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長編10
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太陽

「コチラ無人探査機『イカロス』、太陽ノ周回軌道ヲ巡回中。直径ニシテ10メートル、太陽ノ巨大化ヲ測定。我々ノ計画ハ、順調ニ進ンデイマス」

無線を通して聞こえる機械の声に、S教授はひと安心といった様子でふわふわと宇宙船内を泳いだ。次世代エネルギー問題の解決へと飛躍を遂げる、我々の計画はひとまず成功といったところだ。

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時は令和を元号表の隅へと追いやり、西暦の桁はついに5桁に突入した途轍もなく未来の話。我々の主なエネルギー源は、他でもない太陽になっていた。

石油や石炭といったこれまでのエネルギー源はとうに枯れ果て、最後の頼みとなったのは、地球の半分を煌々と照らしてくれる、空に浮かぶ太陽だった。

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その太陽から特殊な方法でエネルギーを取り出し、地球へと輸送するシステムが現実のものとなったのはつい最近であり、その成功は太陽の超高熱や強力な引力を克服した、次世代探査機の誕生を意味する。無人探査機『イカロス』はその代表的なものであり、我々の計画の、文字通り「一翼」を担ってくれている。

「それにしても、いつ聞いても物騒な名前ですよね」

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宇宙船内を嬉しそうに平泳ぎする部下のMは、のんびりした口調でそう言った。彼は無人探査機の名前がイカロスであることについて言っているらしい。

「イカロス」とはギリシア神話に登場する人物であり、蜜蝋で固めた翼によって自由自在に飛翔できたが、高く飛べるという慢心のあまりに太陽に接近し過ぎたことで、蝋が溶けて翼がなくなり墜落して死を迎えた。

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彼は人類の無謀さや傲慢さの象徴として知られているが、一方で人類の飽くなき探究心や勇気を讃えるという意味の評価もできる。

S教授はMの気だるそうな声を一喝して、後者の考えを説いた。無人探査機『イカロス』は人類のテクノロジーが生み出した最高傑作であり、我々を含めた技術者や科学者の勇気の結晶なのである。

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そんな我々の最も無謀な挑戦といえば、紛れもなく「太陽の巨大化」であった。いくら大きな太陽とはいえ無限にエネルギーを搾取することはできない。そこでエネルギーの供給量を増やすために考えられたのが、エネルギー源である太陽そのものを大きくするという単純なものだった。

我々は何千年にも及ぶ先代の知識を総動員し、『イカロス』にかけた時間の倍以上を太陽の巨大化へと注力した。

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そしてそれは昨今身を結んだ。今では空に浮かぶ太陽は、日々少しずつではあるが大きくなっている。また、太陽の巨大化における問題として、重力の超引力化も克服した。巨大化とはつまり質量の増加であり、質量の増加はそのまま引力の増加となる。そのため従来の地球の公転軌道ではあっという間に太陽に飲み込まれてしまうので、それも修正した。

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軌道修正には莫大な労力とエネルギーが必要で、地球と月は救えても、他の惑星は諦めざるを得なかった。つまり地球よりも太陽に近い水星や金星は、今では跡形もなく消えてしまっていた。

しかし、それらの惑星を犠牲にしてでも、次世代エネルギー問題は解決しなければならなかった。我々には何よりも優先すべき、重大な任務が課されていたのだ。

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この時、かのアインシュタイン博士が言った通りに、人類は第三次世界大戦で地球上のすべての文明を失った。地球は原始時代の姿へと逆戻りし、人類で初めて宇宙へと飛び出した偉人ガガーリンの「地球は青かった」という言葉も、今では意味が違ってしまっている。

賢明で権力のある一部の人間だけが、抱えられるだけの文明を持って宇宙空間へと逃げてきた。S教授もそのうちの一人で、地球に残された彼の家族たちは、今はもうどうなっているのかわからない。

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生き残った人類の新たな住居は宇宙船であり、事実上地球では人類は絶滅したといえる。それでも水星や金星のように地球を太陽の炎に飲ませなかったのは、我々の地球に対するせめてもの贖罪であった。

地球は人類さえいなければこのような姿にはならなかった。あらゆる自然は消滅し、石炭や石油の枯渇についても、使い果たしたのではなく、核兵器によって地球の表面が資源もろとも削り取られたからであった。

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ぼろぼろの地球を救うためには、天文学的な量のエネルギーが必要だった。宇宙空間での生活にもそれは要するが、我々が心身を削ってエネルギー問題に取り組んできた真の目的は人類のためではなく、人類の母なる地球のためである。

時々調査のために降り立つ地球はもはやこの世のものではなく、いなくなった人間の代わりに訳の分からない生物たちが所狭しと生息していた。

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そんな荒れ果てた地球の一画に、地球再生研究所と称した巨大な街を建設した。人類のいない地球にそれでも新たな文明を作り上げたのは、またいつの日かあの青い地球を見たいという気持ちがあったから。宇宙船だけでなく地球にもエネルギーを供給しているのは、人類の罪に対する意識、そして捨てきれぬ夢や希望の表れであった。

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順調に規模を広げていく街から見上げる空は、あの頃とは地球の表面を占める空気の成分が変わっているためかピンク色だった。それでも太陽は、相変わらず、いや以前にも増して煌々と我々を照らし続けてくれている。

S教授は敷地の外から聞こえる得体の知れない猛獣の声を聞きながら、宇宙服の酸素マスク越しに見る太陽の光に奮い立っていた。

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いつの日かこの手で地球を救ってみせるぞ。彼はそう決意して、太陽に向かって高々と手を挙げた。

自らの手で地球を滅した人類にとって、太陽だけが、地球を元の青い星に蘇らせるための唯一の救いであった。

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それからというもの、日に日に太陽は体積を増し、宇宙船内の彼らにエネルギーと光を供給してくれた。また地球の再生計画も、わずかではあるが樹木の種子を手に入れることができ、待ち望んだ緑化への目処がたった。

「どうやら、これでしばらくは安泰のようですね」

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部下のMはどこまでも楽天家だ。彼は心に余裕ができたのか、地球に置いてきた家族のことを思い出して涙ぐんでいた。

ここのところ乗組員に危機感が足らないことはS教授自身も否めなかった。宇宙船で地球を飛び出した当初は、誰もが家族を気にかける余裕なんてなかった。

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しかし、Mの言うことはある意味で正しかった。我々の計画は、見事なまでに順調に進んでいた。

このまま太陽を大きくしてより多くのエネルギーを得られれば、地球どころか他の惑星だって…。そのような考えを、S教授を含めこの船に乗る誰もが抱きはじめていた。

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思えば彼らは、世界がまだ元の形だった頃から常に貪欲に前に進んできた者たちだ。技術者や科学者の彼らはそれぞれの業界で成功を収めてきた者たちであり、そして人というのはどんな環境に晒されようと本質の部分は変わらない。

いや、その環境が厳しければ厳しいほど、その本質は確固としたものになっていく。そして環境が一転して緊張が緩和されれば、人の本性は穏やかになるどころかさらに激しさを増す。

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足りない。もっと欲しい。安泰を手に入れてもなお激しい欲望が渦を巻き始める。この時から宇宙船の中では以前の一致団結とした雰囲気から、各々がより成果を上げるための殺伐としたものへと変わりつつあった。

しかし彼らはみな、向いている方向は同じであった。地球を蘇らせるという目的は、誰一人見失っていない。

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だからS教授は、今のままでいいのだと思った。殺伐そうに見える、今がいちばん安泰なのだ。強制される団結力ほど、集団の和を乱すものはない。我々が尽力すべきなのは、1日でも早く地球を復興させることだ。

そして彼らはこれまで以上に力を入れて取り組んだ。太陽は当初の予定していた大きさを越えようとしていたが、より大きなエネルギーを求めて巨大化を継続させた。

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しかしある日、窓から見える地球が少しずつ青を取り戻してきた頃、彼らの乗る宇宙船を大量の礫が叩き始めた。慌てて外の様子を確認すると、宇宙ゴミともいえる大小さまざまな隕石の破片や塵が、みな太陽に向かって走っているではないか。

乗組員は口々に何かを言い、個々バラバラに動揺し始めた。このような緊急事態でこそ集団の団結力がモノをいうが、この時の彼らに統率などあってないようなものだった。

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そのうちに礫に混じって船体よりも大きい隕石がそれなりのスピードで向かってきた。たちまち船は凹凸だらけになり、操縦士たちはパニックになって互いに罪をなすり合った。

ついには地球大の惑星までが太陽に引き寄せられて通過していった。そこでやっと彼らは、重大なミスをおかしたことに気づいた。

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太陽は、大きくなりすぎたのだ。限界を知らぬ成長する巨大な球体は、莫大な質量とともに、これまで以上の超引力を手に入れた。

まるで宇宙という海底に地引網を引いているように、太陽は次々に周りの星を吸収して膨張していった。その中にはもちろん、地球も含まれている。

無人探査機『イカロス』も当然のように無線がつながらない。

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我々はありったけのエネルギーを使って、出力を最大に何とか太陽から離れようと試みた。

さすがは太陽光エネルギー、もとい"太陽"エネルギー。それと人類の叡智が合わさって、太陽の超引力に負けることなくあっという間に距離を引き離した。

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それでも、地球に供給した分のエネルギーが惜しかった。地球はせっかく貯めたエネルギーもろとも、いとも簡単に太陽に吸い込まれていった。その分があれば、あと何光年もの距離を太陽から逃れることができただろうか。

S教授がそんな心ない後悔をしていると、刺すような閃光が突然に窓を突き抜けて船内を照らした。

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彼は、この時何が起こったのかわかってしまった。同時に、なぜその可能性があることに気づかなかったのかと唇を噛んだ。

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超新星爆発。

本来の太陽の大きさならこのような現象は起こらないはずだった。しかし従来の30倍ほどにも膨らんだこの時の太陽は、十分にその資格を得ていた。

超新星爆発とはひとつの巨大な星の死である。その死はもはや星としての形を維持できないほどの重力を生み出し、中心に向かって永久に縮み続ける。

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そしてこの超新星爆発から生じるのは、光をも飲み込むブラックホールである。そこではあらゆる物理法則は意味をなさない。ましてや人類の築きあげてきた努力なんて、その中では宇宙ゴミとなんら変わりない。

はじめて目の当たりにしたそれを見た時、大きな魚の目だと、宇宙船の彼らは思った。それならば太陽は、その目の主である巨大な提灯鮟鱇が用意した擬似餌なのだと、気をおかしくした誰かが言った。

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我々を照らし続けてくれたのは、虎視眈々と地球の破滅を願う、宇宙の底に住み着く怪物の罠だった。

「結局、俺たちはイカロスだったわけだ」

それも、馬鹿で無謀なイカロス。刻々と変わっていく窓外の景色を見て、Mは吐き捨てるようにそう言った。そしてどうにでもなれとでもいうように、乱暴な動作で床に横たわった。

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この時、S教授らを乗せた宇宙船は、最大出力むなしく魚の目のようなブラックホールに傾きつつあった。いや、傾くなんてものではない。それは常軌を逸したスピードで、せっかく稼いだ距離を一瞬にして後戻りさせられた。

我々がたどり着くのは、どこなのだろうか。宇宙の果てなんて聞こえはいいが、我々の行先にはもう、希望も光も、何もない。

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S教授もまた、力無く床に倒れ込んだ。この時初めて、重力というものを宇宙船内で体感した。すでに一帯の物理法則はおかしくなってきていて、それでも彼は体に感じる重みをひどく懐かしく感じていた。

我々の勇気は、そもそも戦争を防ぐために利用されるべきだった。我々のテクノロジーは、地球を救うのではなく、守るために活用されるべきだった。

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ああ、私たちは馬鹿なイカロスだ。S教授は先程の部下の言葉を穏やかな声で反芻した。

彼の声に対する誰かの返事は聞こえなかった。すべてが無に帰された静かな空間で、散々夢を託してきたあの機械の声を、彼は最期に思い出した。

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そして、西暦という時間の概念が6桁に突入した頃。太陽の消えた宇宙空間に、ある時突如として穴が開いた。

また、そこから吐き出される何かがあった。

それは、あの頃の姿をそのままにした、無人探査機『イカロス』であった。

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"彼"は燃え尽きることも落ちることもなく、もう人類の夢の一翼を担うこともなく、一塊の宇宙ゴミと一緒に漂っていた。

時折苦しそうに漏れるノイズは、真空の宇宙空間でそれでも声となって何かを伝えていた。

「…コチラ無人探査機『イカロス』、…我々ノ計画ハ…、順調ニ進ンデイマス…」

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彼を吐き出した空間の裂け目は高温で高密度な点であった。それは瞬く間に膨張し、新しい星の原点を作り出した。

いわゆるビックバンと同じ原理で、新たな太陽系が誕生した。その太陽系の中で新品の地球は、46億年の、すでに一度歩かれた同じ歴史を辿って今に至った。そうして人類は宇宙の循環に気づかずに、未来永劫同じ過ちを繰り返すことになる。

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ある馬鹿な青年は、照りつける太陽の下を歩きながらこう思う。

「いつか空を飛べたらなあ」

地に足がつくことの有り難みに気づかない限り、彼が空を飛べることは絶対にないだろう。

空ばかり見上げる彼の未来には、希望も光も、何もない。

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お天道様は快晴の笑顔で、今日も人間たちを笑っている。

太陽の周りを『イカロス』は、翼を失った今も、飛び続けている。

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