架空妖怪譚「よっか坊主」

中編7
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架空妖怪譚「よっか坊主」

四月四日の夜は外に出てはいけない。

我が家には、先祖代々守られ続けてきた掟があった。

決して特別な血筋などではない。住む家だって、ぱっとしない町の、どこにでもあるようなアパートの一室だ。

だから子供の頃はその掟は自分の家だけでなく、まるで正月とかクリスマスのように、みんなにとって当然の約束事なのだと思っていた。

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しかし、高校生になって初めて、我が家の謎ルールの異質さに気づいた。

去年の四月四日、友だちから夜桜を見る誘いを受けた僕は、「お前は掟を破るつもりか」と笑って断った。

しかし、我が家に伝わるそれについて、家族以外の誰も知らないことに気づいた。

誘ってくれた友だちの、不思議なものを見つめるような、僕に向けられた目つきが忘れられない。

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その一件のせいで、今では僕は、ちょっとしたクラスの変わり者だ。

なので、僕を陥れたこの掟を、今年こそは破ってやろうと思っている。

四月四日の夜に外に出てはいけない。

それは、「よっか坊主」に見つかってしまうからだと、僕が五歳くらいの時に祖母が教えてくれた。

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日が完全に沈んでから、特に、丑三つ時を越えてからは絶対に家から出てはいけない。

今は亡き祖母の真剣に言う顔が、幼な心には怒っているように見えた。

「よっか坊主」は「四日坊主」とも書き、名前の由来は「よっか」にまつわる奇妙な話にある。

つまり日付けの読みに関する話だが、たとえば、7日、17日、27日の読み方について考えてみる。

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それぞれ「なのか」「じゅうしちにち」「にじゅうしちにち」と読むが、"7日"の部分の読み方が「なのか」と「しちにち」で異なっている。

これは、他の数字についても同じで、決して「じゅうなのか」のようには読まない。

ただ、4のつく日付けだけは、その輪から外れている。

4日も14日も24日も、すべて「よっか」と発音する。

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4というのは、日本では古来より忌まわしい数字とされ、この「よっか」にまつわる話も、4が他の数字とは一線を画していることを示しているといえる。

「よっか坊主は、仲間はずれの象徴さね。もしそれに見つかると、お前も仲間はずれにされるよ」

あの時の祖母は、そう言って僕を怖がらせては笑っていた。

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幼かった僕は祖母の思うままに怯えていたが、今の自分は掟のことなんてどうでもよかった。

何よりも恐れているのは、友人たちに仲間はずれにされることだった。

今年もまた、夜桜の誘いが来ている。

そして今年こそ、僕は掟を破ってでも桜を見に行こうと思っていた。

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夜中の十二時頃、物音を立てずに、僕はこっそりと家を抜け出した。

「今日は絶対に家を出るなよ」

毎年決まり文句のように言う父の言葉を無視して、僕はひとり夜の中を、河川敷の桜並木へ向かって走り出す。

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夜の町は驚くほどに静かだった。

どの家の明かりも消えていて、まるで町全体が寝ているように思えた。

しかし、いくらなんでも静かすぎやしないか。

奇妙な違和感を覚えつつも、僕を待ってくれているはずのみんなに早く合流しようと、ペースを上げて走った。

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やがて道は桜並木へと差し掛かると、僕は思わず感嘆のため息を漏らした。

夜桜というのは、こんなにも綺麗なのか。

去年家に閉じこもっていたことが悔やまれるほど、月明かりに照らされた桜は美しかった。

すでに地面はピンク色に染まりつつあり、きっと先週の台風が原因だろうと思った。

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それでも、枝に残った花びらは強さをも兼ね備えたいっそう美しいものに見え、僕はこの感動を早く友だちと共有したかった。

まばらにしかない電灯の下に、三つの人影を見つけた時、つい興奮して「おーい!」と手を振ってしまった。

また変な奴と言われるかもしれないが、僕はそれでも構わなかった。

しかし、その人影が一斉にこちらを振り向いた時、それが友人たちのものではないことにようやく気づいた。

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三つの影はどれも、背丈が小学生ほどに小さかった。

髪は生えておらず、のっぺらぼうのような顔の中で目だけが異様に大きく見えた。

法被のようなはだけた服を着ている彼らは、口々に何かを言いながらこちらに向かって走ってきた。

それは、呪文のような響きで僕の耳に届いた。

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よっか、よっか、こっちよっか、あっちのほうが、よっか

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「よっか坊主は三人組。

よっか、じゅうよっか、にじゅうよっかの三人さ。

でも奴らはもう一人仲間を探してる。

四人で初めて"よっか坊主"だもんね」

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祖母が昔言っていた、よっか坊主の話を思い出す。

でも、奴らに見つかった人は、"仲間はずれ"にされるんじゃないの?

幼い僕の疑問に、あの頃の祖母は笑って返す。

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「仲間はずれにされるというのは、元の世界からという意味さ。

よっか坊主に見つかってしまえば、坊主の仲間になるまで追いかけ回される。

ほんでもって捕まれば、もう二度とこっちの世界に戻ってこれなくなる

それでもよかか?」祖母は笑った。

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僕は身の危険を感じて、奴らから遠ざかろうと逃げ出した。

背後では、ばらばらな三つの声が聞こえた。

それは無邪気な子供の声で、三つの声は不安定な旋律を奏でる不協和音のように聞こえた。

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よっか、よっか、こっちよっか、あっちのほうが、よっか

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僕は突然の眩暈に耐えながら、夢中になって桜並木を逆走した。

奴らの足は背丈と同様に小学生並みで、全力で走ればすぐに巻くことができた。

しかし、安心はできなかった。

僕は早く家に帰って、家族に謝らなければならないと思った。

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もう絶対に、掟を破らないと誓おう。

そしてアパートの部屋の前に着いたが、扉の鍵は閉まっていた。

約束を破った僕に、父は腹を立てているのかもしれない。

今日だけは許してくれと何度も扉を叩いたが、家の中の誰も、僕のことに気づいてくれなかった。

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いや、気づかないというよりは、家の中に誰もいない感じ…。

僕は走っているとき、怖いくらいに静かだった町の様子に違和感を覚えたことを思い出した。

もうすでにここは、元の世界ではないのかもしれない。

こっちではなく、あっちの世界を、僕はひとりで走っている。

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扉の前で立ち止まっていると、アパートの階段を、三つの足音が駆け上がって来るのを聞いた。

僕は反対側の階段を降りて、アパートを離れなければならなかった。

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よっか、よっか、こっちよっか、あっちのほうが、よっか

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耳の奥にこびりついて離れない掛け声が、僕の跡を執拗に追いかけてくる。

時々けたけたという笑い声も聞こえてきて、その度に心臓が止まりそうになる。

いつまで僕は、逃げなければならないのだろう。

そこでまた、祖母の声が蘇る。

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「よっか坊主は朝まで追いかけてくる。

なんとも根気の強い奴らだべさ。

三日坊主のお前とは大違い。

お前も、見習わんといかんね」

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朝までといえば、まだ四時間以上ある。

それから僕は半泣きになりながら、奴らの声が近づいては逃げてを繰り返した。

一度立ち止まって、友人のひとりに電話をかけてみた。

繋がった電話口から、またあの呪文のような声が聞こえてきた。

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よっか、よっか、こっちよっか、あっちのほうが、よっか

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どうして僕の家系だけ、こんな呪いみたいな掟に縛られているのだろう。

今頃友人たちは元の世界で、僕の気も知らずに花見を楽しんでいるのかと思うと、くつくつと悔しい気持ちが湧いてきた。

絶対に逃げ切って、あいつらにすごい話を聞かせてやる。

僕は疲れた体に気合いを入れ直し、できるだけ遠くへと走り出した。

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気づけばまた、あの桜並木へと来ていた。

相変わらずその光景は目を見張るほど美しく、まるでこの世の景色ではないみたいだと自虐的に笑ってみた。

その時、後ろからかすかな声を聞いた。

それは、今までのものと少し違っていた。

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よっか、よっか、こっちよっか、あっちのほうが、よっか

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それに加えて、何やら動物の唸り声のような、野太い声が混じっているのだ。

僕は次第に近づいて来る奴らの正体に気づき、これまで以上に全力で走った。

しかし、その時には、もうすでに何もかもが遅かった。

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「丑三つ時を超えたら、もう終わり。奴らは飛び道具を使ってくる。"丑を跨いだら"って言えば、賢いお前ならわかるかな?

奴らは文字通り、牛に乗って追いかけてくる」

よっか、よっか、こっちよっか、あっちのほうが、よっか

…午前二時過ぎ、僕は奴らの仲間になった。

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「あいつ、今年も来なかったな」

せっかく誘ってやったのにと、ひとりの少年がいじけた顔で道端の石ころを蹴り飛ばした。

「もしかしたら夜が怖かったんじゃねーの?」

「じゃあまた教室でからかってやるか」

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そして、夜通し居続けた桜並木をあとにした。

彼らは、陽気な春の歌を歌いながら離れていった。

彼らのうちでそのことに気づく者は、誰一人としていなかった。

散り始めた桜の花びらに混じって、辺り一面に落ちている誰かの血痕に。

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朝日に照らされる桜の木の下で、仲良し四人の歌声は、いつまでも朗らかに鳴り響いていた。

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