長編24
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パフェを食べる前に

これは四年ほど前、私が高校生だった時の話です。

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夏休みも終わり、今日から学校が始まります。

大学入試は高校二年の夏で決まるなんて誰が言い出したのか知らないけれど、言われると不安になります。

その後ろめたさから特に旅行などに出かけることもなく、夏休みの半分以上を塾の夏期講習を受けることで塗りつぶし、そして残りの半分は学校の宿題をやりながらだらだらと過ごしてしまいました。

これという思い出を作ることもなく貴重な十七歳の夏をまるっきり浪費してしまったような気がして、少し悲しい気分で久しぶりの制服に袖を通し、学校へと向かったのです。

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「留美、おはよう!久しぶりだね!」

教室に入るとすぐに真っ黒に日焼けした早紀が駆け寄ってきました。

私が通っているのは女子高で、もちろんクラスには女子しかいません。その中でこの早紀と、その他に沙耶、そしてマナミの四人が、自他共に認める仲良しグループとして校内ではいつも一緒に過ごしているのです。

沙耶とマナミとは夏休み中も何度か買い物などで一緒に遊んでいたのですが、早紀はほぼ毎日のように自宅近くのプールで監視員のアルバイトをしていたため、夏休みの間は全く会う機会がありませんでした。

とはいえ、そんなことで彼女を仲間外れにするほど薄っぺらな関係ではありません。

少し遅れて登校してきた沙耶とマナミを加えて、夏休み中の出来事などを時間を見つけてはしゃべり続けていました。

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◇◇◇◇

「一緒にバイトしていた監視員の中に、関西の大学に通っている、カッコいい女の先輩がいたの。」

昼休みになり、四人でお弁当を囲んでいる時に、突然早紀が真面目な顔をして話し始めました。

その女子大生は夏休みで都内に帰省しており、実家のあるKO線S駅から、早紀の自宅がありバイト先のプールがあるT駅まで電車で通っていたそうです。

「S駅なら私と一緒だね。」

マナミがそう言うと早紀はうんと頷いて話を続けます。

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彼女は自宅からS駅まで二十分程歩いて通っていたのですが、その途中に誰も住んでいない空き家があるのです。

もう人が住まなくなってかなりの時間が経っているようで、家屋は外から見てもわかるくらいに傷み、庭には雑草が生い茂っていました。

誰が住んでいたのか彼女の記憶には全く残っていないのですが、小さい頃からそこにあった家で、特に気にすることなく毎日その家の前を横切って自宅と駅の間を往復していました。

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ところが十日ほど前のこと、その日は監視員のバイトを終えた後に、同じように帰省している高校時代の友人と一緒に夕食を食べ、夜九時頃に帰宅の途に就いたそうです。

そして友人との会話を思い出しながら、少しうつむき加減でS駅から自宅に向かって歩いていたのですが、ふと何かの気配を感じて顔を上げると、数十メートル先、街灯と街灯の間になる少し薄暗い場所に誰かが立っているのに気がつきました。

そこはちょうどその空き家の門の前の辺りです。

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目を凝らして見るとその人影はワンピースでしょうか、黄色のスカートを履いた女性のようですが、家の門を向いており顔がよくわかりません。

彼女はなんとなく関わりにならない方が良いような気がして、それほど広くない道幅ですが動線を道路の反対側に移し、できる限り女性のことを見ないようにしながら歩いて行きました。

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プールからの帰りでスニーカーを履いている彼女の足音はほとんど聞こえません。

虫の音が響き、時折遠くで車の走る音が聞こえる中、俯いて歩く彼女の視界の片隅に立っている女性の足が見えてきました。

黒いハイヒールを履いています。

黄色のスカートに黒のハイヒールなんて趣味が悪いなと思いながら、そのまま通り過ぎようと足を進め、その女性のハイヒールが視界から消えて脇を通過すると思った時、

聞こえていた虫の音がいきなりピタッと止み、一瞬にして静けさが彼女を包み込んだのです。

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どうしたのかと彼女は無意識に足を止め、周りを見回しました。

「えっ?」

なんとすぐ横に立っているはずの女性の姿がありません。

もう一度周りを見回しても誰の姿も見えないのです。

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さっきの女性はハイヒールを履いていましたから、彼女が移動すれば必ず足音が聞こえるはずです。

でも何も音が聞こえないまま彼女は消えてしまったのです。

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「え~何それ、怖~い。」

沙耶が眉をひそめてそう言うと早紀はさらに続けます。

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その女子大生は気味が悪かったものの、何の害もないため、気のせいだったのかもしれないと、悲鳴を上げて走り出したい自分の気持ちを誤魔化して気にしないことにしました。

しかし彼女が早紀にこの話をした翌日でした。

その日も友人と会い、帰りが遅くなったものの、先日怪しい人影を見掛けたことはすっかり忘れて駅から真っ直ぐ家へと向かいました。

しかしあの家の近くまで来たところでそのことを思い出したのです。

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彼女は空き家の手前からじっとその家の前を観察しながら足を進めたのですが、その日は誰の姿も見えません。

やはりあれは気のせいだったのかとほっとしたもののやはり急ぎ足でその家の前を通り過ぎようとした時でした。

「あの・・・」

誰もいないと思っていたのにすぐ横から暗い感じの女性の声が聞こえたのです。

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彼女はびくっと驚き、反射的に立ち止まってそちらを振り向くと家の門の中に髪の長い女性が立っていました。

この家は廃墟なので門にも家屋にも照明はありません。

やや離れたところにある街灯の薄明りで何とかその存在を確認できるのですが、まるで光量の足らない古びたテレビを見ているようです。

そして暗がりの中でその女性の白目がちの目が妙にくっきりと浮き出して見えました。

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「きゃあ~っ」

その目を見た彼女は思わず悲鳴をあげて家に向かって思い切り駆け出したそうです。

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◇◇◇◇

「それでどうなったの?」

マユミが不安そうな表情で先を促すと早紀は肩をすくめました。

「これで終わり。先輩はそのまま家に逃げ帰ったんだけど、その女の人が家までついてくることもなくて、今のところは何ともないって。」

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「そっか、何もなかったんだったら良かったわね。結局、庭木を見間違えただけだとか、たまたま飼い猫とかを探して近所の人が来ていたとか、実際はそんなことなのよ。」

「そうかもね。」

あまり信じていない様子のマユミの意見に私が同意すると、早紀が再び肩をすくめてその話は終わりました。

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◇◇◇◇

そんな話をしたことすら忘れていた三日後の昼休み、沙耶が持っていたカピバラの消しゴムで盛り上がっていると、マユミが突然その話をまた持ち出したのです。

「そういえば思い出したんだけど、この前早紀がS駅にある空き家の話をしてくれたじゃない?」

「うん。それで?」

他の三人は何だろうとマユミの話に耳を傾けました。

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「私、あの日の帰りにちょっと行ってみたのよ。」

「え~っ、うそ、ひとりで?怖くなかったの?」

そもそもこの話をあまり信じていなかったマユミでしたが、帰宅時間が日没前でまだ明るかったこともあって、

ちょっと覗いて見ようかな、

という程度の軽い気持ちで寄り道をしたのでした。

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マユミはこの空き家の前が通常の通学路ではないものの、それでも何度か通ったことがあったのですが、

その家のことは全く気に留めたことはなく、早紀の話を聞いた時にぼんやりとあの家かなと思っただけで、どんな家なのかもう一度確認して見たくなったそうです。

実際に行ってみると外からちょっと見ただけではそれほど荒れた様子ではなく、そんな話があるようには見えません。

そこでマユミは門の傍まで近寄ってみました。

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門のすぐ前まで来るとさすがに錆の浮いた門扉や雑草が生えたアプローチ、そして建物の外壁も崩れるほどではありませんがかなり傷んでいるのが解ります。

これでは噂のひとつやふたつ、逢ってもおかしくないなと思いながら門扉のノブに手を掛けると驚いたことに鍵は掛かっておらず、その錆びた見た目とは異なって滑らかにすっと内側に開きました。

しかしさすがにひとりで中に入る勇気はなく、マユミは門扉を元通りに閉じるとその家から離れたそうです。

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「ねえ、私もその家見てみたい。」

マユミの話を聞いていた沙耶が、いきなりマユミの肩に手を置いてそう言いました。

「放課後みんなでちょっと行ってみようよ。明るいうちなら大丈夫。」

沙耶はそう言って同意を求めるようにみんなの顔を見回しました。

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「ええ?何だか怖いな。」

早紀が難色を示しましたが、一度行っているマユミは嬉しそうに賛同しました。

「昼間ならそんなに怖い感じじゃないし、せっかくみんな来るのならS駅前に新しくできた可愛いカフェでお茶しようよ。パフェが美味しいんだって。」

マユミのこの提案に、渋っていた早紀を含めてみんなはすぐに同意しました。

花の女子高生であり、パフェという言葉に行かないという選択肢はなくなったのです。

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◇◇◇◇

学校の帰り、制服のままでS駅を降りた私達はマユミの案内で住宅地の中を十分ほど歩くと、その家の前に着きました。

話ではかなりの豪邸をイメージしていたのですが、実際は敷地面積が30から40坪ほどの都内では一般的な一戸建ての住宅でした。石でできた門柱には表札が埋め込まれていた窪みがあるだけで表札はありません。

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「ふうん、マユミの話で聞いていたよりも普通の家ね。」

通りから家の外観を眺めて私がそう言い、マユミが首をすくめて門扉に手を掛けるとそれはすっと滑らかに内側へ開きました。

「ねえ、ちょっと入ってみようよ。」

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沙耶はそう言うとさっさと中へ入って行きます。

「ちょっと、沙耶、怒られるわよ。」

早紀がそう言ってたしなめたのですが、マユミは辺りに人がいないのを確かめると沙耶に続いて中に入って行きます。

私と早紀は顔を見合わせたのですが、やはり多少の興味もあり、ふたりに続いて門の中へ入って行きました。

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雑草の生えたアプローチに沿って玄関まで行くと、マユミは躊躇うことなくドアのノブに手を掛けて引いのですが、やはり鍵が掛かっており、ドアはいくら引いてもガタガタと多少動くだけで開く様子はありません。

「だめね。壊して中に入るわけにもいかないから帰ろ。」

私がそう提案すると、沙耶はちょっと待ってと言って玄関から横の庭へと回り、どこか楽しそうにマユミがその後に続いていきます。

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私は早紀と一緒に玄関でそのまま待っていると、庭の方から沙耶の声が聞こえました。

「留美、早紀、こっちへおいでよ。」

私と早紀は再び顔を合わせましたが、無視するわけにもいかず、沙耶の声が聞こえてきた庭の方へと回ってみました。

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すると庭の奥でマユミが手招きしているのが見え、そちらへ行ってみると沙耶がそこにある勝手口のドアを開けて家の中を覗き込んでいました。

「ここは鍵が掛かっていなかったの。ねえ、ちょっとだけ入ってみようよ。」

沙耶がそう言ってみんなの返事を待たずに中へ入って行き、続いてマユミ、そして私、早紀の順に中へと入っていきます。

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勝手口から中に入るとそこは台所で、流し台の前にある横長の小さな窓から入ってくる光により、それなりに明るくそれほど怖い感じはありません。

でも、他の部屋は雨戸が閉められているようで、勝手口から見る限り奥の方は暗くてよく見えず、何となく薄気味悪い雰囲気です。

家の中は誰かに荒らされた様子はなく、台所は綺麗に片付き食器棚の中の食器もそのままになっていて生活感がたっぷりと残っており、それだけに黙って家の中に入るのは躊躇われます。

「すみませ~ん。誰かいますか?」

沙耶が家の中に向かって声を掛けましたが、もちろん家の中から返事があるわけもなく、物音ひとつ聞こえません。

「それじゃあ、お邪魔しま~す。」

多少埃っぽかったのですが、きれいに片付いているだけに土足で入ることは躊躇われたのでしょう、沙耶は勝手口で靴を脱ぐと家の中へ入っていき、続いてマユミが、そして私、最後に早紀が同じように靴を脱いで家の中へと入りました。

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「ねえ、誰もいないし何もないよ。早く帰ろ?」

私の背中にくっつくようにして早紀が一番後ろから声を掛けると、沙耶は振り返ってにやっと笑いました。

「大丈夫よ。ぐるっと見て回ったらパフェ食べにいこ。」

そう言って沙耶は台所の横にある引き戸を開けました。

そこはやはりきっちり雨戸が閉められた薄暗い空間でしたが、四人でスマホのライトをつけるとそこは八畳ほどのリビングルームでした。

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中央に革張りのソファが置いてあり、奥にはチェストとテレビが置いてあります。

特に変わったところもなく、台所とは反対側にドアがあるのが見え、そこを開けてみると薄暗い玄関と二階へ上がる階段があります。

私達は二階を後回しにして、もう一度リビングの中をぐるっと見て回りましたがやはり変わったところもなく、引き出しの類はマナミが泥棒のようなことはしない方がいいという一言で特に開けてみるようなこともせずに、一度台所へ戻るとその奥へと進んでいきました。

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奥には洗濯機の置かれた脱衣所があり、その奥が浴室になっています。

脱衣所の窓は台所と同じく雨戸がないため比較的明るく、怖い雰囲気は全くありません。

沙耶は洗濯機の中や浴室を覗き込んでいましたが、何もなかったのでしょう、つまらなそうな顔で先へと進みます。

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脱衣所を出ると玄関からの廊下を挟んで向かい側に襖があり、開けてみるとそこは和室になっていました。

ライトで照らしてみましたが、六畳ほどのその部屋の中には全く何もありません。

しかし畳にはかなり大きな黒いシミがあり、雨漏りかと思って天井を照らしてみましたが、天井にはそれらしい跡はないのですが、よく考えてみれば二階のある家なので、一階に雨漏りするとは考えられないのです。

「何かをこぼしちゃったのかな。」

沙耶はそう呟きながらも、やはり多少気味が悪いのか、そのシミを踏まないようにしながら奥へと進むとそこにある押入れを開けました。

「沙耶はどうしてそういうところを平気で開けられるの?何か出てきたら怖いじゃない。」

早紀がやはり私の背中に隠れるようにしながらそう言うと、沙耶は振り向きもせずに何も入っていなさそうな押入れの中を覗き込みながら返事をしました。

「大丈夫よ。ただの空き家じゃない。何か面白そうなものがないか見ているだけよ。あら?なんだろう、これ。洋服かな?」

沙耶はそう言って薄暗い押入れの中から布の塊のようなものを指先で摘まみ出してきたのです。

広げてみると、それはワンピースでした。なぜこれだけが押入れの中に残っていたのでしょうか。

「きっと雑巾代わりに使っていたんじゃないの?」

スマホのライトではよく分かりませんが、どうやらそのワンピースは黄色のようでかなり汚れているのが見て取れます。

マナミに雑巾と言われ、沙耶は慌てて押入れの中へ投げ戻すと襖をぴしゃっと閉めました。

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「じゃあ、二階へ行ってみようか。」

ワンピースを掴んだ手を払いながら沙耶がそう言って、私とマユミは頷いて振り返ると、早紀は眉間に皺を寄せて押入れの方を見ています。

「どうしたの?早紀?」

私の問いかけに早紀はその表情を変えずに私の顔を見ました。

「先輩が最初にこの家の前で女の人を見掛けた時、その人は黄色のワンピースを着ていたって言ってた・・・」

「やめてよ。黄色のワンピースなんてどこにでもあるし、ただの偶然よ。さあ行きましょ。」

沙耶は少し怒ったような口調でそう言うと和室を出て行き、早紀もそれ以上何も言わずにみんなの後について部屋を出ました。

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玄関へ向かう廊下を歩き、階段へ行くと沙耶は躊躇うことなく二階へと階段を登り始めます。

階段は人ひとり分の幅しかなく、角度はかなり急です。

順番は変わらず、沙耶を先頭に、マユミ、私、早紀の順に登り始めました。

窓はなく、下から見上げる二階もかなり暗くて、威勢の良い沙耶も先を確かめるように一歩ずつゆっくりと上がっていきます。

続く私達も恐怖感から間隔を詰めていて、私の目の前にはマユミの白い太ももとスカートがすぐ目の前でゆっくりと動いています。

「ちょっとマユミ、お尻触らないでよ。」

マユミも同じ状況なのでしょう、通常なら背中に手を置くところなのですがこの階段のせいで、前を登る沙耶のお尻に手を掛けてしまったようです。

私も悪戯心半分でマユミのお尻に手を置くとマユミはうふふと笑った。

「よいしょっと。」

先頭を進む沙耶の声が聞こえ、マユミのお尻の横から見上げると彼女が二階へ辿り着いたところでした。

階段を登り切った踊り場に四人が立ち止まるようなスペースはなかったようで、沙耶はそのまま立ち止まることなく右側にあるドアを開けて中へ入って行きました。

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続いてマユミが階段を登り切ろうとした時でした。

「早紀、大丈夫?」

私は急な階段にも関わらずマユミや私がしたように私に手を掛けることもなく後ろを登ってきている早紀に、もうすぐ頂点であることを伝えようと振り返りました。

「あれ?早紀?早紀がいないわ。」

すぐ後ろをついてきていると思っていた早紀の姿はなく、階段の登り口が見えるだけです。

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私が慌てて階段を降りると、すぐにマユミもついてきました。

玄関へ降りて周りの様子を窺ったのですが、早紀のいる気配はありません。

「どうしたの?後ろをついてきていたんじゃないの?」

私の声を聞いて一緒に降りてきたマユミも、一旦私と同じように周囲を窺うと、リビングへ戻っていきます。

私も慌ててマユミの後を追いかけると、台所、風呂場やトイレ、そして奥の和室とふたりで早紀を探して歩いたのですが、早紀は何処にもいません。

一番怖がっていた早紀のことだから先に逃げてしまったのかと勝手口を確認すると、四人分の靴がそのままありました。

早紀はまだこの家の中にいるはずであり、そしてあの階段で後ろから追い抜くことは出来ないはずですから、必ず一階にいるはずです。

しかし一階はひと通り見ました。

どこかに隠れているのでしょうか?

早紀が自らそんなことをするとは思えないのですが、一階で早紀が隠れることができそうな場所は・・・

奥の部屋の押入れでしょうか。

しかしマユミや私でも怖いのに、怖がりの早紀がひとりでそんなところに入るとはとても思えません。

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「ねえ、沙耶は?ずっと二階にいるの?」

私も元気よく押入れを開けた沙耶のことが頭に浮かんだのですが、その沙耶はさっき二階の部屋に入ったまま、私とマユミが一階へ駆け降りて声を出しながら早紀を探し始めても、まったく降りてくる気配はありません。

そして二階からは物音ひとつ聞こえないのです。

マユミは私の手を掴むと階段へと向かいました。

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「留美、お願いだから手を離さないでね。これで留美までいなくなったら、私、ひとりになっちゃう。」

それは私も同じことです。力強く頷いてマユミの手を握り返して階段を登り始めたマユミに続きます。

狭い階段なので手をつないだまま体を横にして二階の様子を窺いながらゆっくりと登っていきますが、依然として二階からは何の物音もしません。

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「沙耶?沙耶?いるの?」

頭が二階の踊り場の高さになるところまで登ったところで、マユミが沙耶に向かって声を掛けました。

先程沙耶が入っていった右側のドアは閉まっています。

考えてみれば沙耶が部屋に入った時、後ろに私達が続いているのにドアを閉めるはずはないのです。

そして階段を登った正面にもうひとつドアがあります。

どうやら二階はふた部屋のようですが、マユミの声に対してどちらの部屋からも全く反応はありません。

「沙耶?」

もう一度声を掛けながらマユミは沙耶が入って行った右側のドアに手を掛け、中の様子を窺いながらゆっくりと開きました。

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この部屋も雨戸が閉められ、雨戸周辺の隙間が白く細い線になって光が漏れているものの、基本的に部屋の中は真っ暗で何も見えません。

マユミと私はスマホのライトを部屋の中に向け、ゆっくりと部屋に入りました。

部屋は六畳ほどの広さの洋間で、フローリングの床は私達が歩くたびにみしっと軋む音がします。

部屋の中には何も置かれていない木製の机と椅子、そして部屋の真ん中に寝具のない剥き出しのパイプベッドがあり、マユミが四つん這いになってベッドの下を確認したのですが、そこにも沙耶の姿はありません。

他に沙耶がいそうな場所はと部屋の中を見回すと、ドアの右側、ちょうど階段の上になる部分に折れ戸のついたクローゼットが目に留まりました。

「留美、ちょっと開けてみてよ。」

運悪く私がクローゼットの近くに立っていたため、当然のことのようにマユミが私に言いました。

「え~っ」

なんとかマユミにこの役を押し付ける理屈を頭の中で必死に探しましたが見つからず、そうかと言って開けてみないという選択肢はないと観念した私は左右に開く折れ戸のノブに手を掛けました。

「お~っ?」

思わず声が出ました。

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一気に左右へ扉を開くと、スマホの光の中に私やマユミと同じベージュのベストにネイビーのブレザーが飛び込んできました。

私達はその瞬間、沙耶がいたと思いました。

こんなところに隠れていたと。

「えっ?何これ。」

しかしよく見ると、その制服には頭も脚もなく、また厚みもないことに気がつきました。

そう、それはハンガーに掛けられた制服でした。

一応内側からブラウス、ベスト、ブレザーの順になっているものの、掛け方はかなり雑です。そして私がそれに手を伸ばし、手が触れた途端に何かがぱさりと落ちました。

ライトを向けてみるとそれはチェックのスカートでした。

この家には私達と同じ学校に通う女の子がいたのでしょうか。

「ちょっといい?」

マユミが私の後ろから手を伸ばし、掛けてあるブレザーの胸ポケットに手を突っ込みました。そして指先で白いプラスチックのプレートを摘まみ出したのです。

それは学校にいる時には胸に付けていなければならないネームプレートで、胸ポケットの縁にクリップで止めるようになっています。

もちろん学校外で自分の名前を晒して歩くのは問題があるため学校を出る時に外しますが、忘れたり、無くしたりしないように、そのままブレザーの胸ポケットに入れておく子が多く、この家の子も同じだったのでしょう。

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マユミは摘まみ出したネームプレートをスマホのライトで照らすと、もう一度制服の方に視線を戻しそのまま動かなくなってしまいました。

「どうしたの?」

私はマユミの手からネームプレートを取り、自分のスマホで照らして確認しました。

【飯島】

これは沙耶の苗字です。偶然なのでしょうか。

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沙耶の制服全部がこのクローゼットに掛けてある状況が全く想像できません。

つい数分前まで沙耶はこの制服を着て目の前に立っていたのです。

やはりたまたま同じ苗字だと考えるしかありません。

するといきなりマユミがまた制服に手を伸ばし、今度はブレザーの横にあるポケットから掴み出したのはカピバラの消しゴムでした。

昼休みにこの消しゴムが可愛いとみんなで盛り上がっていたものに間違いありません。

「どういうこと?これは沙耶の制服よ。

沙耶は裸なの?こんなところで服を脱いでどこへいったの?」

その消しゴムを見た私は思わず湧いてきた疑問を口にしました。

「そんなこと聞かれたって私だって分かんないよ!」

それを聞いたマユミが怒ったような口調で私に向かって怒鳴りました。

「ごめん、マユミに向かって聞いたんじゃないの。思わず口をついて出ちゃったのよ。」

「とにかく、沙耶と早紀を置いて帰るわけにはいかないわ。早く探しましょ。」

この部屋にはもう沙耶が隠れられるような場所はありません。

私はマユミと手をつなぎ、奥にある隣の部屋へと向かいました。

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ドアのノブに手を掛け、ゆっくりとドアを開けると、この部屋も真っ暗でした。

手に持ったスマホでゆっくりと部屋の中を照らすとそこは六畳の和室で、部屋の中には三面鏡と思われる和風の鏡台が閉じた状態で置かれ、部屋の奥には箪笥があります。

恐る恐る部屋の中に入っていくと、マユミも後ろから私の制服の襟を掴んでついてきます。

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もう一度部屋の中を見回しましたが、沙耶の姿は何処にもありません。

しかしライトの光の中に押入れの襖が現れました。

「開けてみるの?」

背後からマユミが怯えた小さな声で聞いてきました。

私も怖いのはもちろんですが、このまま確認しないわけにはいきません。

沙耶は二階にいるはずであり、二階で残っているのはこの押し入れの中だけなのです。

「じゃあ、開けてみるね。」

押入れの中に茶目っ気たっぷりの沙耶が私達を驚かそうと隠れているかもしれないと思い、

半身に構えながらも、心の中でそうであることを期待して躊躇うことなく襖を一気に開きました。

しかしそこにも期待していた沙耶の姿はありませんでした。

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押入れの中にライトを突っ込んで確認してみましたが、上の段も下の段も、もぬけの殻です。

「なんにもないよ。」

私は下の段を確認するためにしゃがみこんでそう言ったのですが、

背後にいるはずのマユミから何の反応も返ってきません。

「マユミ?」

どうしたのだろうと振り返ると、そこにいるはずのマユミの姿がありません。

「マユミ!」

慌ててマユミの姿を求めて部屋の中をぐるぐるとライトで照らしました。

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マユミの姿は何処にもなかったのですが、ふと部屋の中のある変化に気がついたのです。

この部屋に入ってきた時には閉じていたはずの鏡台の三面鏡が開いているではありませんか。

もちろんそんなことよりもマユミまでいなくなったことの方が重大なはずなのですが、

その時は何故かその鏡台の変化に意識が向いてしまったのです。

(なぜ鏡が開いているのかしら・・・・)

私は押入れの前で立ち上がると鏡台にライトを向けたままゆっくりと近づいてみました。

三面鏡の右側の一枚がこちらを向いており、私のスマホのライトを反射しながらその後ろの闇の中にうっすらと私の顔を映しています。

鏡から反射された光でその顔は白っぽく、まるで闇に浮かんでいるようです。

少しずつ鏡に近づき、あと1メートル程まできた時、鏡に映る私の顔の後ろにもうひとつ顔が浮かんでいるのに気がつきました。

「マユミ?」

後ろを振り返りましたが、そこには誰もいませんでした。

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気のせいかと思いましたがやはり薄気味悪くなり、マユミの姿を求めてもう一度部屋中をライトで照らしてみましたがやはりその姿は何処にもありません。

その時三面鏡の中央の鏡に人の姿が映っていることに気がつきました。

自分の姿は先程と同じように右側の鏡にスマホの光と共に映っています。

鏡の角度から考えても中央の鏡に映っているのは自分の姿ではなく、そしてその鏡が映しているだろうと思われる辺りにももちろん誰もいません。

もう一度鏡に映った姿を見ると、顔は俯いているためよく見えませんが、長い髪の毛に黄色いワンピースを着た女性です。

早紀から聞いた幽霊でしょうか。

そしてその服は先程沙耶が押入れから掴み出したワンピースに似ているような気がします。

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私は、鏡に映った女性から目を離すことができず、硬直したように鏡を見つめ続けていると、いきなり俯いていた彼女が顔をあげたのです。

「ぎゃ~っ!」

鏡を通して私に向けられた女性の目は死んだ魚のように真っ白でまるで生気が感じられず、

その目で見つめられた途端にお腹の底からこれまでに感じたことのないような恐怖感が湧きあがりました。

そして自分でもこれまで聞いたことのない、踏みつけられた野良猫のような悲鳴を上げてその部屋を飛び出しました。

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転がるように階段を駆け下りると、そこは窓から差し込む光で二階よりも明るく、少しほっとしたものの、とにかく一度この家から出ようと玄関のドアに飛びつきました。

もちろん鍵が掛かっており、鍵を開けようとドアロックのタブを回そうとしたのですが、そのタブはまるで溶接されているかのようにピクリとも動きません。

「ああ、もうっ!なにこれ、壊れてるの?」

今にも二階からあのワンピースの女性が降りてくるのではないかという恐怖から、玄関の鍵を開けることはすぐに諦め、勝手口へ向かおうとリビングへ駆け込み台所へと向かいました。

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しかし、リビングから台所へ抜けるガラスの引き戸の前で私は固まってしまいました。

開いたままになっていたはずの引き戸は閉じられており、

その前にはあの黄色いワンピースの女性がこちらを向いてじっと立っていたのです。

鏡の中では薄暗い中で顔と体の一部しか映っていなかったのですが、目の前に立つその女性は比較的小柄で、年齢は40歳前後でしょうか。

相変わらずの白い瞳でこちらを見つめています。

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「いやあ~っ!」

私は悲鳴を上げて踵を返すといま入ってきたリビングを飛び出したのですが、玄関は開きません。

残された選択肢として奥の部屋に走り、中へ飛び込むと夢中で一番奥にある掃き出しの窓に駆け寄りました。

そしてサッシのロックを外して窓を開けると、雨戸のロックを解除する紐が下がっていたので夢中でその紐を引っ張るとガチンというロックの外れる音が聞こえました。

雨戸を開けようと手を雨戸に掛けた瞬間、誰かが後ろから私の両肩をがっちりと掴んだのです。

どう考えてもあの女性に間違いありません。

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「ぎゃ~!」

再び悲鳴を上げて夢中で雨戸を横に引き開けると、私は夢中でそのまま外に転がり出たのです。

勢い余って庭の雑草の上で前転してしまいましたが、すぐに体を起こして今自分が飛び出してきた窓を振り返りました。

半分ほど開かれた雨戸と窓の奥に、一瞬あの女性の姿が見えましたが、それはすぐに掻き消すように消えてしまいました。

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取り敢えずあの幽霊からは逃れられたようです。

しかし他の三人はまだ家の中にいるはずです。

もちろんこのまま見捨てて帰ることはできませんが、もう一度家の中へ戻るなどということはとても無理です。

わたしはとにかく必死で庭沿いに門まで走りました。

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靴を履いていないため雑草や小石が足の裏に嚙みついてくるのですが、そんなことには構っていられません。

痛みをこらえて門までたどり着き、門扉から転がり出るとその場にしゃがみこんでポケットからスマホを取り出しました。

ずっとライトをつけっぱなしだったので、バッテリーの残りはわずかです。

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今飛び出してきた家を見つめながら沙耶に電話を掛けて見ました。

―お掛けになった電話番号は電源が入っていないか、電波の・・・・・―

そんなはずはありません。この家の中で一緒にスマホを握っていたのです。

しかし早紀に電話を掛けても、マユミに電話を掛けても結果は同じでした。

三人ともまだこの家の中にいすはずなのに。

私は、どうしてよいかわからず、警察に電話したのでした。

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◇◇◇◇

数分後にパトカーが到着し、道路に座り込んでいる私の目の前に停車すると、ふたりの警察官が駆け寄ってきました。

私は聞かれるがまま正直に、幽霊の噂話に釣られてこの家の中に忍び込み、黄色いワンピースの女性の幽霊を見て、

そして一緒に入った他の三人がいなくなってしまったと話をしました。

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「じゃあ、確認してみるから、家の中へ一緒に来てもらえる?我々も一緒に行くから大丈夫だよ。」

警察官のひとりが優しくそう問いかけてくれたのですが、たとえ警察官が一緒でもこの家の中に戻るなんて考えるだけでも膝が震えます。

「嫌です!怖くて入れません。」

ふたりの警察官は困ったような顔をして顔を見合わせていましたが、仕方がないといった様子で私をパトカーの後部座席に座らせると、ここで待っているようにと念押ししてふたりで家の中へと消えていきました。

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◇◇◇◇

結局三人は見つかりませんでした。

しかし勝手口には全員分の靴や沙耶の制服が残っており、これによって警察は私の言うことを訝しがりながらも信じてくれたようです。

そして応援の警察官も呼ばれて再度家の中を捜索したのですが結果は同じでした。

その間、私はパトカーの後部座席で大人しくしていたのですが、門のところで警察官と話をしている老婦人に気がつきました。

何となく気になった私は、その女性が警察官と話を終えたのを見計らい、パトカーから降りると彼女に声を掛けて見ました。

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その老婦人はこの家の持ち主でした。

私はこの人なら何かを知っているかもしれないと思い、先程見掛けた黄色いワンピースの女性のことについて聞いてみたんです。

「そうですか・・・黄色いワンピースを着ていたんですね・・・」

期待に反してその老婦人はそう呟いただけで何も話してはくれませんでした。

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◇◇◇◇◇◇◇◇

あれから四年。

早紀も、沙耶も、マユミも行方不明のままです。

あの家はそんな事件があったこともあり、買い手がつくはずもなく取り壊される話が進んでいたのですが、比較的金銭的に裕福な沙耶の両親があの家を買い取りました。

あの家のどこかで異世界に消えてしまった娘が、もし戻ってくることがあるとすればあの家ではないかと、潰してしまうのを是としなかったのです。

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いつまであの家をそのままにしておくつもりなのかはわかりませんが、今は時折三人の両親が覗きに来るだけで、あの家の中へ足を踏み入れる人はもちろん誰もいません。

◇◇◇◇ FIN

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追記

最近になって沙耶の両親に会う機会がありました。その時に沙耶のお父さんがあの家にまつわる話を聞かせてくれたのです。

沙耶のお父さんが、買い手のつかないあの家を買い取る時の条件として、あの老婦人から聞き出したのは次のような話でした。

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沙耶達が行方不明になる10年程前のことになります。

その頃あの家には、夫婦と小学六年生になる女の子、そして奥さんの母親の4人が暮らしていました。

この家のご主人は公務員だったのですが、仕事のストレスからか家庭内暴力が酷く、奥さんや子供、そして母親にまで毎日のように暴力を振るっていました。そしてある冬の夜、娘が言うことを聞かないとご主人が素っ裸にして庭に放り出し、娘は可哀そうにそのまま凍死してしまいました。

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逆上した奥さんは旦那に食って掛かったのですが、逆に旦那に包丁で刺し殺されてしまったのです。

それはやはり奥の部屋だったようで、あのシミは奥さんの血の跡だったのでしょう。

奥さんの母親、つまり話をしてくれたその老婦人なのですが、

彼女は、夫婦が争っている間にトイレへ逃げ込んで警察へ電話し、

駆け付けた警察官によりご主人はその場で逮捕されました。彼は無期懲役になり、いまも刑務所にいるそうです。

黄色いワンピースは奥さんが殺された時に着ていた服でした。

―終―

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