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長編9
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兄が見たもの

毎年、海開きと共に意気揚々と出掛け、意気揚々と帰ってくる兄の様子が、どこかおかしく感じたのは、今から3年前の事だ。

兄が海に行く一番の理由は、出会い。ひと夏のなんとやらとか言って、イイ女を探しつつ、ビーチを満喫するのだ。

だが、そのイイ女とやらが、兄と一緒に家の敷地を跨いだ事は一度も無い。もうすぐ三十路になるというのに、浮いた話一つ無い…と、両親は、逆に心配していた。

「んじゃ、行ってくるわ!イイ女捕まえに…」

「あっそ、いってらっしゃ~い…」

私の冷めた返事もどこ吹く風。その日も、友達から譲り受けたという、外国製のロードバイクを見せびらかしにわざわざ実家に寄ったあと…兄は、いつもの海水浴場に出掛けて行った。

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その夜の事だった。

「ねえ、アズサ…お兄ちゃんちょっと変なのよ…」

私がバイトから帰るなり、母が2階に上がる階段を見ながら言った。というのも…何故か兄は、一人暮らしのアパートではなく、実家に戻って来ていたのだ。

なんでも、私がバイトしている時間に家に来て、玄関を上がるなり「泊まる」と一言って、部屋に籠りきりらしい。変に落ち込んだ様子で、理由を聞ける空気じゃ無かったそうだ。

「…ちょっと見てくるわ」

普段、兄のやる事に関心は無かったけれど…この時に限っては、私の中で小悪魔がニヤリと笑った。思い当たる節があったのだ。

この時期、兄が凹む理由なんてあれしかない。本命のイイ女がいたのに、こっぴどく振られたのだ。

心配する母をよそに、私は階段を軽快に上り、兄の部屋のドアを開ける。

基本、兄は鍵を掛けない、もしくはドアを開けっぱなし。年頃の妹の手前、警戒心が無さすぎる。

5年も前に家を出たのに、こういう習慣だけは未だ変わらなかった。

返事がないのでそのまま部屋に足を踏み入れると…薄闇の奥、ソファーに腰を掛け、体育座りでうなだれる兄がいた。

おいおい!何かのドラマかよ!…と、噴き出しそうになるのを必死に抑えながら、私はグーで肩を小突くと、ハッと我に返ったように、兄は顔を上げた。

「おい、おい兄貴っ」

「えっ!?」

ずっと顔を伏せていたのか、電気の明かりに目をシパシパさせながら、ポカンと口を半開きにして、私の顔を見る。なんて情けない、面白い顔だろう。

「その顔ウケる、ねえ、おかーさん心配してたよ。どうしたの?」

「…うん、いや、何で入って来るんだよ~…」

明らかに凹んでいる。もう笑いを堪えるのに必死で、腹筋が痛かった。これ、マジの恋だ。

「もしかしてさ、悲しい事があったの?聞かせてよ、私も経験あるし…ね?」

そんな経験は無いが、それっぽく真剣に言って、私はどうにか兄から話を引き出そうとした。

と、その途端、ぼんやりと開いていた兄の眼光がいきなり強くなった。

「は!?おま…え!?何…そんな事…!」

「え?」

「嘘だろ…何それ…」

「何それ、って…私22歳だし!それ位の恋愛経験ぐらいあります~!」

「へ?恋、愛…?えっ、なに、母ちゃんそんな風に?」

「えっ?」

「えっ?」

部屋中に、?が舞い踊っていた。どうやら私の見立ては正しくなかったらしい。

だったら、兄は何で帰って来たんだ?

「…違うの?」

「うん、違う!…いや、違わくはないけど…いや、違う」

「どっちだよ(笑)!!」

「…アズサになら、言ってもてもいいか…あのな、今って、お盆だろ?」

兄はそう言って、今日の出来事を話し始めた。

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兄が毎年行きつけにしている、海の家。その常連の中で1人…いつもつるんでいた女子がいた。

「キャン子」というあだ名で呼ばれていて、歳は20代後半くらい。彼女は店にいる間ずっと、酒を片手にハイテンションな、いわゆる「パリピ系」だった。

兄はパリピじゃないし、そんなイケイケな雰囲気も無い。けど、店で会う度に、キャン子は自分から声を掛けてきて、他愛のない馬鹿話をしながら一緒に酒を飲んだり、勢いでコンパしてみたり…

とにかく、その場のノリで遊べる、テンション高い年下の女友達って感じで、つるんでいたらしい。

そして今年の夏も、キャン子や仲間達と楽しく過ごそう…そう思って、私の見送りを背に海水浴場へと向かったのだが…

そこに、いつものキャン子はいなかった。

店の裏手で、バーベキューをしながら酒を流し込む姿を見て近寄ると…その周りには、若いイマドキの男子が4人、キャン子を囲って一緒に騒いでいたそうだ。

見た感じ、常連ではなかったらしい。

が…兄は気にせず、「久しぶり」と声を掛けたそうだ。すると次の瞬間、何故か男子達が一斉に兄の方に向くなり、

「は?オッサン誰?何か用?」

と、笑い交じりに言って来たそうだ。

予想外の事で思わず体が固まってしまい…ふと、当のキャン子を見ると、何故か男子達と同様に、無言のまま笑いを浮かべて、こちらを見てくるだけだった。

いつもなら、「久しぶり!」の次にハイテンションで話し掛けてくるのに、それが無い。むしろ、その視線には…

「はあ?何言ってんの?」

まるで、そう言っているかようだった。

…兄は、あまりの反応の変化にショックを受け、言い返す事も無くその場から離れたそうだ。

そして、暫く店で酒を飲み、気を紛らわそうとしていたのだが…結局気分は乗らず、海の家を出た後、近くのネカフェで暇をつぶしていたらしい。

「何それダッサ(笑)ていうか、兄ちゃんその人の事…マジで惚れてたんじゃないの?」

「違うよ!…でも、一緒に楽しく時間を過ごせる、良い女友達だと思ってたのに…」

「え?男女の間に友情とか無くない?」

「そうなのか?そうか…だとしてもさぁ…」

その後、なんだかんだで寝落ちしてしまい、気付くと夜の8時を回っていたという。外に出ると、海水浴場は既に営業終了していて、辺りは街灯の明かりのみ。

焦って駐輪場まですぐ行こうとしたが、さっきまで寝っぱなしで体が凝り固まっていた為、その場で軽く運動しながら、ぼんやり海を眺めていたそうだ。

そしてある程度体が解れ、さて帰ろう…と海を背にしたその時。

キャアアァァァア────────

女の甲高い悲鳴が、波音に混じって、遠くから聞こえたのだという。

それは兄のいた位置から左斜め方向。海岸の端あたりから微かに響いてきて…反射的に、兄は声の方角に向かって行ったらしい。断続的に聞こえる悲鳴に、最悪の事態が頭をかすめたのだ。

しかし…兄の予想は外れた。

キャア───ハァハハハハァッアアアア─ッ!!!

近付くにつれ、悲鳴に笑い声が混じっている事に気付いたという。

その異様な声に違和感を覚え、スマホのライトを頼りに、薄暗がりに目を凝らすと…

見覚えのあるものが、塊のようになって、そこにいたそうだ。

キャン子と、昼間バーベキューを一緒にしていた男子達が、「遊んで」いたのだ。

全裸で、脇目もふらず…悲鳴のような嬌声を上げて、5人が同時に体をくねらせ、理性を吹っ飛ばしたかのように、無我夢中で行為に耽る。

…兄は不幸にも、その光景をまざまざと目に焼き付けてしまった。

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聞いた瞬間、私は凹む兄の隣で笑い転げた。

「俺もうやだ…」

「ご愁傷様(笑)で、どうしたのその後」

「…急いで引き返したよ。見てんのバレたら、因縁付けられるかも知れないし」

「まあ、そーだね。っていうか、兄ちゃんそれがショックで実家戻って来たの?!」

「なんか…あのまま一人のアパート戻ったら、俺頭ぐちゃぐちゃになりそうで…怖い」

「メンタル弱っ!あ…でも、海岸で青姦とか超気になるし」

「もうやめろよ…やっぱお盆だわ…」

「そのお盆と、青姦となんか関係あるの?さっきからずっと言ってるけど…ねえ?兄貴?」

兄は、頭を抱えたまま黙りこくってしまった。

想像以上の落ち込み具合で、さすがにからかい過ぎたと思った私は、そのまま黙って部屋から出て扉を閉めた。

と…同時に、向かいの自室に戻るなり、パソコンを開いてSNSの投稿を漁った。

公衆の面前で青姦…しかも5P…誰かがこっそり画像や動画を上げていても可笑しくない。

思い付くワードを次から次へと入力して探る。「〇〇海水浴場」「男女」「乱交」…

こんなのお母さんに見られたらヤバいな…という一抹の不安がありつつも、兄が目撃した光景が気になって仕方がなかった。

そして、探す事30分。執念の甲斐あって複数の投稿が見つかった。

だけど、それは…私が兄から聞いたのと、少し違う。

「バイト帰りに〇〇海岸歩いてたら、砂浜で男四人が裸踊りしてたんだけどヤバくないか?」

「爺ちゃんから久々に電話来たと思ったら、『海岸で男共が全裸で腰動かしてたんだが、あれが今時の若者のダンスなのか?』って…それただの変態だから!!!」

「友達と線香花火しようと思って〇〇海岸に行ったら、全裸の男数人がキモイ動きしててソッコー逃げた。これ警察案件で良い?」

「私も見ました!なんか、いかにも誰かとヤってる動きでキモかった…だれかが警察呼んだみたいで、海岸方面からサイレン聞こえてますよー」

「なにそれ、新手のガチホモプレイ?AV撮影?ヤバくね?見たい」

「撮影とかしてなかったし、ホモホモしく無かったんだけど…」

「え、それって疑似…エアセ〇クス?すげえ、なんかキメてるん?」

「それもうキメまくってんじゃん(笑)逮捕不可避」

まるで透明人間のように…誰一人として、女性の描写を書き込んでいない。でも、内容が全部共通している。それに、嘘を書いてる様には思えなかった。

何故なら、私が兄の部屋で話を聞いていた、まさにそのさなか…海岸のある方向から、風に乗って、何台ものパトカーのサイレンが響いていたからだ。

でも、兄が嘘ついてる筈が無いのも事実だ。あれはほんとに凹んでた。いくら冗談でも、そんな手の込んだ演技をされた事一度も無いし、する意味が無い。

じゃあ、兄が見たものは?

─────プルルルル………プルルルル………プルルルル………

背後で、スマホの着信が鳴っている。私のじゃないから、きっと兄のだ。

5コール目で音が止まる。と…次の瞬間、ガタン!と床に何かが落ちる音と共に、兄が悲鳴を上げた。

私の部屋の扉すぐそばに落ちたスマホから、誰かが兄に向かって話しかけている。

強弱が歪曲した、ノイズ交じりの女の声で。

あはっ…あハはぁ…さっき、見テたデしょ?ねえ…ねェねえ!!

聞こえてるンでしょォ?…ふふっ………ねえ…

何で無視するのおおォおオオオオオ!!!

「…言ったろ?お盆だって…」

扉のすぐそばで、兄が呟く声がした。

それは、私に対してなのか、電話の相手に対してなのか…それとも自分自身に向かってなのか…

笑い声とも震え声ともつかない声で、私の鼓膜に響いた。

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悲鳴を聞きつけた両親が、困惑するのも無理はなかった。

廊下の真ん中で、大の男が震えながらうずくまっていたのだから。

なのに、電話の声は何故か、全く聞こえていなかった。ほぼ、絶叫に近い声だったのに。

その電話も、気が付くといつの間にか通話が切れていた。

兄は、心配する両親に「なんともない」とだけ言って、大人しく部屋に戻って行ったが…翌日にはアパートに帰ったのか、部屋に姿は無く、両親も何が何だか…と釈然としていなかった。

しかし一週間後、何事もなかったかのように、いつも通りの振る舞いを見せる兄に…あの夜の事を、どうしても聞く気にはなれなかった。

元来アクセサリーを全く付けない兄が、手首に数珠のブレスレットを付け、時折、独り言かと思ったら、何かをブツブツと唱え…やたら背後を振り返る。

はっきりした理由なんかなくても、これだけで十分な程理解出来た。兄はきっと、魅入られてしまったのだ、と…

それから日を待たずして、兄は縁もゆかりもない、山間部へ引っ越していった。一切の連絡手段を置き捨てて。

「ほら、お盆だからさ…」

兄は、いつから気付いていたのだろう?

単純に、事実を受け入れられなかったとしても、何で…無関係の私にまで、声が聞こえていたのか…?

そして、4人は一体、あの日何を見ていたのだろう?

海開きの頃になると、嫌でも思い出す。

彼女は、まだいるのだろうか。それとも山に…

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@rano_2 様
「お盆」過ぎたら海山川のような水場には、近づくなというのは、単に霊的なことだけではなく、クラゲの大量発生、高潮の発生率、河川の水位の変化、山間部の昼夜の気温差など、自然環境が8月中旬を境に激変することを意味しているのでしょうね。
要するに、昔からの言い伝え、つまり「先人達の経験を元にした教訓」だと思っています。
中には、時代にそぐわなくなったものもありますが、なるほどなぁ。と思わされるものも多々ありますから。
時節柄、「お盆にまつわる怖い話」もアップされると思います。楽しみですね。
コロナ禍の中、外出を控えていらっしゃる方たちも、ホラーサイトやYou Tubeなどで、怖い話を楽しんでおられることでしょうね。

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@あんみつ姫 様
読んでいただきありがとうございます(*´▽`*)
お盆の海や河川はあまり行くべきではないのですね…といいつつ、私は若い頃、危ないとは分かりつつ某鎌倉の海に遊びに行ったりしました。何も起きず楽しく過ごせたのは奇跡というべきか…
誰かが言っていましたが、「この世のものならざる存在」というのは、意外にも生きてる人に混じっていても、違和感のない姿らしいです。
暑さだけでなく、水のある所にも注意ですね👻

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