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中編5
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まばたき

俺は壁にあいた穴から、目を離せないでいた。

それを見つけたのは、偶然だというよりほかない。

仕事帰りの電車で急な腹痛に襲われ、いつもより一駅早く降りたこと。駅から家までの最短の道のりを工事によって迂回しなければならなかったこと。

そして、大きな屋敷の横を通っているときにたまたま野良猫が前を横切ったこと。

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それらのすべてが偶然で、なんとなく目線がつられて猫の行方を追っていると、その屋敷の立派な壁に、五百円玉ほどの大きさの穴を見つけた。

その時には猫は消えていた。おそらく壁を越えて、敷地内へと入っていったのだろう。

俺もまた、壁の向こう側に興味が湧いた。薄暗い夕暮れ時。人通りの少ない一本道。周りには他の家も公園もない。

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不審者として誰かに発見され、通報されることはなさそうだ。俺はよくないことだと分かっていても、つい出来心で穴を覗いた。

壁の向こうには、天国が広がっていた。

女性が二人、平安時代の貴族のように蹴鞠に興じていた。それも彼女たちは、二人とも裸だった。

鞠の行方なんて、誰が見るだろうか。俺は二人のよく弾むものを交互に見ては、その形なんかを比べたりした。

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まるで壁の向こう側だけ夕暮れの空ではなく、南国の晴れ渡る空のように輝いて見えた。俺の性欲は波のようには引かず、押し寄せては募るばかりである。

そろそろこの場を離れなければと思う自分と、もう少しだけと食い下がる自分が睨み合いを続けている。しかし、至福の時間は、突如として終わりを告げられた。

「うわあああ!」

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背後で叫び声がして振り向くと、俺と同じサラリーマンの格好をした男が慌てふためいて逃げていくのを見た。俺はその瞬間、心臓を掴まれたような気持ちになった。

彼は、不審な俺の様子に驚いたのだろうか。もしくは、既に穴の存在を知っていて、先客がいたことに驚いたのか。

いずれにしても俺は居心地の悪い気分になり、こんなものさえなかったらと先刻夢中だった天国の景色も忘れて、壁の穴を睨みつけようとした。

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しかし不思議なことに、先程まで確かに存在した穴は、すっかりと消えて無くなっていた。

壁の穴はまるでまばたきをする目のように、たまたま開いていたように思えた。

しかし、その後いくら屋敷の前を通っても、あの穴は二度と目を覚まさなかった。

そして、壁の向こうに広がる夢のような光景もまた、穴と一緒に眠りに落ちていった…。

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「以上が最近俺の身に起きた、不可解な事件の全貌である」

同僚のAは食堂の席で、まばたきを繰り返しながらそんなことを言うのである。

私はAの顔を見て、どのように返事をすれば良いか困っていた。彼もまた、私の気まずそうな態度に気づいて、

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「よかったら今度、一緒にその屋敷を見にいかないか?」そうふざけて笑った。

その後、Aは定食の残りを平らげ、「俺は今日こそ彼女たちに会いに行ってくるよ」とウインクしながら去っていった。

私は彼がいなくなった後の空席を、複雑な気持ちでぼんやりと見つめていた。

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…私はすでに、あの屋敷について知っていた。決して、穴を覗いたわけではない。

ましてや、恐ろしくて、実際に行こうとは到底思えない。

あの屋敷には、「壁目(かべめ)」という、古くからの言い伝えがあった。

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それは平安時代、まだ夜這いが一般的だった頃の話である。この屋敷には当時、生まれつき盲目な双子の姉妹が両親と一緒に住んでいた。

彼女たちは、その美貌によって多くの男に目をつけられた。しかし、娘を溺愛していた両親は、野蛮な外野からの視線を遮ろうと大きな壁をこしらえて屋敷を囲った。

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村の男たちはそれでも姉妹との逢瀬を諦め切れなかった。もちろん、玄関から堂々と入っては厳格な父親に打ちのめされるのは分かっていた。

彼らが美しい双子の姿を見るには、壁に穴を開けるしかなかった。そしていつしか屋敷の壁には、数え切れないくらいに多くの穴ができたという。

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…ある日、一人の男がいつものように壁の穴を覗き込んだ。姉妹は普段から庭でさまざまな遊びに興じていて、その姿は女神のような全裸だった。

だからこそ、庭に向かう壁だけにいくつもの穴が開けられたわけだが、その日の彼女たちを見た男は、思わずあっと声を上げた。

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姉妹は、蹴鞠をしていた。しかし、蹴っているのは鞠ではなかった。

それは、村一番の色男である利基という男の「頭」だった。利基は特に姉妹に心酔していて、しかし二日前から行方が分からなくなっていた。

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男は、声を出してしまったことを後悔した。その声に反応した姉妹の顔が、同時にこちらを向くのがわかった。

利基は二人に殺されたのだろうか。そもそも、なぜ彼女たちは目が見えないのに蹴鞠ができるのか。

それらの疑問は解決されないまま、彼もまた行方をくらました。その後、穴を覗いた村の男たちは次々と消えていき、姉妹の姿を見ようとする者は、誰一人としていなくなった。

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…もちろん、平安時代の建物である屋敷自体は、今では取り壊されて別ものになっている。またそこに住んでいる者も、姉妹の家系と同じ血筋というわけではなく、ただの無関係なお金持ちである。

ただ、壁だけは昔から変わらずぼろぼろになりながらも屋敷を囲っていた。以前の穴は補強目的で塞がれたはずだが、時々Aのように、穴があいていると言って覗き込む者がいるらしい。そして実在しないその穴からは、姉妹の幽霊が見えるのだという。

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私は、話をしていた時のAの顔を思い出した。彼は美人の裸を見れたことを嬉しそうな口調で伝えていたが、私にはその喜び方が演技のように思えてならなかった。

Aは、嘘をつく時、極端にまばたきの回数が多くなるのだ。本当は生首を蹴る姉妹の姿を見てしまい、裸を拝めた嬉しさよりも生首の恐怖に怯えていたのではないか。彼が何度も穴を気にかけていたのは、もう一度真実を確認して安心したいと考えているからでは…。

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そして、もうひとつ。「壁目」というのは決して、屋敷の外から中を覗き込む男たちの目のことをいっているわけではない。

誰かが壁の穴を覗いている時、屋敷の側からもまた、無数の目がその人を見ているのだという。

Aの後ろで叫び声を上げたサラリーマンの男は、きっと見てしまったのだろう。本来ないはずの穴が壁の至る所に現れ、そこから幾つもの目がAを見ているのを。

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双子の姉妹は生まれつき目が見えなかった。だからこそ、自分たちを穢そうとする男たちを監視しようと、幽霊になってなお無数の目を壁に宿したのかもしれない。

また一説によると、行方不明になった男たちは後日遺体となって戻ってきた。その遺体はどれも目玉を抜き取られていて、特に顔の良かった者は、首を落とされていたのだとか。

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翌日、Aは会社に来なかった。次の日も、その次の日も、彼から何の音沙汰もなかった。

風の噂によると実家にも帰っておらず、どうやら行方不明になったらしい。

今度こそ穴を覗くと意気込んでいたAは、彼女たちに首を切り落とされたのだろうか?

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決して悪くはない無邪気なAの顔を思い出しながら、しかし、真実を確かめにあの屋敷へ行こうとは、到底思うことができなかった。

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