これは私、影淵多喜男(かげぶち・たきお)が過去に巻き込まれた話だ。
あの時は、そうだなァ………誰彼スパスパ煙草を燻(くゆ)らせていた時代だから、バルブが弾けて飛んだ、違う違う。バブルが弾けるかどうかの時代か。地方にゃ関係無かったけども。でも牧歌的と言えば牧歌的ではあったね。
親父や従兄を筆頭に、実弟や悪友さえ煙草を燻らせていたけど、私は一向に吸う気も起きなかった。
そんな中、携帯灰皿を持参した悪友が、私の愛車の中で、煙草を吸って良いか訊いて来た。
学生の時分、女っ気も無く、アルバイトで貯めた金銭を当て込んだマニュアル式の軽自動車だったし、換気も兼ねて窓を開けさせて、呑気に宛て無きドライヴでもしようかと私も持ち掛ける。
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走り出して、暫くしてから悪友がいつも通り煙草を吸うが何だか妙だ。
「凄い香りだな」
「凄いって何が」
「薔薇の香りなんて、一体幾等(いくら)すんのさ」
「何?桃の香りの奴だぞ俺のは」
信号待ちに上手い具合に引っ掛かったので、私はギアをニュートラルにセットして、悪友の持つ煙草の銘柄を見る。
────紛(まご)う事無き桃の絵が描かれている。
信号を見ると青になったので、ギアをローに入れて発進して、徐々にギアを切り替えて行く。
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漫画の話や変な蘊蓄(うんちく)を話していて、少々怖い話でもしようかと私が言い出すと、悪友が嫌がる。
「イッヒッヒ」と気色悪い笑みを浮かべた私が、廃墟に忍び込んで、そこのバルコニーで手を振る仲間を見上げていると思ったら、その仲間が二階を探索していて、バルコニーには全然近付いていないと言う怪談を話し始めると、悪友は嫌だ嫌だとブーイングをし始める。
途端、
「何で薔薇と線香の匂いのするものなんて焚くんだよ」
と悪友が妙な事を言い始める。
今現在の主流であるオートマチック車輛とは違い、片手はハンドル、片手はギアに付きっきりであるから、お香なんぞ焚く余裕も無ければ火の元すら用意も出来ない。出来るとすれば、悪友が下部の方に有る、今はバッテリーの電源取りになっている、シガーソケットに手を伸ばせる位だろう。
ああ、確かに薔薇の香料と線香の匂いが混じった、変な感じの空気が車内に充満する。しかも窓を開け放っているのに、ムワっとした空気が出て行かず、へばり付いている様な具合だ。
「*〇※⇒/=:∩」
「────何か喋った?」
「言ってないって!ほら!君が怖い話なんてするから!」
横目で見ると脂汗をかいている悪友、私は車輛に標準装備されている余り正確で無い時計と、自分の腕時計とを見比べる………すっかり日も落ちて20:00か。
緩やかなアップダウンの場所を良く見ると、墓地公園と呼ばれる場所の近くを通っていた。
「南無阿彌陀仏(なむあみだぶつ)、南無阿彌陀仏」
ギアを切り替えつつ、幾度か私は何と無く御経を唱えて見る。怖いと言うより、涼しさで目が覚める感じで安堵する。
「────あれ?無くなったぞ。やったー………」
悪友が変な匂いから解き放たれたのが余程嬉しかったのか、妙な歓喜振りである。
そう言えば、薔薇の香料と最初は煙草、次は線香の匂いに混じった変な雰囲気が消え失せていた。
然し、深夜で無いにも関わらず、奇妙な事も起きるんだなと、私は眠気覚ましの板ガムを噛みながら、悪友宅に車輛の足を向ける。
────電球の街灯の群れが、「よう」とばかりに出迎えてくれている。
作者芝阪雁茂
三つの御題、昭和の雰囲気をまとわせて御送り致します。
墓地公園の話は、過去に掲載して反応が無かった珍体験の焼き直しでありますが(運転手は悪友から今回の話だと主人公にチェンジ)、親父や従兄に実弟が喫煙していながら、いつの間にやら禁煙に成功していて、結局喫煙していないのは私めだけであったりします。
ちなみに、運転免許に関してはマニュアル式で取りましたが、エンストの常習犯でしたので、主人公みたいに上手くはありません(汗)。