「賽の河原」と呼ばれる場所は、全国に何ヶ所もあるそうですが、一番有名なのは青森の恐山だと思います。
賽の河原は、親より先に亡くなった子供達があちらの世界で、河原の石を積んで塔に見立て、親の為に功徳を積んでいるとされている場所です。
親より先に死ぬのは大罪とされ、罰を受けます。
朝と夜に六時間ずつ、手を血まみれにしながら積み続けるのですが、必ず鬼に崩されてしまい、終わることのない償いをしていると言います。
「一つ積んでは父の為。二つ積んでは母の為…」と言いながら積んでいるそうです。
不慮の事故で亡くなっても、自殺でも、親が都合で堕胎しても、子供は罰を受けるのだとか。
理不尽な話ですが、大体このように伝わっています。
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恐山は日本三大霊場の一つで、あちらとこちらの境のように言われています。
同時に観光スポットでもあり、多くの人がやってくるのですが、やはり独特な雰囲気がある場所です。
賽の河原には、石を積み上げたものが所々にあり、子供のおもちゃの風車が回っています。
元々は管理側が行っていたのかもしれませんが、子供を亡くした人達や、観光客の方達も、子供達を不憫に思って行っています。
中には良くない考えで、足蹴にして重ねた石を崩してしまう人もいるんだとか。
これは、石を崩した人の話です。
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その男は、友人何人かと観光で恐山にやってきました。
独特な雰囲気はありますが、何か面白い物があるわけでもありません。
心霊スポットでもあり、目的を持ってくる方もいますが、彼らはそういう事に興味はなく、ただ、話のネタにやってきただけです。
結構な敷地を歩く内に、飽きがきました。
賽の河原にやってきた時、その内の一人が、
「なぁ。あの石積んでるやつってさ、倒したらどうなんのかな」
と言い出しました。
「あれだろ。鬼が壊して、子供がまた初めから積み直すんじゃねぇの。」
「いや、ここでやったらって話だよ。」
「は?それはマズくね?」
「俺さ、ここの職員が積み直すと思うんだよね。やっぱ、あれないと雰囲気出ないっしょ。観光客も、あれをわかって来てるんだし。ここって田舎の貴重な収入源じゃん。
あの風車だって、入り口で売ってるし。
ビジネスだよ。明日には、石積んであるんじゃねぇのかなって。確かめてみね?」
時刻は閉場近くになっていました。
辺りに人はいませんし、この後の観光客が石積みをする事は無いでしょう。
賽の河原の石積みを崩す。
それは、お地蔵様を粗末に扱うようなものであり、心霊的なものを信じていなくても抵抗があります。
友人達もやろうとしません。
ただ男は、言った手前引っ込みが付かなくなり「皆ビビりだな。こんなのただの石だって」と、積み石を蹴り崩し初めました。
十カ所位の、目に付く積み石を崩し終えて蹴飛ばすと、ふと思いついて、河原を写真に収め「ご苦労さん」と言って、そこを後にしました。
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次の日、開場から少しして男はやって来ました。
「どんだけ積まれてんのかな。職員っても数少なそうだから、苦労したんじゃねぇの。」
彼は昨日と今日の比較写真を、SNSに上げようと思っていました。
タイトルは「マジお疲れ〰」でしょうか。
遠目からでも何となくわかりましたが、近くに行って拍子抜けしました。
石が、積まれていません。
「は?観光客無視な訳?」
誰もおらず、風車だけは風を受け、音を立てて回っています。
まぁいいやと写真に収め、車で待っている友達の所に戻ろうとした時、男は気を失いました。
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風車の音と誰かの声で気が付きました。
目を開けると、さっきまでいた賽の河原です。しかし、どこか雰囲気が違います。
(倒れたのか?何があって…どん位時間たったんだ)
聞き慣れない野太い声が言います。
「戻ってきた」「戻ってきた」
「人間だ」「人間だ」
掛け合いのように話しています。
見るとそれは、ボロボロの簡素な服を着た大柄の者達で、痩けた頬に、大きな目をしています。よくある伝承とは少し違いますが、それは鬼でした。
「お前石を積め」「石を積め」
「積め」「積め」
「そしたらワシらが壊す」「ワシらが壊す」
「早よう」「早よう」
鬼は、男に迫ります。
「わ、わかった!やるよ!やる!」
足元の石を積み始めますが、鬼達が目の前で首を振ります。
「お前の石はそれではない」「それは使えない」「自分のを使え」「ワシらが石に変えてやる」
鬼は、ノコギリのような物を差し出しました。けれどそれは、金属ではなく竹で出来ています。
昔、拷問や刑罰に使っていたとされているものです。
金属とは違い、竹で出来たノコギリは、対象をすぐに切ることは出来ません。
刃の部分がギザギザになっているのですが、なかなか切れない為に、何度も往復させて押し切るのです。
それで、人体を切って拷問したり、死罪人の首を少しずつ切って刑に処したという話があります。
「お前それで切れ」「お前が切れ」
鬼達が言います。
「足一本だ」「足一本」「石蹴った足を切れ」「早よう切れ」
「ひっ…」男は迫られて、太ももにノコギリをあてがいました。
(これは夢だ。切っても痛くないはずだ。夢だ。夢だ!)
「場所が違う」「下からだ」
鬼は、ノコギリを足の親指にあてがいます。
「こっちから」「ちょっとずつ」」「上に」「切って来い」「大きすぎても」「小さすぎても」「石にできない」「できなければ」
「できなければ」「一本切り終わるまで」
鬼達は声を合わせました
「やり直し」
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男は自分の足を切り続けています。
"繋がったままの自分の足を、足先から付け根まで少しずつ自分で切る"
という地獄の責め苦は終わりません。
切り落とした肉片の大きさが違うと、鬼が足を元通りにし、親指からやり直しです。
朝に6時間、夜に6時間。
それ以外の時間は何もせず、ただ、切断途中の足の激痛に晒されます。
痛みで気絶しても、血が流れ続けても死ぬことはありません。痛みで寝ることも出来ず、飢えと渇きで、ただただ苦しむのです。
男は、数え切れない程後悔しましたが、もう、考えることも出来なくなってきました。しかし、痛みや苦痛だけは感じます。
この地獄はいつ終わるのか。
ある時、男は足を一本切り終えました。
鬼が、男の足だった肉片や骨を石に変えます。それは他の石と違い、赤黒い色をしていました。
「さあ積め」「積め」
男はフラフラと石を積み始めました。
しかし、積み終えそうになると鬼が蹴散らしていきます。何度も何度も…
鬼に責め立てられるため、止めることは出来ません。
朝に6時間、夜に6時間。
血豆はとっくに破れ、指の感覚も無くなってきました。
それから幾らかの時間が過ぎ、男の周りに子供達がやってきました。
子供達は、男の足だった赤黒い石で石積みを始めます。
やはり鬼に蹴散らされますが、一人でやっていた時より、積み上げるのが早くなっています。
周りを見ると、他にも子供達がいて、血まみれの手で河原の石を積み上げています。
しかし、見回りの鬼に容易く崩され、また積む…
一方男の石は、いくつかに分けて 積みあがり、もうすぐ完成しそうです。
その時男は思いました。
(俺は、帰れるのかもしれない。でも、この子達は…)
「なぁ、お前たち。俺のはいい。向こうで一緒に積んでやるよ。」
「ううん。いいの。」「それよりね、お兄ちゃん。」
「…次は、足二本だから」
同時に、最後の一個が積み上がりました。
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カラカラと風車が回る音がして、男は目を開けました。自分が蹴散らした賽の河原に倒れています。
(戻ってきた…)
足も、血まみれだったはずの手も元通りになっています。
男は、声を上げて泣きました。
その後、様子を見にきた友人に連れられて入り口に戻った男は、風車を買って賽の河原に供え、友人達と石を積んで帰りました。
不思議な体験は信じて貰えなかったけれど、男はもう、罰当たりな行為はしなくなったそうです。
男が後で調べた所、賽の河原の伝承には諸説あり
"鬼が崩し続けて子供が永遠に報われない"
というのは、後付けの俗説という向きが強く
"子供達は菩薩に抱かれて、いずれ成仏する"
というのが本来の説のようでした。
現世から救いの手を述べる事は出来るのでしょうか。
せめて、不敬な行いはしないようにしたいものです。
作者パンダ13
竹で出来たノコギリ…竹のこ…たけのこの…さ…
すいません。
ちなみに私は竹派でしたが、年齢と共に、きのこ派になりつつあります。