優れた陰陽師を遠い祖先に持ちながら、普通の独身サラリーマンとして保険会社に勤める五条夏樹と、その室町時代の陰陽師の命により現代へ送り込まれ、彼を現代の陰陽師として覚醒させたい式神、瑠香。
しかし陰陽師になることなど興味のない五条夏樹は、瑠香の宿る人形(ひとがた)を焼き払ってしまった。
ところが逆に瑠香はそれにより遠い過去の陰陽師の束縛から解放され、彼女の自由意思で五条夏樹に絡んでくるようになったのだ。
そして、見た目は小学生、実は二十四歳フリーターの霊感持ちである三波風子が加わり、五条夏樹の地味だった日常の中に、次々と奇妙な事件がもたらされる。
そんなお話。
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◇◇◇◇◇◇◇◇
「瑠香さん、今日、会社で同僚の三島からこんな話を聞いたんだけど、知ってる?」
仕事を終えて帰宅した五条夏樹は、式神の瑠香と共に夕食を摂っていた。
瑠香は式神の癖によく食べるし、よく飲む。
本人はお供え物とお神酒だと言うが、夏樹にとっては結構な出費だ。
夏樹が同僚から聞いた話は、いわば都市伝説と言うべき噂話から始まった。
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************
とある三十代の男性が、経験したという話。
普段通い慣れた自宅への道の途中、道路脇の家と家の間にある狭い路地のようなところに、小さな赤い鳥居と、その奥に小さな社があるのに気がついた。
これまで幾度も通っていたはずなのだが、本当に気づかなかったのか、突然そこに現れたのかは定かではないが、現実として目の前にあるのだ。
その路地の幅は半間、約九十センチで、社までの奥行きは五メートルくらいだろうか。
特に個人の敷地であることを示すようなものはない。
その男は、その小さな鳥居を潜って中へ入って行った。
社の前に立ってみたが何の変哲もない、縦型の神棚を大きくしたような社だ。
お稲荷さんだろうか。
賽銭箱があったため、ポケットに入っていた小銭を投げ込むと、柏手を打ってお参りを済ませた。
そして帰ろうかと向きを変えた瞬間だった。
(あなたは満足してる?)
不意に女性の声が聞こえた。
周りを見回しても、そもそも人がひとり立つだけの幅しかない路地のような場所であり、他の誰もいないのは明らかだ。
両脇の住宅からかと思ったが、両側とも高いブロック塀になっており、この場所から見える位置に窓のようなものはない。
(あなたは今満足しているの?)
戸惑っていると再び同じ声が聞こえた。
何に対して満足しているかと聞いているのだろうか。
家庭?仕事?金銭?それともセックス?
その声がどこから聞こえているのかという疑問を忘れ、男は考えた。
子供が生まれて色気も素っ気もなくなり文句ばかりの女房、気に食わない見栄っ張りの上司、月二万円の小遣い。
「満足なんかしてないよ。全てに。」
男は吐き捨てるようにそう呟いた。
(じゃあ、私が満足させてあげるわ。)
すぐ背後から女の声が聞こえ、男が振り返るといままで社があった場所に大きく路地を塞ぐような木の扉があった。
そしてその扉が内側から開くと、長い黒髪に真っ赤なドレス姿の艶やかな女が顔を出して男に向かい手招きをした。
何をどう満足させてくれるのか。
男はふらふらと扉の方へ歩き始めた。
その時、突然スマホの着信音が鳴りだした。
反射的にポケットからスマホを取り出し、待ち受け画面を見ると自宅の電話からだ。
「パパ、何時頃帰ってくる?」
娘からだった。
その愛らしい問い掛けに返事をしようとしたその時、”チッ”という舌打ちが聞こえた。
顔を上げると、そこには扉も女の姿もなく、ただ何もない路地があるだけだった。
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*********
「こんな話なんだけどね、その周辺では、行方不明になる男性が結構いるらしいんだ。きっとその扉に入っちゃった人なんだね。」
「夏樹さまは、その都市伝説を信じているんですか?」
「いや、その話を聞いた時はあくまでも噂話だと思ったんだけど、その話に続けて、そいつ自身がそれらしい社と女を見たって言うんだ。」
同僚の三島の話によれば、昨日、彼が帰宅する途中にある竹林の中に、小さな鳥居と社を見つけたのだという。
この場所にそんな社などないはずだ。
普段から通っている道であり、春先にはたけのこ取りにも訪れる場所である。見落とすはずはない。
何かの見間違いかと竹林の端まで近づいてみたが、間違いなくそこにある。
鳥居まであと数メートルという距離まで近づいた。
かなり古びた感じの社で、知らない者が見れば、昔からそこにあったと疑いなく思うだろう。
しかし三島はそこであの都市伝説を思い出したのだ。
この社に近づいてはいけない。
そう思った三島はくるりと向きを変えてその場から離れようとした。
その時・・・
(いま、あなたは幸せ?)
ふいに背後から女の声がした。
反射的に三島が振り返るとそこにはスーツ姿の美しい女性が立って彼に向かって微笑んでいた。
聞いた話では、艶やかなドレス姿の女のはずだが、相手によって姿を変えるのだろうか。
「うわ~っ!」
いくら魅力的な女でも、こんなところにこのような女性がひとりで立っているはずがない。
三島は全力で駆け出しその場から逃げ出した。
そして今日、夏樹にあの都市伝説と共に夕べの体験を話したのだ。
もちろん夏樹の素性を知っていて話をしたわけではないのだが、誰かに話さずにはいられなかったのだろう。
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「”まねき女”ね。」
瑠香がため息を吐いて、そう呟いた。
「”まねき女”?」
「そう。昔からいる物の怪よ。妖怪と言えばいいかしら。幽霊とは違うわ。」
まねき女とは、狐とも狸とも言われているが、物陰に美女の姿で現れ、そこに突然現れる扉の中へ男を誘い込んでしまうという。
誘い込まれた男で戻ってきた者はおらず、扉の向こうに何があるのかは誰も知らない。
そして現れる場所は一定しておらず、市街地だったり、山の中だったり、転々とひと気のない場所を選んで現れるらしい。
「それじゃ、見に行ってみましょうか?」
「へ?」
「まねき女を見に行くのよ。今はその同僚の人の家の近くに出るんでしょ?夏樹さまも陰陽師の末裔ならその同僚の為に追い払ってみたらどうですか?」
瑠香はそう言ってにやっと笑った。
「やだよ。頼まれてもいないのに、そんな場所に近づきたくない!」
「何事も経験ですよ。」
最近あまり表には出さないが、瑠香は夏樹を陰陽師にすることをまだ諦めてはいないようだ。
結局、夏樹は瑠香には逆らい切れず、”まねき女”退治に出かけることになってしまった。
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◇◇◇◇
三島に聞いた竹林のある場所はすぐに判った。
町田市の外れにあるその場所は、東京とは名ばかりで、どこか懐かしい田舎の風景が広がり、狭い道路の脇に民家が立ち並んでいる。
竹林の傍にある畑の脇に車を停めると、夏樹は瑠香と共に車を降りた。
時刻は夜九時を過ぎたところであり、三島が奇妙な社を見掛けたのと同時刻だ。
「特におかしな気配は感じないね。」
夏樹は道路から暗い竹林の中を覗き込んでみたが、特に何もなさそうだ。
「男の人が目当ての妖怪だから、私が一緒だと現れないのかもしれませんね。じゃあ私はこれで。」
瑠香はそう言うとすっと姿を消してしまった。
「え?あっ、おい!」
何が起こっても取り敢えず瑠香がいれば大丈夫だと思っていた夏樹は、その瑠香がいきなりいなくなって狼狽えた。
「そんな。こんなところに置いて行くなよ。」
ひとりになった途端、急に心細くなった夏樹は周りを見回した。
少し離れたところに街灯があるだけで、この辺りは薄暗く、ひと通りも全くない。
そしてもう一度竹林の中を覗き込んだ。
「何にもないよな。うん。ない。さっさと帰ろう。」
夏樹はひとりでそう自分に言い聞かせるように言うと車の方へ向きを変えた。
「にゃ」
突然背後で聞き憶えのある声が聞こえた。
「え?ふ~ちゃん?」
振り返ると竹林の前に、ここにいるはずのない三波風子が立っていた。
その背後には、たった今までなかったはずの小さな赤い鳥居が見えている。
「こっちへ来るにゃ?」
風子がそう言って妖しく微笑み、夏樹に向かって手招きをした。
その背後、赤い鳥居の向こう側には大きな木の扉があるではないか。
これは風子ではない。間違いなくまねき女だ。
三島は声を掛けられた時点ですぐに逃げ出し、取り敢えず事なきを得た。
自分も今すぐに逃げ出すべきだ。
しかしそう悟っても、瑠香の”まねき女退治”という言葉が頭に浮かんだことに加え、目の前にいるのが風子であることから、夏樹はすぐに逃げ出すのを躊躇った。
しかし、まねき女退治と言っても、夏樹は退治するための術を何も知らない。
「こっちへおいでにゃ。」
風子はそう言ってまた手招きすると後を向いた。すると閉じていた木の扉がゆっくりと開いて行く。
そして風子はその扉に半身を入れて、また手招きをした。
「ふ~ちゃん・・・」
夏樹はそのままふらふらと誘われるがまま扉に向かって歩き出した。
すると風子は満面の笑みを浮かべ、手を伸ばして夏樹の腕を掴んで扉の中へと引っ張った。
その途端、
「きえーいっ!」
掛け声と共に何かが空を切る音がして、夏樹の腕を掴んでいる風子の腕が跳ねた。
「ぎゃっ!」
風子が悲鳴を上げて扉から地面へと転がり出た。
その横に立っていたのは、黒光りする木刀を構えた瑠香だった。
「夏樹さま、何をやっているんですか!そう易々と扉の中へ引っ張られちゃダメでしょ!」
腕を押さえて一旦地面にうずくまった風子が体を起こすと、その姿は風子ではなかった。
狐なのか、犬なのか。
濃い灰色の毛に全身を覆われた獣が二本足で立ってこちらを睨んでいる。
その目は赤く光っていた。
「うわっ!」
驚いた夏樹は、慌てて瑠香の背後に隠れた。
「まねき女の正体はお前だったか、闇狐!」
瑠香はそう叫ぶと木刀を上段に振りかぶり、袈裟懸けにその闇狐と呼ばれた物の怪に切りかかった。
「はーっ!」
瑠香の掛け声が周辺に響き渡ると同時に、闇狐は後ろへ飛び下がって瑠香の一閃を既の所で躱した。
木刀はそのまま背後にあった太い青竹に当たったかと思うと、竹はまるで日本刀で切ったかのように、スパッと斜めに切れ、ゆっくりと夏樹の方へ倒れてきた。
「おっと。」
辛うじて倒れてくる竹を避けた夏樹は再び瑠香の背後に隠れた。
木刀なのに・・・
しかし闇狐はこの木刀で腕を払われたのに、大きなダメージはないようなのだ。
そうすると、瑠香の木刀でもそう簡単には退治できないのではないだろうか。
「夏樹さま、少し下がっていて下さい。」
瑠香は木刀を正眼に構えると、夏樹に向かってそう叫び、闇狐との間合いを詰めた。
「チッ、いいところを邪魔しやがって!」
先程の風子の声とは似ても似つかない、しわがれた老婆の声でそう呟くと、闇狐はすばやく扉の中に飛び込んだ。
「待て!」
瑠香がすかさず後を追おうとしたが、闇狐が飛び込んだ途端、扉は鳥居もろとも掻き消すように消えてしまった。
「くそ、仕留め損なった!」
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◇◇◇◇
「へー、瑠香さん、かっこいいにゃ。」
夏樹のアパートでいつものように飲みながら、夏樹がまねき女の話を聞かせると風子は目をキラキラさせて反応した。
「こう見えても、賀茂文忠さまの筆頭式神でしたからね。戦闘員として物の怪と戦うのはしょっちゅうでしたし、場合によっては悪しき人間を成敗したりすることもありましたわ。」
「でもそのまねき女は、何で私に化けたのかにゃ?」
「さあ、夏樹さまを誘い込むには風子ちゃんが一番だと思ったんじゃない?」
「でへ~っ♡」
瑠香のその言葉に風子は思い切り表情を崩し、夏樹はそれを見て苦笑いを浮かべた。
「でも、結局まねき女、えっと、闇狐だっけ?には、逃げられちゃったってこと?」
夏樹の問いに、瑠香は多少むっとしたような表情を浮かべた。
「そうですね。千年以上も男の魂を喰らいながら生き抜いてきた物の怪ですからそう簡単には行きませんわ。でも夏樹さまがもっと力をつけていて下されば、仕留められたかもね。」
「そんなこと言われたって。」
「まあ、ぼちぼち鍛えてあげます。式神の私が、夏樹さまを主人として認めてお仕えできるようなレベルまで。」
すると風子が嬉しそうな顔で身を乗り出した。
「きゃー、そうなると夏樹さんが勇者様になって、瑠香さんが戦士でしょ、そうすると・・・私は僧侶かな?みんなでラスボスを倒しに行くにゃ!」
「誰なんだ?その"ラスボス"って・・・でもふ~ちゃんは僧侶だなんて、呪文なんか覚えられないだろ?」
夏樹はそう言って笑った。
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「あら、式神の私が教えてあげますわ。夏樹さまを黒焦げに出来るようなメラゾーマくらいは使えるようになりますよ。」
「がんばるにゃ。」
「おいおい・・・」
…
◇◇◇◇ FIN
作者天虚空蔵
ドラクエをまったく知らない人、ごめんなさい。
この三人がどうなっていくのか、作者にも分からなくなってきました。