中編7
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雨女

これは、私が関西のとある繁華街で体験した話です。

関西に住む旧友に会うため、昼過ぎの飛行機に乗り、電車を乗り継いでようやく目的地に辿り着いた時には時計は16時を回っていたと思います。

私達は数年ぶりの再会を懐かしみ、夜遅くまで酒を飲み交わしました。

昔話に花を咲かせていると、気が付けば時刻は午前零時を回っています。

移動の疲れもあったので、今日はこの辺にしといて明日また遊ぼうということになりました。

友人は当時、彼女と同棲していたので、私はビジネスホテルを予約していました。友人は、気にせず泊まれよ。と言ってくれたのですが、さすがに気を使うというか、野暮だなと思ったんです。

私は友人と別れ、駅の近くのビジネスホテルへと向かいました。

夜も遅いというのに街はまだまだ活気があり、とても賑やかでした。

地図を頼りに路地に入ると、そこはラブホテル街でした。

ピンクや紫の下品なネオン看板が連なっています。

さらに歩みを進めると、やがてラブホテルの看板も見かけなくなり、突然別世界のように、古びた木造の民家や蔦の絡んだ廃屋が現れました。

そしてその一角に予約していたビジネスホテルがありました。少し躊躇してしまうような薄暗く人気の無い場所に忽然と現れたそのホテルは、建物こそ新しくて綺麗なのですが、周りの雰囲気とのアンバランスさが逆に不気味さを引き立てていました。

値段で選んだのが間違いだったかな…

と、少し後悔しながら受付に進み、事務的なやりとりをして鍵を受け取り、部屋のある7階へ向かいました。

外から見ると不気味でしたが、なんて事はない綺麗な部屋でした。掃除も行き届いているし、Wi-Fiも繋がるし、広さも1人で泊まるには申し分ありません。

私は1日の疲れと汚れを落とそうとシャワーを浴び、明日の準備を済ませてベッドに入りました。

目が覚めたのは3時過ぎでした。

私は時計を見て

「変な時間に目が覚めたなぁ」

と思いました。普段、夜中に目を覚ます事のない私ですが、きっと知らない土地とか、久しぶりに友人に会った事で興奮して熟睡できなかったんだろうと思い、おもむろに携帯を開きました。

携帯の画面の明かりで手元がぼんやりと浮かび上がりました。

しばらく携帯をいじっていると、また眠くなってきたので、トイレに行ってからもう一回寝ようと思い、携帯の明かりを頼りにトイレに向かおうと立ち上がりました。

(私は普段、部屋を真っ暗にして就寝します)

そこで私はある違和感に気付きました。

目を覚ましてからしばらく経つのに、暗闇に全く目が慣れないのです。

携帯を見ていたからと言うのもあるでしょうが、それにしても、携帯の明かりで映し出されている範囲以外が真っ暗なんです。

普通、例えば携帯で手元を照らしていたとしても、ぼんやりと足元やその先まで見えますよね。

それが、携帯の灯りの届く範囲がやたら狭いんです。

それに、もう一つ気づいたことが…

カーテンが開いてるんです。

カーテンを閉め忘れて寝てしまったのですが、カーテンが開いているのに外の光が入ってこないんです。もちろん場所的に夜でも明るい所ではありません。

しかし、目と鼻の先には繁華街やラブホテル街もありますし、月明かりだってあるはずです。

地下室ならいざ知らず、7階の部屋にそんな光が届かないわけがありません。

私は背筋に寒いものを感じて、部屋の明かりをつけようとスイッチを探しました。

でも、どうしてもスイッチが見つからないんです。

と言うより、怖すぎて動けないんです。

極度の怖がりとか、その状況に腰が抜けてしまったなんて事ではありません。

「怖い」「辛い」「悲しい」「嫌だ」

という、負の感情が一気に流れ込んできて、なぜか立ち上がって行動するという気になれなかったんです。

そんな状態で、どうにか状況を飲み込もうと部屋の中に目を凝らしていると、またある事に気が付いてしまいました。

携帯の明かりでうっすらと浮かび上がっていた範囲…とても狭く心細くも、ただ唯一見えていたその範囲が明らかに小さくなっているんです。

つまり、闇が徐々に迫ってきているんです。

携帯は光っているはずなのに、その四角い画面以外がすーーっと暗くなっていくんです。

それと同時に私の中の恐怖や絶望的な感情も大きくなり、やがて涙や鼻水さえ出てきました。

大人になってからあんなに泣いたのはあれが最初で最後です。とにかく理由もなく怖くて悲しくて辛いんです。

部屋は完全な闇に包まれました。いくら目を凝らしても自分の手のひらさえ見えません。

私は耐えられず、携帯を閉じて布団の中に潜り込み、ガタガタと震えながら泣きました。

どのくらいそうしていたでしょう。

私はようやく落ち着きを取り戻し、布団の隙間から恐る恐る部屋の様子を伺いました。

部屋は真っ暗なままでした。

「なんなんだよこれ…」

ともう一度布団に潜ろうと思った次の瞬間、突然シャワーの音が聞こえました。

確実に私の部屋のシャワーです。

「勘弁してくれ…」

私は今度は、単純に恐怖で泣き出しそうになりました。

シャーーという音は徐々に大きくなっていきます。

やめろ、やめろと念じていると

ガチャと、部屋のドアが開く音がしました。

入口のドアではなく、部屋に繋がる内扉です。

そして、それと同時にシャワーの音は一層強くなりました。

そこで私は、あっと思いました。

これはシャワーの音じゃない。雨音だ。と。

しかし外は雨は降っていません。明日まで快晴の予報です。

つまり、部屋の中で雨が降ってるんです。

そんな馬鹿な…と思って、見なきゃいいのに私はまたゆっくりと布団の隙間から外を覗きました。

真っ黒な空間の中に、人が立っていました。

真っ暗ですがそれだけははっきりとわかりました。

その人だけが暗闇の中に貼り付けたようにくっきりと浮かんでいるんです。

黒い傘を差した女でした。

濡れた長い髪に、ピンク色のコートを着た若い女。

私は思わず声を上げそうになりました。

女は私に気付いているのかいないのか、傘を差したまま一点をじーっと見つめていました。

私はどうすることもできず、ただ目を閉じてやり過ごそうと耳を塞いで布団の中でうずくまりました。

その状態が数分続いたでしょうが、布団の外から

あ…う……うう…

と言う、悲しげな泣き声が聴こえてきました。

耳を塞いでいるはずなのに、それでもしっかり聴こえました。

どう言うわけか、私はその時

可哀想な女性なんだな。」

と、少し同情してしまったんです。

しかし次の瞬間、女は信じられない程の声量で泣き始めたんです。

確かに人間の女性の泣き声ではあるんですが、それがとても不快な、神経に直接響くような、サイレンのような泣き声なんです。耳を塞ごうが、布団にくるまろうがお構いなしに響いて、私はたまらず布団から飛び出して部屋から逃げ出そうと思いました。

勢いよく飛び出して、泣き叫ぶ女に目もくれず、真っ暗な部屋を手探りで、色んなものにぶつかりながらようやく入り口へ内扉を見つけて、さらにその先の入り口の扉に手をかけた所で突然手を掴まれました。

勢いがついていたところを掴まれ、さらに凄い力で引っ張られたので私は転びそうになり、体勢を立て直そうとそのまま腕を振り払って慌てて振り返りました。

目の前には顔をぐしゃぐしゃにして笑いながら抱きついてくる女がいました。

私はそのまま女に抱きつかれ、動けなくなり、叫ぼうにも恐怖で声が出ず、女の肌の冷たさと恐怖でガタガタと震えが止まらず、そしてまたあの負の感情が心に流れ込んできました。

今度はさっきの比ではなく

「死にたい」「殺したい」「いなくなれ」

という、さらに暗い感情でした。

このまま俺はこの女に殺されるんだ。

この女と一緒にここで楽になるんだ。

あいつを殺して死ぬんだ。

みんな殺してやる。

そう思った時

「俺はなんて事考えてるんだ」

と我に返り、後ろ手でどうにか入り口の扉を開け、後ろ向きに倒れながら部屋の外に出ることが出来ました。

部屋から出た途端、女は消えていて、廊下の明かりで照らされた室内は元の明るさに戻っていました。

とは言えもうこの部屋には戻れません。

私はフロントまで降り、受付のスタッフに

「部屋を変えてほしい」

と伝え、迷惑そうな顔をされながらも、なんとか空いてる部屋を手配してもらいました。

ネットで調べても特別事件らしい事件も、事故もありませんでした。

翌日、友人にこの話をすると

「夢だろ夢。」

と、笑い飛ばされてしまいました。

夢だったらどれ程よかったか。

大雨が降ると、たまに人混みや路地や木陰に、ピンクのコートの女が立っている事があるんです。

もしかしたらあのホテルのあの部屋にいた霊ではなく、私がどこかで連れてきてしまった霊なのかもしれません。

みなさんも、知らず知らずのうちに何か良くないものを連れてきてしまっているかもしれないので、お気をつけください。

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