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中編3
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弥生三月、不安の渦中

「いや、胸が痛むね」

「どうしたよ急に」

クイと酒を軽く呑み込んでから、マスクを着け直した私、岩間祐亮(いわま・ゆうすけ)は同僚の片瀬博務(かたせ・ひろむ)に訊く。

新型ウイルス蔓延の中で、少々規制が緩和された為、久方振りに軽く飲む約束を果たす事が出来た。

「新型ウイルスの所為でよ、生徒諸氏が卒業式で合唱すら出来ねェって話だよ。そんでよ、ソビエトがウクライナに攻め込んで、犠牲者なんて居ないって嘘八百言いやがる奴よ。爆弾なんかで子どもを殺して置きながら、ウオッカを煽っての演説か………」

「おいおい、黙食(もくしょく)って書いてるから不味いよ。ロシアなのにソビエト呼びも、更に怒られ兼ねないって。気持ちは痛い程分かるけどね」

段々とヒートアップする片瀬をなだめつつ、既に7年近く前になる、北朝鮮のミサイル発射に伴う警戒アラートにゾっとした当時と同じ様な、漠然とした不安を、私も抱いている。

チラっとTVで何が放送されているかを観るも、タレントが歌の上手さを競う中身で、上手いのだがそれ迄でしか無い歌声が、スピーカーから響く。

*********************

数日後、私は親や親戚と共に、松五郎爺さんとウメ婆さんの居なくなった家の片付けに来ていた。

相次いで亡くなり、生前彼等の過ごした場所はウイルス禍も有って、手入れこそ伯母等がしてくれているものの、誰彼が泊まりがけで利用するとは、なっていなかったのである。

「このノート、何じゃこりゃ」

従兄が見慣れないノートを見付けて来る。

パラパラめくると、どうやら日記の様だ。

殴り書きと言うか、そこそこ読める文字で何やらズラズラ書き連(つら)ねられている。

『某月某日、マグロを売るなという。原爆マグロという騒ぎが起きて、別な魚で代用せざるを得ず』

「原爆の悲劇と言えば、昭和20年だが………」

それと無く、知らない顔をして私が天井を向くと案の定、従兄が喰い付いて来る。

「乗組員と一緒に海で死の灰を浴びたマグロか。1954(昭和29)年の3月1日未明に、ビキニ環礁でアメリカが水爆実験をして、マグロを捕ってた第五福竜丸が巻き込まれて乗組員が死の灰を浴びた悲劇だ」

「あんた達、その手の話題で熱くなるのやめなさいよ。早く片付けないと。でも婆さん、確か魚屋で働いてもいたから、その時に書いたのかね………って祐亮、今何か喋ったかい」

「いいや」

私が無知な振りをする餌を取り付けた釣糸を垂らして、そこに従兄が喰い付いて来る流れを楽しんでいたのを見透かして呆れたか、お袋がブー垂れながら片付けの再開を促(うなが)した後ろで、すうっと白い影か靄(モヤ)みたいなものがこちらを見て、消えた気がした。

日記を見られた婆さんが何か言おうとして、爺さんに「読まれたくなきゃ処分すべきだったのでは」なんて、たしなめられたのかも知れない。

────学生時代に彼等の家で何年か置きに過ごした、御彼岸も近付きつつある陽気の中、私は再び片付けの手を動かし始めた。

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