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長編11
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呼ぶ子

何年か前に、東北地方のA県を訪ねることがあった。一人旅であったのだが、用件そのものは2日ほどで終わった。

安い民宿に宿泊したのであるが、その宿の主人と食事の際に話をするようになり、だいぶ親しくなった。

私は積極的に話したわけではないのだが、話の端々で怪異譚や民俗学に興味があるということが伝わったようで、

「それなら、T先生に会うのがいいべ」

と言われた。T先生は祖父の代から地元の郷土史を研究しているアマチュア民俗学者だということだった。もともとは小学校の先生をしており、退職後は私塾を開いていた。今ではそれもリタイアし、研究に打ち込んでいるのだそうだ。

旅行日程はまだ2日ほど残っていたので、私はこの紹介されたT先生に会いに行くことにした。

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「よく来なさった」

私が民宿の主の名を出し、紹介されたことを告げると、齢70も過ぎているだろうT先生は満面の笑顔で迎えてくれた。学校の先生をしていただけあって、人と話すのは好きな様子だった。

案内された応接間には、土器や古銭、古道具、古今の書物などが所狭しと並んでいた。一人暮らしであるというT先生がお茶を用意してくれている間、私は部屋を見て回った。書棚には東北の民俗学や西洋の呪術についての本など様々な書物があった。一部にはT先生やT先生の父か祖父が著したと思われる本もある。

「A県の民話集」

「山奥夜咄」

「中世のS村民俗考」

などなど。その中の一冊、T先生の名が記された本に興味を惹かれた。

「『呼ぶ子』伝承考察」

パラパラとめくってみると今から20年くらい前にT先生自身が自費出版した書物のようだ。T先生自身の自筆のサインが表紙の裏に記されているところを見ると、贈呈用として準備したもののあまりのようだった。

まえがきを読む。

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A県S村字Oには昔から『呼ぶ子』という伝承がある。これは周辺の村には見られない、この地域独特のものである。私は7〜8歳時に祖父から『呼ぶ子』の話をよく聞き及んでいた。村の婆さんからも同様の話を何度か聞いたことがあるので、この話はS村ではよくよく浸透していたようである。

(中略)

語り手によって多少の違いがあるが、呼ぶ子の伝承は以下の通りである。

昔からS村近くの人が寄り付かないあたりに『呼ぶ子沢』という場所がある。そこは、比較的流れの早いS川の途中であるにもかかわらず、地形の関係で流れが弱く、透明で深い淵となっていた。

言い伝えではS川で溺れて死んだものの魂は、この淵に「溜まる」と言われている。

なので、呼ぶ子沢では、

人魂が飛び交うだとか、

夜中に泳ぐ赤ら顔の子どもがいるだとか、

マタギが森を歩いていると、バシャバシャと水音がするが、沢を見ても何もいないとか、

そういった話がたくさん聞かれる。

中でも恐ろしいのが、呼ぶ子沢で泳いだ子どもは、沢に溜まった魂たちに「引っ張られる」というのだ。泳ぎが上手な子であっても何かに足を引かれ、深みにはまって死んでしまう。

そして、呼ぶ子沢で子どもが死ぬと、その子は「呼ぶ子」になる。

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ここまで読んだところで、T先生がお茶を持って戻ってきた。

私が戻した本を見て、破顔した。

「おう、その本に興味がおありか。なるほど、なるほど」

そいつは、私の祖父の代からの研究でな、と語り始める。

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その本にあるとおり、『呼ぶ子』伝承は、この周辺でもS村にだけ伝わる話でな、通常、こういった民話のたぐいは周辺の村にも同様の話が伝わるのが普通だから、これは民俗学的には極めて珍しいものなんだ。

どこまで読みなさった?ああ、そうか、最初のところだけか。そうそう、子どもが「呼ぶ子」になるとどうなるのか?ということだろう。

そう、「呼ぶ子」は「呼ぶ」子、つまり、呼ぶ子沢で死んだ子は、他の村人を「呼ぶ」ようになるんだ。

呼ぶ子が出ると、村人が何人も行方不明になる。村人総出で探すと、呼ぶ子沢にぷかりぷかりといなくなった村人が死んで浮いているーという。

だから、村人は決して呼ぶ子沢に近づこうとしないし、特に子どもを近づけることはしなかったという。

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実際に、呼ぶ子が村人を呼んだという話は多くあるんですか?と、私が問うと、

「実は、私の祖父が小さい頃に一度、私が若い頃に一度、本当に呼ぶ子が出たことがあるんだ。」

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一つ目はこんな話だった。

祖父の小さい頃だから、大正時代か。村で一番泳ぎが達者だったDという子が、仲間3人と連れ立って呼ぶ子沢に釣りに行った。呼ぶ子沢は人が寄り付かなかったから、魚もスれていなくてよく釣れる。呼ぶ子沢に近づくなときつく言われていても、悪ガキ共はそれをよく知っていたのだ。

その日も何匹も何匹も魚が釣れて、皆で喜んでいた。

仲間の一人が濡れた岩に足を滑らして、沢に落ちてしまった。ちょうどそこは深みで、溺れそうになる。Dは急いで飛び込み、落ちた子を岩に押し上げ、自分も岸に戻ろうとした。しかし、不意にざぶんと沈んでしまった。

仲間が何度もDの名を呼ぶが、Dはとうとう顔を出すことがなかった。

悪ガキ共は慌てて大人たちを呼びに行き、皆で探したが、ついにDは浮かび上がることもなく、生死もわからない。Dの母親は呼ぶ子沢でたいそう嘆き悲しんで、村の者も見るに耐えなかった。

その後、村では、Dと一緒に行った仲間たちが次々と井戸に落ちたり、川で足を取られたりと水に関係する事故で死んでいった。

ああ、Dは呼ぶ子になった、呼ぶ子が出た、と村の婆さんは祖父に言ったという。

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二つ目は、T先生の若い頃なので、ほんの2〜30年ほど前だ。S子という女児がやっぱり呼ぶ子沢で行方不明になった。

「私は、祖父の話を聞いて、呼ぶ子というものに強く惹かれていた。なので、本も書いていた。見れるものならばと思っていたら、本当に見ることになるとは思わなんだよ」

そうT先生は笑った。

事の次第はこうだった。S子はK子、R子とよく一緒に遊んでいた。K子は村でも金持ちで大きな家の子だった。比べてS子やR子は村の小さな食堂や寂れた民宿の子だった。

K子は生まれもいいが、顔も良かった。ただ、小さい頃は随分やんちゃで、男の子顔負けの気の強い子だった。木登りや沢下り、虫取りなんかも大好きだった。

小学校5年生の夏休みも近くなったある日、K子はR子とS子に、呼ぶ子沢に行こうと提案した。提案というより、強要に近かったかもしれない。二人は渋々それに従った。

決行日は夏休みの初日だった。

普段、行ってはいけない、と言われているところに子どもだけで行くのは秘密の冒険じみてて、K子はワクワクしていた。他の二人は最初こそおっかなびっくりだったが、森に入り、沢に向かって降りていく道が程々に険しく、木に掴まったり、時には蔦をロープ代わりにして降りたりなどが必要だったりしていたため、次第に夢中になっていった。

沢に降りると、もちろん人がおらず、静かだった。流れが急だと聞いていたが、どちらかというと、淵のようで、鏡のような深い青色の水面がたゆたい、どこか神秘的だった。

「きれい・・・」

R子がつぶやいた。K子たちは服を脱ぎ、水着に着替えた。K子とR子は泳ぎが得意だったし、S子も普通には泳げた。なので、「深い」と言われてもそれほど気にならなかったし、3人とも、何よりこの美しい淵で泳いでみたい、という思いが強かった。

足を浸してみると、淵の水は程よく冷たく、その日が暑かったこともあり、気持ちが良かった。3人は次々に淵に飛び込む。

しばらく3人でいろんな泳ぎ方を楽しんだり、潜って淵に泳ぐ魚を見たりして遊んでいた。K子は背泳ぎのようにして、ぷかりと浮かぶ。

淵には岸から木々の枝がかかり、その向こうから陽光が差していた。重なり合う葉の隙間からキラキラと光る陽の光はとても美しかった。

うっとりとその様子に見とれていると、突然、バシャっと大きな水音があった。K子が振り返ると、音のする方を同じように見ているR子が目に止まった。

水が波立っている中心にはなにもない。見回すと、一緒に泳いでいたはずのS子がいない。

K子は周囲を見回した。岸にもS子はいない。

ゾッと背筋に冷たいものが這い上がる。

大きな水音、いなくなったS子。

K子とR子は慌てて水の中に潜ったりしてS子を探した。

10分ほど探したが、S子の姿を見つけることはできなかった。

二人は大急ぎで村に取って返し、親に事情を説明した。村では警察や消防団も含めた捜索隊が組織され、呼ぶ子沢で大規模な捜索が行われた、が、ついに、S子は発見されなかった。

「当時、S子の母親は随分K子の親を責めとった。無理もないことだ」

T先生は言う。K子自身には表立って非難の言を向けなかったが、親にはかなりきつくあたっていたようだった。捜索は続いたが、1ヶ月しても遺体も発見することができなかった。

「本当に恐ろしいのは、この後だ」

T先生は茶をすすりながら続けた。

事件から2ヶ月ほどしたころだったか、K子が一人で家にいると、家の中でペチャペチャとなにか濡れたような音がする。正確に言うと、濡れた足で廊下を歩くような音だった。

不審に思って廊下を見回しても誰もいない。ただ、床に大きな水たまりができていた。

また、別の日。K子がコップで水を飲もうとすると、コップの水に影が映る。よくよく見ると、いなくなったS子の顔に見える。驚いてもう一度よく見ると、消えている。

さらに、K子が風呂に入っていると、湯船の水面にどういうわけか、自分とは違う顔が映っているように見えてならない。じっと見ていると、見る間にその影が濃くなり、水面が盛り上がってくる。見る間に黒髪の女の子が風呂の中から顔を覗かせる。

ぎゃあ!と叫んで、とっさに手を前に突き出した。その手が風呂の縁においてあった入浴剤の缶を倒してしまい、入浴剤がお湯に溶ける。

それにつれて、その頭自体もスーッと溶けて消えた。

「K子の親を通じて、その話を聞いたんだ。K子にも話を聞いた。なので、随分と細かい記録があるよ」

T先生はボロボロのノートを取り出してめくりながら話を続ける。

こんな事があってから、すっかりK子は水が怖くなり、風呂にもプールにも入らなくなった。学校にも来なくなったし、T先生の私塾も休むようになった。

K子さんはどうなったのかと尋ねると、「結論を言えば、そのときには呼ばれなかったんだ」と言う。

すっかり困り果てたK子の親は、K子を東京の親戚筋に預けることにした。伝え聞いた話によると、K子は徐々に元気を取り戻し、学校にも通えるようになったという。

「K子は無事に就職もしてな。結構大きな企業に勤めていたんだよ」

不思議とR子のところには呼ぶ子は現れなかったらしい。

R子は村で普通に成長し、2児の母親になった。

「K子が村を出て、12〜3年経った頃か、小学校の同級生で同窓会をしようという話になったようで、K子にも招待状が行ったらしい。」

K子の母親によると、K子は散々迷ったようで、母親にも電話をかけてきていた。

この時、K子は結婚を控えていた。ちょうど、両親にもその詳しい報告をする必要もあったのだろう。そんなこともあり、結局K子は来ることにしたようだ。

同窓会は村の公民館で飲み食いするというありきたりなものだった。村の民宿や食堂の主が協力して料理や酒を用意し、皆、昔語りに花を咲かせ、盛況だった。

やれ、誰と誰が好きあっていただの、

なんとか先生はテストが多くて嫌だっただの、

水泳の授業ではいつもS子が居残りだっただの、

語り始めたら切りがなかった。K子も結局は随分楽しい思いをしたようだった。

「でもな、K子の元気な姿を見たのは、それが最後だった。」

翌朝、実家で寝泊まりをしていたはずのK子は寝床から姿を消していた。

寝床はビショビショに濡れており、K子の荷物も何もかもそのままだったので、行方不明事件として警察が介入して捜査が始まった。

まさか、とは思うが・・・。

「そう、結局、K子は呼ぶ子沢に浮いていたんだ」

呼ぶ子沢で発見されたK子の表情は恐怖に歪んでいたという。

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「これが、私の経験した『呼ぶ子』の話だ。途中、K子自身やK子の母親にも話を聞いているんでな」

いつか、『呼ぶ子』伝承考察の続刊を書くときにはこのエピソードも加えるつもりだとT先生は話した。

長く話を聞いており、日も傾きかけていたので、私は暇乞いをすることとした。

宿泊している宿で食事をし、今日、T先生にあって呼ぶ子の話を聞いたと言うと、民宿の主は「そのR子は自分の母だ」と言った。

へえ、なにか母から聞いていることはないですか?と尋ねてみると、

「あんまり、そのことは話したくないようで、聞いたことがないが、昔、一度だけ、母がK子さんの話をしていたのを覚えている。」

母やS子さんはK子さんをあまり好いていなかったらしい。K子はワガママでどちらかと言うといじめっ子だったというのだ。特にS子は何かに付けて意地悪をされていたらしい。

「そんなことを考えると、呼ぶ子というより、S子がK子に復讐したみたいですよね」

主は冗談めかして言った。

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次の日、私は気になることがあり、地元の郷土資料館に足を運んだ。書籍コーナーには、案の定、T先生の「『呼ぶ子』伝承考察」が置いていあった。目次を見る。

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まえがき

呼ぶ子伝承の分布について

呼ぶ子伝承と類似の伝承と呼ぶ子伝承の特異性

呼ぶ子とはなにか

呼ぶ子の誕生

呼ぶ子考察

終わりに

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私は「呼ぶ子の誕生」の章を見る。

これまで述べたように、呼ぶ子は「呼ぶ」子、すなわち、呼ぶ子自身が他者を「呼ぶ」という意味でもあるが、呼ぶ子自身が「呼ばれた」子であることも含意している。

呼ぶ子沢には魂が溜まる。川で亡くなった子の魂は幽世には行かず、淵に溜まると信じられていた。そこで、母親たちは、呼ぶ子沢で我が子を呼び戻そうとするのである。

ここに、特殊な方法を用いて、その魂を呼び戻すのである。

(中略)

このように外法に呼び戻された魂は、それ自身の意志もなく無差別に村人を呼ぶようになるか、生前の意思に従い、何人かの者を引き込みに来るかになる。その違いはなぜ起こるのかはわからない。なにか、恨みのようなものが関わっているのだろうか。

(後略)

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「呼ぶ子考察」の章にはこうあった。

「呼ぶ子」伝承がこの地にのみ伝わるのは、取りも直さず、呼ぶ子がこの地から外に出ることができないことを意味しているのではないか。これは座敷わらしの伝承が、座敷ボッコ、ザンギリワラシなどと名を変えても類似の伝承が奥州全体に広がっているのとは対象的である。

また、呼ぶ子が渡るためには、水が必要であることも特異である。呼ぶ子の怪異には必ず水が関係している。これも、座敷わらしらが家を必ず媒介することと比較することができる。水が及ぶ範囲はおそらくS川の流域であり、この範囲に結界にも似たような働きがあり、昔からS村が呼ぶ子の脅威にさらされていたのではないかと思われる。

(中略)

そして、呼ぶ子と共存するために、禁足地を設けることは、森と川と共存するための古代の知恵でもあり、呼ぶ子は人と自然を結びつけるために必要とされる定期的な生贄や人柱のような存在であるとも考えうるのである。

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話はこれで終わりです。

もし、S子さんの母親が生きていれば、もっと違う話が聞けたかもしれません。

残念ながら、昨年、亡くなられたようです。

Concrete
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