長編16
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「ジグソーパズル」

20××年、空前のジグソーパズルブームがやってきた!世界に先立って日本がジグソーパズルを"国技"とするや、SNSを通して瞬く間に話題となり、競技会の開催はもちろん、関連する映画や書籍も爆発的に売上を伸ばした。

狂乱的なブームに伴いジグソーパズルは生活の隣に鎮座した。人々は難解なパズルに手軽にありつくことができ、誰もが"早く賢く"組み立てることに熱中した。そうであれば当然制作側も熱が入り、世界中で名選手だけでなく、名職人が誕生した。

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そしていつしか、ジグソーパズルは一種のステータスを担うようになり、友人関係に仕事、結婚までもがパズルの実力に左右された。就活の面接でも「対面ジグソー」を行う企業は珍しくなく、履歴書にあらかじめクリアしたジグソーの経歴と、そのタイムを書いておくのは就活生としての基本事項であった。

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テレビ業界にもその波は大きな影響を与えた。

「男をあげる大人のジグソー」「頭の恋人○ッテのジグソー」「イ○バのジグソー、100人寄っても大丈夫」これらはすべて、新発売されるジグソーパズルの宣伝で使用したキャッチフレーズであり、宣伝に起用された女優俳優は総じて売れっ子になった。

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…これらの説明はあくまで、ジグソーブームのほんの一端を掻い摘んだにすぎない。また、ジグソーパズル自体の魅力について何も語れていないことが悔やまれるが、時間も惜しいので、そろそろこの話の本筋へと移ることにしよう。

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話の主人公は二人の男である。しかし彼らの名誉を考慮して、本名ではなくA、Bとさせていただこう。

A、Bともに、しがない中小企業で働くサラリーマンだったが、彼らはジグソードリームを掴んで人生を180度変えた。いまや界隈で知らぬ者はいない屈指の手練れであったが、その才能の使い方には、どちらも少々ひと癖あった。

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まずAは、ブーム以前からのキャバクラ狂いであった。日常に溢れたジグソーは都会の賑やかな夜の街にまで進出し、ある一帯のキャバクラ店は、まるでスタンプラリーのように店ごとにパズルのピースを配るようになった。

しかしそのピースを手に入れるためには、店指定の難解なジグソーを制限時間内に組まなければならず、多くの客が悔し涙を飲み、ヤケ酒に走る者も少なくなかった。

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その中でAはあっさりと課題を片付け、またジグソーの才能だけでなく持ち前の羽振りの良さも発揮し、いつしか「夜の帝王」の名をほしいままにした。

その名は決して誇張されたものではなく、彼は初の「キャバクラパズル」を完成させた偉人であり、後に構えた自身をオーナーとする店も、まるで彼の鮮やかなパズリングのように順調に軌道に乗り始めていた。

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そんなAと比べると、Bはいささか見劣りするかもしれないが、彼は彼で他の人が羨むほどの栄光を手にしていた。

彼は類い稀なジグソーの才能を恋愛にうまく準用し、世の女性たちを虜にしたのだ。

ここに彼の至言の一例を示すとすれば、まずはやはりこれだろうか。

氏曰く、「一部をもって全部を為す。是即ち、組み絵の恋愛に通ずる本質なり」

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つまり、ジグソーパズルを解くには一つ一つのピースから全体像を想像することが必要だが、それは恋愛において相手の好みを理解し、楽しめるデートプランを組み立てることと同じだと言っているのである。

またこんなのもある。

氏曰く、「恋愛とは相手に与(くみ)してその心を得んとす。是即ち、組み絵なるかな」

…これについてはもう、説明は必要ないだろう。

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とにかく、彼の哲学は多くの人に認められ、彼に魅了され愛人となった女性はパズルの数だけ存在すると囁かれているが、これも決して誇張表現ではない。

なぜなら、彼のいちばんの愛人は、パズルそれ自体であったのだから。

彼の著した書籍はパズルに加え恋愛の至言も盛り沢山であり、全国のパズラー、そして男を磨きたい者にとっての、一種のバイブルとなっていた。

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そんな時代の寵児、名誉の権化のような彼らであったが、神格化されたイメージには似合わない、人間らしい一面もあった。

というのも彼らは、こそこそと、誰にも知られたくない秘密を共有していた。

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ある日Aは、Bを自宅に招待した。しかしBはすでにその目的を知っていた。

ちなみに彼らは、二人とも既婚者である。彼らが大の親友であるように彼らの妻同士も仲が良く、この時にはAの妻Dは、 Bの妻Eとランチを楽しんでいた。

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この家には、AとBしかいない。だからこそ、彼らはこうして集まっているのだ。

「よく来てくれたな」

「お前こそ、時間を作ってくれてありがとう」

彼らはお互いの活躍ぶりを労った後、さっそく本題に移った。

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彼らの目的は、やはりジグソーにあった。Aの家には、世間ではあまりにも難解だと敬遠されている幾多のジグソーが、完成した状態で飾ってあった。一方でまだ未完成のものは、完成されたもの以上にこの家に存在した。世の中にはパズルの数以上に職人がいて、彼らは身を粉にして腕を振るった自信作を、魂をぶつける思いでAに送りつけてくるのだ。

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その数は平均して1日に100は超えるという。流石のAもそれらの課題をこなすことができず、時々こうしてBを呼びつけては一緒に片付けているのだが、実はそれは妻たちに本当の目的を悟られないようにするための建前であった。

未完成品はピースが混ざらないよう絵ごとに袋でまとめて保管していたが、その袋のひとつに、彼らは自分たちの"夢"を隠していた。

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「木を隠すなら森の中」に倣えば、たくさんのピースの山に埋もれているのは、隠したいピースに他ならない。彼らは他には目もくれずにある袋の中身を床に広げると、目にも止まらぬ速さで組み上げた。一瞬にして絵は完成したが、二人の間にはいくつかのピースが残った。

二人は各々のポケットから新たなピースを取り出すと、向かい合ってニヤリとし、それを加えた残りのピースを別の絵として組み始めた。

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やがて組み終えてできた絵は、まだ半分ほど穴を開けていた。しかし彼らは満足気であった。

「ついに半分まできたな」

「ああ、長かった。だがもう半分ある」

「ここが踏ん張り時だ」

そして彼らは手を取り合った後、ここまでの道のりを噛み締めるように、未完成の絵をじっくりと眺めた。

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…ここからは、2ヶ月前の出来事についてのBの回想である。金に女に酒にジグソー、すべてを手に入れたかのように見えるBは、それでも日々に退屈していた。

思い返せばジグソーに没頭したのも、サラリーマン時代に感じていた退屈な日々を紛らすためだった。しかし、退屈というのはたとえ名誉を手にしたとしても、いや、名誉を手にしてしまったからこそ、まるで不治の病のように日常を蝕んだ。

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もうこの世には、自分に解けないジグソーはないように思われた。楽しかったジグソーも、その時には自分を失望させるものでしかなかった。

Bは、強くなりすぎたのだ。次第に熱は失われていき、一時期は至言製造機だった彼の口は、今では億劫そうに固く閉ざされてしまった。

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しかし、世界は広くて深い。ついにオリンピックのいち競技まで上り詰めたジグソーの、日本代表に選出されたBは、全国からの期待を一心に受けた。

彼は内心で余裕だとたかを括っていた。そんな彼の心をバラバラに打ち砕いたのは、世界の分厚い壁だった。

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俺はまだまだ井の中の蛙であった。それに気づいた時、彼は胸の内に燻る何かがあることを知った。

まるでぽっかりと空いた心の穴を埋めるピース。彼の心を満たし初期の熱を取り戻してくれたのは、世界という名のピースだった。

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彼は改心して、真摯にジグソーと向かい合った。純粋な心で打ち込むジグソーは、あの頃のように楽しかった。

やはり自分にはジグソーしかないのだと思った。そして大好きなジグソーで、世界を目指す覚悟を決めた。

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幸運なことに、それからすぐに彼の前には、再び世界への道が開かれた。

実はあの「キャバクラパズル」にはまだ誰にも解かれていない"裏ジグソー"があり、"裏ピース"を集めて絵を完成させた暁には、世界ジグソー協会への入会権を手にすることができるというのだ。

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これを知ったBは、すぐさまAに連絡した。新たな船出には頼もしい仲間が必要だと思った。

Aはこの時すでに初代「夜の帝王」の座を退き、自身の店の経営者に徹していた。彼もまた退屈に侵されしばらくはジグソーから離れていたが、Bの熱烈な口説きに心を揺さぶられ、彼の胸の内にも同じ燻るものがあることに気づき、ロマンを求めて再び重い腰をあげた。

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それからの彼らは少年の純粋な冒険心を胸に、大人の夜の街を闊歩した。輝きを取り戻した彼らの意志に、眠りから醒めたかつての才能は従順に応えた。ただ、世界への扉はやはり簡単には開けず、難解なジグソーに出会った時は二人で励まし合った。

すべては"ワンピース"を手に入れ世界への扉を開けるために!彼らはいま、紛れもなく青春の最中にあった。

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話を元に戻そう。

その未完成の絵はまるで彼らの視線のせいで穴が空いたと思われるほど、いつまでも飽きずに眺められていた。

パズラーなら誰もが共感するであろうが、ジグソーの魅力は何も組み上げることだけではない。むしろ、出来上がった完成品を眺めることにこそ、真の楽しみがあった。

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彼らはその絵を通して、豪快な夜の荒波に揉まれるまだ見ぬワンピースを夢見ていた。

ちなみに、裏ピースを集めて完成される絵のことを、巷では「ワンピース」と呼んでいた。

彼らにはもうひとつ、戦うべき相手がいた。そしてそれはある意味で、"ワンピース"よりも手強かった。

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もう一度言うが、彼らは二人とも既婚者である。彼らの妻たちは二人の煌びやかな過去を知っているが、所詮昔のことだと思っている。つまり、今は彼らが妻以外の女性と親しくする、ましてやキャバクラなんぞに行くなんてのは、あり得ないことだと信じているのである。

しかし現実の彼らは夢に向かって毎晩のように夜の街へ漕ぎ出していた。妻に対しては仕事や徹夜ジグソーを言い訳にしてなんとかバレずに凌いでいたが、いつバレないともわからないプレッシャーを日々感じていた。

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「もしバレたら、我々のこれまでの努力はすべて水の泡だ」

「ワンピースが手に入らないだけではない。これまでの経歴や名誉が一夜にして失われてしまうかもしれない」

そのような危険を冒してまで、彼らがグランドライン、もとい夜の街に漕ぎ出す必要はあるのか?しかし彼らの腹はすでに決まっていた。

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赤信号、二人で渡れば怖くない。彼らは同じひとつの目標を目の前に、固い絆で結ばれていた。そしてどちらともなく口走る。

「「だからこそ、挑戦しがいがある!」」

彼らの春は、まだ夜明けを知らなかった。

そして彼らの苦心は歳月の経過とともに確かな成果となって積み上がり、しかしついに完成を目前とした時、ある事件が起きた。

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この日、最後の成果を手にした二人は、いつものようにAの家に集まった。

「いよいよだな。本当に長かった」

「ああ。俺はもうすっかり禿げあがってしまったよ」

歳月人を待たず。しからば毛なんて待ってくれるはずもない。Bのかつての漢気は日々の戦いの中ですっかり消耗し、年相応の萎れた顔で、しみじみと成果を握りしめていた。

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「なに、まだ横があるではないか。ずっと隣を歩いてきた俺が言うんだ。自信を持て」

「A…!」

ちなみにAは一本も残っていなかったが、かえってそれが経営者としての貫禄があるように見せていて、本人も満更ではなさそうだった。

兎にも角にも、彼らは戦い抜いたのだ。そして今日、ついに彼らの前に、"ワンピース"がその姿を現す。

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…はずだった。

「おい…どういうことだ⁈」

組まれては解体を何百回と繰り返したその絵は、この日も精密機械のような二人の手によっていとも簡単に組み上げられた。しかし、その絵の完成によって余るはずの裏ピースがどこにも見当たらない。また、裏ピースどころか、隠し場所のその絵すらいくつかのピースが無くなって穴が空いていた。

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AとBはお互いの顔を見合わせた。その顔はどちらも真っ青であった。

「なぜ、なぜないのだ⁈いったい誰が…」

「落ち着け!それよりこの絵を見ろ。おかしくないか?」

そして二人は同時に、目の前の未完成の絵に目を落とした。その絵の穴はまるで矢印の↔︎の形に空けられていて、誰かが意図的にそうしたとしか思えないものであった。

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もしかして誰かが何かを伝えるために、このような形で穴を作ったのではないか。裏ピースを奪った犯人からすれば、この絵はこれで"完成"なのだ。

苦心して集めたピースが跡形もなく消えてしまったことに、彼らはわかりやすく落胆した。

しかし、すべてのピースを組み上げることを常としてきた彼らにとって、穴の空いた状態で完成というパズルは、極めて興味深いものにも見えた。

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またその穴は暗号の役割をしていて、失われたピースを取り戻すためのヒントであるかもしれなかった。

そして気を取り直して、謎解きの続きを考えてみる。

「この矢印は、何を意味しているのだ?」

ジグソーにおいてはもはや右に出る者がいない彼らであったが、謎解きに関しては並以下であった。

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禿げあがった二つの頭を絵の上で寄せ合い、うんうんと唸りつづけて30分が経ったとき、突然Bが素っ頓狂な声をあげた。

「わかった!」

その顔はまるで、ジグソーブームの立役者であり「現代ジグソーの父」の異名を持つ蓮流ジグ蔵の最高傑作『エベレスト』を組み上げた時と同じ、興奮と幸福に満ち溢れた顔であった。

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「リバースだよ!」

「リバース?」

まだピンときていないAに対して、Bは焦ったそうに説明した。

「この矢印は裏表を逆にしろ、つまりこの絵を裏返せと言っているんだ」

そこでようやくAは手を打つと、盟友のファインプレーをこれでもかというほど讃えた。

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一方でその手は、運命の反転のために着々と準備を進めていた。透明で薄っぺらいプラスチック盤を絵の下に滑り込ませ、もうひとつの盤で上から押さえつけた。そして両端をそれぞれが持つと、阿吽の呼吸でひっくり返した。

そこに現れた光景に、二人は揃って、目を丸くした。

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絵の裏には、正確にいうとピースの裏には、文字が書かれていたのだ。二人してそれに気づかなかったとは、何という失態!しかし、パズルバカの二人だからこその失敗でもあった。

彼らは今宵完成される"夢"を眺める楽しみに目が眩み、なによりも、生粋のパズラーとしての血が騒いで、何百回と繰り返されたものにも関わらずそのパズルに熱中してしまったから、ピースの裏にまでは意識がいかなかったのだ。

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「げっ⁈」「ぐっ…‼︎」

そしてその文字列を文章として理解した時、二人は同時に苦悶の声をあげた。

その文章は決してすべてを物語ってはいなかった。しかし二人は持ち前の「一部から全部を察する能力」を遺憾なく発揮して、犯人の顔と"彼女"らが何を考えているかを、手に取るように理解してしまった。

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後日、二人はバラバラ死体となって発見された。犯人の正体は誰もがわかっていたが、彼女らの行方は誰一人として掴めなかった。

最初の殺害現場となったAの家には、凶器どころか指紋ひとつ残されていなかった。ただひとつだけ、血だらけの彼らの首が揃って放置されていた夜の街の路地裏に残されていたのは、AとBが散々苦労して集めた、かの裏ピースであった。

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そのピースの裏には文字が書かれていて、順番に並べてメッセージが示されていた。

ちなみに彼らが最後に見た文章も、これと同じである。

「そんなにジグソーが好きなら、お前らがピースになれや」

バラバラにされた彼らの遺体は、まだ半分ほど見つかっていない。警察の捜査はまだ見ぬ彼らの一部を集めるために、いまでも昼夜を問わず、行われている。

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…そこで俺は手に持っていた資料のファイルをぱたんと閉じると、会議室の隅々まで聞こえるように大きな声を張りあげた。

「途中何度も脇道に逸れたが、以上が今回の事件の大まかなあらすじだ!」

気合の入った大声を聞いてか、今にも眠りそうだった4人くらいが、飛び上がるようにして姿勢を正した。

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俺は呆れながら、こう続けた。

「今回の事件はたとえ被害者に非があったとしても、極めて残虐で決して許されるものではない。我々は一丸となって立ち向かい、事件の、いや、この難解なジグソーパズルを解かなければならない」

俺はそこで一度区切って、ニヤリとした。もちろん、ふざけているわけではないことは言っておく。

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「勇敢なる挑戦者たちへ問う!容疑者は今も逃走中で、我々は居場所を突き止めなければならない。この難解なパズルを解決する、ピースとなる情報を持っている者はいないか⁈」

しかし、俺の呼びかけに対する応えはなかった。昨今のジグソーブームはどこへやら、会議室には頭の固い刑事たちの唸る声が響いていた。

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俺が諦めかけたその時、比較的頭が回る部類の若い刑事が、手を挙げて俺に発言権を請うた。

「どうぞ」俺は快く促した。

「俺たちはまだ、このパズルの全体像が掴めていません。なのでまずは、C(これは俺の名前だが、俺の名誉のために伏せさせていただく)さんの意見をお聞かせください。ちなみにCさんは、ジグソーパズルは得意ですか?」

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俺は実はこの質問を待っていたとばかりに、意気揚々と答えた。

「ああ実は、俺もなかなかのジグソーバカなんだ。腕にも多少、覚えはあるぞ」

「本当ですか⁈それは心強いです。どうやって鍛錬したんですか?俺もCさんのように自信を持ちたいです」

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俺は、"自信"という言葉を聞いてぎくりとしてしまった。たしかに最近の俺は、最大の名誉を手に入れて自信満々だった。

しかし鍛錬の内容は、人に聞かれてはまずいものであった。そこで俺は誤魔化して、

「鍛錬とは己に向かい合うことだ。人に簡単に教えてもらえると思うな!」

叫ぶようにそう言った。

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「そうなんですね!…ところで、Cさんは捜査という名目で、ここ数ヶ月夜の街に繰り出していましたよね。"成果"は、あがりましたか?」

彼は怯むどころかますます目を輝かせた。俺は嫌な予感がした。

こいつ、どこまでピースを持ってやがる…

俺は背中を冷や汗でびしょびしょに濡らしながら、それでもまだ勝機はあると自分に喝を入れ、必死に粘った。

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「いや、残念ながらこれといった証拠は得られていない。不甲斐ない申し訳ない」

「"証拠"は得られなくても、"称号"は得られたのではないですか?」

そして彼は俺を真っ直ぐに見つめた。心なしかその口の端は、笑っているように見えた。

そこで俺は確信した。

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間違いない。これまでの発言から察するに、俺が二代目「夜の帝王」であること、そして捜査と銘打って夜な夜な裏ピースを集めていることを、こいつは知っているに違いなかった。

AとBがいない今、ワンピースのいちばん近くにいるのは紛れもなく俺だった。

俺もまた世界を我が物にするためにグランドラインへと駆け出した、野心に燃える男の一人であったのだ。

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何も言わない俺に変わって、いつのまにか若い刑事がこの場を仕切っていた。

「皆様に提案です。たしかにこの難事件は、皆様が一丸となって取り組まなければ決して真実には辿り着けません。

しかし、たとえば警察の内部に"裏切り者"がいたとすれば、まずはその存在の正体を解き明かして、より結束を固めることが必要です。

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雨降って地固まると言いますが、地面を穿とうとする滝のような土砂降りには、早急な対応が必要です。皆様、僕の提案についてどう思いますか?」

彼の威風堂々とした演説に、会議室の誰もが熱狂した。次々に賛同の声があがり、部屋の真ん中にいる若い彼を囲んでスタンディングオーベーションの渦が巻き起こった。

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その渦に弾き飛ばされた俺の背中は、それはもう滝のように汗が流れ落ち、唯一の救いは、みんなの前に立っているおかげでその背中を誰にも見られないことであった。

いっそのこと俺の存在をみんな忘れていたらと思ったが、次の瞬間には頼もしい名探偵が、俺を指差して笑っていた。それにつられて、周りの者たちの視線も俺に向いた。

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いつのまにか眠そうだった4人も強ばった顔をして俺を見つめていた。

そしてみんなの見ている目の前で、俺の秘密は名探偵によって次々に暴かれていった。

彼の推理が終わった時、俺はその場に崩れ落ちた。ポケットからは、俺の努力の結晶である"裏ピース"が無惨にもこぼれ落ちて床に広がった。

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裏ピースはこの事件を解くための資料として没収され、あと、俺の辞職が決まったところで、この日の会議はお開きになった。

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次の会議が開かれた時には、バラバラ死体に三つ目が加わっていた。俺という名のパズルを、彼は見事完成させたというわけだ。

もっとも、俺の妻はとっくの前にパズルの全貌を知っていたようだが…。そして俺の辞職の理由を言い当てた彼女は、まるで鮮やかな手捌きで俺を始末した。

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その後彼女は逃走した。名探偵はパズルは解けても、事件の解決にまでは手が届かないようであった。

つまり彼はこの事件の犯人である"妻たち"の居場所には、到底たどり着けていなかった。

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しかし俺の罪を暴くという確かな手柄と、それによってさらなる自信を携えた彼は、今日も眠たそうな刑事たちに向かって、いなくなった俺の代わりに声を張りあげていた。

その会議室の傍では、前回眠る"ふり"をしていた4人ともが、なぜかビクビクと怖気付いていた。

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…ちなみに、「夜の帝王」に準じて「夜の四天王」がいることは、その界隈では誰もが知っていることであった。

彼らはそれぞれ思い浮かべる顔は違ったが、考えることは同じだった。

「もしバレたら、妻に殺される!」

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その後、新たに被害者の増えた未曾有の連続バラバラ殺人事件は、名探偵が成果をあげればあげるほど謎は深まるばかりで、ついにはお蔵入りになって忘れ去られた。

俺を含め数々の罪人を糾弾した名探偵の彼は、ジグソーブームが生んだ世紀の「迷探偵」として語り継がれることになるが、それはまだ、先のことである。

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