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中編5
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十三階段 

先程からとまらない咳は、呼吸の乱れのためか、黴を吸い込んだせいかわからない。

今にも崩れそうな古びた建物の中を、俺はできるだけ上に向かって走っていた。

友達四人と興味半分に、心霊スポットとして名高い廃墟にやってきた。しかし、今となってはその選択を心底後悔している。

この廃墟には、得体の知れない"何か"がいる。

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俺は階段の影に隠れて息を整えた。足音が近づいてこないか耳をそばだてながら、明かりを漏らさないよう注意しつつスマホを確認する。

友達からの連絡は一件もきていない。あいつらは今、どこにいるのだろう。

こんなことになるなら、部屋で酒を飲みながらトランプ遊びでもしていればよかった。

「どうしてトランプの数字は13までしかないか知ってるか?」そう言って鼻を鳴らす、望の自慢げな顔を思い出す。

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「トランプは全部で52枚。四つの絵柄があるから、カードの数字をすべて足すと364になる。364にジョーカーを足して、365。これは一年の日数と同じだから、トランプはよく占いに使われたりするんだ」

いつもは馬鹿ばっかりやってる望が、その時は少しだけ賢く見えた。望は五人の中でも特にババ抜きが弱くて、それは考えていることが簡単に顔に出るためだ。

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でも、その表情の豊かさが、占い師の真似事ではいい方向に働いた。彼が言うとそれっぽい雰囲気が出て、たとえデタラメな出まかせでも本当のように聞こえるのだ。

廃墟探索の日にちだって、彼がもっとも不吉な日と占ったから面白半分であえて今日にした。でもその時は、望の占いが本当に当たるなんて、誰も思ってはいなかった。

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あいつらは今どこにいるのだろう。いっそ俺を置いて帰ってくれてたらいいのに。

ひとり逃げてきた今の俺には、彼らに合わせる顔がないと思った。

俺は誰よりも早くこの廃墟の異変に気づき、脇目も振らず一目散に逃げたのだ。

友人たちに申し訳なく思い声を殺して泣いていると、自分に近づいてくる足音を聞いた。

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ゆっくりとしたその歩調は、少しずつ音を大きくしている。

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死刑囚は毎朝自分の牢に近づいてくる足音に怯えるらしいが、今ならその気持ちを少しだけ理解できる気がした。

そして足音の主が、明らかに自分に向かって何かを言った時、俺は我慢できずに走り出していた。

足音もまた、俺と同じルートを執拗に追いかけてきた。

俺は後ろを振り返ることなく、死に物狂いに走った。

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やがて建物のすべての階を駆けめぐった俺は、屋上まで続く最後の階段を登り切った。

しかし、屋上の扉は、固く閉ざされていた。

行き止まり、万事休す。

俺が登ってきたのは、処刑台まで続く十三階段だった。

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来るな。俺は心の中で念じた。

咳が出ないように必死に歯を食いしばり、咳とは別に体の内側から出ようとするものを意志の力で押さえ込んだ。

それでも、足音は一歩ずつ自分のところに近づいてくる。

やがて手すりの奥からその姿を見せた時、俺は自分を失いつつあった。

その正体はわずかな月明かりのために大きな影を引き連れて、俺の前に姿を現した。

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「探したよ、お前が必死に逃げるからさ」

…そこに現れたのは、望だった。

強がっていても恐怖が滲み出た表情で、彼は俺を慰めようと優しい声でそう言った。

しかし俺は安堵するどころか、一歩ずつ距離を詰めてくる友人から、逃げられないかと周囲を模索した。

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「俺なんか置いていって帰れよ」俺は震える声でそう言った。

「何言ってるんだ、置いて帰るわけないだろ」

彼は引き攣った顔でこちらに手を伸ばした。

その手の先は震えていて、それでも足だけは確実に一歩ずつ動いていた。

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「いったいどうしたんだよ。さあ、一緒に帰ろ?」

やめろ。来るな。いくら祈っても、望は俺の気も知らずにゆっくりと階段を登ってくる。

頼む。俺に近づかないでくれ。そう念じたのを最後に、俺は理性を失った。

…気づいた時には、俺は望の首を絞めていた。

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舌をだらりと垂らした望の顔を見て、俺はようやく正気を取り戻した。決して、自分の意思で彼を殺したのではなかった。

ただ、この廃墟に潜む得体の知れない"何か"が俺に取り憑いていて、それは自分以外の人間を殺そうと体の内側で喚くのだ。

そのために俺は友人たちと距離をとろうと逃げてきた。しかし、俺たちの友情は厚く、彼らは友人を見捨てまいと懸命に俺を追いかけてきた。

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手の力を緩めると、死体となった望の体は掃除用具箱のそばに崩れ落ちた。

再び自分のものとなった体は、悔しさと恐怖でわなわなと震えていた。

今の俺は、友人たちを処刑し続ける死神だ。

もう屋上から飛び降りてしまいたいと閉ざされた扉を叩いた時、絶望的な声が再び自分を呼んだ。

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「裕太!望もいるのか?」

下の方から陽平の声が聞こえた。どうやら彼は俺たちを追ってきていたらしい。

その声は震えていて、小心者の陽平がひとりでここまで来るのに相当な勇気を振り絞ったに違いない。俺の友人たちは、このうえなくいい奴らだった。

しかし、彼らがいい奴であるほど、俺は苦しまなければならなかった。

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きっと彼も、階段を登るのだろう。そして俺は、何も知らない彼を殺すのだろう。

次第に足音が近づいてきた。

やがて手すりの奥から現れた陽平の顔は、俺の姿を確認してぱっと華やいだ。

彼はまだ望が死んだことに気づいていないようだった。しかしすぐに悲嘆の声をあげることになる…。

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「他の二人はもう車にいるよ!早く帰ろうよ!」

そう言って陽平はなんの疑いもなく、最後の階段を登り始めた。

無自覚な囚人を出迎える俺の笑顔は、すでに自分のものではなくなっていた。

意識を完全に乗っ取られる間際、せめて陽平に優しい言葉をかけようと思った。

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「さようなら陽平、また天国でトランプしような。」

陽平が俺をジョーカーだと気づくのに、もう十三段も残されていない。

そして俺の体は、完全に自分のものではなくなった。

その魔法が解けたのは、四人の亡骸を、朝陽が照らし始めた頃だった。

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