M高校のウワサ
M高校は地方都市の郊外に立地する普通科高校だ。
最寄りの駅から高校まで徒歩10分弱で校門までたどり着く
もっともこれは、駅から出て大通りを南に下りつつ線路向こうの高校を眺めながら大きく迂回して歩道橋を渡って、やっとのことで線路を越えて、また迂回してきた道を横目に見ながら高校の校門までたどり着いた場合の時間だ。
普通はそんなことはしない。
なにせ駅からまっすぐに高校までの道は続いているのだから、そのまま直進すれば高校までの最短コースなのだ。
ただし、魔の交差点を通過すればの話なのだが
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M高前の魔の交差点、このウワサが出回り始めたのはいつのことだったか……少なくともここに踏切が出来てからの話なのは間違いないだろう。
午後6時20分、M高前の踏切は必ず閉まる。
それは電車のダイアグラムが正常でないほど正常な日本の優秀な駅員たちのなせるわざか、それともなにか不可思議のもつ性質のせいか。
いづれにせよ18:20という時刻は踏切が閉じて待つ人が溜まるタイミングなのだ。
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魔の踏切と言えど待ち時間はそれほどではない、せいぜいが5、6分踏切前で待たされるだけだ。
それだけの間、ただ待つだけでは魔の踏切などとは言われない。
実はこの踏切、特に午後6時20分の締め切り時間、ここには人を死に導く魔物が出る。というのが魔の踏切のウワサなのだ。
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M高で2年生だったとき僕は魔の踏切のウワサを聞いた。
18時20分限定というあまりにも限定された話で、どうせ誰かが気を引くためにつくった嘘だろうとその時は思った。
ある日、9月の前半だったろうか、文化祭の準備が大詰めになりクラスのまとめ役だった僕は文化祭当日の打ち合わせだったりなんだりで担任と話しているうちにいつもよりもだいぶ帰りが遅くなっていた。
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僕と共に先生との打ち合わせに出てくれた委員長を紳士よろしく駅まで送ろうと申し出たが、遅いから歩道橋のほうにまわり道する。と言われて結局歩道橋のたもとまで彼女を送って別れた。
いま思えば彼女は魔の踏切のウワサが怖かったのだろう。
自転車通学の僕と共に行けば踏切を通るほかないのだから
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かくして僕は自転車にも乗らずとぼとぼと踏切まで歩いて行った。
駅のホームで飽きもせず手を振ってくれる彼女をもっと見ていたかったのだ。
今となれば、さっさとチャリに乗って帰れ!と当時の自分に言いたいところだが、委員長の魅力には当時の僕では抗えないだろう。致し方ない。
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あの時の光景は夕暮れ時だったというのにビビットな色彩と共に覚えている。
カチ、カチ、と駅の時計の秒針が動く様が見えた。
それを見た瞬間、当時の僕はなんとはなしに焦りを感じ、自転車に飛び乗り踏切まで急いだ。
結局のところ無意識に恐れを感じていた通り18:20前に踏切を越えることはできなかった。
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カンカン、カンカン
締め切りが閉まる間近で僕は2番手に着いていた。
自転車通学の場合、どうしてもこの踏切を越さないと帰れない。
目の前に踏切待ちで並んでいるサラリーマン風の男はおもむろに新聞紙を取り出した。
踏切待ちの時間潰しに読んでいるのだろう、男はページを進めて熱心に読んでいる。
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自転車のハンドルにあごを掛けてダラダラと踏切が開くのを待っていると目の前の男がハッとした様子で向かいを見ると新聞をたたみまっすぐ向こうへ歩き出した。
僕は、やっと進むのかと思い。男につられるようにして、自転車を立ち漕ぎでひと回しした。
自転車通学で慣れ親しんだ感覚に従って歩行者の男を避けるように右に出た。なんの誤りもない当然の動きだと誤認していた。このときまでは。
「戻って!戻ってーー!」
無音になった踏切の中心でなぜか委員長の声が聞こえた。
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フッと意識が切り替わる感覚がしたと思うと、耳が痛くなるほどの警告音が聞こえた。
カンカン!カンカン!
気づけば僕はバーの閉まった踏切のど真ん中に自転車で躍り出ていた。
「あああっ!」
カンカン!カンカン!
踏切からの警報音が電車の接近を伝える。
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声にならない悲鳴をあげながら自転車のハンドルをがむしゃらに引く。
もつれる足に気を入れて、後ろへ!後ろへ!
なんとしても線路から出ないと!
「ぐううっ」
思うように動かない足を無理に動かそうとして上半身に力を込めた。
「うわあぁあ!」
急な動きについてこれなかった足がもつれてバランスを崩した。
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ズ、シャアァァァー
よろけたまま自転車の車輪が回り、海老のように滑り込む形で線路内から逃れ出た。
ガタン、ガタン!ガタン、ガタン
数十センチの目の前を電車が走り去る。
あやうくも引かれてミンチになるところを想像して僕は青ざめた。
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電車が過ぎ去り踏切のバーが上がる。
目の前に居たはずの新聞紙の男は影も形もいなくなっていた。
後日聞いた話だが、委員長は電車に乗ってから言いようのない不安を感じてカバンにつけた交通安全のお守りをギュッと握って『事故が起きませんように』と祈っていたらしい。
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M高校のウワサ
午後6時20分の踏切に死神が出るらしい。
人によってサラリーマンだったり自転車に乗った主婦だったりと差はあるものの、どれも新聞や本、携帯電話などを踏切の待ち時間に見ているらしい。
彼らの顔を見た人はいないが、昔に彼らに会って生き残った人が言うには笑い声がしていたらしい。
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電車に引かれ両脚を失い、切断面が熱を持ち、痛みが脳に伝わるその狭間で、ばかにするような笑い声が聞こえたらしい
作者春原 計都