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長編11
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引越し業者

朝、小山田猛が寝坊して少し遅めに出社してくると、誰もいない事務所で電話が鳴っていた。

いつも電話対応してくれる事務のオバサンも席を外しているようであり、周りを見回しても出払っているのか他に誰もいない為、猛は手元の電話を取った。

「はい、みたらし運送です。」

みたらし運送は、社長とその奥さんの副社長、そして従業員が男女合わせて十名ほどの小さな運送会社だ。

近隣の企業の様々な配送業務に加え、個人の引っ越しなども請負っている。

(すみません、引越しをお願いしたいのですが。)

若い女性の声なのだが、どこかオドオドしたような声調だ。

「ああ、引越しの予約ですね。ちょっと待ってください。今電話を切り替えますね。」

業務の計画表は事務のオバサンの机に置いてある。

パソコンは苦手だという時代遅れのオバサンのせいで、未だに紙での予約台帳なのだ。

「すみません。お待たせしました。それでいつ頃をご希望ですか?」

(できるだけ早くお願いしたいのですが。)

通常は引越し先の引き渡し日や、電気、ガス等のライフラインの契約等があり、ピンポイントで日時を指定されることが多いのだが、時折このような客もいる。

現在住んでいる家、もしくは近隣に何か問題があるのか、若い女性であればストーカー被害ということも考えられる。

まさか夜逃げではないと思うが。

「そうですか。部屋の大きさはどのくらいですか?」

(海老名にある二十畳程のワンルームマンションで、厚木まで引っ越したいのですが。)

その大きさであれば、家財道具の量もたかが知れているし、海老名から厚木であれば距離的にも近い。

ふたり作業で半日あれば十分だと猛は踏んだ。

「それでしたら、えっと・・・今日の午後でしたら空いてますけど、いくら何でも無理ですよね。後は、明後日の午前中か・・・その翌日の・・・」

(今日お願いします!)

「え?あ、そうですか。それでは実際に作業する者に大至急確認しますので、このままお待ち頂けますか?」

猛はそう告げて電話を保留にすると、スマホを取り出した。

「あ、乙葉さん?小山田です。」

「猛か?お前今朝も遅刻しただろう。社長がカンカンに怒っていたぞ。」

村越乙葉は、今年二十七になる猛よりふたつ年上の先輩であり、シングルマザーなのだが男勝りのさばさばした性格で、仕事の同僚として頼りになる存在なのだ。

「いやあ、夕べちょっと飲み過ぎて。それよりも、急な引越しの依頼が入ったんですよ。今日の午後二時くらいから海老名から厚木、ワンルームなんですけど、大丈夫っすか?俺とペアになります。」

「海老名だったら、岩田が近くにいるだろ?」

「いや、依頼主が女性なんで、仮にも女性である乙葉さんに相棒をお願いできたらなって思って。」

「ああ、そう言う事か。って、ちょっと待て。”仮にも”って何だ?この可愛い乙葉さまをつかまえて。

まあいいや。じゃあ、直接そっちに行くから、場所をスマホに連絡入れておいて。」

「ありがとうございます。」

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◇◇◇◇

猛がトラックで海老名のマンションに到着すると、乙葉はすでにマンションの入り口で待っていた。

午前中の仕事を済ませ、その仕事の相棒に送って貰ったのだろう。

マンション前にトラックを駐車すると、ふたりは依頼主の部屋へ向かった。

電話で確認した依頼主は、神武比奈子という会社員の女性だ。

通常であれば、見積りを作成するために一度下見に来るのだが、今回は下見無しの作業になる。

電話で確認したところでは、生活家電とベッドとキュリオ、そして机が大物で、あとはプラスチックケースや段ボール箱などの小物だということだったが、手間が掛からないことを祈りながらインターホンを押した。

「あ、みたらし運送です。引越しの作業に来ました。」

ドアから顔を出したのは、猛や乙葉とそれほど違わない、二十代後半と思われる小柄な女性だった。

しかしたった今まで泣いていたように目が赤く腫れぼったい。

猛はどう話をすればいいのか戸惑ってしまったが、乙葉がそれを察したのかすっと前に出た。

「この度はご依頼ありがとうございます。お急ぎのようですが、すぐに作業に取り掛かって大丈夫ですか?」

いつもの乙葉らしくない優しい語り口で問い掛けると、彼女はこくりと頷いた。

「ええ、あ、でも・・・いえ、お願いできますか。」

何故か歯切れの悪い言い方で返事をした神武比奈子はふたりを中へ招き入れた。

「お邪魔しまーす。」

「失礼しまーす、って、え?」

部屋の中は驚くほど散らかっていた。

とてもこれから引越ししようという部屋ではない。

しかしその散らかり具合は、生活による汚さとは違っていた。

基本は綺麗なのだが整理してあるものを故意に撒き散らかした、そんな感じなのだ。

「ごめんなさい。今日の午前中、引越しの為に荷物を全部まとめたんですけど・・・」

そして引越し業者が来る前に昼食を済ませようと外出し、戻ってきたらこの有様だったと神武比奈子は泣きそうな顔で言い訳した。

「泥棒か何かに入られたって事なの?」

乙葉の問いに彼女は首を横に振った。

彼女の説明によると、この部屋はそもそもいわくつきの物件だったという。

それでも自分には霊感がないと信じていたし、通常の半額以下という家賃に釣られてここへ越してきた。

「でもやっぱり出たんです。それも男性の幽霊で・・・あの・・・」

なぜか言い辛そうにしている神武比奈子の様子を見た乙葉は、横に立って話を聞いていた猛の肩を押した。

「猛、ちょっと近くのコンビニへ行って大量に粗塩を買って来てくれないか。」

塩と聞いてピンときたのだろう、猛は大きく頷くと部屋を出て行った。

「それで、その男の幽霊はただ出てくるだけなの?」

女性同士なら話しやすいだろうと気を遣った乙葉が話の先を促した。

「最初は部屋の隅に立って様子を窺っているだけだったんです。」

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**********

この部屋に引っ越してから数日が経ったその日の夜、神武比奈子は深夜二時にふと目が覚めた。

なんでこんな時間に目が覚めたのだろうと、寝返りを打とうとしたが体が動かない。

まさか金縛りだろうかと思いながら目だけで周囲を見回すと、部屋の隅に誰かが立っていたのだ。

見た目は四十歳前後の男で、何故か衣服は身に付けていない。

全身が青白く、薄闇の中に浮き立って見える。まるで弱い蛍光塗料を塗っているようだ。

すぐにその男が泥棒などではなく、ここがいわくつきの物件である所以であることを理解したが悲鳴も上げられない。

しかしその夜は、その場所から動くことなく、じっと彼女のことを見つめているだけだった。

ところがその男はその翌日から徐々にベッドへ近づいてくるのだ。

そして三日後にはベッドのすぐ横に立ち、彼女を見下ろしてニヤニヤと笑っていた。

ベッドに寝ている目の前には裸の男の股間があり、はっきりと欲情している状態を示している。

このまま襲われるのではないかと思ったが、その夜もそのまま消えてしまった。

ひょっとするとあの男の幽霊は驚かせるだけで、襲ってくることはないのではないかと安易な考えが頭を過った.

しかしその翌日、その淡い期待は裏切られた。

男はベッド横の現れると、いきなり掛布団をめくったのだ。もちろん神武比奈子は身動きひとつできない。

(くっ、くっ、くっ・・・)

含み笑いの声が聞こえる。この男が声を発するのを聞くのはこれが初めてだ。

そして男が布団をめくるという物理的な接触をしてきたのも。

(くっ、くっ、くっ・・・)

男は含み笑いを続けながら、神武比奈子のスウェットの上着の裾を掴むとゆっくりと首の下までたくし上げた。

ブラジャーをしていない胸が剥き出しになる。

そして男は乳房をゆっくりと揉みしだき、乳首をつまんだ。

全身に悪寒が走り、彼女は気を失った。

********

翌朝目が覚めると、剥き出しになっている胸が夢ではなかったことを告げていた。

神武比奈子は慌てて自分の身体を確認したが、下半身は衣類を身に付けたままであり、最後まで犯された様子はなかった。

しかしもうこれ以上、この部屋にはいられない。

そう思った神武比奈子は、ベッドから起き出すと急いで不動産屋に行って、即入居可能な物件を探した。

そして運良く手ごろな物件が見つかり、すぐに契約して引越しを決めたのだった。

「なるほどね。そしてその幽霊があなたをこの部屋から出したくなくてこんなことをしたってわけね。」

乙葉は散らかっている部屋をもう一度見回した。

その時だった。

(・・・コノ、女ハ・・・渡サナイ。)

突然何処からともなく部屋の中にくぐもった男の声が響いた。

太陽が出ている明るい時間帯なら大丈夫だと思っていたのだろう、神武比奈子は顔を引き攣らせた。

「この部屋から一歩も出られない地縛霊ごときがなに寝言を言ってるんだ!こっちはこの人をここから出すのが仕事なんだよ。邪魔するな。」

乙葉が部屋の中へ向かってそう叫んだ途端、いきなり乙葉の被っていたキャップが飛んだ。

そして次の瞬間、着ている作業服の後ろ襟が持ち上がった。

「きゃっ!」

乙葉はそのまま物凄い力で後ろへ引き倒され、仰向けにひっくり返った。

更にその見えない力は襟を掴んだまま乙葉を玄関へと引き摺って行く。

「くそっ!」

乙葉は咄嗟に作業服の前のファスナーを下ろし、作業服を脱ぎ捨てると前へと転がった。

主を失った作業服はそのまま一瞬宙に浮いていたが、すぐにはらりと床の上に落ちた。

Tシャツ姿になった乙葉はすぐさま上体を起こし、中腰で身構えたが男の姿は何処にも見えない。

そこへひょっこりと猛が帰ってきた。

「乙葉さん、塩買ってきましたよ。」

「猛!神武さんを今すぐこの部屋から連れ出してくれ!」

乙葉は猛の手からレジ袋を引っ手繰ると塩を取り出しながら、そう叫んだ。

猛は事情が呑み込めないまま、とにかく乙葉の指示に従い神武比奈子の腕を掴むと玄関へ向かった。

ドン!

荷物を運び出すためにストッパーを掛けて開け放っていたドアが、猛の目の前でいきなり勢いよく閉まった。

この時点で、猛は詳細までは分からないものの何が起こっているのかを理解した。

「乙葉さん!玄関に塩を撒いて!」

「はいよっ!」

乙葉が塩の袋を開け、塩を掴むと、玄関ドアに向かって投げつけた。

そしてそれと同時に猛は神武比奈子の腕を思い切り引っ張ってドアを開けると転がるように外へ飛び出した。

「きゃー!」

猛の背後で乙葉の悲鳴が聞こえ、同時にドアが再びバタンと閉まった。

「神武さんはこのままマンションの外へ出て待っていて下さい!」

猛は、泣きそうな顔をした神武比奈子にそう告げると、再び玄関ドアを開けて部屋の中へ飛び込んだ。

中に入るとリビングの中央で乙葉がめくれ上がったTシャツを必死に抑えてもがいているのが見える。

「乙葉さん!」

慌ててリビングへ駆け込もうとした猛はいきなり見えない壁にぶつかったように弾き飛ばされ、仰向けにひっくり返って後頭部を床に打ち付けた。

一瞬意識を失ったかと思うほどの衝撃だったが、猛は頭を振りながら再び立ち上がった。

乙葉は見えない何かに両腕を頭の上で押さえられ、ブラジャーもたくし上げられて豊かな胸が丸見えになっている。

猛は乙葉の傍に落ちていた塩の袋を掴んで叫んだ。

「お前は神武さんが目当てじゃなかったのかよ!女だったら誰でもいいのか、この変態が!」

相手の姿は見えない。しかし乙葉の傍にいるのは間違いない。

猛は塩を掴んで二回、三回と乙葉を目掛けて投げつけた。

「うわっ、ぷっ、ぺっ!」

塩が効いたのだろうか、突然両腕の拘束が解かれ、うずくまった乙葉は顔をしかめて自分の顔に掛かった塩を振り掃っている。

「乙葉さん、逃げますよ!」

幽霊が怯んだと見切った猛はそう言って乙葉の腕を掴んで立ち上がらせ、ふたりは部屋の中に向かって塩を撒きながら一目散に玄関から飛び出した。

「乙葉さん、大丈夫でしたか?」

「ああ、大丈夫だ。ありがとう。」

玄関から通路に出たところでふたりはドアを振り返ったが、男の幽霊が部屋から追って出てくることはなさそうだ。

ほっと一息つき、猛が振り返ると乙葉は苦笑いをしてTシャツの裾から中へ手を突っ込んだ。

「猛、悪いけどブラのホック止めてくれないか?体が硬くて背中だと自分でできないんだ。」

「いいっすよ。でも乙葉さんて意外に胸が大きいんですね。初めて女なんだって認識しましたよ。」

「てめえ、殺すぞ。」

とにかく部屋から逃げ出し、猛と乙葉はじゃれ合いの会話が出来る位に落ち着いたようだ。

「とにかく今回の仕事は、申し訳ないけどキャンセルだな。

今まで何件か事故物件の引っ越しをやったけど、こんなの初めてだ。絶対無理だよ。」

乙葉が肩をすくめてそう言うと、猛は何か思いついたようで、ポケットからスマホを取り出した。

「あ、岩田さん?いま、相模原ですよね。ちょっと緊急事態なんで海老名まで来られますか?・・・はい・・・ええ、こちらに来てから説明します。お願いしますね。待ってます。」

猛が通話を切ると、乙葉が不思議そうに首を傾げた。

「岩田?何で岩田なんだ?」

すると猛はニヤッと笑った。

「今回は女性客だから気を遣って乙葉さんに来て貰ったんですけど、裏目に出ちゃいましたね。女なら誰でもいい変態幽霊が相手なら、男ふたりで仕事しますよ。」

「”女なら誰でも”ってのがちょっと引っ掛かるが、まあいい。岩田とふたりで大丈夫なのか?」

乙葉は心底心配しているようで、彼女にしては珍しく不安げな表情で猛を見つめた。

「まあ、一旦受けた仕事は必ずやり遂げるってのが社長の方針ですからね。あの変態幽霊がバイセクシュアルじゃないことを祈りますよ。」

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◇◇◇◇

結果から言うと、マンションからの荷出しは猛と岩田で無事に完了した。

猛と岩田は残っていた塩を小袋に分け、ポケットというポケットに押し込むと、恐る恐る部屋へと入って行った。

部屋の中は時折唸り声やラップ音がするが、特に物理的な攻撃を受けることもなく、猛と岩田はそそくさと部屋の中の物を荷造りして運び出したのだった。

岩田はそのまま事務所へと戻り、猛は乙葉と共に厚木の引っ越し先へと向かった。

「あの幽霊は憑いて来たりしないですよね?」

トラックを運転しながら猛が少し不安げに乙葉に問いかけた。

「大丈夫じゃないか。猛と岩田が荷出しをしている間も声や音が聞こえていたっていうことは、まだあの部屋に居たって事だろ?」

「まあ、そうですね。でもそうすると次に入居する人はきっと同じ目に遭うんですよね。」

「そういうことだな。」

助手席に座って両足をインストの上に乗せ、乙葉は何か考えているように目の前の夕陽を見つめている。

「さあ、そろそろ目的地だ。日没前には終わりそうだな。さっさと荷下ろしして運び込んだら晩飯を奢れよ。」

「へ?なんで?」

「おっぱい見せてやっただろ?この乙葉さまのカッコいいおっぱいを。」

「いや、カッコいいのは認めますけど、”見せてやった”って言うんですか?結果として、"見えちゃった"だけじゃないですか。」

「うるせえな。それでも得した気分だろ?」

「ええ、まあ。じゃあ・・・行きますか。」

「おう。じゃあ頑張るぞ。」

まだ陽は沈み切っていないが、トラックを停めた辺りは建物の陰になり、かなり薄暗くなっている。

トラックから乙葉と猛が降りると、先に新居に到着していた神武比奈子が笑顔で駆け寄ってきた。

あのマンションを出られて心の底から安堵している笑顔だ。

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しかし・・・

乙葉の目には、彼女の背後にうっすらと黒い人影が立っているのが見えていた。

(ちっ!しかし荷物を運び込んだら、そこから先はうちらの仕事じゃないよな・・・

只の引越し業者なんだから。)

乙葉はそっと苦笑いをすると、猛と共にトラックの荷台を開いた。

◇◇◇◇ FIN

Concrete
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