私は、ある分野の研究員をしている。
仕事は充実しているものの、あまり良い出会いに恵まれていない。
職場の人に相談した所、マッチングアプリを薦められ、抵抗はあったけど、少し前からやっている。
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職場の人に相談しながら選んでいくと、中にはデタラメだとすぐに分かる物もあるが、案外まともなのも多い事が分かった。
ある程度の情報がここで分かるし、使い方によっては便利だ。
その結果、何人かとLINEのやり取りをするようになり、相性の良さそうな人と食事に行った所、付き合って欲しいと言われた。
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それから一月が経ち、そんなに会う機会は無かったものの、順調に進んでいた。
相乗効果か、仕事も上手くいっている。
職場の人達の選択眼は凄いと思う。
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「お電話です。以前卒業論文に協力した大学の方から。」
職場に私宛の電話がかかってきた。
以前、ある大学の卒業論文に協力してから、時々こういう依頼がある。
「もしもし。お電話代わりました。」
…プツッ
電話は一方的に切れてしまった。
私は意に介さず仕事に戻る。
仕事の進捗状況が順調な事を上司に報告し、今日は久しぶりに定時で職場を出た。
スマホを見ると、彼からLINEが入っている。この後食事に行く約束をして、店に向かう。
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"家に呼んで欲しい"
と、前にも彼に言われていたが、仕事が忙しく片付いていないという理由で断っていた。
「…実はね、片付いてないっていうのもあるんだけど、他にも、人を呼ぶのに抵抗がある理由があって…」
彼が、食事の手を止めて私を見る。
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「私が住んでるのは、会社に提供された一軒家だって、前に話したよね?
そう、研究員をしてる会社の。
大ざっぱに医療系って言ってたけど、実は、抗毒血清の研究をしてるの。解毒剤みたいな。
…中でも、蛇の毒に対する血清を研究してるんだけど、家でも研究したくて。
蛇、飼ってるの。毒蛇。」
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あまりに予想外だったのだろう。
彼が何も言わず驚いたように目を見開く。
「専用の部屋に入れてあるんだけど、十種類以上はいて。あ。もちろん、鍵もかけてるし、届けも出してるよ。けど、やっぱり引くでしょ。蛇が自宅にいるのって。
ごめんね。なかなか言い出せなくて。」
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だが、これで少し合点がいっただろう。
多少行き遅れはしたが、見た目も悪くなく、
しっかりした職場に勤める私が、独り身な事にも。
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「それでも良ければ招待するけど。平気?」
彼は少し考えて、やっぱり行きたいと言った。私は次の機会にと約束をして、今から家の片付けを進めたいと笑って別れた。
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実際、家は散らかっている。
こういう時の為に、片付けておけと上司にお節介で言われた事もあるが、過剰労働なのは
事実で、家に帰ると特定の事以外、何にもやりたくなくなるのだ。
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今日は早く帰れたが、いつもはそうは行かない。あまり待たせるわけにもいかないし。
恥ずかしく無い程度には片付けておかなくては。
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準備が整ったある日、私に休みを合わせて貰い、昼食前に彼を招待した。
この一帯は、職場の社宅となっており、ほとんどが一軒家だ。待遇の良さは、会社の経営が順調な証拠だろう。
私も、時々臨時ボーナスを貰っている。
忙しいがやりがいはあるし、誰かの役に立っている実感がある。
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同じ造りの住宅にキョロキョロしながら、彼がやってきた。
スマホで話したまま、玄関前から手を振る。
周りに私以外誰もいない為、目立ったのか、すぐに気づいてくれた。
この辺りは独身用の社宅で、今日は私以外、だいたいが会社に出勤している。
「来てくれてありがとう。入って」
彼を自宅に通し、リビングへと案内する。
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少し話した後、用意しておいた昼食を振る舞う。
うん、うん。美味しいと感心したように食べてくれている。味に満足してくれたようだ。
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洗い物の後、私は用事を済ます為リビングを離れようとしたが、10分以上はかかるから、彼に言わなくてはならないだろう。
「あの…様子を見てきたいの。」
それでわかってくれた。
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蛇は意外に臆病で、ストレスに弱い。
環境の変化に敏感で、この家に来たばかりの頃は、しばらく餌を食べなかった。
温度管理や体調のチェックは欠かせない。
職場でもカメラを繋いで時々チェックしている。
補食が苦手な種もいるし、餌の好みが激しい種もいる。
舌の出し方なんかで、適切な餌のタイミングを計ったりと、観察が必要な動物だ。
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ふと、蛇がいつもと違う動きをする事に気づいた。私以外の匂いに反応しているのだろうか。
だが、ストレスを感じた時の動きではない。
…彼と、相性が良いのかもしれないなと、嬉しくなった。
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戻ってから彼が、私の仕事を詳しく知りたいと言ってきた。真剣に付き合いたいから、知っておきたいそうだ。
私も、彼には色々助けて貰いたいし、研究について聞いて貰うことにした。
ここで事前に知識を入れておいた方が、彼の為にも良いだろう。
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抗毒血清というのは、直接毒を攻撃するのではなくて、抗体を増やす為の物である事。
増えた抗体が、毒を包み込んで中和して無害化する事。
蛇によって毒が違い、何の蛇に咬まれたか分からないと、血清を打てない事等を話した。
「例えば、コブラに咬まれたら、コブラ用の血清が必要で…。でも、今は研究が進んで、十八種類の蛇毒に効果がある血清があってね。
私達が目標としてるのは、特に猛毒と言われる、24種類全てに効果がある、血清作り。」
私は、なるべく分かりやすいように話したつもりだ。
彼は、何となく分かってくれたらしい。
凄い研究をしてるねと、感心してくれたし、
なかなか会えなくても、仕方ないんだねと言ってくれた。
彼の反応に気を良くして、私は続けた。
「でも血清ってすごく高くて。二万円近い上に、数が少ないの。
だけど、血清を頻繁に必要としている国は、貧しい所が多くて…。
毎年10万人もの人が、蛇に咬まれて命を落としてる。
値段もそうなんだけど、私達の研究が上手く行けば、助かる命も多いんじゃないかって思う。」
言いながら思いが募って、私はちょっと涙ぐんでしまった。
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「あとね、世の中には、凄いことを考えた人がいて…」
この後も話したかったが、言葉が続かなくなった。
彼はそんな私を見て、自分も力になりたい。
私を支えたいと言ってくれた。
ありがたい。良い人に会えて良かったと思う。
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夕方になり、彼が外にご飯を食べに行こうと言った。夕食をご馳走してくれるらしい。
私はその前に、彼にプレゼントがあるからと、目をつぶって貰った。
彼は少し驚いた後、嬉しそうに目を閉じる。
私は彼の後ろに回り、そして。
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首に注射を打ち込んだ。
…ほどなく玄関が開く音がし、白衣を着た二人の男がリビングに入ってきた。
彼が椅子から崩れ落ちる。
あっあっ…と声を出し、徐々に体を丸めて口をパクパクさせている。
ちょっと、トグロを巻く蛇に似てるな
…と思った。私だけだと思うけど。
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「今回は、部屋が片付いてるな」
と、部屋を見回して上司が言う。
「…でも………。昼飯をケータリングでごまかしてるのは相変わらずか」
わざわざ台所まで行ってゴミ箱の中を見ながらニヤついている。
この上司、腹は立つが仕事は出来る。
ターゲットを選ぶのも上手い。
"ターゲットと仕事の話になった時、
以前、大学の卒論に協力した事を言うように"
…とは、この上司の指示だ。
あらかじめ、過去にそういうことがあったと言っておけば、相手は私が本当に勤めているのか、身元を偽って電話してくる。
そして、声を聞いて安心したのか電話を切るのだ。
不信感を払拭して仕事をスムーズに進める為だが、この上司は、相手の心理を分かっているのだろう。
上司曰く、"そう言う事をする奴は、周りと交流が少ないし、被検体向き"
との事だが、どうだかわからない。
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その頃までに、だいたい調査も終わっている。
体格等は、早い段階でふるいにかけられるが、行方不明になっても大事にならない人物か、
トラブルはないか、アレルギーの有無、既往症等、専門の部署が調べ、私もデータから適合性を調査する。
一方で需要は高く、あまり時間もかけられない。
いつもはターゲットを探すまでが大変だったが…
「マッチングアプリ使ってみたけど、結構、はかどったな。次もこれで行くか。
…蛇毒との相性も良好だな。」
上司が、もう意識が飛んでいるだろう彼に、簡単な検査をしながら言う。
今までのデータを基に、似通ったタイプの人を、なるべくバラバラの地域からピックアップしたいのだが、今回はかなり効率が良かったようだ。
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「この方には、ある程度話しておきました。私達の研究に、理解を示して下さっています。
いつものように、食後三時間で投与しました。
今回の蛇毒との適合も良さそうですし、力になってくれると思います。」
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血清について、ターゲットに話しそびれた事がある。
血清の作り方は昔からあまり変わっておらず、毒を抽出して、ヤギや牛などに少しずつ注射。
何ヶ月かすると抗体ができ、それを使って血清にする。
手間がかかるしコストも高く、必要な地域に必要な時に行き渡りにくいのは、話した通りだ。
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しかし、過去に凄い事を考えた人がいた。
自らに、弱めた蛇毒を打って抗体を作り、自分の血を、血清にしたのだ。
各地を回り、咬まれた人に自分の血を輸血して回ったのだという。
21人を救い、100歳まで生きた。
必要とあらばどこにでも駆け付け、限られた蛇毒に対してだけとは言え、多くの人を救った尊い人。
この方法なら、現地で多くの人を救える。
安価で、ある程度安定的に。
これを基に、直接輸血するのではなく、もっと効果の高い方法を確立した。
上手く使えば、一人で生涯に500人以上は救える計算だ。
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人を土台にした血清は、牛等に比べて拒否反応がかなり少ない事が報告されている。
土台となる人にも、蛇毒との相性があるようで、抗体が出来るのが早い人や、たくさん抽出できる人がいる。
この取り組みは、費用がかかる研究の収入源にもなっているし、血清の生成に向かなかったとしても、抗毒血清の貴重な被検体として、有用させてもらっている。
彼もたくさんの人を救って、私達を支えて欲しい。
目指す血清は容易には完成しないだろうが、
いつか開発に成功して、報いたいと思う。
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「後はこっちでやっとくから」
ある程度の検査を済ませた後、上司達は彼を手際良くトランクに入れて車に積み、帰って行った。
この時間帯は近隣に住む社宅の人達は帰っていないし、見られる心配もない。
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会社の中で、これに関わっている人はそう多くないが、失踪後の後始末も上手くやっているようで、今まで問題になった事はない。
なにせ、日本で年間に失踪する人の数は約八万人だ。全てに手は周らないだろう。
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trrrr…
「…はい。先程はお疲れ様でした。
同時進行で進めていたターゲットですか?
そちらも順調です。はい。今月中には…」
作者パンダ13
方々から参考にさせて頂きました。
事実と異なる部分もあるかと思いますが、お話と思ってご容赦下さい。
人を使った抗体の闇売買については…事実でないとよいですね。