中編7
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逆恨み

ここ一週間程、独り暮らしのこの部屋で奇妙な音がする。

このアパートに住んで三年になるがこれまでこんな音はしていなかった。

もちろん自分が立てた音ではないし、近隣でもない。

確かにこの部屋の中で聞こえるのだ。

ワンルームの木造アパートであり、最初は家鳴りの類かと思ったが、違う。

普通の家鳴りであれば、ミシっという木が軋む音が一回だけ聞こえると思うのだが、部屋で聞こえる音はそんな音ではない。

コトッという、コップをテーブルの上に置くような硬い音なのだ。

それが一回だけの時もあれば、コトッ、コトッ、コトッと複数回聞こえる時もある。

今のところ、音が聞こえるだけであり、特に実害はないのだがやはり気になる。

テーブルの上かと思ったが、よく聞くともっと下の方から聞こえるような気がする。

俺の部屋はダイニングも居室もフローリングの1DKであり、そのような硬い音がしても不思議ではない。

何か硬いものが揺れ動いて音を出しているのだろうか。

しかし床の上を見てもそれらしきものはない。それほど広い部屋ではなく見落としがあるとも思えないのだ。

常に音が出続けているのであれば探し易いのだが、時折しか聞こえない。

部屋は一階であり、床下のネズミか何かだろうか。

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********

夜中にふと目が覚めた。

時計を見ると、午前一時を過ぎたところだ。

何でこんな時間に目が覚めたのだろうと思いながら、もう一度寝直そうとした時だった。

コトッ、コトッ

あの音が二回鳴った。

かなり慣れたとはいえ、原因の分からないその音はやはり気になる。

寝返りを打ち、横になったまま半分寝ぼけた目で、音のした方を見ると、床の上に妙なものが置いてあるのに気がついた。

何だろう。

体を起こしてよく見てみると、それは濃い茶色のハイヒールのようだ。

若干つま先を開くようにして左右揃いで置いてある。

あんなところにそんな物を置いた覚えはないし、そもそも俺がハイヒールなど持っているわけがない。

ベッドから身を乗り出してよく見ると、爬虫類皮で高さが十センチほどのピンヒール。

そのハイヒールには見覚えがあった。

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◇◇◇◇

一週間ほど前の事だった。

その日、俺は仕事を終えて帰宅しようと駅へ向かって歩いていた。

途中の交差点で赤信号に引っ掛かり、信号待ちの間にスマホのメールをチェックしていた時だった。

いきなり車の急ブレーキの音が聞こえ、それと同時にドンッと何かにぶつかる音がした。

何が起こったのかとスマホから顔を上げた瞬間、俺の側頭部に何かがガンッとぶつかった。

目の前に火花が散り、頭を押さえて見下ろした歩道の上に、茶色のハイヒールが転がっていたのだ。

頭を押さえながら顔を上げると、目の前には車が半分歩道に乗り上げるようにして停車し、その前部からスーツ姿の女性が横たわっているのが見えた。

頭に当たったのは彼女の履いていたハイヒールだった。

その女性は目を見開き、痙攣を繰り返しながら、助けを求めるように俺の事を見ている。

俺は握っていたスマホですぐに警察へ電話した。

そして駆けつけた救急車に女性が乗せられた時、頭から血を流している俺を見て救急隊員が俺を一緒に救急車に乗せたのだ。

そしてその女性は、救急車の中で息を引き取った。

俺は救急隊員に頭の怪我の応急処置を受けながら、女性が息を引き取る瞬間を見ていた。

彼女はその瞬間も虚ろな目で俺の事を見ていた。

しばらくその目が忘れられなかったが、そもそも偶然目の前で起こった事故であり、まったく見知らぬ女性であることから、可哀そうだと思ったが数日経つと思い出そうと意識しない限り思い出さなくなっていた。

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◇◇◇◇

あのハイヒールが目の前にある。

もちろん持ってきた憶えなどないし、俺の頭に当たったのは片方だけで、もう片方は何処にあったかも知らない。

それがいま目の前に両方揃って置かれているのだ。

何故だ、何故ここにある・・・

すると混乱している俺の目の前で、右のハイヒールが動いた。

コトッ

あの音だ。

聞こえていたあの音はこのハイヒールの立てる音だったのだ。

そして右のハイヒールに続いて左のハイヒールが動いた。

コトッ

少しずつベッドに近づいてくる。

よく見るとハイヒールを履く女の脚が見えた。

暗い部屋の中で黒のストッキングを履いているためによく見えなかったのだろう。

しかし目を凝らして見ても膝から上が見えない。

コトッ

膝から下だけの脚が近づいてくる。

俺はそこで気を失った。

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◇◇◇◇

翌朝、目覚し時計の音で目が覚めた。

ベッドから上体を乗り出し、頭を床につけるようにして眠っていた。

夕べの姿勢のままだ。

しかし顔を上げて床の上を見ても、あの脚はいない。

夢だったのだろうか。

あのハイヒールは確かにあの女性のものだったが、俺はあの女性に恨まれる理由などない。

あのハイヒールが意識の中に残って変な夢を見たのだろう。

俺はそう思ってベッドから出ると出勤の支度を始めた。

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◇◇◇◇

しかし、やはりあれは夢ではなかった。

仕事を終え、アパートへ帰ってジャケットを脱ごうとしたところでいきなりあの音が聞こえた。

コトッ

部屋の隅にスーツ姿の女性が立っていた。

夕べは膝から下しか見えなかったが、照明の点いた部屋の中では頭からハイヒールを履いた足まではっきりと見える。

これまでは音だけの存在だったが、昨夜その姿の一部を認知した途端に全体の姿が見えるようになったということなのだろうか。

コトッ

一瞬固まってしまった俺に向かって女性が一歩踏み出してきた。

「ひえっ!」

俺は脱ぎかけたジャケットを再び羽織りながら慌てて部屋を飛び出した。

一体何なんだ、あの女は。

アパートから逃げ出したものの、行くあてはないし、逃げて解決するとも思えない。

とにかくあのアパートに戻れない以上は、取り敢えず今夜はビジネスホテルにでも泊まろう、そう思って駅へと向かって歩き出した。

駅前のビジネスホテルに予約を入れるため、歩きながらスマホを取り出した時だった。

コッ、コッ、コッ

背後から明らかにハイヒールと判る足音が近づいてくる。

部屋で聞く音とは違うが、フローリングとアスファルトでは音が違うのは当然だ。

振り返って足音の主を確認すべきか、しかしもしあの女だったら怖い。

心の中で葛藤が生まれた。

そのまま幾分歩く速度を速めて歩きながら、しばらくその葛藤と戦ったが、ふと気がつくと足音がしなくなっている。

よかった。

ほっとして振り返ると、目の前に女の顔があった。

あの救急車の中で見た虚ろな目で俺を見ている。

「うわ~っ!」

踵を返して俺は走り出した。

その途端、急ブレーキの音が響き、俺の視界を車のヘッドライトの白い光が埋めた。

轢かれる!

そう思った瞬間、俺の頭の中をある情景が走った。

人間は死ぬときに自分の人生が走馬灯のようにフラッシュバックするという。

しかしそれは違った。

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*********

コッ、コッ、コッ

ハイテンポなハイヒールの音と共に、若干揺れている視界にはスマホの画面があり、電車の乗換え検索の画面が表示されている。

足音の感じからすると、小走りに近い早足で歩いているようだ。

(遅れちゃう、遅れちゃう)

どうやらこれは女性の意識のようだ。

時折スマホの画面と被る様に、見知らぬ男性の顔が意識を横切る。これからデートなのだろうか。

そしていきなりスマホの前に見えていた前を歩いていた男性の背中が立ち止まった。

(おっと・・・あぶないわね。いきなり立ち止まらないでよ。こっちは急いでるんだから!)

辛うじてぶつからずに済み、そのまま止まることなくその男性を避けて前に出た。

かなりイライラしていたのだろう、追い抜きがてら立ち止まった男性の横顔を睨みつけた。

その横顔は・・・

俺だった。するとこの意識は・・・

俺の横顔を睨みながら急いで前に進もうとした時、激しい衝撃が襲った。

車に轢かれた。

激しい痛みに薄れる意識の中で、さっきの男、つまり俺の顔が目の前にあった。

心配そうな顔でこちらを覗き込み、スマホでどこかへ電話している。

その手には履いていたハイヒールが握られている。

(こいつが・・こいつがいきなり立ち止まらなければこんなことにはならなかったのに!・・・ちくしょう!)

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**********

完全に逆恨みじゃねえか!

俺は赤信号で立ち止まっただけだ!

信号を見ていなかったお前がいけないんだろう!

まるで時間が停止したかのようなコンマ何秒のあと、女に対しそう心の中で叫んだ瞬間、俺の体は激しい衝撃に襲われた。

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◇◇◇◇

気がついたのは、病院のベッドの上だった。

どうやら死なずに済んだようだ。

医者の話によれば、全身打撲と骨折で動けるようになるまで数週間は掛かるらしい。

それまではベッドから動くことは出来ない。

結局あの女は、逆恨みで俺に対して同じ目に遭わせたということなのか。

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しかし、改めて思う。

病院の床って何で硬いんだろう。

色々な人の足音が響き渡る。

そしてそれに混じって、聞き憶えのあるあのハイヒールの音も時折聞こえるのだ。

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俺は無事に退院できるのだろうか・・・

◇◇◇◇ FIN

Concrete
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