中編5
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ストリート

ストリートミュージシャンの演奏を一曲まるまる聴いたことはあるかい?

僕はない。

同じく路上で漫才をやってる人もいる

僕はこれも積極的に聴きに行ったことはない

だって人気のある人はひとだかりに入るのが難しいし

そもそも客のついていない漫才はつまらなそうだ

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あの日も会社の近くで飲んだ帰り電車に揺られて自宅近くの駅を出た。駅の階段目の前すぐの銅像のある広場で漫才師の卵?がまばらなお客さんに向かって漫才を披露していた

たしか11時ごろだったかな

金曜日、会社の仲間と飲んで飲んでふらふらしながらも家への帰り道だけはかろうじて頭に残っていた

当時の僕は駅から徒歩15分ばかりのところに居を構えていた

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こんなに飲んで歩いて帰るのもなんだかなー、と思ってタクシーをさがしたが目の前のロータリーを走り去る一台を見つけたのを最後に待機しているタクシーは居なくなってしまった

まあ終電客目当てにまた集まってくるだろう

タクシーを待つ間の暇つぶしのつもりで漫才師たちのはしゃいだような声の聞こえる銅像の前まで歩き出した

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思ったよりアルコールが頭に回っていたのだろう

あと少しでまばらな人垣の一員になるというところでレンガ敷の舗装に足を取られもつれこんで転んでしまった

漫才のネタがピタッと止まり、わりと良く通る声で

「大丈夫ですかー?」と声をかけられた

まばらな聴衆もこちらに注目しているだろう

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ああ、こいつは恥ずかしい

彼らに背を向けるようにしゃがみながら「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と手をひらひらと振った

なんか恥かいちゃったし、もう歩いて帰ろうかな

手のひらについた砂利を落とそうとぱっぱっと手を払うと指に鋭い痛みを感じた

見ると右手の中指が少し切れている

手をついたときに切ったらしい

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はあ、楽しく飲んでいた時間に戻りたい

酔いが覚めた気分で膝小僧を払っていると

「あの、これ使って下さい」

となりからすっと絆創膏が差し出された

「あ、ありがとうございます」

少々驚きながら差し出された方を振り返ると

ボブカットにした今風のかわいい女の子がいた

年のころは大学生くらいだろう

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「ライブ見に来たんですか?」

そう尋ねられ一瞬なんのことか分からなかったが、ここのお笑い路上ライブのことだと気づく

「えー、いえ、そうなんです」

先ほどまで帰ろうとしていたこともあってどことなく気恥ずかしくなった

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「わたしもなんです。面白いですから一緒に見ましょう」

言いながら彼女は僕の手を取り絆創膏を巻いてくれた

サンリオのキャラクターが描かれたかわいらしい絆創膏に気恥ずかしさとなにかうれしさがあって素直に聴衆に混じることにした

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最初はチラチラと女の子を見ながら気もそぞろに漫才を聞いていたが、聞いているだけでも笑いどころがあり気がつけばのめり込むように漫才を聞いていた

「ありがとうございましたぁ!僕ら毎日ここで10時から12時までやってますんで、またよかったら来てください!」

漫才師の彼らが元気にあいさつをすると今夜のライブは終了となった

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スマホを見ると12時を少し過ぎていた

隣で笑っていた彼女はいつの間にかいない

まあまた会えるか、彼女はこの漫才コンビのファンに違いないのだから

ほどよく酔いが覚め、いつのまにかロータリーに溜まっていたタクシーをひろって気分良く帰路についた

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それから僕は彼らのトリコになってしまったようだ

次の日も、その次の日もなんとはなく外に出る理由をつけて駅前の銅像の前、彼らの漫才の聴衆の一員となっている

はじめは、また彼女に会えるかなという下心もあった

しかし今では純粋に漫才を聴きにやってきていた

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気がつけば、まばらだった聴衆は1人増え2人増えひとつの集団を作り上げていた

まさか自分がこういう人だかりの最前列に並ぶ1人になるとは思いもしなかった

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そんなある日花金で飲んだ帰り、いつものように彼らの漫才を楽しみにしながら電車に揺られて自宅近くの駅に着いた

レンガ敷に足を取られないように、よっ、ほっ、と掛け声をかけながら腿上げのように歩く姿は誰が見てもヤバい酔客だっただろう

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いつものように最前列に並び漫才を聞く、最後の演目はコント仕立てらしい

ツッコミ担当が金色のショートボブのカツラをかぶり、コントを始めた

そのコントは僕が評価するのもなんだが今までで一番の出来だった

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リアルな同棲生活のやり取りがコントになっていて、まるで本当のカップルのようなやり取りで、ボケの彼氏役に対する苛立ちやしたたかにサボるツッコミの彼女役の堂に入った彼氏彼女ぶりが笑いをさそった

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彼女にいいところを見せようと料理をしてヤクザの指詰めレベルで指を切ってしまう彼氏

慌てて彼氏の指にカットバンを貼る彼女だが、彼氏は貼られた絆創膏を見て

「プリンは嫌じゃ!シナモロールがええんじゃー!」と言ったところがオチのコントだったと思う

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オチに入ったとき笑いながらなんとはなしに視線を聴衆に泳がせた

最初の頃からは想像も出来ないような人だかりだ

ぐるりと囲んだ人だかりの奥、そこにはあれから一度も見なかったボブカットの彼女がいた

表情が「ほら、面白いでしょ」と自慢しているように見えた

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僕ははっとして、彼女に巻いてもらった絆創膏があった右手の中指を見た

すぐに彼女がいた方に向きなおったはずだがそこに彼女の姿はなかった

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漫才師の彼らはコントが当たってそこそこに売れたが、結局芸人の道はあきらめたようだ

というのも僕が最近よく行く居酒屋のオーナーがあのコンビのボケ担当なのだ

ツッコミ担当のほうは今は放送作家をしているらしい

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ある日僕は一番好きだったあのコントのことをオーナーのボケ担当に聞いてみた

「あー、なつかしいっすね。アレツッコミの方の元カノとの話がもとなんすよ」

聞いてみればツッコミ担当の彼は大学時代に同棲していた彼女がいたらしい。不安定な芸人を目指すにあたって自分を悪者にしながら泣く泣く別れたようだが、彼女は最後まで彼を信じていたらしい

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「風の噂で彼女が亡くなったって聞いて、泣きながら、時々自分で書いたギャグで笑いながら鬼気迫る勢いで書き上げてたコントだったんすよ。いやー、アレを覚えててくれたのはホントうれしいっすわ」

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右手の中指に彼女が巻いてくれたシナモロールの絆創膏は当然もう無い。とりあえずオーナーも飲んでよ。

「ツッコミの元カノに乾杯!」

「あざっす!乾杯!」

彼はもう芸人じゃないけど、彼女は多分もういないんだけど

彼女の信じた才能はやっぱり本物で、いまも彼は頑張ってるよ

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そんなことを考えてる自分も、今はまた「ああ、こいつは恥ずかしい」と思って昔に戻って泣きそうになった

Concrete
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@あんみつ姫 様
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