかないし。

恥ずかしく無い程度には片付けておかなくては。

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準備が整ったある日、私に休みを合わせて貰い、昼食前に彼を招待した。

この一帯は、職場の社宅となっており、ほとんどが一軒家だ。待遇の良さは、会社の経営が順調な証拠だろう。

私も、時々臨時ボーナスを貰っている。

忙しいがやりがいはあるし、誰かの役に立っている実感がある。

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同じ造りの住宅にキョロキョロしながら、彼がやってきた。

スマホで話したまま、玄関前から手を振る。

周りに私以外誰もいない為、目立ったのか、すぐに気づいてくれた。

この辺りは独身用の社宅で、今日は私以外、だいたいが会社に出勤している。

「来てくれてありがとう。入って」

彼を自宅に通し、リビングへと案内する。

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少し話した後、用意しておいた昼食を振る舞う。

うん、うん。美味しいと感心したように食べてくれている。味に満足してくれたようだ。

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洗い物の後、私は用事を済ます為リビングを離れようとしたが、10分以上はかかるから、彼に言わなくてはならないだろう。

「あの…様子を見てきたいの。」

それでわかってくれた。

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蛇は意外に臆病で、ストレスに弱い。

環境の変化に敏感で、この家に来たばかりの頃は、しばらく餌を食べなかった。

温度管理や体調のチェックは欠かせない。

職場でもカメラを繋いで時々チェックしている。

補食が苦手な種もいるし、餌の好みが激しい種もいる。

舌の出し方なんかで、適切な餌のタイミングを計ったりと、観察が必要な動物だ。

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ふと、蛇がいつもと違う動きをする事に気づいた。私以外の匂いに反応しているのだろうか。

だが、ストレスを感じた時の動きではない。

…彼と、相性が良いのかもしれないなと、嬉しくなった。

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戻ってから彼が、私の仕事を詳しく知りたいと言ってきた。真剣に付き合いたいから、知っておきたいそうだ。

私も、彼には色々助けて貰いたいし、研究について聞いて貰うことにした。

ここで事前に知識を入れておいた方が、彼の為にも良いだろう。

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 抗毒血清というのは、直接毒を攻撃するのではなくて、抗体を増やす為の物である事。

 増えた抗体が、毒を包み込んで中和して無害化する事。

 蛇によって毒が違い、何の蛇に咬まれたか分からないと、血清を打てない事等を話した。

「例えば、コブラに咬まれたら、コブラ用の血清が必要で…。でも、今は研究が進んで、十八種類の蛇毒に効果がある血清があってね。

私達が目標としてるのは、特に猛毒と言われる、24種類全てに効果がある、血清作り。」

私は、なるべく分かりやすいように話したつもりだ。

彼は、何となく分かってくれたらしい。

凄い研究をしてるねと、感心してくれたし、

なかなか会えなくても、仕方ないんだねと言ってくれた。

彼の反応に気を良くして、私は続けた。

「でも血清ってすごく高くて。二万円近い上に、数が少ないの。

だけど、血清を頻繁に必要としている国は、貧しい所が多くて…。

毎年10万人もの人が、蛇に咬まれて命を落としてる。

値段もそうなんだけど、私達の研究が上手く行けば、助かる命も多いんじゃないかって思う。」

言いながら思いが募って、私はちょっと涙ぐんでしまった。

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「あとね、世の中には、凄いことを考えた人がいて…」

この後も話したかったが、言葉が続かなくなった。

彼はそんな私を見て、自分も力になりたい。

私を支えたいと言ってくれた。

ありがたい。良い人に会えて良かったと思う。

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夕方になり、彼が外にご飯を食べに行こうと言った。夕食をご馳走してくれるらしい。

私はその前に、彼にプレゼントがあるからと、目をつぶって貰った。

彼は少し驚いた後、嬉しそうに目を閉じる。

私は彼の後ろに回り、そして。

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首に注射を打ち込んだ。

…ほどなく玄関が開く音がし、白衣を着た二人の男がリビングに入ってきた。

彼が椅子から崩れ落ちる。

あっあっ…と声を出し、徐々に体を丸めて口をパクパクさせている。

ちょっと、トグロを巻く蛇に似てるな

…と思った。私だけだと思うけど。

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「今回は、部屋が片付いてるな」

と、部屋を見回して上司が言う。

「…でも………。昼飯をケータリングでごまかしてるのは相変わらずか」

わざわざ台所まで行ってゴミ箱の中を見ながらニヤついている。

この上司、腹は立つが仕事は出来る。

ターゲットを選ぶのも上手い。

"ターゲットと仕事の話になった時、

以前、大学の卒論に協力した事を言うように"

…とは、この上司の指示だ。

あらかじめ、過去にそういうことがあったと言っておけば、相手は私が本当に勤めているのか、身元を偽って電話してくる。

そして、声を聞いて安心したのか電話を切るのだ。

不信感を払拭して仕事をスムーズに進める為だが、この上司は、相手の心理を分かっているのだろう。

上司曰く、"そう言う事をする奴は、周りと交流が少ないし、被検体向き"

との事だが、どうだかわからない。

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その頃までに、だいたい調査も終わっている。

体格等は、早い段階でふるいにかけられるが、行方不明になっても大事にならない人物か、

トラブルはないか、アレルギーの有無、既往症等、専門の部署が調べ、私もデータから適合性を調査する。

一方で需要は高く、あまり時間もかけられない。

いつもはターゲットを探すまでが大変だったが…

「マッチングアプリ使ってみたけど、結構、はかどったな。次もこれで行くか。

…蛇毒との相性も良好だな。」

上司が、もう意識が飛んでいるだろう彼に、簡単な検査をしながら言う。

今までのデータを基に、似通ったタイプの人を、なるべくバラバラの地域からピックアップしたいのだが、今回はかなり効率が良かったようだ。

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「この方には、ある程度話しておきました。私達の研究に、理解を示して下さっています。

いつものように、食後三時間で投与しました。

今回の蛇毒との適合も良さそうですし、力になってくれると思います。」

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血清について、ターゲットに話しそびれた事がある。

血清の作り方は昔からあまり変わっておらず、毒を抽出して、ヤギや牛などに少しずつ注射。

何ヶ月かすると抗体ができ、それを使って血清にする。

手間がかかるしコストも高く、必要な地域に必要な時に行き渡りにくいのは、話した通りだ。

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しかし、過去に凄い事を考えた人がいた。

自らに、弱めた蛇毒を打って抗体を作り、自分の血を、血清にしたのだ。

各地を回り、咬まれた人に自分の血を輸血して回ったのだという。

21人を救い、100歳まで生きた。

必要とあらばどこにでも駆け付け、限られた蛇毒に対してだけとは言え、多くの人を救った尊い人。

この方法なら、現地で多くの人を救える。

安価で、ある程度安定的に。

これを基に、直接輸血するのではなく、もっと効果の高い方法を確立した。

上手く使えば、一人で生涯に500人以上は救える計算だ。

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人を土台にした血清は、牛等に比べて拒否反応がかなり少ない事が報告されている。

土台となる人にも、蛇毒との相性があるようで、抗体が出来るのが早い人や、たくさん抽出できる人がいる。

この取り組みは、費用がかかる研究の収入源にもなっているし、血清の生成に向かなかったとしても、抗毒血清の貴重な被検体として、有用させてもらっている。

彼もたくさんの人を救って、私達を支えて欲しい。

目指す血清は容易には完成しないだろうが、

いつか開発に成功して、報いたいと思う。

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「後はこっちでやっとくから」

ある程度の検査を済ませた後、上司達は彼を手際良くトランクに入れて車に積み、帰って行った。

この時間帯は近隣に住む社宅の人達は帰っていないし、見られる心配もない。

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会社の中で、これに関わっている人はそう多くないが、失踪後の後始末も上手くやっているようで、今まで問題になった事はない。

なにせ、日本で年間に失踪する人の数は約八万人だ。全てに手は周らないだろう。

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trrrr…

「…はい。先程はお疲れ様でした。

同時進行で進めていたターゲットですか?

そちらも順調です。はい。今月中には…」

Concrete
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@アンソニー 様、コメントありがとうございます!楽しんで頂けたようで良かったです。

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