もうじき梅雨入りとなるこの季節は蛍を見るのを毎年楽しみにしている。
五月も終わりに近づき、そろそろかなと夕食後に散歩がてら公園へ行ってみた。
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東京の多摩には鶴見川の源流があり、この時期には蛍が見える。
街灯を避け、暗いところを選んで川に沿って歩いてみた。
いつも散歩する自宅近くの公園なので灯りがなくとも月明りだけで充分だ。
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しかし蛍はまだ見えない。
残念だがまた出直そうかと川縁を離れようとした時、川の傍に何かがうずくまっているのに気づいた。
狸か?
いつもの公園であり、恐怖感は殆どなくゆっくりと近づいてみた。
するとそれがいきなり起き上がった。
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それは紺色の和服を身に纏った髪の長い女だ。
こちらを見てにやにやと笑っている。
咄嗟に針女(はりおなご)という名前が頭に浮かんだ。
昔、四国に住む婆ちゃんから聞いた事がある。
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あの髪の毛の先は一本一本が釣り針のようになっており、
女に笑い返すとその髪の毛で捕らえられどこかに連れ去られると言っていた。
もし針女に出会ったら絶対に微笑み返してはいけないと。
そして一目散に自分の家に逃げ帰って鍵を掛けろ、そうすれば朝にはいなくなっていると。
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俺は踵を返すと一目散に走って逃げた。
振り向くとその女も髪の毛を振り乱して追いかけてきている。
なぜ愛媛の妖怪がこんなところに。
そう思いながらも必死で走り、家の中に逃げ込むとドアに鍵を掛けた。
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間一髪だったが、針女は諦めずドアをドンドンと叩いている。
俺は布団を頭から被り震えていると、やがてその音は止んだ。
恐る恐る玄関のドアを開けてみるとそこに女の姿はなかったが、ドアには無数の針で引っ掻いたような跡が残っていた。
やはり針女だったのだ。
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そう思った瞬間、首に黒くて長いものが後ろから巻き付き、その先端についている鈎針が上半身の至る所に食い込んだ。
痛みに薄れていく意識の中で俺は婆ちゃんの言った言葉を思い出した。
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『朝にはいなくなっているから』
―完―
作者天虚空蔵
初の短編の投稿になります。
ふたば様の掲示板に投稿させて頂き、ふたば様のアドバイスなどで何とか課題の800字以内にまとめてみましたのでこちらにも投稿させて頂くことにしました。
やっぱり短編は苦手ですが、勉強になりました。
書き手が伝えたいことと、読み手に任せる部分の兼ね合いなんですね。
20分越えの長いものが多くなっているので、短編だけじゃなくとも、もっとシンプルに書けるよう努力します。