これは私、科茂富介(かもち・とみすけ)の体験した話。
私は福祉の大学で学んで国家試験に合格したが、いわゆる高齢者福祉施設に勤めて見ると、介護職員と同じかそれ以上の仕事をこなす現実に直面する。
送迎や食事の際の介助、訪問看護への同行に、申請手続きに加えて不規則な勤務時間も手伝って、極端な体重増減を繰り返しながらも、親から貰った丈夫な身体の御蔭で、軽い風邪を引いた以外は精神的にやられもせずに、或る意味図太く来てしまった。
幸い先輩職員からの陰口は無いが、昔ヤンチャしていたと言う八梁(やつやな)なる目付きの鋭い職員だけは苦手だった。
あっちもあっちで、糞真面目でユーモアの取り柄も無い私を避けてくれている様で、或る意味では助かってもいる。
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先輩職員より夜礼の引き継ぎが有る。
「薔薇通りの個室の米滝(よねたき)さん、徘徊の危険性が有るので見回りの際に注意願います。秋桜(コスモス)通りの曽根松さん、竹沢さん………」
「それと、見回りでちょっと」
如何にも気怠そうに挙手する八梁さん、私は変な予感に警戒しながら彼女を見る。
「おいトミーちゃんよ、嫌な顔すんなよ。見回りに関して大事な話なんだぜ」
「済みません、大事な話だからこそこんな顔になりまして」
「分かった分かった。怖がらせる話になり兼ねないから良く聴けよ。いや、怖くないっちゃ怖くな………」
「八梁君?」
先輩職員のギチリと一瞬締め上げる様な制止の声を聞いて、慌てて「行っけねー」と言う感じになる八梁さん、後で話を聴く事にして夜礼は終わる。
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共に夜勤となる先輩職員の冴崎さんと共に、私は八梁さんの案内を受ける事になる。
八梁さんは不本意そうな顔をしながらも、小上がりの畳敷きの部屋を指差す。
「此処の部屋は日中皆が使ってるよな。そんで今は誰も使っちゃいないのも分かるな。で、たまに出るってのか居るんだよ」
「夜寝られないか、認知症の方(かた)ですか」
「だったら良いんだけどよ、出るんだよな」
ニヒヒと煙草のヤニで黄ばんだ歯を見せる八梁さんだが、私のポヘーとした表情に、拍子抜けした様である。
「トミー、乗り悪いぜ」
「八梁さん、怖がらせたいのか説明したいのかどっちかな」
冴崎さんが制止してくれて、面白くなさそうな顔で「せいぜい頑張れよ」と結局ペタコペタコと踵(きびす)を返す八梁さん。悪く言えば構ってちゃんか、帰宅しても面白く無いから、シフト上の時間を過ぎても勤務先にベッタリと居座るのだろう。
私は私で、今迄その手の存在を見た事も無い為、ワクワクしていないと言えば嘘になる。怖いと言えば怖いが、人間の闇の方で嫌なものも見ているので、現実の方が強いて言えば怖い。
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夜更け、私の見回りの番が来る。
大時計の振り子が「カッコン、カッコン」と鳴りながら、闇夜で不気味に響く時報を定期的に知らせる。
入居者の徘徊も今回は無く、大部屋の利用者さんも個室の利用者さんも、寝ているかラジオを聴いているか、本を読んでいるか………おや、菅間(すがま)さんが用を足して部屋に戻ったのが見えた。
「ゴーン、ゴーン」と大時計が2:00を知らせ、私は眠い目をこすりながら、問題の小上がりの畳部屋を見る。
「ぉうっ!!」
一瞬後ろに引っ張られる感じで転倒しそうになるも踏ん張り、手探りでスイッチを見付けてパチリと押す。
────私の見間違いでは無かった。御爺さんが居た。
/~あれ、又五郎が~、ボヤいてる~っ♪チンチロチンチロ、オイチョカブ~っ♪
歌を唄っている。しかも童謡の替え歌である。
「………?」
歌を止めて、爺さんは私の方を見る。
言い方としてはおかしいが、あの幽霊特有の青白さが無い。むしろ血色(けっしょく)の良い、ピンピンしていて元気そのものな感じである。異質だ。
「あんた誰?」
爺さんから口を開いた。
「あっ、初めまして………私、科茂って言いまして………」
「岡持みたいな響きだな。知ってっか、出前の………」
何だかすっ飛んだ物言いが八梁さんに重なり、「関わって不味かったかも知れない」と私は一瞬後悔する。
爺さんが、
「何だよ~、参ったって顔すんなよ~」
と悲しげに私に近付いて、顔を覗き込もうとする………が、
「科茂君、大丈夫?」
ハっと私が振り向くと冴崎さんが立っており、「うー」と不満そうな声が響く。
「あっ、済みません………独り言を………」
私は信じて貰えないだろうと先回りしてしまう。だが、
「見えたよ、私にも。嘘は行けない」
と冴崎さんは意外な言葉を口にする。
既に爺さんの姿は無く、誰も居ない畳部屋を、煌々(こうこう)と蛍光灯が照らしている。
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「昨夜、信じられないかもですが、出ました」
冴崎さんが朝礼の引き継ぎで、他の職員に話している。
「証人は私と、科茂さん。科茂さんに至りましては会話しておりました」
「おー」と驚きの声が上がりつつも、むしろ徘徊者が居ない昨夜の現状の方が珍しい様である。
「おはよーっス」
ズカズカと八梁さんが出勤前なのに事務室に入って来る。何だか様子がおかしい。
顔にちびっこの掌(てのひら)位の絆創膏を貼っている。
「御早う御座います」
一応、朝礼の最中ながら私は挨拶を返して再開された引き継ぎで必要事項に言及する。
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昨夜の帰宅後に、遅い晩酌をしようとして、酒壜(さかびん)を取ろうと手を伸ばした際に、急に壜が八梁さんに頭突きをする格好で飛んで来て、砕けた破片で頬を切ったのだと言う。
私は話すのも気が引けたが、その変な現象が起きた時間を訊く。
「2:00過ぎだよ。こんなんじゃ酒も飲めねェからフツーにクルマで来たけどさ。なァトミー、あんたこそ、普段避ける癖して嫌々訊いて来たんだから理由が有んだろ」
無意識に煙草を吸おうとして、喫煙所で無いと気付いた八梁さんが、忌々(いまいま)しそうに手元を睨み付ける。
「先程も話しましたが、出た時間なモンで」
「………そうかよ。見た時間だったんだな。分かった」
胸ぐらを掴み上げられるだろう覚悟も有った為、業務に素直に戻る八梁さんの背中は意外性を帯びていた。
/~ポックリさ~ん、ポックリさ~ん、御手を拝借、ポックリさ~ん、ポックリさ~ん、今日は左っ♪連れてかないで、茶化しましょっ♪苦手な相手を茶化しましょっ♪
「………?」
カセットテープや古いラジオ、若しくはレコードから流れる、児童合唱団の様な子どもの集まりが綺麗に歌う様な、少し雑音が混じる感じの独特な歌声が聞こえる気がする。
歌が終わった直後に、大時計が9:30を差して半時を知らせる。
「科茂君、御疲れ様。一旦上がって休もう」
冴崎さんが声を掛けてくれて、我に返った私は返事をして共に日差しが穏やかに照らす玄関に向かう。
作者芝阪雁茂
何故か風呂に入っている際に思い付いた話を。
ちなみに、著者は福祉の大学は出ましたが別な職業に就いております(蛇足ながら国家試験にも落ちた)。
然し、スムーズに序盤(?)で三つの御題が組み込めたのには驚いたな………
もう少し爺さんとのやり取りを続けたり、童謡の替え歌を増やしても良かったかもと思うのと、続篇と銘打たれながら、舞台も主人公も異なっているので、単体で読んでも大丈夫な中身でもあります。