2階に上がってはいけなかった、、、
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俺が高校まで住んでいた父の実家は兵庫県北部の山あいの小さな集落にあり、昭和の始め頃から代々農業を生業にしていたんだ。
一番近いスーパーでも100キロ先というとんでもない過疎部落で、昼間でさえも通りを歩いている人を見つけるのが困難なところだったな。
家は昔ながらの2階建日本式家屋で、庭も広くて立派だったよ。
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これから話すのは、嘗てそんなド田舎で暮らしていた俺が、中3だった頃体験した恐ろしくて不思議な話だ。
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その頃の家族構成は、両親、祖母、俺、そして8歳の妹。
当時は両親とも毎日朝から晩まで仕事を忙しくしてて、どちらかというと俺と妹は放ったらかしで育てられていたのだが、一つだけ厳しく言われていたことがあったんだ。
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それが「2階に上がってはいけない」ということ。
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幼い頃からずっとそう言われ続けていた。
俺も妹も幾度となくその理由を父や母に尋ねたことがあったのだが、いつも適当に受け流されるだけだったな。
1階には家族4人が暮らしていくには十分過ぎるくらい部屋数はあったから、普段の生活で困るということなどはなかったのだけどね、、、
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2階に通じる階段は広い玄関口から上がってすぐ右手、便所の横にあった。
階段上リ口には短冊の魔除け札が一杯ぶら下がった荒縄が走らせてあり行く手を拒んでいて、おまけに一段目の両端には盛り塩までされており、子供心に何だか怖くて登る気にはなれなかったな。
そんなわけで俺も妹もまた両親も、普段の生活で2階に上がることはなかった。
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ただ祖母だけは例外だったんだ。
というのは1日に数回、祖母は2階に上がっていたんだ。
そしてそれは食事の前が多かったと思う。
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うちの場合晩御飯は午後8時くらいからだったのだけど、その10分くらい前になると祖母は「さあ、そろそろじゃな」と呟きおもむろに立ち上がる。
朱塗りのお盆にその日の晩御飯を乗せると黒光りする廊下を玄関の方に歩くと、階段をヨイショヨイショと登り2階に消えていった。
ばあちゃんには、御札の付いた綱も盛り塩も何の効力もなかったようなんだ。
そして両親もそれに対して咎めたりすることはなかった。
この事を何度となく母に尋ねたことがあった。
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ねぇ、どうして、ばあちゃんは2階に上がっていいの?
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2階に誰かいるの?
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何しに行ってるの?
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俺の真剣な問いかけに母はただ気まずそうに笑うだけで、一度たりともきちんとした返事らしい返事をすることはなかった。
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それは世話しなく蝉の鳴く、夏休みのある日の午後だったと思う。
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仏間の座卓で妹とおやつを食べていると、一緒にいたばあちゃんがミカンを剥きながら、亡きじいちゃんの話をしてくれたんだ。
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ばあちゃんのご主人つまり祖父は地元では名の通った猟師(マタギ)で、暇さえあれば裏山に分け入りイノシシやカモシカ、ウサギなどの猟に勤しんでいたという。
特に11月を過ぎ寒くなってくると、イノシシ漁が解禁になって朝から鉄砲を担いで山に入っていき、日が暮れる頃になるまで帰って来なかったらしい。
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「それでな、これは暮れも近づいたある日のことでな、その日は朝からしんしんと雪の降っておったんじゃが、山に出掛けた勘一さん(じいちゃん)が帰ってきた夜には庭も一面真っ白になっとって、月明かりに照らされた様は、そりゃあ、きれいじゃった」
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その時じいちゃんは父母やばあちゃんを庭先に呼び出し、びっくりするような戦利品を披露してくれたという。
雪の上大八車に縛られていたのは、一見すると体長3メートルはありそうな、黄金色の体毛に覆われた巨大な雄のイノシシ。
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「でもな、それはただのイノシシじゃなかったんじゃ」
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ばあちゃんは怯えた目で続けた。
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「勘一さんはな、降り積もる雪の中興奮しながら『わしは【山の主】を仕留めたんじゃあ』と何度も繰り返し叫びながら小躍りしとってな、そん時の勘一さんは何かおかしなものに取り憑かれたような目をしとっての、そら恐ろしかった」
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そしてじいちゃんは、
【山の主】と自ら呼んでいた大物を仕留めてから数日後の粉雪舞う日、いつも通りイノシシ狩りに朝から山に出掛けたきり、そのまま帰って来ることはなかったという。
警察や消防の人とかが大勢で数ヵ月に渡って捜したが、結局じいちゃんが見つかることはなかったらしい。
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「そん時村人たちは、勘一さんは【山の主】の祟りにあったんじゃと恐れおののいとったわ」
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そこまで話しばあちゃんは口を閉じると、背後にある仏壇の上方に視線をやる。
鴨居には立派な額縁に収まった写真がズラリと並んでいた
多分、代々の当主の遺影だろう。
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その中には、巨大なイノシシの死骸と一緒に映った着物姿のじいちゃんと思われる白黒写真もあった。
その横には絣の着物姿の、白髪で目鼻立ちのはっきりした男性のカラー写真。
父によく似たその風貌から、それは多分じいちゃんだと思った。
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全ては、俺や妹がまだこの世にいなかった頃の話だった。
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そして夏休みも終わりかけたある日。
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その日は朝から両親は仕事、午後からはばあちゃんが用事で出掛け、広い家には俺と妹の2人きりだった。
いつものように仏間の座卓で夏休みの宿題をしていると、
「ねぇ、ねぇ、兄ちゃん、わたしね、聞いたんだ」と、正面に座った妹が俺の顔を覗き込みながら言う。
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「聞いたって何を?」
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俺が問うと、妹は険しい顔をしながら「声を」と言った。
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「声?」
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再び問うと、妹は喋りだした。
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「あのね、昨日の夜なんだけどね、わたしオシッコ行きたくてトイレに行ったの。
それでねお部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、泣き声が聞こえてきたの」
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「泣き声、どこから?」
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「多分、お2階からと思う。
でね階段の下まで行って耳を澄ましたらね、何か凄く悲しそうな泣き声だったんだ。
兄ちゃん、やっぱり2階に誰かいるよ」
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その時は妹の話に驚いたような素振りをみせたのだが、実は俺も以前声を聞いたことがあった。
ただ俺の場合は泣き声というより、呻き声のような感じだったな。
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時刻はもう夕方近くにはなっていたと思う。
その時家には大人たちはいなかったから、俺は妹と一緒に階段のところまで行ってみたんだ。
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2階に向かって恐る恐る「お~い」と呼び掛けてみる。
最初のうちは何も聞こえなかったが、何度となくやってると微かだが何か呻き声のようなのが聞こえてくる。
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一体何がいると言うんだろう?
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俺は妹と顔を見合わせると互いに頷き、どちらからともなく階段の一段目に足を乗せる。
そして御札の付いた荒縄を潜ると、2人でゆっくり階段を登りだした。
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階段を登りきって見えてきたのは、奥まで伸びる黒光りした廊下と、それに沿って並んだ幾つかの襖の入口。
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ウウウウ、、、オオオオンンン、、、
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不気味な呻き声は奥まった暗闇から聞こえてきていた。
俺は妹を随えて、ゆっくり薄暗い廊下を進んでいく。
やはり「声」は一番奥にある部屋からのものだった。
いよいよその部屋の前に立つと、俺は左手で妹の手を握り右手で襖の取っ手に手を掛け、そっと開いていく。
そして途中まで開けた時、あっと息を飲んだ。
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襖のすぐ向こうには牢屋のような木製の格子があり、行く手を拒んでいた。
俺は妹と顔を見合わせると、緊張した面持ちで格子の隙間から中を覗く。
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そこは8帖ほどの殺風景な畳部屋だった。
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天井には安っぽい裸電球がぶら下がっているが、灯りは灯されていない。奥まったところには白いカーテンの下がった窓がある。
そこから漏れる午後の陽光が、室内を不気味に浮き上がらせている。
窓際には木製の机が一つあった。
他には特に目立った家具などはなく、板張りの床はがらんとしていた。
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─何だ、なにもいないじゃないか
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と少し拍子抜けして隣に立つ妹に視線を移すと、
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「お兄ちゃん、、、」
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妹は真剣な眼差しでボソリと呟くと、俺の服の袖を引っ張り、震える指先で部屋の一点を指差した。
見るとそこは窓から左に少し離れたところの、ちょうど部屋の角辺り。
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一瞬で背筋が総毛立った。
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光はあまり届いておらず薄暗かったが、そこには間違いないなく何かがいた。
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よく見ると、そいつは黄金色の体毛に覆われた巨体を壁に預け、獣のような太い足をだらしなく投げ出して座っている。
足先には指ではなく、黒い蹄みたいなものが付いている。
ただ手先には人間と同じ指があるようだ。
その手で茶碗を口元に持っていき飢えた狼のようにガツガツと飯を喰らっている。
そいつの傍らの床には、皿などの食器が乗せられた朱塗りのお盆が置かれていた。
そしていよいよその顔に視線を移した瞬間、俺は思わず声を漏らした。
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「じ、じいちゃん!?」
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毛むくじゃらになってはいたが、その顔は以前仏間で見たじいちゃんの写真の顔と似ていた。
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「ウウウウ、、、オオオオ、、、」
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そいつは俺たちに気付いたみたいで、低い呻き声をあげながら体を動かし四つ足で立ち上がると、まるで猪のようにこちらに向かって走りだした。
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「キャー!!」
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妹が突然悲鳴をあげ、逃げ出す。
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俺もあとに続いた。
2人ドタバタと廊下を走る。
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「オオオオ!アアアアアア!オオオオンンン、、、」
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叫び声とも泣き声ともつかない声と共に、ドンドンという何かを強く叩く音が背後から聞こえていた。
俺たちは転がるようにしながら階段を下まで駆け降りて廊下を走り、元いた仏間に戻ると襖をピシャリと閉めた。
泣き声と叫び声の混じった声は、しばらく聞こえていたが、やがて止んだ。
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後から妹には、さっきのことは2人だけの秘密だぞと強く言った。
彼女は怯えた表情をしながら大きく頷いた。
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それから時は過ぎ俺は無事高校を卒業し、推薦で合格した大学へ進学するため、東京のアパートに移り住んだ。
今はそこで一人暮らしながらバイトに学校にと、充実した学生生活を送っていた。
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時折、不定期に実家の母から電話があったりする。
内容はほとんど俺の安否確認なのだが、電話を切った後ふと、まだ2階のあの部屋には【あれ】はいるのだろうか?
それとも?、、、
と考えたりすることがある。
そんな時は決まって【あれ】の姿が脳裏に甦り、心臓が激しく脈打ちだすのだ。
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そして暮れも迫った年末の寒い日に、実家からばあちゃんが亡くなったという連絡があった。
老衰だったらしい。
大好きなばあちゃんだったから、もちろん行って弔ってあげたかった。
だが、
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正直言うと、俺は実家に帰るのが怖かった。
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fin
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Presented by Nekojiro
作者ねこじろう