古からの誘い⑤<御伽犬と床女>

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古からの誘い⑤<御伽犬と床女>

優れた陰陽師を遠い祖先に持ちながら、普通の独身サラリーマンとして保険会社に勤める五条夏樹と、その室町時代の陰陽師の命により現代へ送り込まれ、彼を現代の陰陽師として覚醒させたい式神、瑠香。

しかし陰陽師になることなど興味のない五条夏樹は、瑠香の宿る人形(ひとがた)を焼き払ってしまった。

ところが逆に瑠香はそれにより遠い過去の陰陽師の束縛から解放され、彼女の自由意思で五条夏樹に絡んでくるようになったのだ。

そして、見た目は小学生、実は二十四歳フリーターの霊感持ちである三波風子が加わり、五条夏樹の地味だった日常の中に、次々と奇妙な事件がもたらされる。

そんなお話。

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◇◇◇◇◇◇◇◇

街中の木々が新緑に彩られ、暖かいというよりも既に暑いと感じるような日差しが降り注ぐ快晴の日曜日。

五条夏樹と三波風子は、高幡不動尊金剛寺の境内で毎月第三日曜日に開催される”ござれ市”に来ていた。

古いものならなんでもござれ、ということろからその名が付いているらしいのだが、ありていに言えば骨董市だ。

境内の至る所に店が並び、骨董品だけでなく、衣類や玩具、そして飲食の出店などが所狭しと並んでいる。

天気の良い日曜だけあって、家族連れやカップル、そして掘り出し物を狙うオジサン、オバサンなど多くの人で賑わっており、

夏樹と風子も楽しそうにあっちの店、こっちの店と覗いて回っていた。

「わあ、ねえ夏樹さん、この木の箱、可愛いにゃ。」

風子が手にしているのは、蓋に二匹の犬のレリーフが施された二十センチ四方の小さな木箱で、見たところ壊れてはいないものの、その風合いからするとかなり古そうだ。

「その箱は御伽犬ね。」

夏樹の肩の上には、三十センチ弱程のコンパクトサイズになった式神、瑠香が乗っている。

巫女装束を着たリカちゃん人形のようだが、夏樹と風子以外の人にその姿は見えない。

「御伽犬?」

夏樹がオウム返しに聞き返した。

「そう。宿直犬(とのいいぬ)や犬筥(いぬばこ)とも呼ぶけど、昔はこの箱を寝室に置いて、いろいろな産所や寝所で使う物を入れておいたのよ。」

「でも何で犬なのかにゃ?」

小柄な風子が夏樹の肩に乗る瑠香を見上げるようにして聞いた。

「この二匹の犬は雄雌のつがいなんだけど、犬は出産が軽いから安産のお守りとされたし、神様の眷属として魔除けの意味もあるのよ。」

風子はその御伽犬を気に入ったようであり、小物入れに使うと言って、五千円で売られていたその小箱を三千円まで値切って買った。

気がつくとそれを瑠香がニヤニヤしながら見ている。

普段、酒と食べ物以外の買い物をする時は、非常につまらなそうな顔をしている瑠香がこのような顔をしているということは、ひょっとするとこの小箱には何かあるのだろうか。

しかし霊感があるはずの風子自身はこの小箱に対して特段なにも感じていないようであり、包んで貰ったその小箱をご機嫌で受け取った。

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◇◇◇◇

境内を出た夏樹と風子は、高幡不動駅の近くにある安くて美味しいことで有名な天丼屋に入った。

いつの間にか瑠香も普通のサイズになって、カジュアルな服に着替えている。

瑠香は自分の都合の良い時にだけ、普通の人間のように振舞えるのだ。

“都合の良い時”というのは大半が外食の時なのだが。

巫女装束しか持っていなかった瑠香も、そのような時の為に風子に相談しながらいろいろ服を揃えているようだ。

「御伽犬の伽って、相手を慰めるっていう意味だろ?夜伽ってエッチすることだよね。」

風子が買った小箱を眺めながら夏樹がそう呟くと、瑠香がそれに頷いた。

「厳密にいえば、夜伽は女の人が男性の意に従って夜の床を共にするって事ね。でもお通夜の時に死んだ人と一緒に夜を過ごすことも夜伽って言ったりするのよ。」

「おとぎ話のお伽とは違うのかにゃ?」

「同じよ。テレビなんかなかった時代に長い夜の退屈を紛らわすために語り合う話がお伽噺ね。」

「とどのつまり、御伽犬って単純に寝床に置くからってことか。意外につまらないな。もっと意味深なのかと思ったけど。」

「ふふっ」

夏樹の言葉に、瑠香は意味深に笑うと運ばれてきた天丼をぱくつき始めた。

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◇◇◇◇

それから数日経った夜、夏樹のアパートを風子が尋ねてきた。

「夏樹さーん、瑠香さんはいるかにゃ?」

「ああ、いつでもいるよ。たまにはいない時があって欲しいんだけど。」

「あら、私がいないと夏樹さまはひとりで煩悩に走るから目が離せないわよ。いらっしゃい、風子ちゃん、そろそろ来る頃だと思ってたわ。」

「そろそろ?

んとね、夏樹さん、ちょっと席を外してくれる?」

風子が夏樹に場を外せというのは珍しい。何か男性の前では話辛い事なのだろう。

女性同士のその手の話に立ち入っても良いことはない。夏樹は素直に本屋に行ってくると言って部屋を出て行った。

「瑠香さん、この前、高幡のお不動様で御伽犬を買って帰ったでしょ?」

「うん。憶えてるわよ。」

「その日から、夜、気がつくと女の人が添い寝してくるんだにゃ。」

その女は髪の長いふっくらとした美人で白い長襦袢姿。

この世の存在ではないと思うのだが、風子がいつも感じるような霊的な気配は全くない。

そしてその女は、金縛りと言う訳ではないが身体を動かせない風子を優しく抱きしめると、毎回お決まりの切り出しでおとぎ話を始めるのだ。

(あのね・・・昔、昔、あるところにね・・・)

内容は決まって怖い話。

物の怪、つまり幽霊や妖怪の話。

内容のせいなのか、彼女の話し方なのか、その話はとても怖く、風子はまるで子供のように女の胸にすがりつく。

すると女は優しく風子の全身を撫で回すのだ。

「それがとっても気持ちいいんだにゃ。」

その手の動きに身を任せているとうっとりと夢見心地になり、気がつくと朝になっている。

しかしゆっくりと眠ったはずなのに全身を倦怠感が覆い、それが日増しに酷くなっていくのだ。

「あの女の人が物の怪だということは解ってる。でも何処から来たのか分からないし、あの人が現れると頭がぼんやりして身動きが取れなくなるんだにゃ。」

「ふ~ん。それは”床女(とこおんな)”という昔からいる妖怪よ。」

瑠香の話によると、”床女”は御伽犬に棲みつき、白い長襦袢姿で夜な夜な現れては様々なおとぎ話を聞かせてくれ、そして相手の精を吸い取っていくという。

「床女は基本的に色魔の一種で、相手から精を吸い取ることが目的なの。平安時代から噂があるわ。」

「相手が女でも?」

「そうね。でも風子ちゃんは胸がぺったんこだから男の子に間違われたのかもしれないけど。」

「みぎゃ!床女さんは私の股間も触ってるにゃ!」

「冗談よ。その御伽犬をここに置いて行けば、もう風子ちゃんのところには現れないわよ。」

「でも夏樹さんのところに現れる?」

「うん。でも私がついているから大丈夫。夏樹さまの童貞を床女ごときに奪われてたまるもんですか。」

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◇◇◇◇

「長襦袢姿の色っぽい女の妖怪?」

夏樹がどこか嬉しそうに瑠香に問い返した。

「そう、平安の昔から御伽犬に棲みついているのよね。」

「その妖怪が男の精を吸い取るって?」

「うん、御伽犬は子宝への思いを込めて寝床に置かれていた物だからね。その思いが積み重なって生まれた物の怪よ。」

一旦床女と一緒に夜を過ごすと、母親に抱かれているような安心感と、床上手と言っていい性的な快楽により男性は中毒になったように自ら彼女を求めるようになり、やがて衰弱して死んでしまうという。

女性にも取り憑くが、その度合いは男性よりも軽く、風子のように御伽犬を手放すことにより、男性に比べれば容易にその呪縛から抜けられるらしい。

それ故、瑠香は風子が御伽犬を手に入れ、持ち帰るのを黙って見ていたのだろう。

「瑠香さんは、ふ~ちゃんがござれ市で御伽犬を買った時から床女が憑いていることに気がついていたんだ。」

「ええ、面白そうな物の怪が憑いてるなって。勉強よ、べんきょう。いろいろな物の怪に出会うことで夏樹さまや風子ちゃんの感性と言うか、霊感が研ぎ澄まされていくのよ。

特に風子ちゃんは霊的なものには敏感だけど、妖怪の類はあまり感じないみたいだしね。」

どうやら瑠香は夏樹を陰陽師にすることを諦めていないようだ。

「とにかく、床女の誘惑に勝てるかどうか、精々頑張ってね。」

「でもその手の誘惑には自信ないな~」

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◇◇◇◇

瑠香に言われた通りに御伽犬を枕元に置くと夏樹はベッドに潜り込んだ。

瑠香の姿は見えない。

おそらく床女が現れやすいように身を隠しているのだろう。

しかし横になってもなかなか寝付けない。

それは妖怪に対峙する不安と恐怖だけではなく、二十八歳の童貞は別の意味でドキドキしているに違いない。

しかし床女はなかなか現れず、半ば諦めてウトウトし始めた時だった。

優しく頭を撫でられる感覚があった。

半分寝ぼけた目を開けると、すぐ横に髪の長い女性の微笑む顔があった。

(面白い話を聞かせてあげるわね・・・)

ああ、これが床女だと夏樹はぼんやりと考えたが、その優しげな顔と、そのすぐ下に見せつけるように少しはだけた長襦袢の胸元から覗く豊かな胸のふくらみが目に入り、危機感は全く湧いてこない。

(あのね・・・昔、昔、あるところにね・・・)

愛らしい声と囁くような話し方に思わず聞き入ってしまう。

身体は動かない、と言うよりも動かそうという意思が湧いてこない。

じっと床女のなすがままに身を任せている状態だ。

床女は、夏樹の頭を優しく抱きかかえるようにして柔らかい胸に押し当てながら話を進めて行く。

(そして、その男が竹藪の中へ入って行ったの。するとそこに・・・)

話をしながら夏樹の全身を優しく撫で回してゆく。

そしてその手が夏樹の下半身へと進んだ時だった。

「そこまでだ!床女!」

厳しく叩きつけるような声に夏樹が思わず振り向くと、ベッドの横に瑠香が木刀を片手に仁王立ちしていた。

(誰だ?邪魔をするな。)

床女は夏樹の横に横たえていた身体をむくりと起こすと瑠香を睨みつけた。

その顔は先程迄の優し気な微笑みなどかけらもなく、一瞬にして鬼のような形相に変わっている。

「千年以上もそうやって人の精を貪り続けて来たんだ。もういいだろう。そろそろ終わりにしようぜ。」

床女を睨み返す瑠香の口調もいつもと違って荒っぽくなっている。

(嫌だね。皆、恍惚の表情で私に精を吸い取られていたよ。何が悪いんだい。)

「夏樹さま、頭を下げて!」

瑠香の言葉に反応し、夏樹が咄嗟にベッドに伏せると同時に、びゅっと風を切る音と共に木刀が床女を薙ぎ払った。

(ひゅっ)

息を吸い込むような声と共に、床女はエビ反って木刀を躱すと同時に後ろへ飛び下がった。

その隙に夏樹は転がるようにベッドから降りて瑠香の背後に回り、首だけを覗かせて床女の様子を窺っている。

床女は長襦袢の裾が割れるのを気にも留めずに太腿を露わに片膝を立てた状態で身を屈め、飛び掛かる隙を狙っているかのようだ。

「色魔ごときが、この式神瑠香さまに勝てると思ってるのか?ほら、掛かって来てみろよ!」

瑠香はそう叫ぶとベッドの上で身構えている床女に向かって目にも止まらぬ速さで木刀を突き出した。

その木刀の切先が床女の喉元を貫いた。

少なくとも夏樹の目にはそう見えた。

しかし次の瞬間、床女の姿はそこに無かった。一瞬にして消えてしまったのだ。

「消え・・・た?」

夏樹がそう呟くと、瑠香がチッと舌打ちした。

「逃がしたか。」

夏樹がベッドに近づいて確認したがどこにも床女の姿はなく、ヘッドボードに置いてあった御伽犬も消えていた。

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◇◇◇◇

「やっぱり男の人っておっきくて柔らかいおっぱいが好きなんだにゃ~」

夏樹の部屋で昨夜起こったことを瑠香が風子に報告すると、風子はそう言って口を尖らせた。

「まあまあ、夏樹さまもおっぱいだけに釣られて床女の毒牙に掛かりそうになったわけじゃないから。」

「まあ、確かに床女さんのおっぱいはおおきかったけどさ。何も抵抗しない夏樹さんも夏樹さんだにゃ。」

瑠香が風子を慰めたが風子の機嫌は直らない。

「とにかく、夏樹さまのせいであの小箱がなくなったんだから、風子ちゃんは三千円返して貰うか、何か奢ってもらえば?

私も床女から救ってあげたんだから、何か奢って貰おうかな~」

瑠香はそう言って風子と肩を組むとふたりで夏樹を見て笑った。

「でも、床女さんは何処に行っちゃったのかにゃ。」

「さあ、逃げられちゃったからね。どこかでまた犠牲になる人が出てくるんでしょうね。」

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あの御伽犬はまたどこかの骨董市で店先に並んでいるのかもしれない。

◇◇◇◇ FIN

Concrete
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