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長編20
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「立出禁止」

これは僕が高校生の頃の話だ。

当時の僕の日常は、幼なじみの長島と一緒にいる時間がほとんどだった。

幼なじみとはいえこいつは男で、漫画とかでよく見る幼なじみとの恋愛的な展開は望めなかったけど、同性ということで好きな遊びや趣味が似通っていた。

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そのため、彼とは10年以上一緒にいるが、いまだに飽きがくることはなかった。

高校生の僕たちは帰宅部だったが、当然真っ直ぐに家に向かうわけもなく、いろんな場所で道草しながらだらだらと帰っていた。

ちなみにもちろん、家は隣同士である。

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「なあ、今日こそあそこ寄ってみようぜ」

ある蒸し暑い夏の日の帰り道、いつものように帰っていると、長島は爛々と目を輝かせて僕にそう言った。

それを聞いた僕は思わず顔をしかめてしまった。最近の長島は、この話ばかりするから、夏の暑さのように鬱陶しく思ったのだ。

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ところで"この話"というのは、僕たちの学校に突如として流れ始めた、ある噂のことであった。

それは、いわゆる廃墟ものの怪談話だったが、その話のメインは、廃墟そのものではなかった。

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これは聞いた話なのだが、僕たちの学校から街ひとつ分離れたところに、裏山と呼べるような小さな山があり、また、その山道を進むと、林に囲まれた廃墟があるらしい。

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しかし、その廃墟は丘の上にあって、手前には林が生い茂っているために遠目にしか見ることができない。

そして、その廃墟まで繋がっている林道の入り口には、「立入禁止」の看板が縄によって木々に縛りつけられているのだという。

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「そこをくぐって先に進んでしまった者は、もう2度とこちらに戻って来れないらしい」

長島曰く、廃墟での話が出てこないのは、その縄をくぐった者が1人残らず行方不明になり、証言者がいないためであった。

そのためか、その廃墟は殺人鬼の住処だとか、その林道自体が異世界に繋がっているのだとか、いろんな推測が出回っていた。

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僕はこういった類の話は信じないのだが、新しいもの好きの長島がこの噂を横目に流すわけがなかった。

実は、他校ではすでに原因不明の行方不明者が出ていて、それも1人ではなく複数人らしく、僕たちの周りではみんなその噂話を信じ始めていた。

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その他校とは、裏山のある隣町の学校だったから、なおさらだった。

僕たちみたいな暇を持て余した何人かが、立入禁止の縄をくぐってしまったのかもしれない。そう考える気持ちもなくはないが、それでも僕は、行方不明者と裏山の秘密は関係ないと思っていたし、噂話も冗談だろうと決めつけていた。

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僕はいつものように、長島の誘いを断った。

しかし、いつもなら渋々と食い下がる長島が、今日は意地でも譲りそうになかった。

「もしかしたら、行方不明になった人たちを、俺たちが助けられるかもしれないじゃん」

そんなことを言う長島は、どうやらヒーローになりたいみたいだ。

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でも、僕は主人公にならなくても、脇役であるモブのひとりで十分だった。

「ヒーローのそばには、いつもつまらなそうなモブがいるだろ?」

モブ宣言した僕に対して、彼は清々しい顔でこう言うのである。

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彼は、ついに自分でヒーローと言い出した。それだけでなく、僕を完全にモブ呼ばわりした。

自分でいうならまだしも、人に言われると、無性に腹が立った。

「つまらないとまでは、言ってないだろ」

僕はなんだか悔しくなって、二、三のやりとりの末、ついに長島と噂の山道に行くことを決めてしまった。

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僕の了承を得た長島は、まるで自分の思い通りになったように、僕に向かってニカッと笑った。

思い返せば、僕たちの道草は、いつだってこんな感じで決まっていた。

それも悪くないと思い、僕もまた、彼に向かってニカッと笑った。

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隣町までは電車で5駅分、20分程度で到着した。駅から降りると、まだ裏山までは距離があるのに、すでに異様な空気が漂っているような気がした。

それも、あの噂話を自分が間に受けているからなのかもしれなかった。同時に、僕もなんだかんだ言ってこの状況を楽しんでいることに気づいた。

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長島は隣で飛び跳ねるほどはしゃいでいた。実際に飛び跳ねていたのだから、ヒーローはそんなことしないぞと言ってやりたかったが、彼の気持ちがわからないわけではなかった。

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しかし、そんな長島も歩を進めるうちに、少しずつおとなしくなっていった。

裏山までの道のりの途中に、僕たちは保護者のボランティアを何人も見かけたのだ。

この街の高校生の失踪は何者かによる誘拐だという説も出回っていたので、街全体が緊張しているように張り詰めた空気が漂っていた。

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僕が駅を降りた時すでに異様な空気を感じたのも、決して間違いではないようだ。

「結構、ガチなのかもしれない」

長島もまた、その空気感に動揺を隠せないでいた。

だんだん口数の少なくなる僕たちの横を、今日3台目のパトカーが通り過ぎていった。

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山道の入り口にたどり着いた頃には、真夏の昼間ということもあり、2人とも汗びっしょりになっていた。

しかし、山道を目の前にした2人は、全身の汗が冷えるような寒気を感じた。

その道は木々を切り開いてつくられた細く薄暗い道で、夕方はまだ先なのにカラスが鳴いているような、不気味な雰囲気が漂っていた。

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まるでジブリに出てきそうな、木のトンネルといった印象のその道は、おそらく廃墟につながる林道の入り口まで、真っ直ぐに続いているようであった。

「ここから立入禁止にするべきだろ」

僕は思わずそう呟いていた。

「お前、ここまで来て引き返すつもりじゃないよな?」

「そう言うお前も、震えてるじゃん」

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新しいもの好きだからといって、ホラーが得意とは限らない。何を隠そう長島は、大の怖がりだったのである。

しかし、自分で誘った手前、長島はこの状況の収集がつかなくなっているようであった。

そんな愛すべきヒーローに助け舟を出してやるのも、ヒーローの側にいるモブの役目なのかもしれない。

そう思って、長島の本心であろうことを僕は代弁してやった。

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「正直、ここまで不気味なところとは思わなかったよな。もう十分じゃない?」

しかし、長島は僕の言葉に応じようとはしなかった。

「とりあえず、立入禁止の看板だけ、見に行こう」

そして長島は、人一人がやっと通れるくらいの砂利道を、周りの木々に気をつけながら進み出した。

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僕は、ここに一人でいる方がなんだか心細い気がして、仕方なく長島についていった。

でも、長島の歩みがあまりに遅いので、僕は次第に焦ったい気持ちになっていた。

そして、本当は僕の方が廃墟まで行ってみることを期待していて、しかし長島の顔を立てるために、あえて彼に言わせたことに気づいた。

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それは、決してさっきまでのヒーローごっこの続きをしているわけではなかった。

僕が無意識にそのようにしたのも、長島が前に進むのに、何かしらの決意を抱いているように思えたからであった。

決して興味本位とは違う、真剣な決意を彼の背中から感じていたのだ。

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さっきまで彼がはしゃいでいたのも、実はから元気だったのだろう。

そう思うくらいに、この時の彼の背中は震えていたが、それでもまったく、その背中をみっともないとは思えなかった。

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僕はそんな時、彼との友情を感じた。

紛れもなく震える背中を、なんの躊躇いもなく僕に見せてくれることが、なんだか照れ臭く、嬉しかったのだ。

当然長島自身も背中の異変に気づいていて、まるでその説明をするように、歩きながらこのようなことを言った。

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「実は、俺の好きな子が、昨日から行方不明なんだ」

もちろん俺は初耳である。

「ほら、この前の文化祭でたまたま一緒にまわることになった他校の二人組。そのうちの、ポニーテールの子。その子が、丸一日家に帰ってないみたいなんだ…」

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そんな大切なこと、どうして今まで教えてくれなかったのか。

なんだかさっきまで感じていた友情が嘘のように思えて、僕は無言を貫いた。

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長島もそれを察してか、慌ててこう付け足した。

「別に彼女ってわけじゃないから、いままでお前には言わなかったんだ。

でも俺、あの子のことが好きだ。なんとしても、助けたいんだ」

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だから、俺に協力してくれないか?

弱みを見せたヒーローほどかっこいいシーンを、僕は漫画で何パターンも読んできた。

そして、その隣にいる奴がする返事は、どの漫画でもだいたい決まっている。

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「もちろんだ」

実は俺も、あの子のことが好きだった。

が、そのことは死んでも長島には教えてやらないぞと思った。

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なんでも共有することが、友情ではない。

隠すこともまた友情であるのだ。

俺は心の中でそう呟くと、無言で彼の背中を押す決意をした。

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そして僕たちはなんとか歩みを止めず、林道の入り口にたどり着いた。

その入り口には、噂通りの看板が本当にあった。

ただ噂と違うのは、看板に書かれている文字であった。

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「なんて読むんだ?」

僕の疑問に、長島も首を傾げた。

話によれば、その看板には「立入禁止」と書かれているはずだった。

たとえ噂話を知らなくても、普通このような場所にある看板の文字といったら、誰だって「立入禁止」を想像するだろう。

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しかし、目の前の看板に示された文字は、「立出禁止」であったのだ。

そしてもうひとつ、奇妙な文字をその近くに発見した。

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「…ラストーン?」

林道の入り口横、看板と木を結ぶ縄をたどった先にある大きな岩に、アルファベットで"lastone"と書かれていた。

おそらくペンキで書かれたのであろう赤色の文字は、薄暗いこの場所ではよりいっそう不気味さを増していた。

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「ラストーンっていうのが、この岩の名前なのかな」

「ラ・ストーンって感じだもんな。でも、ラってなんだろう」

僕たちはしばらくの間この岩の謎を話し合っていたのだが、長島は何かを思い出したように、突然声を上げた。

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「なんだよ、こえーよ」

「ごめん、でも、あの子が『ラストーンセラピー』を受けてみたい、みたいなことを言ってたのを思い出したんだ」

あの子って?と僕がわざとらしく聞いてみると、長島は照れくさそうに、ポニーテールだよ、とはにかんだ。

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思ったより、二人は進展してたんだな。

たしかに、文化祭の時から二人はよく話してたけど。

そう思う僕の心は複雑で、そんな自分を誤魔化すために、「ラストーンセラピーってなんなの?」と訊いてみる。

「それが、あんまり覚えてないんだ。たしか、石を使ったマッサージみたいなんだけど、なんせ…。ごめん」

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そう答える彼の顔は、当然のように綻んでいた。

浮かれやがって、このやろう。あの子と話すことに夢中で、肝心の内容を忘れやがって。

もちろん、そんなこと口に出せず、僕は努めて思案顔を続ける。

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「じゃあもしかしたら、この岩は、ラストーンセラピーに使う石の元になっているのかもしれない。あの廃墟の中に、実はセラピストがいたりして」

僕の言葉に、二人は丘の上の廃墟に視線を移した。その建物はどう考えても人の住んでいる気配はなく、洋館といったたたずまいが魔女や吸血鬼の類を連想させた。

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僕たちは、今からあそこに向かうのか。

そして、もし本当に彼女があそこにいたら、しかも彼女が生きていれば、僕は長島と彼女が付き合う瞬間を、見なければいけないのかもしれない。

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僕の足が途端に竦んで歩くのが億劫に感じるのは、果たして怖気付いているためなのか。

そして、自分が本当に望んでいるものは、何なのだろうか。

そんなことを思っていると、長島はさっきの笑顔をひた隠して、真剣な顔で僕にこう言った。

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「今から、俺は廃墟の方まで行ってみようと思う。お前は、ここで待機していてくれないか」

僕は一瞬呆気にとられて、自分の顔が決して喜んでいるようにみられないために、厳格な表情を取り繕った。

「一緒に行けばいいんじゃないか?」

僕がそう言ってみると、いや、と長島は手をかざして僕を制した。

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「もし二人で先に進んで二人とも戻って来れなかったら、これまでの行方不明者と同じになってしまう。そうならないためにも、俺が廃墟の方まで行って、状況を逐一お前に伝える。そして、もし俺に何かあったら、お前はこの裏山を降りて、警察にでも状況を説明してくれ」

「でもお前は…」

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「その時はその時さ。それに、もし彼女や他の人たちを見つけたら、お前に来てもらうかもしれないんだ。俺ひとりで行くからって、気を抜くなよ」

長島はグッドのポーズをすると、口の端を小刻みに震えさせながら、僕に笑いかけた。

そして彼は「立出禁止」の看板と向かい合った。

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その背中はもちろん、震えていた。

彼は、決して怖がりを克服したわけではなかったのだ。

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それでも、彼は前に進もうとしている。そんな彼の姿を、僕は小さい頃からずっと見てきた。

僕はその背中を憧れると同時に、羨んでもいた。

羨ましいと思う気持ちは、ふとした瞬間に憎しみに変わりそうなことも、ないわけではなかった。

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僕はなんだか嫌に感傷的な気分になって、彼と会えるのがこれで最後のような気がした。

だからなのか、咄嗟に、次のような質問を投げかけていた。

「お前は、彼女のどこが好きなんだよ」

彼の背中は、もう一度だけ僕に振り返った。

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「誰よりも強くて、優しいところだよ」

彼が言ったのは、それだけだった。

でも、そんなありきたりな言葉に、彼の彼女に対する気持ちが、全部込められているのだと思った。

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その言葉を聞いて、僕は文化祭のあの日を思い返していた。

ポニーテールの彼女は、もう一人の女の子

-その子は彼女の少し後ろを、俯きながらついて歩いていたのだが-

その女の子を、常に気にかけていた。

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そして、実は僕も、そんな彼女の姿に心を揺さぶられていたりした。

行ってこい、ブラザー。もしもの時は、僕がカバーしてやる。

しかし、僕の本心は、決してそのような心強いものではなかった。

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-彼と行かずに済んでよかった。

僕は密かに、そのような安堵で満たされていたのだ。

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遠ざかる背中が、暗闇に吸い込まれていくのを、僕はどんな気持ちで見ればいいのかわからなかった。

子どもの頃から憧れてきたその背中は、次にまばたきした時には、消えていた。

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それから、5年の月日が経とうとしていた。

その間、日本どころか、世界の至る所で謎の行方不明者が続出していた。

今日も5人、世界のどこかで消えた人がいることを、電化製品店に陳列する最新型のテレビは、幾つもの大画面によって伝えていた。

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その薄い四角形の中で、あるニュースキャスターは例の行方不明について、次のように語った。

「この世界規模の行方不明者騒動は、"異世界へのループ"という説で落ち着いています。

世界各地では、異世界へつながるであろう怪しい"入り口"が発見されていて、そこに入った者は、いまのところ1人も戻ってきておりません。

また、そのような状況なので、捜索隊もその先には進めず、看板の奥はどのようになっているのか、まったく掴めないのがいまの現状です。

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その入り口には、決まって「立出禁止」の看板と、御影石と思われる大きな岩が確認されています。

また、その岩には赤色の文字で、決まった文字が示されているようです。

それについては、現地の○○リポーターに中継がつながっているので、聞いてみましょう。

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○○さーん」

そして、映像は何やら薄暗い山の中へと切り替わった。

「はーい。私はいま、△県のとある山奥に来ています。ここは先日、偶然登山客に発見された、"入り口"と思わしき場所の現場です。

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先程のお話でもありましたように、このような場所には決まって看板と大きな岩があります。

(映像は、看板と岩を順番に映す)

また、大きな岩には、赤い字でアルファベットが書かれています。

しかし、その文字は各地で違っているようです。

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(岩の文字にズームする)

見えにくいかもしれませんが、この岩には、"lastone"と書かれています。

つまり、"ラストワン"この入り口に入れるのは、"最後の1人"なのだと解釈できます。

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このような場所は、日本だけでも多数発見されています。

もし、発見された場合は速やかに警察に連絡し、決して中には入らない、また、特にお子様には入らせないよう注意してください。

現地からは以上です。」

そして、再び画面はスタジオへと戻る。

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「えー、先程の説明の補足としましては、岩の文字は、主に"last"の後にアルファベットで数字が続くようです。つまり、入り口に入ることができる残り人数を表しているといえます。

しかし、その最大値はいくつなのか、またその文字は誰によって書かれているのかなどは、現在も不明なままです。

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現時点で発見されている"入り口"については、厳重な封鎖がされておりますが、もし新しい"入り口"を発見された方は、…」

そして最後にもう一度、発見した際の注意喚起を促したところで、そのニュースはCMに入った。

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「そろそろ行こうよ」

大学生になった僕は、隣にいた彼女にそう言われて我に返った。

「ごめん、つい見入ってた」

「もうここ数年、こんなニュースばっかりじゃない」

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彼女に引っ張られ、僕はテレビの前を離れて大通りを歩きだした。

しかし頭の中の自分は、さっきの画面の前から離れられずにいた。

僕は歩きながら、五年前の出来事と照らし合わせてようやく明るみになってきた事実について整理した。

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あの裏山のような存在は、異世界への入り口として、世界各地に開かれていた。

その入り口の目印としては、「立出禁止」の看板と、岩の文字がある。

その世界へは入ることはできても、決して出ることはできない。僕が勘違いしていた岩の文字は、いわば来場客数のカウンターみたいなものであった。

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そしてこれは、あくまで推測だが、その異世界はいわば「ヒーロー」だけが存在することを許される世界なのだと、僕は思った。

未知の扉が開かれたとき、その謎を解き明かそうと躊躇なく飛び込んでいける者、また、長島のように誰かを助けるために前に進む、勇敢な者。

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そんな彼らが次々にこの世界からいなくなったいまの世界は、いわばモブだらけで平凡な世界であった。

そしてその世界は、以前と変わらず、少なくとも僕にとっては、平和だった。

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「ラストーンセラピーってのが流行ってるみたい。今度の土曜に体験してみたいな」

「うん、そうしようか」

僕は彼女と笑いあって、手を繋いだ。

その彼女というのは、文化祭を一緒に回った、ポニーテールでない、もう一人の子であった。

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あの日、僕は、長島を見捨てて帰った。

もちろん、すぐに帰ったわけではなかった。

ただ、長島が林道を進んで数分後、スマホで取り合っていた連絡は途絶えた。

そのうちスマホからは奇妙な声のようなものが混じったノイズが聞こえ始め、岩の文字はいつのまにか"full"に変わっていた。

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そして、僕は元来た山道を走った。

僕はモブなのだ。ヒーローでは、ないのだ。

胸の内でそう繰り返しながら、必死に山の手前に戻ってきた時、一人の女の子が立っていた。

僕は彼女に、決して自分が友を見捨てたと思われないように事情を話し、思ってもいないのにもう一度廃墟に行ってみようと誘った。

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「本当は、思ってないんでしょう?」

歩き出した僕の背中に、本心を見透かしたような声が飛んできて、僕は振り返った。

彼女もまた、自分を気にかけてくれたポニーテールのあの子を、助けようとは思っていなかった。

彼女がここまで来たのは、あの子を助けるのを諦めるためだと言って、瞬きもせずに、涙を流した。

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それから、僕と彼女は親しくなった。

結局僕たちは警察にも行かず、いなくなった二人のことも、口にすることはなくなった。

でも、そんな状況こそを、僕は今まで望んでいたのだと思った。

ヒーローのいない世界は、僕にも、彼女にとっても、心地よかった。

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ヒーローのいない世界では、世界の平和は守られないのかもしれない。

でも。ヒーローのいない世界では、誰もが誰かのヒーローになれる。

僕にとっては、たとえ災害や疫病に悩まされるにしても、いまの世の中の方が平和であった。

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その平和は誰かに守られるものではなく、自分たちで作り出すものであったから。

いつまでも、誰かの影に隠れて生きなければならない。

そんな人生は、もうごめんなのだ。

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「痛いよ」

いつのまにか僕は、彼女の手を握る力が強くなっていることに気づいた。

ごめんと言って慌てて離そうとすると、その手は意外にも離れてくれなかった。

彼女もまた、僕の手を、同じくらいに強く握っていたからであった。

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「自分だけが、誰かを守っているなんて思わないでね」

まるで僕の頭の中を知っているかのような彼女の言葉に、僕は思わず笑ってしまった。

そして、彼女はそんな僕に怒ったのか、僕の手を投げるように離してしまった。

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でも、僕はその言葉がおかしくて、笑ったんじゃなかった。

それを聞いた時、僕はなんだかとても恥ずかしくて、それ以上に、嬉しかったんだ。

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そんな正直な気持ちを僕も彼女に伝えてみると、彼女は顔を隠すように俯いてしまった。

でも、その顔は、僕と一緒の色に染まっていた。

僕はなんだか飛び跳ねたい気持ちになって、まるで夕焼けのように染まった目の前の頬を、ずっとずっと、覚えておこうと思った。

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僕はこれからも、彼女の横に並んで生きていくだろう。

友情よりやわらかく、友情よりもあったかい何かを一緒に大切にしながら、彼女と僕は、同じ方向を向いて歩いていくだろう。

だから、長島。お前も向こうの世界で、仲良くやれよ。

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寂しそうな彼女の手を、今度は優しく握ってみた時、ようやく彼女は、笑ってくれた。

・・・・・・

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・・・・・・

「ふふっ」

隣に座る加奈は、僕が高校の時に書いた小説を読み終わって、静かに笑った。

「文也の小説は、やっぱり面白いな」

「やめてよ、恥ずいから」

僕が加奈の手から紙の束を奪い取ると、捨てちゃダメだよ、と彼女はまた笑った。

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僕と加奈は、幼稚園の頃からの幼馴染だった。家も隣で、通う学校も一緒で、放課後はいつも2人で帰っていた。

でも、高2の夏、加奈には彼氏ができて、それから僕は、1人で歩いて帰った。

加奈が隣にいなくなって、生活のすべてがこれまでとは180度変わってしまった気がした。

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僕はその時、はじめて加奈と幼馴染であることを後悔した。

こんな思いをするなら、いっそ知らない人同士だったらよかった。

あるいは、加奈が男だったら。

隣の加奈の家からは、時々楽しそうな笑い声が聞こえた。その度に、僕は何度も枕に顔を埋めた。

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久しぶりに会った加奈は、あの頃よりも随分大人びていた。

成人式の後、この日限りの煌びやかな衣装から普段着に着替えた僕たちは、幼馴染の好(よしみ)ということで、とあるバーで一緒に飲んでいた。

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「クラスの同窓会に参加するよりも、文也と飲んでいた方が楽しい。」

表情ひとつ変えずにそんなことを言ってしまう加奈は、やっぱりあの頃と全然変わっていないと思った。

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そして、大学ではじめて別々になった僕らだったが、まるでそのブランクを感じさせないくらいにすぐに打ち解けた。

グラスを2杯空にしただけで酔った加奈は、なぜか僕が高校の時に書いた小説を持ってきていて、くすくすと笑いながら読みはじめた。

僕は、楽しそうな彼女を、止めることができなかった。

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そのあとも散々昔話で盛り上がって、気づいたら真夜中になろうとしていた。

「ありがとう」

加奈はすっと立ち上がると、「迎えにきてるからそろそろ行くね」と二人分の伝票を持って店の出口へと歩いて行った。

僕はその背中を、見ることしかできなかった。

本来誰よりも先に言うべきはずの「おめでとう」という言葉は、ついに最後まで出てこなかった。

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加奈は、高校の時から付き合っていたあいつと、来月、学生結婚をする。

それは、成人式で顔を合わせた時に聞かされたことだった。

そのせいで、僕はちっとも20歳になったことを喜べなかった。

僕は今でも、高2の夏に、ひとりで取り残されていた。

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いつも隣にいたはずの眩しい背中は、今も、昔も、僕のものではなかったのだ。

目の前にある小説は、すべて僕の願望だった。

もし、幼馴染が男だったら。

もし、この世界に、ヒーローがいなかったら。

しかし、現実の彼女の背中は、どんな虚構の世界よりも、僕の手の届かない場所にあった。

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僕はさっきまで隣に加奈がいたこの席から離れたくなくて、くしゃくしゃになった紙と空のグラスを手に持って、いつまでもその店から、出られなかった。

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・・・・・・

「ふー…」

そこまで書き終えると、俺はひと息ついた。

ここ2日間で書きあげた話を、疲れた目に目薬を打って、読み返してみる。

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話は、悪くない。

しかし執筆の代償として、部屋はぐちゃぐちゃ、洗濯物も溜まってる、おまけに久しぶりに誘ってくれた友人からの飲みの約束を、電話ひとつで無慈悲にも反故にしてしまった。

俺はもう一度、深いため息をついた。

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しかし、ため息の本当の理由は、別のところにあった。

-俺も、幼馴染が、欲しかった…!

幼馴染というよりも、「青春」が欲しかったという方が合ってるのかもしれない。

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学生時代を、友人も恋人もなく一人で過ごした俺には、友情と恋愛の間の葛藤も、叶わぬ恋に眠れぬ夜も無縁であった。

なので自分の作った話でありながら、その内容には少々堪えるものがあった。

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しかし、学生時代の後悔を嘆いても、どうしようも無い。もう過ぎてしまったことなのだ。

そしていそいそと部屋の片付けをしはじめたとき、

ピンポーン

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玄関のチャイムがアパートの一室に響いた。

おそらく通販で注文した、カップ麺が届いたんだな。

俺はこの暑さの中待たせるのも悪いと思い、片付けの手を止めてすぐに玄関へ向かおうとした。

しかし、

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まず、俺はズボンを履いていなかった。

慌てて履けるものを探すが、洗濯物を溜めていたせいで、洗ってあるズボンがひとつもなかった。

仕方なく寝巻きの短パンを履くと、次の困難が俺を待ち受けていた。

-出口が、塞がれている。

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というのも、何も考えずに片付けを始めたために、ゴミ袋や雑誌の山によって、玄関へ続く扉の前を塞いでしまっていたのだ。

俺はようやくそれを片した時に、2度目のチャイムが鳴り響いた。

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今すぐ、行きます!

もちろん、それは心の中の叫びである。

俺はすでに息切れていて、それもさっきまで小説を書くのにスマホに齧り付いていたのと、日頃の不摂生からくる体力不足が祟って、声も出ないほどに疲れ切っていた。

しかし。

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またしても、俺の前には困難が立ちはだかった。

部屋から廊下に続くドアを思いっきり開けた拍子に、廊下に溜めていた袋が倒れて、中身のペットボトルが散乱したのだ。

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しかしそれも必死にかき分け、ようやく玄関に到達した時、ふと我が道を振り返ってみた。

…惨劇のようなこの廊下は、配達員に見られてしまうのか。

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俺はこの期に及んで、迷っていた。

出たくても、出たくない。

俺が静かに絶望した時、3度目のチャイムが背後から聞こえた。

「すみませーん」

ここにくるまでのドタバタを聞かれていたから、今更留守だとはシラを切れない。

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「配達でーす」

しかも、その声は、初恋の人の声にそっくりだった。

もしかしたらの再会も、あるかもしれない。

俺はいよいよ頭を抱えて、その場に座り込んでしまった。

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ふと握っていたスマホが震えて、ホーム画面を確認すると、「今日は飲みに行こうよ」という友人の言葉が浮かんで、涙が出た。

結局、俺は泣く泣く扉を開けて、全然知らない女の子を、引くほど怖がらせた。

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その夜、バーの席で、例の友人に昼間の失敗を愚痴ったら、

「それよりも、今日こそあそこ行ってみようぜ!」

と肩を叩かれた。

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今日くらいは、付き合ってもいいか。

そして俺たちは夜の街へと繰り出したが、店では酔った友人が散々やらかして、二人して、出禁になった。

・・・・・・

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・・・・・・

このままでは、いつまでもこの話から出られないので、もうここで、終わりにしようか。

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