この地に河童の存在が最後に確認されたのは明治の初め頃であった。
目撃されたのは山の中腹にあるため池で通称をかっぱ池と呼ばれていた。
当時は民俗学の黎明期で学者と言うより地方の好事家が趣味の延長としてさまざまな話(フォークロア)を集めていた。
かっぱ池に伝わる伝承もその一つである。
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辰五郎は獣道を走っていた。日暮れが迫っている。もうすぐで一寸先も見えなくなるだろう。
これならば追手も来まいと休める場所を探していると水面に西陽が反射するのが見えた。小さな池だ。
しめた。山腹にある池ならば湧き水も近い。今夜をやり過ごすには絶好の場所に思えた。
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辰五郎は侠客(ヤクザ)であった。
明治の初め、辰五郎の一党は風前の灯であった。今までうまくやっていた士族の連中の立場も名前も変わり、奉行所も警察とか言うものに変わってしまった。
俺の藩、いや今では県だったか、が政府に反発したせいか、ちょっとしたことでも取り締まりが厳しくなっていた。
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今日など一党を解散して明日から各々日の当たる商売にしようという宴であったのに、刀をサーベルに持ち替えた士族どもに反乱の疑いだとかでいきなり乗り込まれた。
元々全員殺してしまうつもりだったのだろう。いきなり斬りかかられて左腕を深く切られながらも命からがら逃げ出した。
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「ふん、今まで安穏としてきた士族の坊ちゃん剣法でこの俺が死んでたまるかよ」
熱を持ち疼く左腕を清らかな湧き水ですすぐ。うっ、と痛みが走るが膿むのがこわい。乾いて腕毛に絡む血まで洗い流した。
手椀で湧き水を一杯飲む。
「ふあー」
やっと人心地ついたとき、西陽で真っ赤に染まるため池の中心に人影があった。
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池の中心で水面から肩口まで出しているその者は微動だにせず立ち泳いでいるようにも見えない。
尋常の者ではない。
悪いことは続くものだ。ああ、こんなところで化け物に食われるのが末路かと呆けたように立ちすくんでいると、化け物から声をかけられた。
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「生き血を捧ぐる人は久しぶりなり、信心篤き者よ。よしなに」
言われた辰五郎だがすぐに緊張が解けるわけもなく。とりあえず士族に対してするように平伏した。
それを見た化け物は気を良くしたようで
「人に会ふは久しぶりなり。楽にせよ」
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二度も『落ち着け』と言われればこの平伏も無礼に思える。
だが、辰五郎は顔を上げ
「辰五郎と申します。あなた様が居られるとは知らず、突然の無礼をお許しください」と再び平伏した。
すると化け物は
「こなたに来、こなたより行かむや?」と笑み混じりに言う。
辰五郎があおぎ見るといつの間にか池を出て岩に腰掛ける化け物がいた。
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逆光で影になりよく見えないが夕日で赤く染まる体の輪郭は魚のようなツヤを持ち、頭頂部も同じく滑らかに見えた。
河童だ。直感的に辰五郎はそう思っていた。
「痛しや?見せよ」
あっけに取られていると河童に左腕を取られた。
河童は首から紐で下げている巻貝の口を指でなぞると、その指で辰五郎の左腕の傷に沿うように何かを塗りつけた。
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傷に触られているというのに不思議と痛みはなく、むしろあれほど疼いた傷が癒えていくのがわかった。
「どうだ?」河童が問う。
思わず左腕を撫でたが全く痛くない。深かった傷の段差も見当たらなかった。
まさか食われると思っていた化け物に命を救われるとは。
辰五郎は何度も平伏し礼を言い、河童がそれを笑いながらも
最後には礼も過ぎると非礼ぞと辰五郎を諌めた。
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辰五郎が礼を言い続けるうちに黄昏時を過ぎ辺りは真っ暗になっていた。
「いまよからむ。我はいま寝る。達者にな」
何も見えなくなり河童が池に足をつける水音だけが響いた。
たまらず辰五郎は「必ず何かお礼を持って参ります」と暗闇に向かって言った。
すると河童は
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「礼ならば生き血をもて、人間は悪し、四つ足は御酒で割りしこそをかしけれ」
辰五郎はその後、池のふもとの村に住み猟師になった。
河童に会った次の日に追手はやはり捜索に来たが、村で農作業を手伝う辰五郎を見ても気が付かなかった。
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なにせ左腕の大怪我という目印がないのだ。目に留まらなくとも仕方ないだろう。
辰五郎は落ち着くと河童との約束を守り何度も酒と生き血を捧げに行った。
そしてその後の生涯で二度河童に会った。
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次に会ったのは最初に会ってからすぐで、河童に『生き血を持って来すぎだ。飲みきれん。池が汚れる』と怒られた。
辰五郎が月に一度は来たいと粘ると、河童は池が汚れないように池を大きくし、水の逃げ場を作れと言った。
辰五郎は言う通りに池を拡張し、池からふもとの村に続く水路を長い時間をかけて掘った。
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最後に会ったのは飢饉が起きた酷暑の夏の前だった。
河童に久しぶりに会った辰五郎は感動して大泣きして喜んだ。まるで最初に会ったときのように河童はそれをなだめると『今年の夏は田に水が足りないだろう。構わないからこの池の水を使え』と言った。
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辰五郎は悩んだが、その頃には家族を持っていることもあり泣きながら水路の堰を切った。
一生懸命に田を耕し、積極的に猪や鹿を狩り田畑を守る辰五郎は村の中でも頼られるようになっていた。
その辰五郎が言う話だから間違いないだろうと村では山の中腹にある池を『かっぱ池』と呼ぶようになった。
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辰五郎は死の間際まで「俺がまともな生き方が出来ているのは河童のおかげだ」と家族に言い。必ず捧げ物を欠かさないことを遺言に亡くなった。
昭和に入り、猪も鹿も少なくなった。
そんな辰五郎の子孫が捧げ物に苦慮していた時に夢枕に河童が出たそうだ。
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河童は夢枕で池のそばの岩に腰掛けながら
『すっぽんでもいい。あれも四つ足みたいなもんだ』
と言ったそうだ。
令和になった今でもそこはすっぽんの養殖で有名だ。
きっと今も河童とのきずなは切れていないのだろう。
作者春原 計都