風に乗ってどこか遠くのほうから祭りばやしが聞こえていた。
ときおり雲間から銅盤のような月がのぞいた。
生垣のむこうの田んぼでは狂ったように虫が鳴いていた。
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蚊帳を吊った座敷のほうから薄明かりが漏れ、縁側にいるぼくたちの影をひょろ長く庭へ投じていた。
下駄をぬいで横ずわりした姉が、ゆっくりとうちわを使っていた。
彼女の浴衣からは洗い髪の良い匂いがしていた。
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ぼくは二匹のかぶとむしを見つめていた。
天神祭の夜店へ行ったとき祖父にねだって買わせたものだ。
つがいで売られていたのでメスのほうは姉にあげた。
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二匹のかぶとむしは砂糖水を張った小皿に取り付き、さかんに黄色い舌をのばしていた。
蚊取り線香のけむりが風にゆれていた。
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不意に姉が「あっ」とうちわの手をとめた。
ぼくたちの目は、縁側に放したかぶとむしに釘づけになった。
オスがメスの背にしがみつき興奮してからだを震わせているのだ。
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二匹がなにをしているのかはすぐに察しがついた。
聞き覚えたばかりの「犯す」という言葉がふと脳裏に浮かんだ。
――ぼくのかぶとむしが、姉のかぶとむしを犯している。
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恐るおそる姉のほうを見た。
息を飲んで表情を凍りつかせていた姉は、ぼくと目が合うと「やらしか」と怒って、さっさと蚊帳のなかへ這入ってしまった。
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濡れ縁の板間では、あいかわらず二匹が情事をくり広げていた。
姉の残り香がいつまでも消えなかった……。
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少年の日の思い出だ。
あれからずいぶん時が流れた。
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姉は上京して間もなく独り身のままで子供を生んだ。
その子の父親が誰なのか、まったく心当たりがないと言う。
両親はかんかんに怒り、気まずさから姉は実家へ寄り付かなくなってしまった。
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そしてぼくはというと……
なぜだかその子の父親がじつは自分ではないかという疑念に駆られ、
今でもひそかに思い悩んでいるのである。
作者薔薇の葬列