長編13
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不思議な体験

子供の頃からの親友である美優の旦那が突然亡くなりました。

交通事故でした。

仕事を終えて車で家に帰る途中、道路に飛び出してきた子供を避けての自爆事故だったようです。

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ふたりは高校時代に知り合い、十年の交際の末に去年結婚したばかりでした。

私は、亡くなった旦那の勇作君もふたりが交際を始める前から知っていました。

と言うよりも勇作君はそもそも私のクラスメイトで、私が美優と引き合わせたのです。

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小さい時から一緒だった美優の好みを知り尽くしている私は、勇作君と同じクラスになった時から美優にはこいつだと思っていました。

そして夏休みに偶然を装って図書館でふたりを引き合わせると、案の定、ふたりともビビッときたようで、交際を始めるまでに時間は掛かりませんでした。

そのような経緯もあり、私はふたりの付き合いをずっと心の底から応援していました。

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高校、大学、そして社会人と、明るい性格のふたりは、周囲を巻き込みながら交際を続け、十年目となる昨年になってやっと大勢の友人達に祝福されて結婚式を挙げたのです。

ふたりの通勤に便利なように駅に近い素敵なマンションに新居を構え、私も何度か招待されて遊びに行きました。

ふたりとも実家暮らしだったため、三十になる迄は子供を作らずにふたりきりの生活を楽しみたいと言い、とっても幸せそうなふたりでした。

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◇◇◇◇

しかし結婚して一年も経たずに、まさかこんなことになるとは。

美優の悲しみ、落胆ぶりは周りで見ていても目を覆いたくなるような有様でした。

遺体が帰ってきてからずっとすがりついたまま離れようとせず、泣き続ける彼女。

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これではとても任せられないと、葬儀の喪主は勇作君のお父さんが引き受けてくれました。

お通夜、告別式と、油断すると棺桶にすがりつこうとする彼女を私は必死でなだめ続けました。

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そして火葬場で、「それでは、点火します。」という係の人の言葉に、

火葬場中に響き渡った美優の悲鳴を私は一生忘れることは出来ないでしょう。

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そして灰となった彼の姿を見た途端に気を失った彼女は骨を拾うことも出来ず、私を含めた彼の親戚一同で相談した結果、

彼の遺骨は勇作君と美優のマンションではなく、勇作君の実家に置かれることになりました。

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美優は自分のマンションに置いてくれと懇願したのですが、

「勇作の遺骨はお前だけのものじゃない!」

と、勇作君の父親から強烈な叱咤を受け、

美優は唇をかみしめて俯くしかありませんでした。

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忌引き休暇で仕事を休める間はずっと勇作君の実家に留まり、遺骨の前に座り続けていたようですが、仕事が始まるとマンションに戻り、それでも決して近くはない実家に毎日のように足を運び線香をあげ、涙を溢していました。

そして四十九日の法要が執り行われた際に、泣き続ける美優の傍にお坊さんが近寄り、肩に手を置いて優しく言いました。

「奥さん、悲しいのは分かりますが、この四十九日を過ぎたら故人のことは徐々に忘れて元の生活に戻ることが大事です。故人に執着し続けると彼も成仏することが出来ません。思い出すのは命日だけで充分ですから、勇作さんがちゃんと向こうの世界へ行けるように気持ちを整理して下さいね。」

しかし、美優はその言葉に返事をしませんでした。

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そして勇作君の遺骨はお墓に納められ、美優はお墓に通っているのでしょう、彼の実家に立ち寄ることもあまりなくなりました。

勇作君の両親が気を使って、早く忘れて新しい生活を始めるように勧めることが逆に辛かったのかもしれません。

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◇◇◇◇

しばらくはそっとしておいた方がいいと思っていたのですが、やはり様子が気になった私は会社が休みの日に美優のマンションを訪ねてみました。

案の定、彼女は出かけることもせずに部屋に居り、呼び鈴を押すと青白い憔悴しきった顔を覗かせました。

「美優、大丈夫?随分痩せたみたい。」

美憂が招き入れてくれた部屋は、勇作君がいた頃のままなのですが、線香の匂いが充満し相当に散らかっていました。

ソファテーブルにはビールの空き缶やゴミが散らかり、脱いだ衣類も散乱しています。

勇作君の遺品も全く整理されていません。

長年の付き合いで見栄を張る必要のない私だからそのまま招き入れてくれたのでしょう。

リビングに置いてあるチェストの上には香炉が置かれ、これでもかと言わんばかりに勇作君の写真が並んでいます。

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そして見兼ねた私がゴミだけでもと部屋の片づけを始めたのですが、美優はソファに腰を下ろして私のことをぼっと見ているだけでした。

それでもひと通り片づけを終え、持ってきた美優の大好物のプリンをテーブルに出すと、美優は少し微笑んでスプーンを手に取りました。

「ありがとう。おいしい。」

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あの根っから明るくて前向きな美優は何処へ行ってしまったのでしょう。

このままではいけない。

それはもう誰の目から見ても明白です。

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「美優、辛いけど勇作君の事はもう忘れようよ。そうしないとお坊さんが言っていたように勇作君もずっと彷徨い続けることになっちゃうわ。」

「わかってるわよ・・・わかってる。でもどうすればいいのか、分かんないの。だって忘れたくないんだもん。」

これまでのふたりを見てきた私にもその気持ちは痛いほどよく解ります。

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しかし、なんとかしなければという思いから言わずにはいられませんでした。

「でも、いまの美優を見ていたら、高校の時にあなた達を引き合わせなければよかった、そうすればこんなことにはならなかったのにって思えて辛いのよ。」

その途端、美優の手が私の頬に飛んできました。

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彼女と二十年一緒にいて彼女に叩かれたのはこれが初めてです。

「そんなこと言わないでよ!それって私と勇作の十年がなければよかったって事でしょ?私も勇作も、優子にはずっと感謝してたんだから、お願いだからそんなこと言わないで。」

美優はそう言って私に抱きつくと、しくしくと泣き始めました。

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かなり精神的に参っている彼女にどう接すればいいのか思案していると、しばらくして美優は身体を離し、またプリンを手に取って食べ始め、そして呟くように話し始めました。

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「実はね、私、最近変な夢を見るの。」

「変な夢?」

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もともとお酒が嫌いではなかった美優は、ひとりの寂しさを紛らわすためにソファで毎晩お酒を飲みながら、夜の時間を過ごしているのだと言いました。静けさが嫌でテレビは点けるのですがその内容は全く頭に入らず、ひとりぼっちのベッドに入るのも余計に辛くなるので、大体ソファの上でそのまま寝てしまうのだそうです。

そして彼女の夢と言うのは、夜中にふと勇作君の声が聞こえたような気がして目が覚め、ふらっと裸足のままマンションの部屋を飛び出すのですが、そこはいつもの街なのに街灯もなく、通り過ぎる車も人通りもなくて辺りは静まり返っているのだそうです。

しかし空はまるで夜が明け始める直前のようにうっすらと明るく、周囲も真っ暗と言う訳ではありません。

その暗い街のどこかに勇作君がいるような気がして、彼の名を呼びながら、まるで廃墟のようなひと気のない薄暗い街中を彷徨い歩いているうちに目が覚めるのだそうです。

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「ふうん、奇妙な夢ね。」

「毎日、同じ夢を見るのよ。もう十日以上。そう、勇作の四十九日の法要が終わってしばらくしてからずっとなの。」

「全く同じ夢なの?」

「ううん、空の色が少し違ってたり、時々光の玉のようなものが空を飛んでたりするけど、基本は同じなの。でもね・・・」

「でも?」

「この前、目が覚めた時に足の裏が少し汚れているのに気がついたの。」

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目を醒ますと、目の前の散らかったテーブルや点けっぱなしのテレビなど全て眠りに落ちた時のままであり、夢としか思えないのだけれど自分の足の汚れに気づいた途端、あれは夢ではないのではないかと不安になったそうです。

でも街中の様子はどう考えても現実とは思えません。

しかしこの辺りはほぼ舗装されている道のため、雨が降っていない限り裸足で歩いても足が泥だらけになることはないので、その日まで気付かなかっただけなのかもしれないと言うのです。

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私は美優が、今の精神状態により夢遊病を発症してしまったのではないかと不安になりました。

夢遊病で実際にはいつもの街中を歩いているのだけれど、本人の意識ではそのような廃墟のような街にしか見えていないという事があり得るのでしょうか。

「ねえ、今晩、ここに泊ってもいい?美優が夜、本当に出歩いていないのかちゃんと確かめたいの。」

「うん。お願い。」

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◇◇◇◇

私はあまり外に出たくないという美優の代わりに買い物に出かけ、お酒や食材を買い込んでくると、美優の為に料理の腕を振るいました。

「余分に作った分は全部冷凍庫の中に入れておくから、順に食べるんだよ。ちゃんと食べなきゃだめだからね。」

「うん。ありがと。」

そして私と美優はソファに並んで座り、できるだけ勇作君の話題に触れないように昔話をしながら食事をし、お酒も飲みました。

ふと気がつくともう深夜になっており、いつの間にか美優は私の腕に抱きついて穏やかな顔で眠っています。

美優の夢遊病の確認のために起きていなければと思っていましたが、私と一緒にいて精神的に落ち着いているのだとすると今夜は夢遊病を起こすことはないのかもしれません。

美優の穏やかな寝顔を見ると、私が傍にいてあげれば、時間は掛かっても何とかなるかもしれないと少し安心しました。

そしていつの間にか私もそのままの姿勢で眠ってしまったのです。

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ふと横にいる美優が動くのを感じて目を醒ました。

目を開けるといつの間に消したのか、部屋は真っ暗です。

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その闇の中を美優がふらふらと玄関へ向かって歩いて行くではありませんか。

「美優!」

声を掛けても美優は振り向きもせず、そのまま玄関を出て行きます。

私は起き上がると慌てて後を追いました。

そしてマンションを出たところで、目の前に広がる様子に愕然としました。

そこは美優が話してくれた通りの街並みが広がっていたのです。

見慣れた美優のマンションの前には違いないのですが、灯りが何ひとつ見えません。いま出てきた背後のマンションも灯りひとつなく真っ暗です。

しかし空はまるで夜明け前のようにうっすらと明るく、見上げると東の地平線はまるでオーロラのように緑色に光っていました。

その空からの僅かな光で周囲の様子は解るのですが、それは美優の言った通りに廃墟と呼ぶのにふさわしい光景でした。

まったく灯りのない通りには、誰も歩いておらず、車の通る音もまったく聞こえません。

前を裸足で歩いて行く美優のひたひたと言う足音が聞こえるほど静かなのです。

「勇作!」

時折美優が横の通りを覗き込むようにして声を掛けるのですが、静けさの中をこだまが跳ね返ってくるだけで、返事はありません。

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その時、ふわふわと何か光るものが目の前を横切りました。

一瞬ホタルかと思ったのですが、ホタルよりも大きく飛び方がどこか違います。

勇作君の魂ではないか、私は何故かふとそう思いました。

そうしている間にも美優はどんどん歩いて行きます。私は慌てて小走りで美優の後を追い掛けました。

そして駅前を通り過ぎて、線路横の少し開けた場所に出た時でした。

前を歩いていた美優が突然振り向き、私の腕を掴んだのです。

そしてその途端、いきなり無数の白い光が緑色に光る地平線に向かって空を横切りました。

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暗闇の中で突然現れたその眩しい光に目が眩み、そして次の瞬間、私は美優の部屋のソファに座っていました。

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夢だった?

横を見ると美優も目を開けて私の顔を見ています。

「私、やっぱり今日もいつもの夢を見ちゃった。でも今日はね、なぜか優子が一緒だったの。」

私達は全く同じ夢を見ていました。

そして美優は何処からか解らないけれど、勇作君の声で”優子を捕まえろ”という声を聞いて慌てて私の腕を掴んだと言いました。

そのお陰で私は美優と一緒にここへ戻ってこられたのかもしれません。

本当にあれは夢?

勇作君はやはりあの暗い街のどこかにいたのでしょうか。

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◇◇◇◇

それからしばらく仕事が忙しく、気になりながらも美優のところに行く機会を逸していました。

ところが突然に美優が入院したとの連絡が入ったのです。

急に胸の痛みと激しい頭痛に襲われ、自分で救急車を呼んで搬送されたそうです。

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慌てて病院へ駆けつけましたが美優は薬で眠っており、看護師さんに話を聞くと、原因は分からないけれど今のところの検査結果では命に別状はなさそうだと教えてくれました。

ひとまずほっとしてベッドで眠っている美優の顔を見ると、先日よりもさらに痩せたような気がします。

私が作り置きした料理は食べてくれなかったのでしょうか。

でも美優が自分で救急車を呼んだという事は、彼女がまだ生きる気力を失っていないという事であり、私はその意味で少しほっとしました。

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そしてその翌日、もう一度仕事を途中で抜け出して美優を訪ねると、美優は目を醒ましていました。

「検査の結果、特に異常はないんだけど、運ばれてきた時の状態からすると安心はできないから、あと二、三日入院して様子を見ましょうって言われちゃった。」

美優は力なく、そう微笑みました。

「何かマンションから持って来て欲しい者はない?取って来てあげるわ。」

「じゃあ、優子は怒るかもしれないけど、テレビの横に置いてある勇作の写真を持って来てくれない?」

「何言ってるの。怒る訳ないでしょ。分かったわ。明日持ってくるね。」

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◇◇◇◇

そしてそれから私は時間を見つけて毎日美優のところに通い、いつ退院してもいいように彼女のマンションを片付けておきました。

しかし、二、三日と言われていた入院が一週間に伸び、何か問題でもあるのだろうかと不安になっていたその日、私が午前中に病院へ見舞に行くと美優はいつになく明るい表情で私を迎えてくれました。

そしていつもの雑談が途切れた時、突然美優がその話を切りだしたのです。

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「ねえ、優子、この前一緒に見た夢の事を憶えてる?」

私が頷くと美優は続けます。

「私、入院してからも毎日同じあの夢を見てるの。」

入院してからも、という事は少なくとも夢遊病の類ではないという事になります。

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もちろん、あの日美優と同じ夢を見てから、何が起こっているのか分からないまでも、少なくとも夢遊病だとは思っていませんでしたが。

「そしてね、夕べ、と言うか今朝早くの夢の中に初めて勇作が出てきてくれたの。そして私に向かってこっちへおいでと言わんばかりに両手を広げてくれたんだ。だから私は勇作に向かって駆け出したんだけど、そこで目が醒めちゃった。」

これまで、その気配だけで姿を見せることがなかった勇作が姿を見せたという事は何か意味があるのでしょうか。

私の胸の内に不安が湧きあがってきます。

「優子、今日は何の日だか知ってる?」

私は今日の日付を思い浮かべ、思い出そうとしましたが思い当たるようなことはなく、首を横に振りました。

「今日はね、勇作が死んじゃってから百日目なの。」

その言葉を聞いて、私は言葉も出ずに固まってしまいました。

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百箇日(ひゃっかにち)。

最近は執り行われることが少なくなりましたが、四十九日の次に来る法要になります。

この日は卒哭忌(そっこくき)とも呼ばれ、声をあげて泣く”哭”から遺族が卒業し、それぞれの日常に戻って行く節目なのです。

そして故人にとっては、四十九日で極楽へ行けなかった人の二度目の審判の日とされています。

勇作君は、美優の悲しみが、そして戻って来て欲しいという思いが強すぎて四十九日で極楽へは行けなかったのかもしれません。

そしてこの二度目の審判の日になっても美優の悲しみが癒える兆しが見えず、彼女がずっと苦しみ続けるくらいならと、勇作君は美優を迎えに来たという事なのでしょうか。

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「美優!今すぐ勇作君の事はきれいさっぱり忘れなさい!すぐよ!いますぐ!」

私は夢中で美優に訴えたのですが、美優はそんな私に対し静かに微笑みました。

「優子、ありがとう。優子が何を言いたいのか解るわ。でももう勇作は迎えに来てくれているの。そして私も喜んで勇作と一緒に行く。」

微笑む美優の手を握りしめた私は、もう何を言えばいいのかもわからず、嗚咽するしかありませんでした。

私はその日、午前中に美優の顔を見たら仕事に行くつもりでしたが、病室を離れることが出来なくなりました。

ベッドの横では勇作君の写真が静かに微笑んでいます。

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そんなの迷信だ。

心の中でそう叫びながら美優の手を握っていたのですが、お昼過ぎに急に美優の容態が悪化し、そして日没の頃、美優は穏やかな表情で息を引き取ったのです。

今頃、美優はあの廃墟のような街で勇作のもとに駆け寄り、ふたり一緒に光の線になって緑色に光る地平線の向こうへと飛んでいったのでしょうか。

もちろんその向こうには、ふたりの安住の地が待っているに違いありません。

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◇◇◇◇◇◇◇◇

私は心に誓いました。

私が引き合わせたふたりがこんなことになり、今は慟哭するしかないけれど、

今日から四十九日の間にふたりのことは忘れよう。

四十九日の法要の時は笑顔で美優を向こうの世界へ送り出そう。

そうしないと今度は私が彼女を彷徨わせてしまうから。

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“生まれ変わってもまた一緒になろうね。”

聞くたびになんて陳腐なセリフだろうと思っていました。

でもふたりには生まれ変わってまた一緒になって欲しい。

そしてその時こそ、ふたりで幸せに寿命を全うして欲しいと心から願っています。

◇◇◇◇ FIN

Concrete
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