[ダメ絶対!!あなたの眠りを妨げる、寝る前にしてはいけない6のこと]
最近なかなか寝付けない…毎朝起きても疲れが取れてない…そんなあなたの寝る前のルーティーン、本当に大丈夫ですか?
就寝前に以下の行動をしていたら要注意
あなたの眠りを邪魔しているのはそれかもしれません
1: 激しい運動をする
2: カフェインを摂取する
3:ブルーライトを見る
4:お酒を飲む
5:タバコを吸う
6:そぎはい
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「……?」
夜もふけた午前1時、スマホの画面を見つめながら俺は眉間に皺を寄せていた。
近頃寝付きの悪さを覚えてはいたが、今日も案の定眠れない。だからこんな時間に「すぐに眠る 方法」などとアホでも思いつくワードで検索をかけていたのだが…
まあスマホで安眠方法調べてる時点で3のブルーライトはアウトだ。眠る直前にタバコも吸ってしまったので5もダメ。しかし酒も安眠妨害になるのか、寧ろ酔いでよく眠れそうな感じさえするが。
ただそれらを置いといて6は一体、"そぎはい"ってなんなんだ。
1〜5まですんなり読んできたからこそ6の意味不明さがより際立っていた。
"そぎはい"
6にそれ以外の追記はない。何のヒントも与えられず、理解のできない四文字を突きつけられ最早気味の悪ささえ感じる。
「何かわかんなかったら避けようもねーよ」
伸びと混じった声で呟きながらスマホをベッド脇に放った。
スマホの光だけで照らされていた部屋が再び闇に戻る。
たしかにブルーライトはよくない。この短時間眺めただけなのに目がショボショボする。
これでまた今夜も安眠から一歩遠ざかったというわけだ。
大袈裟なくらいに大きな溜息を吐いて布団を抱き枕のように抱え込む。その時
俺の寝転がったマットレスが細かく震えた。
突然の振動に少し肩をすくませるもすぐにそれがスマホの着信を知らせるバイブレーションだと分かる。
この時間に電話してくるやつはヨシキかレイジくらいか。また飲んでるから来いとかいう呼び出しなのであれば今日は絶対に無しだ。
小、中学校と一緒だった二人とは社会人になった今も仲が良い。
会社は違えどそう遠くない距離に皆住んでいるが為に割と頻繁に飲みの招集がかかる。
しかし明日も例の如く仕事の俺はこんな夜中から彼らに付き合うわけにはいかないのだ。
明日が休みなのであろう彼らを少し妬ましく思いながら、俺はスマホに手を伸ばした。
---着信: たかのり---
「え誰これ」
画面に映るその名前に俺は思わず呟いた。
LINE電話の着信だからおそらく友達の誰かとは思うが、少なくともここ最近で関係を持っている知り合いにたかのりという名前はいなかった。
俺は電源ボタンを押してバイブを切ると、そっとまたベッドの脇に伏せた。
闇に包まれた黒い天井を眺めながら頭の中にある友人リストをめくり漁る。
たかのりって誰なんだ、全然絡んだ記憶ないぞ。中学校の時の同級生かなんかか?いや違うか。でもなんかいたような気もしてきたぞ、というかたかのりなんて名前そもそもいくらでもいるだろ。
考えても埒があかない。ふと頭の横のスマホに視線を戻す。
伏せた画面とマットレスの接地面から微かに光が漏れている事に気づき、少しだけスマホをめくる。
「げ、」
また着信だ。スマホの画面にはたかのりの四文字が白い光を放っていた。
百歩譲って記憶に無い遠い昔関わりのあったたかのりだとしよう。だがそんな人物がこの夜中になんの用があって俺に電話をかけてくるというのか。そもそも久しぶりならとりあえずLINEで一言飛ばすだろ。
三度目の着信が切れた。
もういい、次かかってきたら出よう。どのたかのりなのか確かめよう。知らない番号や非通知からということでもない。LINE電話であればそこまで心配することもないだろう。
すぐにスマホの画面が四度目のたかのりからの着信を告げ、俺は応答ボタンを押した。
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「…んで結局今日も全然眠れねーの。ほんと勘弁してほしいよ」
30分くらいだろうか、あれから俺はたかのりと何事もなかったかのように話していた。
『ははは、そんな寝れてないなら今も相当眠いでしょ、大丈夫?こんなに話してて』
電話越しにたかのりが尋ねる。
「あー大丈夫だよ、えーっと何だっけ、話してる分にはとりあえず大丈夫なんだけどさ、うん」
なんだろう、うまく言葉が出てこない。
『そっか、いやなんか***が眠りの****ちゃったかなとか****さ**よ』
たかのりの言葉にもなんだか集中できない。なんだろうか、何かがずっと頭につっかえているような、そっちに意識を持ってかれてしまうような…
『……あれ?寝ちゃった?おーい』
電話の向こうで呼びかける声にはっと我にかえった。それと同時に頭の中につっかえていたものの輪郭がはっきりと浮かび上がる。
『おーい』
たかのりが心配そうに俺を呼んでいる。もみあげから滲んだ汗がすっと頬を伝う。
『おーい』
そうだ、
『おーい』
一番聞かなきゃいけないこと
『おーい』
俺はまだ聞いてないじゃないか
『おおおーーーーーい』
「「ごめん、お前、誰なんだっけ」」
俺は乾いた喉から声を絞り出した。
その瞬間、電話の向こうの声が途絶えた。
静寂の中、スピーカーから聞こえるサーッという小さな砂嵐の音だけが俺の耳を通り抜けていく。
電話が切られたわけではないようだ。
なぜ彼は何も言わないのだろうか、この沈黙は一体なんなのか、何かまずいことを聞いてしまったのだろうか、そもそも俺は何故誰かも分からない男と30分も話していたのだろうか。
そもそも俺達は何をそんなに話し込んでいたのだろうか。
向こうが黙ってから実際にはまだ10秒も経っていないのだろうが、体感では恐ろしく長く感じられた。
沈黙が痛いという言葉は聞いたことがある。しかしこの沈黙はなんだか痛いというか……怖い。
耐え切れなくなった俺は思わず口を開いた。
「いや、ごめん俺もしかしてもう聞い…
『りょうすけ君さ、』
感情の一切感じられない声が俺を遮った。
不意に自分の名前を呼ばれて驚いてしまう。
『したやろ』
「え?なにを?』
『---------------------したやろ、そぎはい」
俺は言葉を失った。一瞬思考が停止する。
相手が言った言葉を理解した瞬間、背中にゾッと鳥肌が立つのが分かった。
「え、今なんて…」
『寝る前にしたっちゃろ、そぎはい。やけん眠れんったい』
流暢な博多弁で相手がまくし立てる。
スマホを持つ手が小刻みに震えているのが分かった。
ついさっき俺がネットで見た言葉。
"そぎはい"という意味を成さないその言葉を、なぜこいつは知っているのか。
『だめやん、それやっちゃ。りょうすけ君が一番分かっとるやろ』
俺は何も答えられなかった。受話器から流れてくる無機質な声をただ聞いていることしかできなかった。
『来るよ。決まりやけんそれが。』
来る?何が来るんだ。
「何さっきから意味わからんことばっか…」
『僕がいまどこおるかわかる?』
俺はスマホを耳につけたまま固まっていた。
漆黒の闇の中、荒くなった自分の呼吸音が響く。
部屋の中に、俺以外の何かの存在を感じていた。
住み慣れた部屋の中に、いつもなら何も置いていないスペースから、感じ慣れない質量を感じる。
俺の背後から。
『きづいとるやん』
受話器と背後から同時に声が響いた瞬間、俺の背中に針で刺されたような衝撃が走った。
思わず跳ね上がるようにベッドから転げ落ちる。
痛む背中を押さえる俺を、ベッドから黒い影が見下ろしていた。
暗くてほとんど何も見えないはずなのに、そこに何かがいるのははっきりと分かった。
ひっひぃく…と自分の声とは思えない音が口から漏れる。恐怖のあまり横隔膜がビクビクと痙攣を起こしている。
ベッドの上の影がゆっくりとしゃがみ込む。
俺の顔をまじまじと覗き込んだそれは、にゅうと俺の顔に手を伸ばした。
尻餅をついたまま思わずのけぞった俺の鼻を黒い手がかすめた。
「ひっ」
このままだとたぶんやばいことになる。へたするとこのまま…
死という一文字が頭をよぎった瞬間、俺は弾かれたように床を蹴った。
いくら住み慣れた部屋とはいえ真っ暗な中ではうまく動ける訳がない。
案の定俺は足元の机に足をぶつけ盛大に転げた。
ガチャンと机の上のものが辺りに散らばる音がする。
地面に倒れたまま後ろを振り向くと、黒い影がベッドから垂れ落ちるようにしてこちらに向かって来ていた。
這って来ている。直感でそう分かった。
やばい、本当に死ぬかもしれない。
いよいよかと思った俺の手に何かがコツンとあたった。
反射で咄嗟に握ると、ピッという電子音と共に白い光が部屋を照らした。
それまで闇に溶けていた家具や壁が姿を表す。
目の前まで迫っていたあの黒い影は消えていた。
部屋には尻餅をついたまま呆然とする俺以外誰も居なかった。
冷たい汗でぐっしょりと濡れた俺の手には、照明のリモコンが握られていた。
"助かった"
頭の中にその言葉が浮かんだ瞬間、体中の力がどっと抜けるのが分かった。
崩れるようにそのまま床に倒れ込む。
このままこの安堵感に浸っていたかった。このまま目を瞑って深い眠りに落ちていきたかった。
しかしそんな望みを一瞬でかき消すかのように、
側に転がったスマホのバイブが床を鳴らした。
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「りょうすけのやつ全然でねーー」
スピーカーにした状態で机に置かれたスマホを睨みながらレイジがぼやいた。
「そんなイライラすんなって、あいつどうせ明日仕事だろ、来ないって絶対」
つまらなそうに溜息を吐くレイジをなだめながら、俺はもう何杯目かも分からないレモンサワーのグラスを口に運んだ。
「最近ノリ悪くね?あいつ。ヨシキもそう思うやろ?結局俺らが穴場で見つけたこの居酒屋にもまだ一回も来てないやん」
レイジは唇をとがらせながら、緩くなりきった生ビールのジョッキを煽ると、腕に垂れた結露を俺の袖で拭こうと手を伸ばす。
「ばか、俺ので拭くな酔っ払い」
たしかに、最近りょうすけが俺らとあまりつるまなくなったのは事実だった。
『俺、こんな楽しいことばっかやってて良い人間なんかな』
ある日突然りょうすけはそう言った。
その時は何よくわからないこと言ってるんだと俺らは笑ったが、その日以来りょうすけは飲みの誘いを頻繁に断るようになった。
珍しく誘いに乗ってきたとしても、今までと違い心の底から楽しむ様子が見られなくなった。
俺もレイジも未だにあの言葉の意味が分からないでいる。
「なんやったっけ、俺はそんな楽しんで良い人やない〜みたいな。まだあんなん思っとるんかなあいつ」
レイジもどうやら同じことを考えていたらしい。
俺達3人がそれぞれ東京に就職が決まって三年が経とうとしているが、レイジは酔っ払うと未だに出身の博多弁が出る。
「一回水挟めば?結構きてるっしょ今」
水を頼もうとテーブル傍のベルを押そうとする俺をレイジが遮った。
「出たぞ!おいりょーすけ!出るの遅いって!」
レイジが机のスマホに向かって叫んでいる。どうやらりょうすけが長いコールに耐えかねて電話に出たらしい。
『…レイジ?お前ほんとにレイジか?』
電話の向こうのりょうすけの声は震えていた。
「いやどーゆーことよ!俺に決まっとるやん」
レイジの返答の後、しばらく間が空いて
『よかったあーーーー』
りょうすけが安堵する声がスピーカーから響いた。
「よかったって何が」
半笑いで俺が尋ねるも、りょうすけは繰り返しよかった、安心したと言い続けるだけだった。
「それはいいけんりょうすけ、やばいニュースがあるっちゃん!なんやと思う?」
レイジが興奮気味にりょうすけに問いかける。
俺らがりょうすけに電話をしたのには理由があった。
ショッキングでもありながら、でもどことなく懐かしさも感じるある一報を伝える為だった。
『いや、わかんね、何?』
「死んだらしい!たいし!昨日死んだって!」
やばくね?と続けるレイジに対してりょうすけは押し黙っていた。
「いや突然死んだはパワーワードすぎるでしょ、てか隣人いるし声抑えろってお前」
横からツッコミをいれながら俺はちらりと横の団体客へと目線を移した。
すだれで遮られてはいるものの、その隙間から見えるシルエットで男女の団体が卓を囲んでいるのは分かった。
レイジが死んだというワードを出した時、一瞬隣の団体がしんとした気がしたが、先程までと同じようにガヤガヤと騒ぐ声に俺はただの考えすぎだと意識を机のスマホへと戻した。
「さっきたいしの母さんから電話きてさ、たいしが死にましたって。なんで死んだかは知らんけど」
ろれつのあまり回らない口で話し続けるレイジだったが、りょうすけは「え、ああ」と返すだけだった。
堪らず俺が横から口を挟む。
「いやりょうすけ反応薄くね?びっくりしなかった?」
「あ、いや、そのたいしが誰かまだ分かってない…」
「「へ??」」
俺らは二人で素っ頓狂な声をあげた。
「マジで言っとる?東小のたいしやぜ?俺らめっちゃ遊びよったやん」
「遊んでたっていうかほぼいじってたみたいなもんだけどなあれ」
ビールをすするレイジを俺が小突くと同時に、スピーカーからあっという声が漏れた。やっと思い出したか。
『たいし…あのたいし…?死んだって…?』
スピーカー越しの声は震えていた。
「そーそー!あのたいし!"たかのり"ちゃん!やばいよな、普通にびびったもん俺」
「いやお前悲しんでないだろ、むしろ不謹慎だわ」
レイジがぼけて俺がツッコむ。そしてりょうすけが笑う。
今まではこれで成り立っていたはずなのに。今は俺らしか笑ってないじゃないか。それどころか、電話の向こうのりょうすけは尋常じゃないほどビビりあがっている。
『たかのり…そうだ、たかのり…さっきのあいつは…いやでも昨日死んだ…?じゃあさっきのって…』
りょうすけがブツブツと何か呟いている。
「え、なんて?周りがうるさくてよく聞こえんっちゃけど!」
レイジがスマホに耳を近づける。
『俺さっきそいつに……ていうかお前らたいしのお母さんから電話来たのか?』
「そー!いきなり電話来たけんびびったけど、小学校で仲良かったからって!ちょっと笑いそうなったけどな」
レイジがにやにやと笑う。
『いや仲良くって………そもそもおかしいよ』
「は?なんて??まじでうるさくて良く聞こえねー」
『----------たいし、お母さんいなかっただろ』
レイジが片耳に指を突っ込んでスマホに「だから聞こえない」と叫んでいる。
しかし俺の耳はしっかりとりょうすけの言葉を捉えていた。そしてしっかりと思い出していた。
たいしに母親はいなかった。癌だか何かは忘れたが、たいしは小さい頃に母親を病気で亡くしていたのだ。
じゃあさっき俺にかかってきた電話は何だ?
電話の向こうの女性は確かに「たいしの母親」と名乗った。
そして確かに言ったのだ。「たいしが昨日その世を去った」と。
『俺らたいしに言っただろ!だからお前の母ち******やって!』
りょうすけが何か叫んだ。
隣の団体客が盛り上がっている。度を過ぎるほどに。
すだれの先に目を向けると、その向こうの客が全員こちらを向いて手拍子をしていた。手拍子と合わせて何か言っているが意味がよくわからない。顔はすだれでかすれて良く見えないが、みんなの声の調子で笑っていることは分かった。
その異様な光景に俺は言葉を失っていた。
『***ろ!!その****いって!は**出ろって!』
何重にも重なり合った手拍子とコールでりょうすけの声が掻き消される。
「いやちょ、まじ他の客うるさすぎて聞こえねんだわ」
酔ったレイジが怒りをあらわに隣の団体に向かって叫んだ。
「っせーな!変なコール連呼してんじゃねえよ!なんだよそぎはいって!!」
*********************
全て思い出した。
俺は通話の途切れたスマホを片手にその場に立ち尽くしていた。
やましたたいし。俺らの通っていた東小の、同じクラスの生徒だった。
人より少しおとなしいだけで、それ以外はごく普通の男の子だった。
奥二重の黒い目と眉の上で綺麗に切り揃えられた髪。
そして太く濃ゆい眉毛。
俺ら三人はこの眉毛を理由にいつもたいしをいじって遊んでいた。
ある日周りで流行り始めた漫画の「おとぼけたかのりちゃん」
主人公のたかのりちゃんのトレードマークは角刈りの四角い頭と、海苔のような太い眉毛。
その日からたいしのあだ名はたかのりになった。
漫画の中でたかのりちゃんが犬に噛まれると、レイジはたいしの二の腕をつまんだ。
たかのりちゃんが車に跳ね飛ばされて空の彼方に飛んでいくと、ヨシキはたいしにタックルをした。
たいしは困ったように笑っていた。
同じ年に、俺らの間である遊びが流行った。
なんでもない言葉を言って相手を笑わせた方が勝ちという、にらめっこの延長線上のような遊びだ。
「なすび」
「全然おもしろくないっちゃけど」
「…せっくす」
「ギャハハハハ!!」
バカみたいに笑い転げるレイジとヨシキ。
「次りょうすけの番やけん」
自分も使おうと準備していた言葉を先に言われ焦っていた俺を二人がせかした。
「ん〜……………そぎはい」
何も意味などなかった。追い詰められて思わず口を突いて出たきた言葉。
「は?なんそれ」
「いやわからん…なんかテキトー…」
少しの沈黙の後、ぷっとヨシキが吹き出した。
少し遅れてレイジも笑い出す。
「いや意味わからんすぎるやろ!なんよそぎはいってきんも!」
完全にすべってしまったと思っていた俺は笑い転げる二人にほっと胸を撫で下ろした。
その安堵感からか、何故か思ってもいない台詞が口から溢れた。
「たしかにきもいね。たいしみたい」
その一言を二人は聞き逃さなかった。
「おーいたかのりちゃん!」
レイジが教室の隅で本を読むたいしに呼びかけた。
「お前そぎはいすんなって!」
そぎはいは何故か動詞になっていた。
指をさしてゲラゲラと笑う俺達を、たいしは困惑した表情で見つめていた。
それ以来、たいしがする事全てにそぎはいが付いた。
たいしがトイレに行ったら、そぎはいするなと教科書を破った。
たいしが手を洗うと、そぎはいしたからと背中を画鋲でつついた。
たいしがくしゃみをすると、そぎはいは罰ゲームと掃除用具入れに閉じ込めた。
そぎはいという意味を成さない四文字が、いつしかたいしをいじる口実になっていた。
その日の道徳で、いじめについての授業があった。
熱心にいじめに対する自分の気持ちをプリントに書き込む生徒達に囲まれて、俺はどこか居心地の悪さを感じていた。
------------「いじめんで」
その日の夕方、たいしの鼻を油性ペンで黒く塗っているとたいしが呟いた。
「は?いじめてねーじゃん」
レイジがたいしを睨みつけた。
「いじめじゃなくて、いじっとるんよこれは。遊びたい遊び」
ヨシキがたいしの肩をぽんと叩く。
「先生が…相手がいじめって思ったらいじめって言った」
俺の心臓がドクンと脈打った。
「やけんやめて。いじめんで」
俺がたいしをいじめている。紛れも無い事実だった。ただ当時の俺は、その事実を突然突きつけられた事がどうしても飲み込めなかった。
頭に血が昇り、またも思いもしない言葉を口から吐き出した。
「うるせえ!そんなわけわからんこと言いよるけんお前の母ちゃん死んだったい!」
その時のたいしの顔を、今なら鮮明に思い出せる。
いつも平行だった太い眉毛が眉間にこれでもかと押し寄せられ、ぐしゃぐしゃに充血した目で俺を睨んでいた。
次の日からたいしは学校に来なくなった。
スマホが手から滑り落ちガツンと音を立てた。ビクリと肩を震わせて我に帰る。
同時にとてつもない吐き気が胃の底から込み上げ、俺は洗面台へと走った。
縁に手をつき思い切り嘔吐する。
ハアハアと肩で息をしながら俺は正面の鏡を見つめた。
先程、あの黒い影にかすめられた鼻が、煤(すす)が付いたように黒く汚れていた。
あの影はたいしだったんだ。
背中がチクリと痛む。頭の中に、画鋲でつつかれて顔をしかめるたいしの表情が浮かんだ。
無かったことにしていた。子どもの頃の良い思い出だけを残して、たいしに蓋をしていた。
だがダメだった。記憶の箱は、頭の中は限界だったのだ。
ここ最近どうしようもなく込み上げてきていた、原因の分からない罪悪感の正体はたいしだったのだ。
そのたいしが昨日死んだ。
原因は分からない。
でももしたいしも同じように、蓋をしていた幼い頃の記憶が溢れてしまったのだとしたら、
知らず知らずのうちに心を蝕んでいたとしたら……
パソコンの前で、あの日の夕方と同じ形相でブログを打ち込むたいしの姿が浮かんだ。
突然背後で細かな振動が足を伝って体を駆け上った。
思わずひっと声をあげる。
後ろを振り向くと、こちらに持ってきたはずのないスマホが床で震えていた。
手の震えが止まらない。手だけでなく体全体が震えている。
床でヴーヴーと移動するスマホを拾い上げる。
着信相手が誰かは画面を見らずとも予想がついた。
俺は一度大きく深呼吸をすると、狙いの定まらない親指で着信ボタンを押した。
「ごめんたいし俺…」
『モシモシ、たいしの母です』
起伏の無い、静かな女の声が電話から響いた。
俺は目を大きく見開いた。
『昨日たいしがその世を去りました。生前からリョースケチャンにはよく遊んでもらっていたみたいで。お世話になりました。お前のせいです。」
声が出ない、喉の水分が一瞬にして失われていく。
背筋には今までに感じたことの無いほど冷たい汗が流れ落ちていた。
「たいしがその世を去りました。お前のせいです。こんなに早くこっちで息子に会う気持ちがわかりますか。お前のせいです。たいしは許すといいました。あのゴミみたいな二人だけでいいと言いました。
-------------------でも私が許しません。」
頬が生温く濡れている。自分が泣いていることに気付いた。鼻水も止まらない。歯がガチガチと音を立てる。
「つぐなってください。お前のせいです。」
突然スピーカーから流れる強烈なハウリングが耳をつんざく。思わず俺はスマホを放り投げた。
玄関から、ミシリと床板が軋む音が聞こえた。
体が言うことを聞かない。でも確認しなきゃ。
セメントで固めたかのようにガチガチになった足を引きずり、洗面室から廊下の玄関を覗いた。
玄関に白い服の女が立っていた。
まるでマネキンのように直立して、微動だにしない。
首を傾げてこちらを一直線に見つめる生気のない目。その頭には髪の毛がほとんど残っていなかった。
床に転がるスマホから男の声が響いた。
「ごめん、お母さんが許さんって」
女はしばらくそのまま俺を見つめた後、突然こちらを真っ直ぐに指さした。
「あー!!!リョースケチャンそぎはいー!!」
生気のないその見た目からは想像もできない程の金切声で叫ぶと、女は俺目掛けて走り出した。
作者籠月
お久しぶりです。
センシティブな内容に触れているので、不快に思われた方がいましたら申し訳ないです。