"To choose time is to save time.(時を選ぶことは時を節約することである)"とはフランシス・ベーコンの言葉である。
私はこの言葉の意味を考えたのだが、「時間」を「お金」に変えてみるとその意味はすんなりと理解できた。
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つまり、何にお金を使うか、または使わないかを選ぶことが、お金の節約にもなるというわけだ。
時間もそれと同じ原理で、まさに、"Time is money.(時は金なり)"なのである。
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私がこのようなことを考え始めたのも、たまたま立ち寄った駅内の書店で、『時の節約』という本を見つけたからであった。
先程の至言も、その本の冒頭に書いてあったという次第である。
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しかし、「お金の節約」はわかるが、「時の節約」とは具体的にどういうことなのだろう。
その本は、この疑問について以下のように説明していた。
「人生という時間は有限なものである。その短い時間の中で、人は何かを成し遂げたり、成し遂げられなかったりして死んでいく。
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時間もお金と同じで、有効に使うことで価値を生み出す。
一方で、それらを持っているという状態もまた、心の余裕を生むと考えれば価値を生み出している、つまり有効に使っているといえるだろう。
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しかし、時間のお金と違う点は、お金が人の手によって失われるのに対し、時間は何をせずとも勝手に失われていく点にある。
そうであれば、時間は使えば使うだけ、得をするということになる。
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人は誰しも、よりよい人生にしたいと思っているだろう。そうであれば重要なのは、何をするかを選ぶことである。
しかしそれ以上に重要なのは、何をしないかを決めることである。
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何かをしなかったことで手に入れた時間を、自分の一生を賭ける何かのために使うことができたなら、それこそが『時の節約』ということになるのである。」
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なるほど。この本の言いたいことはだいたい理解できた。
私はパラパラとその後のページをめくってみたが、「夢の探し方」や「本当の自分に出会うために」なんて胡散臭い言葉のオンパレードだったので、たまらず元あった本棚に戻した。
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本屋を出た私は、駅の地下通路を行き交う雑踏の1人に加わり、とぼとぼと歩き始めた。
そして私は歩きながら、さっきの本の内容を振り返った。
私があの本から得たのは、節約というのは有限という概念があってはじめて有効だということであった。
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それならば、私のような不老不死の者には、時間の節約なんて無価値に等しいのだ。
それでも、生きている限り腹は減り、寝床や着る物は必要になる。
私は無限の時間の中で、労働によってお金を生み出し、それをひたすら消費するだけの存在であった。
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ああ、この事実に気づいてしまうのであれば、あんな本なんて読まなければよかった。
この先も永遠に続くであろう私の人生という時間の中で、あの本を立ち読みした時間なんて、まるで宇宙の中の砂粒に等しかった。
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しかし私は、偶然にも目に入ったその砂粒によって、真っ暗闇の一生を送る羽目になってしまった。
そんな私の唯一の生き甲斐は、有限な時間というのがいかに尊いものであるかを、私の言葉で誰かに教えてやることなのだと思った。
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そして一年後、彼の決意は『時の節約』という本になって世に誕生した。
彼の本は駅内の本屋などに並べられ、たくさんの人に発見された。
しかしその売れ行きは、彼の思っていたほど芳しくはなかった。
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その本はたとえ手にとられても、また元どおりにされるのが常であった。
ある日、ある書店で、ある者はその本の冒頭を読むと後は流し読みにして、それから苦い顔をしながら棚に戻していた。
何を隠そう、それはちょうど一年前の、彼の姿なのであった。
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彼は、決して不老不死なんかではなかったのだ。
いや、ある意味では不老不死とも言えた。
彼は自分が、同じ1年間を何度も繰り返すタイムリープ体質であることに、そして一般的なタイムリープとは違い一年分の記憶まで消えていることに、まったく気づいていなかった。
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『時の節約』は年間で、30冊ほどしか売れなかったらしい。
つまり、最後のページに書かれた彼の言葉に気づいた者は、ほんのひと握りしかいないのであった。
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最後のページにはこう書かれていた。
「私は、この本を書くことこそ、私の人生に与えられた使命なのだと実感している。
そしてそれを達成したいまの自分は、きっと時間というものを有効に使えているのだろう。」
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果たして、同じことの繰り返しである彼の人生は有効であるといえるのだろうか?
ただ確実に言えるのは、彼は1年前の自分の本を、思い出せる範囲で丸パクリして出版社に持って行ったということ。
そして、30冊しか売れなかったその本の冒頭に登場させられた、フランシス・ベーコンが可哀想だということくらいである。
作者退会会員