突然音信不通だった高校時代の彼女、亜希子から同窓会だと騙されて、幽霊が出ると噂される彼女の父親が所有する温泉旅館へと誘われた。彼女の父親はその幽霊を追い払ってくれという。
実際に女性の幽霊に遭遇するが、いったい彼女はどのような理由でこの旅館の離れに現れるのだろうか。
◇◇◇◇
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夜中に尿意を覚えて目が覚めた。
時計を見ると二時半を指している。
亜希子が消したのだろうか、部屋の照明はいつの間にか消えていたが、外の月明かりで部屋の中は明るく、特に明かりをつける必要はなさそうだ。
横を見ると、先程と同じように亜希子が全裸のまますやすやと眠っている。
月明りに浮かぶスッピンの寝顔は高校の頃の彼女のままだ。
起こさないように抱きついている亜希子の手を静かに外し、枕元の浴衣を羽織るとトイレに向かった。
露天風呂への扉はいつの間にか閉まっており、傍に行って確認すると鍵も掛かっている。
まるで先程開いていたのが嘘のようだ。
とにかくトイレに入り用を足して、部屋に戻ろうと扉を開けた。
「!」
なんと目の前にあの水色のワンピースを着た女が立っているではないか。
あまりの驚きに声も出せず、出ようとしていたトイレの中へと後ずさった。
すると後ろに下がった分だけ彼女は近づいてくる。
そしてふたりともトイレの中へ入るとすっとドアが勝手に閉じてしまった。
五十センチほどの距離を置いて彼女と対峙すると、俺はどうしてよいのか分からず、固まったまま彼女をじっと見つめた。
そうしていればこれまでと同じようにまた彼女は消えてしまうとどこかで期待していたのかもしれない。
しかし彼女は消えることなく、そのままゆっくりと俺の胸に手を伸ばしてきた。
全裸の上に浴衣の袖を通しただけの姿である俺は、浴衣の前を合わせようと考えたが手は全く動かない。
彼女の手はゆっくりと身動きが取れない俺の胸を撫で回し始めた。
彼女は幽霊であり実体はないものと思い込んでいたが、胸を撫でまわす手は少し冷たいがしっかりとそのしなやかな指先の触感を伝えてきている。
「・・・オネガイ・・・サムイノ・・・アタタメテ・・・」
少しエコーを伴った彼女の声が頭の中に響くように聞こえてきた。
彼女は寒いと繰り返しながら背中のファスナーを降ろし、ワンピースをするりと足元に落とした。その下には何も身につけていない。
そして全裸の彼女はゆっくりと俺に抱きついてきた。
冷たい。
彼女の柔らかい肌の感触と共に感じるその冷たさで全身に鳥肌が立った。
「サムイ・・・コンナ、ハヤシノナカニ・・・オイテイカナイデ・・・」
俺の体温で自分の体を温めようとするように、彼女は羽織った浴衣の中に手を差し入れて俺の背中や尻を撫でまわした。
しかしそれを繰り返しても彼女の手も体も全く暖かくならない。
「・・・ナンデ・・・コンナトコロニ・・・
オイテイカナイデ・・・ツレテカエッテ・・・」
俺の体を撫でまわしながら彼女はシクシクと泣き始めた。
この女性に何があったのだろうか。
俺の中で彼女を不憫に思う気持ちが湧いてきた。
するとその途端、何故か両腕が動くようになった。
しかし彼女を突き放す気にはなれず、胸に顔を埋めて泣いている彼女の冷たい身体を抱きしめようとすると、両腕は空を切り、彼女は消えてしまったのだ。
夢だったのか?
足元を見ても彼女が脱ぎ捨てたはずのワンピースが落ちていない。
キツネにつままれたような気持ちで布団に戻ると亜希子の隣に潜り込んだ。
俺の動きで目を覚ましたのだろう、亜希子は半分寝ぼけながら元のように俺に抱きついてきた。
「冷たっ!どうしたの?」
抱きついた俺の体の冷たさに驚いて亜希子ははっきりと目を覚ましてしまったようだ。
先程ワンピースの彼女がしていたように、しかし比べようのない暖かい手で冷たくなった俺の肌を撫でてくれている亜希子に、たった今トイレであったことを包み隠さず話した。
「そう、その人に何があったのかしら。林の中に置いて行かれた・・・、でも弘一までこんなに冷たくなって。温めてあげるね。」
亜希子は布団の中で体を入れ替えると胸を合わせてぎゅっと力強く抱きしめてくれた。
その温かさが心地良く、亜希子を抱き返しながら俺はまた眠りに落ちていった。
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◇◇◇◇
遅い朝食を済ませると、俺と亜希子は宿の外に出てみた。
昨夜、と言うか今日の未明にワンピースの彼女は「林の中に放っておくな」と言った。
そして彼女は離れにしか出現しない。
そうなれば離れの裏の林に何かあると考えるのが普通だろう。
そして彼女は去年の秋頃からその姿を見せ始めた。それ以前にこのような話はなかったのだ。
これが何を意味しているのか。
そして俺と亜希子は、どうせ今日一日何もすることがないのだからと、裏の林を探索してみることにしたのだ。
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**********
番頭さんに離れの裏にある林へ回るにはどうすれば良いかと聞くと、母屋の裏を通って行けば良いと教えてくれた。
そして道らしい道はなく林の中を歩き回ることになるから亜希子のハイヒールでは無理だと作業用の長靴を貸してくれたのだ。
「何だか色気が無いわね。」
昨日のスーツ姿ではなく、セーターとデニムのスカートに着替えているが、やはりゴム長靴は似合わない。
「大丈夫。膝上のスカートとおっぱいで充分色気の基準を満たしているから。」
「まったく。どういう美的感覚をしているの?」
俺の冗談に笑いながら、亜希子は俺に手を伸ばし、手をつなぐと母屋の裏手へと回った。
母屋の裏手は勝手口の前まで整地されているが、そこから先は鬱蒼とした林になっている。
まだゴールデンウィーク前なのだが、今日は非常に暖かい。
林の中を歩く亜希子の額には既に汗がにじんできている。
建物沿いに林の中を進むと母屋が途切れ、その向こうに離れが見えてきた。
そしてその向こうに露天風呂を囲う竹の柵が見える。
「あの辺りだね。」
竹の柵の傍まで行ってみたが、当然露天風呂は見えない。
この辺りは太さ十センチ程度のブナの林になっており、露天風呂の向こうに見える竹林は離れからの景観のために植えられたのだろう。
ようやく新緑の季節が始まったばかりであり、この辺りは林の中でも充分に陽が差している。
「取り敢えず、この辺りを調べてみようか。亜希子はこの辺から向こう、俺はこっちを調べてみるよ。」
そう言って手分けをしたものの、何かが起こったのが去年の秋だとすると何か痕跡が残っていても落ち葉が降り積もっており、そう簡単な事ではない。
押し葉を踏みしめながらゆっくりと周囲に目を配りながら進んで行く。
最近この辺りを誰かが歩いた形跡は全くない。
竹の柵の端まで行って、歩く位置を変えて戻ってくると、正面から同じように亜希子が元の位置に戻ってきた。
「何もないわね。落ち葉で何もわからないわ。」
近くの陽だまりに大きな倒木があり、そこに並んで座った。
穏やかな日差しと鳥の鳴き声。
こんな誰もいない自然の中でのんびりとした時間を過ごすのは凄く久しぶりだ。
そして横にいるのは亜希子であり、まるで高校の頃にタイムスリップしたような気分になる。
「あっ、亜希子、ほら、あっち!」
三十メートル程向こうの木の陰に、あのワンピースの彼女が立っているのを見つけたのだ。
こんな日中にも表れるのかと驚いたが、最初に露天風呂に彼女が現れ柵の向こうへ消えていった先があの辺りになる。
亜希子と手をつなぎ、彼女の方へゆっくりと近づいて行く。
しかし、あと十メートルというところで彼女はまた消えてしまった。
急いで彼女が立っていた位置まで行ってみたが、彼女の姿は何処にも見えない。
「弘一、そこ!弘一の足元!」
亜希子の声に下を向くと俺の立っている位置から1メートルと離れていない場所の落ち葉の間に水色の布が覗いている。
もちろんその布からイメージされることはひとつだ。
恐る恐る近づいてその周囲の落ち葉を少しだけ払い除けてみると、やはり間違いなく水色のスカートの裾の部分だ。
そしてその端を摘まんで引っ張ってみた。
すると意に反してそれは大した手ごたえもなくずるずると落ち葉の下から引き出され、見覚えのあるワンピースが姿を見せた。
どうやら遺体ではなく、ワンピースだけが落ちていたようだ。
「ぎゃ~っ!」
突然亜希子がとんでもない悲鳴を上げた。
その声に驚いてもう一度自分の手元を見ると、俺が半分程持ち上げたワンピースの下には、腐敗し半ば白骨化した遺体の一部が見えていた。
ワンピースは、着ていたのではなく遺体の上に掛けられていただけだったのだ。
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◇◇◇◇
…
旅館のロビーで警察の質問を受け、遺体発見までの経緯を正直に説明した。
聴取に当たった刑事は半信半疑の様子だったが、亜希子がこの旅館のオーナーの娘であり、かつ関係者の誰に聞いても水色のワンピースを着た幽霊の話が出てくるに至ってようやく信用して貰えた。
遺体が発見されたのは裏の林であり、直接の事件現場ではないことから、離れの使用は問題ないと警察から許可が出たため、日没が過ぎてようやく警察から解放された俺と亜希子は、取り敢えず離れへと戻った。
「さて、この後どうする?これで一応目的は果たしたと思うけど、これでお開きにする?」
遺体は現場検証を終えて先ほど運び出され、今日のところは離れの周辺に警察の人達の姿はない。
「明日、父親がここに来るって言っているから私は残るけど、弘一も元々明日帰る予定だったんだからもう一泊しても大丈夫でしょう?もう一泊一緒にいようよ。」
俺も特に異存はなく、予定通りもう一泊することにした。
「じゃあ、慌ただしかった一日も終わったし、ゆっくりと温泉に浸かりましょ。」
亜希子はそう言うとフロントに電話を掛け、これから入浴するのでその間に夕食の準備をして欲しいと頼んだ。
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裸になり、露天風呂に出ると外はもうすでに闇に包まれ、竹林の上にはきれいな三日月が輝いている。
「私ひとりで来ていたらあの遺体見つけることなんかできなかったわ。ありがとう、弘一。」
湯の中で俺の腕を抱きしめ、そう言うと俺の肩に頭を乗せてきた。
部屋の中で人の動く気配がしている。きっと夕食の準備をしているのだろう。
「まだ彼女の幽霊は現れるのかな。」
俺はそう言うと何気なく最初に彼女を見た方へ顔を向けた。
「!」
そこには昨夜と同じように彼女が立っていた。
亜希子もそちらを見ている。
彼女は俺と亜希子が振り向くのを待っていたように、視線が合うと初めてにっこりと微笑み、深々と頭を下げると消えていった。
「これで彼女は虹の橋を渡ってくれるわね。」
亜希子はそう言ってため息を吐くと視線を元に戻し、再び肩に頭を乗せた。
「そういえば、彼女にお礼を言うのを忘れてたね。亜希子は愚痴を言っていたけど。」
「だって、せっかく弘一とイチャイチャしてるところを邪魔するんだもん。でももう大丈夫よね。ゆっくり楽しみましょ。」
亜希子はそう言うともう一度竹の柵の方を向いて、ありがとうと小さな声で言った。
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犯人はすぐに捕まった。
この水色のワンピースはオーダーメイドで、仕立て元の店に問い合わせるとすぐに女性の身元が判明し、宿帳から男性が特定され逮捕に至ったのだ。
昨年の夏の終わりにこの旅館を訪れ、この離れに泊まったその不倫カップルの男性が、結婚を迫る女性の首をこの露天風呂で絞めて殺害し、その遺体を柵の外に遺棄したのだ。
それでも全裸のまま放置するのは気が引けたようで、女性が着ていた水色のワンピースを遺体に掛け、落ち葉で簡単に埋めると、翌朝素知らぬ顔でチェックアウトしたのだった。
しかしこの男の何気ない気遣いが仇となったのだ。
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そして俺も第一発見者として、自宅に帰った後もたびたび警察から連絡が入り、今回のことが女房の知るところとなった。
そして結局のところ協議離婚ということになり、俺の浮気が原因ということで住んでいたマンションも女房に取られてしまった。
「住むところがないんだったら仕方がないわね。私が拾ってあげる。」
笑いながらそう言う亜希子に、そもそもお前のせいだろうと悪態をつき、それでも機嫌良く亜希子のマンションに転がり込んだのだった。
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…
そして亜希子は、あの温泉旅館で見事に妊娠しており、やがて可愛い女の子を出産した。
…
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娘は元気に育っているのだが、成長するにつれあのワンピースの女性に似てきているような気がしてならない。
亜希子はそれについて何も言わない。
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しかし亜希子は絶対に水色のワンピースだけは娘に着せようとしないのだ。
…
◇◇◇◇ FIN
作者天虚空蔵
このワンピースの女性は、ただ真っ当に葬って欲しい、そう願っていただけということになりますか。