長編14
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からくり人形

「美咲、ちょっと来てくれる?」

居間のちゃぶ台で、美咲が妹の真紀と一緒に夏休みの宿題をしていると、台所から祖母の呼ぶ声がした。

今週いっぱい母親の実家である祖母の家に姉妹二人で遊びに来ているのだ。

祖父は五年前に他界し、子供達は家を出てしまったため、かなり大きな古い家に祖母がひとりで暮らしている。

やはり年寄りのひとり暮らしは心配なため、美咲の家族は家の掃除なども含めて、時間があればできるだけ訪ねるようにしていた。

自宅は車で一時間ほどの所なのだが、今回は夏休みということで姉妹二人で泊まりこんでいる。

「真紀と一緒に蔵の中を片付けてくれない?この前の地震でところどころ崩れちゃったのよ。」

一か月ほど前、この家の辺りで震度五弱を記録する地震があった。

すぐにその地震のことだと理解したが、同時によく解らない物がごちゃごちゃと積み上げられた蔵の中を思い出し、ため息を吐いた。

今年七十五になる祖母は膝を悪くしており、ひとりではどうしようもなかったのだろう。

「いいわよ。真紀、一緒に片付けよ。」

美咲は祖母から蔵の鍵を受け取ると、四歳年下で小学校六年生になった妹の真紀と一緒に蔵へと向かった。

ガラガラガラ

旧式のカンヌキを開け、力を込めて分厚い木の扉を開けるとぷんとカビ臭い匂いが鼻を衝く。

蔵へ入るのは何年ぶりだろうか。

灯りをつけると、確かに所々積み上げられていた物が崩れていた。

「あーあ、結構崩れてるわね。じゃあ、真紀はそっちをお願い。こっちは私がやるわ。」

「うん、わかった。」

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**********

「お姉ちゃん、ちょっと来て。」

崩れた物を整理していた真紀が、台に乗って箱を積み上げていた美咲を呼んだ。

「何、どうしたの?」

「この奥に棚があって、変な木の箱が置いてあるの。」

そう言って真紀が指差したところを見ると、確かに崩れた貯蔵物の奥に棚がしつらえてあり、その上に古びた木の箱が乗っている。

まるで人目に触れないように隠していたようだ。

「何だろう、これ。」

その横長の箱は幅が七、八十センチ、奥行き三十センチで高さも三十センチ程の大きさ。

太めの麻紐で十字に縛ってあり、その中央の結び目には変色した古い紙が貼り付けてある。

見ると赤い文字で『禁開封』と書かれていた。

「これって開けちゃダメな奴だよね。」

真紀が不安そうな顔で美咲に問いかけたが、美咲は首を傾げて更に箱を観察している。

箱の蓋には、ややかすれた筆書きで『からくりお美津人形』と書かれているのが読み取れた。

「中は人形みたいね。からくり人形って書いてあるけど、どんなからくりなんだろう。」

そう言って美咲が箱を持ち上げてみると、それほど重くない。

そして箱の裏面には同じく筆書きで『天保参年 葛飾人形師 奇秀作』と書かれている。

名のある人形作家なのだろうか。

天保三年ということは、二百年近く前だ。

一般的なからくり人形は小僧がお茶を運んだり、少女が太鼓をたたくようなものなのだが、箱の大きさからするとそこそこの大きさがあり、また”お美津”という名からすると、少女、または女の人の人形のようだ。

「どんなからくり人形なんだろう。開けてみようよ、お姉ちゃん。」

真紀はかなり興味をそそられたようであり、悪戯な笑みを浮かべて美咲の顔を覗き込んだが、美咲は渋い顔で首を横に振った。

「止めましょ。こうやって封印してある以上、何か理由があるはずよ。真紀、開けたら呪われるかもよ。」

それを聞いた真紀は顔を強張らせて黙ってしまった。

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◇◇◇◇

予定の滞在期間が過ぎ、祖母の家から自宅に戻った姉妹は、久しぶりに両親と一緒に夕食を食べていた。

そして美咲と真紀が祖母の家であった出来事を話す中で、あのからくり人形の箱の話になった。

「ええ?そんな箱が蔵にあるのは知らなかったわ。」

祖母の家で生まれ育った母親の裕子もその存在を知らなかった。

「うん、お婆ちゃんも知らないって言ってた。」

ということは、あの人形が蔵の奥へ仕舞われたのは、少なくとも祖母があの家へ嫁入りした時よりも前のことになる。

「でもそんな昔のからくり人形って、壊れてなければかなり値打ちがあるんじゃないかな?」

裕子は目を輝かせてそう言うとにやっと笑った。

「そうね、テレビのなんとか鑑定団で見て貰ったらとんでもない値が付くかもね。」

真紀がそう言うと裕子はうんうんと頷いた。

「お婆ちゃんは、そんな物が蔵にある事を知らないって言ったのよね?じゃあ、勝手に売り払っても問題ないわよね。」

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◇◇◇◇

その翌週、美咲が学校から帰るとリビングのテーブルの上にあの箱が置いてあった。

裕子が祖母の家から車で持って帰ってきたようだ。

「え~、何で持って帰ってきたの?蔵の中で開けて、中身がしょーもない物だったらそのまま置いてくればよかったのに。」

「でも、その赤い『禁開封』の文字を見たら、あの暗い蔵の中、ひとりで開けるのが怖かったのよ。」

確かにまだ封は切られていない。

「だからって家に持ってくることはないでしょ。お婆ちゃんちで開ければ良かったじゃん。」

「お婆ちゃんには内緒で持ってきちゃったんだもん。」

文句を言う美咲に、裕子は口を尖らせて言い訳した。

「ええ?それって泥棒と一緒じゃない。」

「人聞きの悪いこと言わないでよ。遺産相続の前借りよ。」

それでもやはり不安だったのだろう、すぐに箱を開けてみようとはせず、父親の健太郎が帰宅するのを待つことになった。

昨夜、普段から無口な健太郎は母娘の会話を黙って聞いていた。

しかし帰宅してその箱を見た途端、何かを感じたのか、思い切り顔をしかめた。

「これは止めた方がいい。このまま婆さんの蔵に戻して来い。」

「え~、凄いお宝かも知れないのよ。とにかく中身だけ確認しましょうよ。」

裕子はそう言って麻縄の結び目に貼ってある紙に指を掛けた。

その紙も古く変色してボロボロになっており、きれいには剥がれずに半分崩れ去るように剥がれ落ちると、麻紐の結び目が顔を出した。

「やめろよ。」

「え~、中をちょっと見るだけよ。」

「やめろって言っているだろ!」

普段は穏やかで優しい健太郎が、見たことのないような険しい顔をして紐を解こうとしている裕子の腕を掴んだ。

「痛い!・・・わかったわよ。」

健太郎のその様子に怯えたのか、裕子は不機嫌な顔でその箱を蔵に戻してくると言った。

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◇◇◇◇

朝、家で一番先に起きるのは健太郎だ。

目覚し時計の音で目覚めると布団から起き出して出勤の支度を始める。

そして裕子が起き、パジャマ姿のまま朝食の支度を始めるのが常だ。

しかし、その朝は寝室を出て洗面へ向かった健太郎がどたどたと荒い足音で寝室へ戻ってきた。

「おい!お前、あの箱を開けたのか⁉」

「・・・ん?え?何のこと?」

健太郎の剣幕に驚いて布団から起き出した裕子が健太郎と共にリビングへ行くと、テーブルの上に置いてある箱の蓋が開いていた。

中を見ると隙間を埋めるために使っていたと思われる藁のような物が入っているが、入っているはずである人形がない。

「娘達の仕業か?」

裕子に起こされた美咲と真紀は不機嫌そうに、箱を開けたのは自分ではないと言い切った。

「じゃあ、泥棒?」

裕子は不安そうに家の中を見回したが、他に荒らされている様子はなく、玄関も窓も異常はない。

「あれ?これ何?」

美咲が箱の中に、折り畳まれて黄色く変色した和紙が入っているのに気がついた。

折り畳まれたその紙を広げてみると、筆で何か書かれているが、あまりに達筆な文字で何が書かれているのか全く分からない。

結局、誰が蓋を開けたのか分からないものの、箱には最初から人形など入っていなかったのだろうという結論になり、健太郎はいつも通りに出勤し、娘達も学校へと出て行った。

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◇◇◇◇

皆を見送った後、裕子はとにかく邪魔な木箱に蓋をして解けていた麻縄で簡単に縛ると、実家へ持って帰るために一旦玄関に置いた。

「あーあ、美咲の言うように実家で中身を確認すればよかった。」

そして朝食の後片付けを済ませ、洗濯を終えるとダイニングテーブルでほっと一息ついていた。

朝の喧騒が嘘のように静かで、庭の鳥の声や時折走り去る車の音が聞こえている。

今日は真紀が午前中で帰ってくる予定であり、昼食は何にしようかとぼっと考えた時だった。

カタカタカタ・・・・・

何処からか硬く細かい周期の音が聞こえた。

何の音だろう。

疑問に思った裕子は音のする方へ顔を向けた。

すると庭へ掃き出しになっているリビングの窓のカーテンが揺れている。

そしてカーテンの袂で何かが動くのが見え、それがリビングの窓から壁を沿って奥の和室の方へ駆け抜けた。

「何?猫?」

ちらっと見えたその姿は、立ち上がった子猫程の大きさで、日本髪を結い、ヨモギ色の和服を着た女の姿で、その手には鎌のようなものが握られていた。

カタカタカタ・・・・・

その走る音とその姿から裕子の頭の中にあの木箱の蓋に書かれていた文字が浮かんだ。

『からくりお美津人形』

(あれが、”お美津人形”?)

あの箱から自力で抜け出してきたとでも言うのだろうか。

いくらからくり仕掛けだとしてもあり得ない。

恐る恐る和室を覗いて見たが、何処にもその姿はなく、耳を澄ませてもあの音も聞こえない。

しかし気のせいだったとは思えない。

しばらく和室の様子を窺っていたが、何も起こらず裕子は首を傾げながらリビングへ戻ったところではっと息を飲んだ。

先程あの姿を見掛けた辺りのカーテンが、床から三十センチ位のところで、横に切り裂かれているではないか。

あの人形の手に握られていた鎌が頭を過る。

あの鎌は人形用の模型ではないのか。

これだけ見事に柔らかい布のカーテンを切り裂けるとすると、相当な切れ味を持った鎌だ。

裕子は背中に冷たい水を浴びせかけられたようにぞっとした。

そんな物騒な人形が家の中を走り回っているなんて。

あの人形の身長は膝の高さくらいだった。

裕子はダイニングの椅子の上に乗り、しゃがんで家の中を見回した。

カタカタカタ・・・・・

またあの音がどこかから聞こえる。

すると浴室の方から玄関に向かってヨモギ色の陰が駆け抜けているのが見えた。

和室にいたのではなかったのか。

カタカタカタ・・・・・

あの音が聞こえる。

今度はかなり近い!どこだ!

ガッ!!

椅子の上にしゃがんだまま周囲を見回す裕子の足元で大きな音がした。

足元をみるといつの間にか着物姿の女の人形が椅子の横にいて、振り下ろした鎌の先端が椅子に食い込んでいる。

そしてその鎌を握った人形が裕子を見上げ、目を吊り上げてからくり仕掛けの口を大きく開けた。

「ぎゃーっ!」

裕子は慌てて今度はテーブルの上に飛び乗った。

カタカタカタ・・・・・

人形は鎌を振りかざして、裕子の乗っているテーブルの周りをぐるぐると回り始めた。

「ひ~っ、何?何なのよ!私が何をしたって言うのっ?」

裕子がテーブルの上から走り回るからくり人形を見下ろして、泣きそうな声で叫んだ。

「ただいま~」

玄関で真紀の声がした。もう真紀が帰ってくる時間だった。

「真紀!ダメ!家に入ってこないで!」

「何?どうしたの?」

何のことだかわからない真紀は、キョトンとした顔で家に入って来た。

しかしダイニングテーブルの周りを駆けまわっている人形の姿を見て、その場で固まった。

「な、なにこれ。」

すると人形は突然立ち止まり、真紀の方へ向かってきた。

「きゃーっ!」

真紀は慌てて玄関へ戻り、横にある扉を開けてその部屋に飛び込んだ。

そこは三畳ほどの広さの納戸だったが、今は模型作りが趣味である健太郎の作業部屋になっている。

中へ飛び込んだ真紀は、ランドセルを背負ったまま裕子と同じように作業用の椅子に飛び乗った。

「こっちへ来ないでよ!」

真紀は机の上にあった工具などを人形に向かって投げつけるが、人形はそれをものともせずに近づいてくる。

何か他に投げる物はないかと机の上を見た真紀の目に、コーラ缶程の大きさの白いプラスチック容器が目についた。

ガッ!!

先程と同じように人形が振り下ろした鎌が、真紀の足をかすめて硬い木の椅子に突き刺さった。

「痛っ!」

真紀の足首には血がにじんでいる。

人形が刺さった鎌を抜こうと動きを止めたのを見て、真紀はそのプラスチック容器の蓋を開けて、椅子の横にいる人形の頭へその中身をぶちまけた。

それは瞬間接着剤だった。

健太郎が普段この容器から小分けにして模型作りに使っているのを真紀は知っていたのだ。

それもゼリータイプではなく、さらさらの液状のタイプであり、大量の接着剤は人形の頭から一気に足元へ流れ落ちた。

カタカタ・カ・・タ・・・カ・・・タ・・・・

十秒も経たずに人形は動きを停めた。

これが本当に霊的な存在であれば接着剤など効果はなかっただろう。

しかし基本的に木製のからくり人形であり、可動部分は全て瞬間接着剤で動きを止められ、そして足は床に貼りついてしまったのだ。

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◇◇◇◇

健太郎はあの木箱に入っていた和紙の文書(もんじょ)に何が書かれていたのか、古文書に詳しい会社の知り合いに解読して貰っていた。

そこにはこのからくり人形について、その所以が書かれていたのだ。

この文書によると柴又にある長屋にお美津という女が住んでいた。

この旦那が浮気性で、仕事もせずにあちらこちらの女に手を出しては遊び回っていたのだ。

しかし真面目で一途なお美津は我慢を重ね、毎日必死になって働いていた。

そして天保元年某日、お美津が仕事から帰ってくると、旦那が家に女を引っ張り込んで情事の真っ最中。

それを見て怒りと悲しみが頂点に達したお美津は、たまたま手元に置いてあった鎌を手に取り、恨みの言葉を吐きながらその場で自分の首を掻っ切ったのだ。

しかし、お美津の旦那は特に悲しむ様子は見せず、ろくに葬式も挙げないまま別な女のところに転がり込んでいた。

そのお美津の従弟にあたる男が、奇秀という腕の立つからくり人形師で、自分が大好きだったお美津を自害に追い込んだその旦那を許せず、怒りに狂った彼は死んだお美津の毛髪を使い、お美津に見立てたからくり人形を仕立て上げた。

そしてその人形は、旦那が女に手を出すたびにどこからともなく現れ、旦那の目の前で相手の女を切り殺したのだ。

人形は決して旦那には手出しをしようとしなかったが、目の前で何人もの女を殺され、恐れおののいた旦那は寺へ駆け込んだ。

そしてその寺の和尚がおとりの女性を使ってその人形を捉え、この木箱に封印したのが事の顛末だった。

文書の最後には、封印したその和尚と思われる名が書かれていた。

この和尚がこの文書をしたためて人形と一緒に封印したのだ。

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◇◇◇◇

その人形が何故裕子の実家の蔵にあったのかはわからない。

しかし結果として、裕子が箱の封印を解いてしまったということだ。

裕子が実家の母親に相談すると、すぐに檀家である寺の住職に話をしてくれ、住職は人形を元の箱に入れてすぐに寺へ持ってくるように言った。

裕子は、言われた通りに健太郎の作業部屋で固まったままになっていた人形を箱に納めようとした。

しかし人形の腕は接着剤により動かないと思ったものの、どうしても持っている鎌が怖い。

あの文書に書かれていたことが本当だとすると、この鎌は何人の命を奪ったのだろう。

江戸時代の物のはずだが、錆ひとつなく光っている。

そしてよく見るとヨモギ色の着物にはところどころ黒いシミがある。

これは殺された女たちの血の跡なのだろうか。

裕子は作業机からペンチを取り出すと、万一再度動き出しても怖くないようにと、鎌を柄の部分で切ろうとした。

しかしどうしても切れない。どうやら鎌は柄の部分も一体となった鋼の鍛造なのだ。

この硬い木の椅子に刃を打ち込めるくらいの力なのだから、半端な木の柄では折れてしまう。

最初から兵器のような存在として作られた人形なのだ。

柄を切ることを諦めた裕子は、可動となっている人形の手首からバチンと切り落とした。

人形とはいえ、さすがに良い気持ちはしなかったがやむを得ない。

そして接着剤で固まっている人形の足を床から引き剥がすと、切り落とした鎌と共に箱に納めた。

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**************

お寺に到着し、本堂で待っていた住職の元に箱を持っていくと、住職は真剣な表情で目を細め、じっとその箱を見つめた。

「これが蔵の中にあったのですね?」

住職へ依頼する時に母親が話しているとは思ったが、裕子はもう一度起こった事柄を住職に詳しく説明した。

「ふむ。」

住職は暫し何かを考えていたようだが、箱の前に座り直すと数珠を構えて手を合わすと何やら経を唱え始めた。

静かな本堂の中に住職の声だけが響く。

十分も経っただろうか。

カタッ・・・カタッ・・・カタッ・・・

箱が小刻みに動いている。

「おい、まな板を持ってこい。」

住職は近くに控えていた小僧に突然そう指示した。

まな板など何に使うのだろうか。

小僧が慌てて台所からまな板を持ってくると、住職は自分の身体の前にそのまな板を構え、箱の蓋に手を掛けた。

ガッ!!

蓋を少し開けたところで、まな板に何かが激しくぶつかる音がした。

住職がまな板を裏返すと、そこには裕子が切り落とした鎌が深々と突き刺さっていた。

もしまな板がなければ、住職を直撃していたに違いない。

間髪を入れず、住職は手に持っていた数珠を刺さっている鎌の柄に巻き付けた。

そして懐からもうひとつ長い数珠を取り出すと、今度は箱の中で固まったままの人形に巻き付け、まな板に刺さっている鎌を数珠ごと引き抜くとこれも箱の中へ戻した。

そして再び蓋をすると、裕子が箱を縛っていた麻紐で元のようにきっちりと十文字に縛った。

さらに、予め用意してあったのだろう、木魚の横に置いてあったおふだを手に取ると麻紐の結び目にきっちりと貼り付け、ふたたび教を唱え始めた。

今度は三十分以上唱えていただろうか。

もう箱からは何の物音も聞こえない。

「これでよし。」

経を唱え終え、そう呟くと裕子の方へ向き直った。

「この人形はこの寺で封印させて貰います。下手に人形を焚き上げたりすると、中に封じ込められているお美津の霊が彷徨い出ることになりかねません。この人形に封じ込めたまま永久に封印しておくのが一番です。」

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◇◇◇◇

取り敢えず決着したようであり、裕子は沈んだ気持ちで寺を出た。

自分が変な欲を出さなければ、あのお美津人形は、接着剤で固められたり、数珠で縛られたりすることなく、静かに蔵の中で眠っていたのかもしれない。

(ごめんなさい)

裕子は寺の方向を振り返ると、心の中でお美津に謝った。

(ゆるさねえよ・・・)

ふいに頭の後ろ辺りで女の声が聞こえたような気がした。

しかし振り返ってもそこには誰もいなかった。

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◇◇◇◇

あの日以来、裕子はどこかで鎌を見掛けるとそれを握りしめ振りかざしたいという、激しい衝動に駆られるようになった。

このままでは本当に人に向かって鎌を振り下ろす日が来てしまう。

そんなことは絶対にしたくない。

庭で使っていた家の鎌は健太郎に処分して貰い、金物屋などには絶対に近づかないようにしている。

しかしその衝動を死ぬまで抑えきる自信もない。

そのくらい激しい衝動なのだ。

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人を殺したくなければ、もう自分の両手首を切り落とすしかないのだろうか。

あの人形に裕子がしたように・・・

◇◇◇◇ FIN

Concrete
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