S県O市の郊外、街の中心地から十キロほど離れたところに、市の一端を埋め尽くすように森林地帯が広がっている。ここ数日続いている八月の猛暑日に耐えながら、そこで草木たちは青々と茂っている。
その一帯の標高は森林限界の遥か下、決して高くない。しかし、地面を覆いかぶさるような広葉樹の林冠のせいか、太陽の光が届かない地表の気温は、険しい山の頂のように驚くほど低い。
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森林の景観を成すのは太陽の光を勝ち取った高木ばかりである。それらは大地にしつこく根を張り、根が地中の水分を蓄えてしまうためか、または浸水性の高い腐葉土のせいか、辺りには細い川のひとつすら流れていない。
唯一航空写真で確認できるのは、まるで大きなミミズが行進してつくったような、未舗装の林道の「線」のみだが、もうひとつ、目を凝らしてみると、その先に灰色の「点」のようなものが見える。
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その点の正体は、高層ビルさながらの高さをもってそびえ立つ、森の上に無理やり突き刺したような円柱状の建物である。それは上部にいくにしたがってわずかにしぼんでいるようにも見えるので、塔といえるのかもしれない。
一見してその建物の外観は「森の灯台」というにふさわしいが、よく見ると、特に内部はというと、一般的なビルや塔とは全く違っている。
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まず、その建物には窓がない。せっかく木々を出し抜くほどの高さがあるのに、太陽を無視するかのような鉄筋コンクリートの壁が周りの緑と馴染まない、しかし、決して目立たない灰色で存在している。
灰色、といっても薄汚れた結果の色ではなく、まだ建てられて何年も経っていないことがわかるくらいに鮮やかなものである。
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その灰色は、まさに鮮やかな灰色なのである。
この建物についての情報は地元の住民すら把握できていない。建物の存在自体があやふやなグレーである一方、決して関わってはいけないと思わせるようなよからぬ雰囲気は鮮明に漂わせている。
そしてその危なげな雰囲気は、内部でより一層濃くなっている。
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円筒形の建物の内部には、その円の直径にようやく収まるくらいの立方体の部屋が垂直に並んでいる。それぞれの部屋は上下の階へと続く螺旋階段で結ばれていて、その階段は部屋の出入り口の扉のすぐ目の前にある。
部屋や階段の蛍光灯は窓がないにもかかわらず不十分な光しか与えず、そのため内部は常に黄昏時の空のように薄暗い。建物の新しめの外観から考えると、電灯の寿命というよりは誰かがわざとそうしたとしか思えない。
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立方体の部屋は、決して大きくはない。しかし、その建物は高さはあるものの、体積は小さい。
つまり、円の直径といえる建物の幅は狭く、ゆえに部屋はたいして大きくなくても、ひとつの部屋それ自体が各階層を成している。
部屋以外の唯一の要素である螺旋階段が、デパートのエレベーターの付近にある非常用階段のような付属品としての印象をもつのも、ひとえに垂直に並ぶ部屋の割合が、建物内のほとんどを占めているからである。
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部屋の数は、全部で七つである。
すなわち、窓がないため外観では判別しにくいが、この建物は七階建てのビルに相当する。であれば、最上階までの移動を階段のみで行うにはあまりにも酷であり、螺旋階段よりもエレベーターの方が必要であるに違いない。
しかし、この建物の設計を考案した者に言わせれば、七つある立方体の部屋こそ、それぞれが大きな「エレベーター」というにふさわしいのかもしれない。
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もっとも、それは、「故障したエレベーター」であるのだが。
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吊り天井。この言葉に、日常生活において馴染みのある人はおそらくいないだろう。
せいぜい推理小説の用語として聞いたことがあるくらいで、全然知らないという人の方が、むしろ一般的なのかもしれない。
というのも、ミステリーの中でも、「吊り天井」はマイナーな扱いである。
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ミステリー、というからには、吊り天井は殺しの手段のひとつである。ではどうやって人を殺すのか、その原理を知れば、誰だってそれで人を殺そうとは思えない。
吊り天井は言葉の通り、「吊ってある天井」である。たとえば、あなたはある部屋の中にいる。しかし、突如として、頭上の天井がたらい落としのように、ある程度の質量と速度を伴って降ってくるところを想像してほしい。
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あなたが紙切れになるまで押し潰されることはなくても、脳天が割れたり、目玉が飛び出したり、舌を噛み切ったり、そのような無残な姿で倒れることは免れないだろう。少なくとも、無傷で立っていられることは不可能である。
運よく床に寝転がっていた怠惰な人だけが、もしかしたら助かるのかもしれない。たいていは、部屋の高さの半分ほど落ちれば十分だというのが、一般的な吊り天井の認識だと思っている。
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しかし、立っていたり椅子に座っていた人は、天井が落ちた瞬間に何が起こったか状況を把握できないまま命を落とす。まさに「一撃必殺の飛び道具」というのが、「吊り天井」のもっともわかりやすい説明であろう。
そして、多くの一撃必殺技や飛び道具には重大な欠点があるように、この殺し方にも無視できない問題点がある。
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まず、吊り天井で誰かを殺そうと思ったら、吊り天井のある部屋に彼(彼女)を、それも警戒されることなく招かなければならない。
さらに、天井を操作するには何かしらの装置(ボタンやタブレット)が必要だが、それの誤作動や操作者のミスによって一度でも殺し損ねたら、二度と同じ手段は使えなくなる。
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天井を落下させるという大掛かりな仕掛けは連続で使えるものではなく、また、一度作動させてしまえば音や振動によって、周囲の人にその部屋の危険性を勘付かれてしまう。
場所にもタイミングにも制限があり、殺す側に相応の技術が必要な吊り天井は、誰でも、どこででもサクッと殺せる果物ナイフなんかと比べれば、極めて不便である。
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そのかわり、成功した時の見返りはどの凶器よりも大きい。
たとえば、吊り天井の部屋の中に大人数がいれば、一網打尽も可能である。
また、ナイフのような直接的な手段と違って返り血を浴びることがない。それどころか、死体すら見ずに人を殺めることだってできる。
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自分の手を血で汚さず、一度に大量の人間を即死させられる。しかし、一度しか使えない。
ハイリスクハイリターン(?)な飛び道具が、吊り天井というものである。
そして、塔のようなその建物の一番の特徴は、まさにこの「吊り天井」なのである。
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淡い電灯の、薄暗い屋根の下。男は指の間に挟んだ煙草を弄びながら、光の際立つモニターの前に座っていた。
その画面の中で動くものがある。鬱蒼とした森林を切り拓いてつくられた未舗装の道を、二台のワゴンが走っている。カメラの視点ははるかに木々よりも高く、だんだんとこちらに近づいてくるそのワゴンを見下ろしている。
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男がモニターを操作して切り替えると、先ほどのワゴンが直方体から長方形に見える、より俯瞰的な角度の画面が表示された。
二次元的なワゴンは、わずかに木々の開けた荒地に停車した。やがて画面外から黒づくめの長身な男たちが出てくると、脱力した無抵抗な五人の高校生を車内から次々と運び出していく。
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深い眠りに落ちた彼らは、見られていることも、ここがどこかも知らずに、画面外へと消えていく。
男は彼らを祝福した。彼らは選ばれし五人だった。
この建物に隠された真実を知る権利を望まずとも得た、幸運で悲劇的な"教え子"たち。
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しかし、真実を知ることができるのは、このうちの何人になるだろう。
男はそう思うと、チョークで黒板に文字を書くように、壁に煙草を擦りつけた。
煙草の灰は薄暗闇の中では壁の色に溶け込み、床に落ちるといよいよわからなくなった。
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男は、彼らに殺し合いをさせようと計画していた。
自分の手は汚さず、知性と運を備えた優れた者以外を間引くように殺す。
そのための手段は他でもない、莫大な予算をつぎ込んで建てさせた、吊り天井仕掛けのこの円塔である。
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男はデスクに備えられた新たな五つのモニターの電源を入れた。
それぞれのモニターはいくつかの監視カメラとの連動によって、別個の部屋の内部をあらゆる角度から映し出した。
画面越しの部屋は灰色の殺風景ではなく、男と彼らにとって日常的ともいえる風景だった。
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入り口の正面にある壁には、学校で使われている黒板と壁時計が掛けられている。
壁や床、天井は質感こそコンクリートではあるが、表面は昔ながらの教室に見立てた木目模様の施工がなされている。そのため天井につけられた淡い光しか放たない蛍光灯は、ワックスがけをしたように光沢のある床を照らしている。
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部屋の中央には、椅子がひとつだけ用意されている。しかし、こちらには決して教室にそぐわない、手足を固定できる錠が備え付けられ、右手の部分には毒々しい赤のボタンがぼんやりと光っている。
教卓もロッカーもない、それぞれが一人だけのために用意された教室のような部屋。その部屋の入り口から、先ほどの黒づくめの男たちが彼らを一人ずつ運び込み、椅子に座らせ固定していく。
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彼らが目覚めた時こそ、"一限目"の始まりだ。男は新たな煙草を取り出し火をつけ、一口吸うと静かに笑った。
男は吊り天井の欠点を克服したことを思って笑った。男には、莫大な資産があった。円塔を躊躇いなく建設させられるなら、彼らを眠らせ連れ去るために必要な人材を揃えるのに、特別な努力は生じなかった。
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一度この部屋に入れてしまえば、誰であれ外部の協力なしにこの部屋からは出られない。たとえ吊り天井の部屋だとわかっていても、まるで故障したエレベーターに閉じ込められたように、決して逃げることができない。
しかし、これでは面白くない。なによりも、男は自らの手で彼らを殺すことを嫌悪していた。
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物理的な殺しに抵抗があるのではない。ただ、彼らを嫌悪していた。男は彼ら五人を虫ケラ同然に扱い、そのため自分が彼らに手を下すこと自体が恥だと弁えていた。
ならば、彼らに殺し合いをさせればいい。そして生き延びた生徒だけを、次の"授業"に参加させればいい。
これは彼らにとって幸福な猶予である。負けた者は死に、勝った者だけが、その先を見ることができる。
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勝ちと負けは表裏一体であり、この世は表と裏でできている。
生と死、富裕と貧困、男と女…。男が生徒に教えたいのは、表裏一体のこの世界を捉える柔軟な目の力である。
またそれは、男が彼らから教わりたいことでもあった。
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この塔の吊り天井には、他にはない仕掛けがある。
部屋における表裏一体は、天井と床。男はそれらを連動させた、新しい吊り天井を彼らのために準備した。
つまり、「吊り天井」として落ちてくるはずの天井は、上の階の部屋の床にもなっている。
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今、部屋に運ばれた五人は、部屋の位置の関係で垂直に並んでいる。彼らは、制限時間内に手元のボタンを押すことで、タイマーが切れると同時に部屋自体を垂直方向に落とすことができる。
ボタンを押した者にとっての床は、階下の部屋の天井として、下にいる仲間の頭をかち割る。
そしてボタンを押せば、たとえ上の階の者がボタンを押したとしても、自分は確実に助かる。もちろん誰一人ボタンを押すことがなければ、誰も死ぬことはない。
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しかし、自分の生死がかかった状況で、どれだけ冷静でいられるか。今にも落下しそうなエレベーターの箱の中で、果たしてどれだけ自分を保てるか。
ボタンの操作によって"自分の行き先"を決める。それこそが「故障したエレベーター」となぞらえた、本当の理由である。
しかしその行き先は、単純な生と死の二択ではない。
他人を犠牲にして得た生と自分を律して他人を信じた結果の生では、その価値に天と地もの差がある。
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ただひとつ、落ちる箱の中にいる人は死なないということが、故障したエレベーターと真逆に違っている。
その逃げ道を、彼らはかえって行き止まりのように感じるかもしれない。
男はこれから悩み葛藤するであろう彼らを思い、煙をふかしながらまた笑った。
男にはまるで悩みなどないような、そんな乾いた笑い方だった。
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男はやがて画面の中の一人が目を覚ましたことに気づいた。
手錠に気づいて目を擦ることを諦めた彼は、まばたきを繰り返しながら状況がわからないというふうに辺りを見回している。
次にもう一人。今度の彼は手足を十分にばたつかせた後、何かに怯えるように前を向いて動かなくなった。
男は愉快でたまらなくなった。
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それから、他の三人にも次々に魂が宿るのを確認した。彼らは三者三様の反応を見せ、男を楽しませた。
女の子の方が肝が座っているのには驚いた。
このような状況で生き延びるのは、案外男よりも女なのかもしれない。
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男の手元のタイマーが五つの部屋の時計盤と連動し、単調に数字を減らしていく。
もうすでに、生と死を決定するカウントダウンは始まっている。
画面越しに聞こえる無機質な秒針の音に耳を傾けつつ、男は食い入るようにモニターを見つめた。
男の頭上からまるで逃げるように、煙草の煙は壁へと吸い込まれていった。
作者退会会員
これから一ヶ月に一話のペースで投稿しようと思っている長編のプロローグです。それとは別に思いついた話を単発で投稿できればと思います。