どうも、お疲れさん。
オレはしがない自転車屋のオヤジだ。店はグレート商店街の一角にある。小さな店であんまり儲かってはいないがな。
商売の傍ら商店街の役員もやっている。クリスマスや正月の飾り付け、桜祭り等のイベントを開催するのが主な仕事だ。そして盂蘭盆のこの時期、近所の居酒屋を貸し切りにして偲ぶ会をする。誰を偲ぶって? 組合の故人さ、主に会員であり店主だった人達が対象だ。昔っからの行事で、しきたりみたいなものさ。でもオレには特別な偲ぶ会なんだ。
8時に会場である、居酒屋しぐれにチリンチリンと自転車で乗り付けた。今回はオレが幹事だ。入り口には『貸し切り』と貼ってある。足元を見ると皿に乗った塩が置いてあった。盛り塩だ。ここのマスターらしい。
ほとんど抵抗なくスラッと引き戸が開いた。
「ごめんよ」
「ご苦労様です」
とマスターがカウンターの中から声をかけた。物静かで落ち着いた男だ。
「マスター、今夜はよろしく」
「こちらこそお世話になります」
彼は昔とある寺の住職だったらしい。それが今は居酒屋の店主だ。あの業界も色々あるんだろう。オレにはとやかく言う筋合いはないがね。ん? 彼がオレをじっと見ている、顔に何かついているのかい?
「あの、上原さん」
「はい?」
「今夜は飲み過ぎには気を付けてくださいね」
「はあ……」
そうだな、血圧も高いし……。
カウンターの隅には写真立てに入った写真が並べられてある。商店街の初代会長さん、クリーニング屋のおじいちゃん、和菓子屋の旦那さん、そしてオレの親友、写真屋の真野ちゃん……。
「真野ちゃん、向こうでは元気でやっているかい?」
あいつ、うなずいたような気がした。オレはそれらに手を合わせた。マスターが包丁を使う音が聞こえる。トントントン……。
一人二人と集まってきた。
ご苦労さん。
真野さん、一昨年だっけ?
今年で三回忌だよ。
ああ、そんなになるのか。
などと、挨拶代わりだ。
3,4人も集まれば始めてしまう。仕事終わりだから全員が揃うのを待っていたら遅くなってしまう。、最初は静かに飲んでるもんだ。でも6人、7人と増えてきて久しぶりの顔も混じってくるといつもの通りさ、ワイワイとビールが注がれガチャガチャとお銚子が並べられ、ガハハハッと笑い声が上がる。うちの連中はみんな陽気だ。飲めば飲むほどあいつが生き返ってきて近くにいるような気がする、ふふ。
オレの席はカウンターの隅、遺影の隣だ。あっちにいるのは肉屋さん、そっちにいるのは八百屋さん、向こうには氷屋さん、毛糸屋さん、文房具屋さん、そしてあいつは写真屋だった。賑やかだな、店はここにして良かった。オレ達はアルバムをめくるように語り合った。
けど商売の話になると酔いが覚めるよ。最近、近所に大手のユウヒサイクルができてから自転車は売れやしない、パンク修理ばっかりだ。膨らませるのはタイヤじゃなくて借金だ。自転車屋だけに自転車操業⁈ シャレにもならない。このままじゃ首を括っちまうよ、やりきれないなぁ。真野ちゃんとあの世で酒でも飲むか……、チラリと写真を見た。すがすがしい笑顔だ。
「バカヤロウ……」
宴もたけなわになると20人くらいになって、めちゃめちゃ賑やかだ。下ネタ、時事ネタ、病気ネタ。やたら盛り上がる。そしてあいつのエピソードだ。みんな懐かしいなと口を揃えた。意外に恐妻家だったとか、男気があったとか、面倒見が良かったとか、あいつがいると酒の席が盛り上がったとか……。ときには兄のように、ときには戦友のように……、いなくてはならない奴だった。
末期の膵臓癌だった。急変してひと月で逝ってしまった。47歳なんて若すぎるよな……。心の準備もできないまま雨上がりの虹のように消えてしまうなんて……。胸には大きな穴がポッカリと開き、時間は止まったまま……。だから不意にあいつがそこの戸を開けて入って来るような気がするんだ、陽気な笑い声と一緒に……。
23時か、今から来る人はいないだろう。まだ10人くらい残っているかな……。最後まで残るのは持ち回りで幹事をする人達だ。シゲさん、田中さん、鈴木さん、山田さん……。オレは幹事だから当然、終いまでいる。
隣のシゲさんにお酌をした。彼は不動産屋だ。今度、白内障の手術をするらしい。視界がぼやけて霞んで見えるそうだ。見えにくいのは厄介だよな。それに物忘れも多いって?「後期高齢者の仲間入りだよ」とぼやいた。お互い身体には気を付けよう。
お銚子がまた一つ空いた。二次会はないからな、飲み足りない人は家で飲んでくれ。
不意にカラリと引き戸を開ける音がした。誰か帰ったのか? 来たのか? 見ると誰もいない。
「?」
変だな……。マスターも気づいたようだ、険しい顔をしている。開いているのはほんの数センチだ。オレは小用を足そうと席を立った。ついでに閉めてやろうと足を向けた。”すいませんね”とマスターの小さな声が聞こえた。
なんで勝手に開いたのかね? 改めて開けて外を見た。別段異常なしだ、夜風が心地いい。ン? 盛り塩が乗っていた皿がひっくり返って裏返しだ、塩が四方八方に飛び散っているな。誰かがうっかり蹴飛ばして帰ったのか? 酔っぱらいはしょうがないな。
「⁈」
なんだ? ⁈ ビュッと冷気を浴びた。風か? いや、違う…。何かが通り過ぎた、そんな気配があった……。
「妙だな」
そっと閉めた。店内を横切る。まだまだ宴もたけなわだな。今、何人だ?
”いちにーさんしごーろくしちはち……。
オレを入れて9人か。でもそろそろお開きかな、真野ちゃん、と遺影に目を向けた。
「え⁈」
一瞬だった。その目が、獲物を狙うカメレオンのようにギョロリと動いた。
「……」
……ふ、見間違いか、と自嘲した。もしかしたら来ているのかい? 呑兵衛だからなぁ、ふふ。お前の分まで飲んじまったよ、ふふ。
「近くて困るよ」
トイレにも賑やかな声が流れてくる。
「……」
おや?
おりんが鳴っている?
? 気のせいか……? こんな所でおりん? そんなこと……。
ィ……
いや、聞こえる、幽かに……。
ィー……
いや、やっぱり聞き違いか……。
イィーー……
いや、
聞こえる、澄んだおりんの音。
チイィーー ンンン
そして
陽気な笑い声……。
ㇵㇵ
誰? どこかで聞いた?
ㇵㇵㇵ
誰? 聞き覚えがある、そう、ひどく懐かしい……。
ハハハッ
もしや……。
くしゃくしゃのハンカチで手を拭きながらそそくさと戻ってきた。厨房の熱と人いきれで場はかなり出来上がっている。やっぱり気のせいか。
「酔っぱらったな」
オレは席に着く前にもう一度人数を確認しようと思った。さっきも数えただろう、ヨッパライのやることはイカれてるぜ。
これが怪異の始まりだった。
オレは目で追って数えだした。
いちにさんしーごーろくしちはちくじゅ……。
じゅう?
「??」
あれ? オレを入れて9人じゃなかったっけ? 数え間違えたか? もう一度。
いちにさんしーごーろくしちはちく、じゅう。
「十……」
おかしいな……、後から来た人がいるのか? 背を向けているのは誰だっけ? ん? まただ⁈ 幻聴……か?
チィーィィン
「ヤメヤメ、飲もう」
いや、もう一度だけ数えてみよう。今度は指を指して声を出して。
「いちにーさん、しーごーろく、しちはちく、じゅう……、じゅういち……」
「十一???」
増えてる⁈ おかしいな、目をこすった。くそ、焦点が霞んでボヤけている。
『この世はすべて夢幻』か……。
もう一度数えてみよう、なぜか人差し指は震えていた。
「いちにいさんよん! ごおろく、ななはちきゅう、じゅう、じゅういち、じゅうに……」
じゅうさん……。
「十三⁈」
頭の中が真っ白になった。
ナンデ?
……は、端から順に名前を上げていくんだ。いいか、落ち着け。
「シ、シゲさん、田中さん、鈴木さん、山田さん……」
くそ、ぼやけてよく見えないな。え~と、
「松井さん、中原さん……ん?」
……ん~あの人は……、
た しか初代商店街会長。
あの人は……、
クリーニング屋のおじいちゃん。
あの人は……、
この春に亡くなった和菓子屋の旦那さん。
チイィィーィイ
あ
ンン……。
真野ちゃん……?
真野ちゃん!
オレに気づいた、ニコニコしながら近寄ってきた。
『よう、久しぶりだなぁ、この後はお前の家で飲もうや』
「よし、そうしよう。じゃあ、チャリでひとっ走り帰って用意して待ってるぜ」
『おう、頼むよ』
ああ、そうさ。オレたちは親友だものな、ふふ、ふふ……。
―パン!
ハッと我に返った。汗びっしょりだった。手を鳴らしたのはマスターか? 胸の前で手のひらを合わせたままオレにノーと、首を横に振った。ごしごしと目をこすった。やっぱり8人だ、オレを入れて9人。今のはいったい……?
あっ! 写真立てがすべて倒れている。
「……」
よろしく、じゃまた、気をつけて、などと声をかけマスターはみんなを送り出していく。午前零時も近いのでお開きにしたのだ。だがオレは腰かけたままでいた、聞きたいことがあったからだ。しばらくして2人きりになり、実は、とオレはさっきまでのいきさつを切り出した。
トイレに入っていた時おりんの音が聞こえたこと、そしてそれががここでも鳴っていたこと、戻ってきて人数を数えたらその度に人が増えていったこと。そしてその中にあいつがいたこと……。
「上原さんには霊感があるみたいですね」
は⁈ 言うに事を欠いてこの人、何をいきなり……。
「それも強い霊視能力が」
かからかうんじゃなよ。
「4体いたと言いましたよね」
4体⁈ そんなこと言ったっけ?
「霊体はすでに人ではありません。ですから4人ではなく4体になります。商店街の初代会長さん、クリーニング屋のおじいちゃん、和菓子屋の旦那さん、そして今日の主役、真野さんですね」
あ!
「私は昔、特別な修行をしました。そのおかげで視えるようになりましてね。それら霊体は悪霊です。あなたは狙われていたようです」
「え⁉」
「すでに不動明王様の降魔剣で祓っておきました。心配には及びません。上原さんは亡くなった真野さんに執着するあまり本人になりすませた悪霊を引き寄せていたのです」
「……」
「彼らは人の心に付け入り、憑りつきます。心身の健康を損なう霊障を引き起こし重病に陥らせ死に至らしめる……、悪霊は自己本位の塊です。生気を喰らう危険な存在なのです」
「……」
「故人を偲ぶことは尊い事ですが行き過ぎた固執はいけません。思い出は幸せを共有しますが執着は不幸を招くのです。真野さん達は成仏していますよ、商店街の方々がきちんと供養をしていますから」
ふ~ん……。
「しかし危ないところでした、もう少しで憑りつかれるところでした」
ウッ、そうですね……(汗)
「盂蘭盆の時期は昔からこういう事があるのです」
はぁ。
「上原さん」
ハイッ
「これからは滅多な事を考えてはいけません!」
すべてお見通しか……。
「すいません」
怒られた。
そうだな、オレの諦めがつかなかった、3年もの間。でも……今夜で本当のお別れだな、達者でな……。鼻をすすった。帰って飲み直すか。
マスターは小さなおりんを取り出しカウンターに置いた。
「今夜は結界を張っておいたのです、こんな事もあろうかとね。盛り塩が散らされたのは驚きですがこいつは効きましたね」
チィーンとあの澄んだ音が鳴った。余韻がいつまでも耳に残る。盛り塩もおりんも結界だったのか。結果的にマスターに守られた。
彼はある物を取り出しオレに見せた。
「それは?」
「この中には私が書いた護符が入っています。さっきの悪霊どもはまだこの世を彷徨っていて危険です。差し上げます、できるだけ持つようにしてください」
手渡されたそれはちゃんとしたお守りに入っていた。
「あなたは憑依体質のようだ、はは」
笑い事じゃねえよ、まあいいや。
「首にでもぶら下げておくよ、サンキュー」
……真顔で頷いている。
「じゃあまた、よろしく」
「ご苦労様でした」
オレはピシリと戸を閉めた。見上げると満月だ、やけに明るかった。
ふと思う。もし本当に急いで帰っていたら……、もし今夜の偲ぶ会を他所でやっていたら……。
ゾクリとした。
自転車のオヤジが酔っぱらってママチャリで事故ったなんてシャレにもならない。
オレは自転車を押して家路についた。
作者小笠原玄乃
突如として視えるようになった主人公を怪異が襲う。
彼は友の死を受け入れられないまま生きてきました。悪霊はその隙に付け入るようです。