長編15
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苗字遊び

「橘さん、お加減は如何ですか。

 ちゃんとご飯も全部食べて、痛み止めのお薬も飲んでいるのですね。偉いです。

 もう既に、入院生活にも病院食にも飽きたって感じですか。そう思うのでしたら、どうやら快調に向かっているようですね。

 あんなにも大きな事故だったのに、片足の骨折程度で済んで、橘さんは本当幸運でしたね。私達看護師の間でも話題になったんですよ。

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 ですが、入院生活が退屈だなんて、今でも贅沢な悩みなんですよ。今では収まって来たとはいえ、大流行した感染症のせいで、病室が空いているって事さえ、未だ珍しいんですから。

 たまたま、この病室で入院していた森さんが急に亡くなったから空いていただけで。橘さんみたいに怪我をした方だって、最近まではベッドが無いからって、自宅療養を強いられていたんですからね。

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 ところで、“橘さん”の苗字って、ちょっと珍しいですよね。私も漢字一文字の苗字ですが、同じ苗字の人も多いですし、“小さい”とか、原っぱの“原”とかと合わせて二文字の苗字の方がいたりとかして、何だか没個性的な気がしちゃうんですよね。ちょっと羨ましいです。

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 そうそう、苗字と言えばですね、ここ最近不思議なと言いますか、ちょっと奇妙な事がありまして……

 あっ、この病院内で幽霊を見たとかじゃ無いですよ。近所の斎場です。ええ、そうです。あのよく混む交差点のところ。確か、橘さんもそこの近くに住んでいらっしゃいましたよね。

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 …いや本当、つくづく適任と言いますか……

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 おっと、失礼しました。今の発言は忘れて下さい。

 それでまあ、そこの斎場なのですが。斎場の看板って、その日葬儀をあげられる方の苗字が貼り出されるじゃないですか。ほら「◯◯家 様」という感じに。

 葬儀に参列される方への、その案内が、そこの葬儀場では白い紙に苗字だけ印刷で書いて、ガラスの枠へと納めているんです。

 あの場所は朝方よく混むので、私もこの病院へ出社する時には、よくその文字が目に入るんですよね。

 まあ、亡くなった方の名前が示されている訳ですから、当然、普段は注視なんてしなかったんですけれど。

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 ですがある時、その苗字が、少しだけ変なことに気が付いたんです。

 変だって言うと、少し大袈裟かも知れないんですけどね。ちょっと奇妙と言いますか、貼り出される苗字に、ある法則がある事に気が付いたんです。

 ある日に何気なく目に付いた、亡くなった方の苗字が『田中』だったんです。

 たまたま覚えていましたが、その前の日は『上田』でした。どちらも珍しい苗字って訳じゃないですし、その時は何も思いませんでした。

 まあ、よくある苗字ですので、患者さんや学生時代のクラスメイトの顔がふらっと頭に過ぎってはいました。

 次の日も信号待ちで看板を眺めていたのですが、そこに張り出された苗字は『中山』でした。この日も特に気にもしていなかったのですが、その次の日が『山川』だったんです。

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 この辺りでようやく、私はおやと思いました。

 山川という苗字にじゃないですよ。私にとっては、過去に関わりのなかった苗字でしたので、この数日で一番思い入れがありません。

 私がおやと思ったのは、斎場に張り出された連日の苗字の並びです。

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 上田、田中、中山、山川……

 分かりますか?偶然にも、苗字の漢字が、“しりとり”になっているんですよ。

 ね、少し奇妙でしょう?まるで、遊び感覚で次に葬儀される方が決められているかのようです。そんなの、たまたまにしたって、悪ふざけが過ぎます。

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 けれど、正直…ちょっと面白いって思ってしまったんです。

 ですが話の話題にするにしても、少し不謹慎だという事もあり、その時は他人に話すような事もありませんでした。

 とは言え、一度気が付いてしまうと、次の日もやはり葬儀が行われる方の苗字が気になり、私はあのよく混む交差点の信号待ちで、ついついそちらを見てしまっていました。

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 案の定、とでも言いましょうか。翌日貼り出された苗字は『川谷』でした。前日は山川さんでしたので、しりとりはこれで、5日連続です。

 この頃には、不謹慎ながら私も少し慣れてきたと言いますか、段々と「面白い」という気持ちが大きくなってしまいまして、次は谷口さんかな、それとも谷崎さんかな、なんて予測までしておりました。

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 ですが、その予想は外れ、次の日には『谷藤』の名前が張り出されていました。

 ちょっぴり、悔しいと思ってしまいましたが、日本人の苗字はそれだけ多いのだなと感心もしました。

 しかし、どうせ明日もこのしりとりが続くだろうと、訳も無い確信を抱いていた私は、次は藤原さんかな、それとも藤田さんかな、なんてまた懲りずに考えていたんです。

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 そして次の日。やはり、しりとりは続きました。今度張り出された苗字は、『藤森』です。

 私の認知しているだけでも、これで1週間はしりとりが続いています。

 私の予想は、またしてもハズレでした。2日連続で外してしまい、私の悔しさも一入(ひとしお)です。

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 もう私は、毎朝のしりとりクイズに夢中でした。当たりそうで当たらないというのが、クイズとしては中々によく出来ています。

 そろそろ当てたい私は、今度は森川か森田だろうと思いましたが「いや待て、川や田で始まる苗字は今までもあったから、きっと被りは避けてくるのでは無いだろうか。ならばきっと森木か、或いは森園に違いない」だなんて、深読みまでしておりました。

 最早、その苗字が亡くなった方のものであるという事など、その時の私の頭にはありませんでした。

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 きっと、そういうのが良くなかったのでしょうね。

 次に亡くなる方の苗字を、クイズ感覚で当てようだなんて…、今思い返してみても、この上無く不謹慎でした。

 けれど、そんな事など気にも止めない程、その時の私は、この“しりとりクイズ”にハマっておりました。

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 次の日が来ました。

 私は子供のようにワクワクしながら、もはや毎朝の日課となった、クイズの答え合わせをしました。

 その日もいい感じに信号に捕まり、運転席から首を伸ばして、斎場の入口に掲げられた苗字を確認します。

 そこに書かれている苗字は、果たして森木なのか、森園なのか、はたまた、それ以外か。交差点の混雑が苦にならないほど、私は心踊らせて答えを確認します。

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 しかし、その日掲げられていた苗字は、そのいずれでもありませんでした。

 これでクイズは、3回連続で外れです。

 私は、ガックリと肩を落としました。そして少し、悶々としました。

 今回も外れでしたが、ただの外れでは無かったからです。

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 斎場に張り出された苗字は、『森』でした。

 そう、たった一文字で、『森』だったのです。

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 こんなのはズルです。ずっと二文字の苗字だっのに、急に一文字だなんて、分かる筈がありません。穴埋め問題で広々と空白を作っておきながら、正解の文字数と空白がまるで合わないような、スッキリとしない社会科のテストを思い出しました。出題者の性格の悪さが滲み出ています。

 しかし、このクイズに出題者はおりません。もし居るとしたら、神様のような存在でしょう。こんな遊び心と悪趣味を併せ持った神様なんて、居るのかどうかは知りませんけれど。

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 しかしどうあれ、何ともやりきれない私は、見ず知らずの森さんの葬儀に対し、不平不満を募らせておりました。

 森さんの死亡に対して、心の中でブーイングさえ飛ばしておりました。全く、何で森さんなんかが死んでしまったのでしょう。

 なりより、これでは“しりとり”はどうなってしまうのでしょう。

 お陰でその日私は、朝からムスッとしながら仕事に就いておりました。

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 ですが、よくよく考えてみれば、普通のしりとりの時でも、一文字で返してくる人はいるものです。

 例えば“目”でしたり、“歯”でしたり、“木”でしたり…、なんだか煮え切りませんが、一応しりとりは終わっていない筈だと思い、私は再び『森』から始まる苗字をあれこれと考えておりました。

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 そう、明日にはきっと、森から始まる別の苗字が掲げられているに違いありません。

 気を取り直して次の朝、私はいつも通り混雑中の交差点から、斎場を覗きました。

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 そこには、昨日と同じ『森』の苗字がありました。

 

 私は再びガックシとしました。もしかしたら、今日は斎場がお休みで、昨日の張り紙が残っているだけなのではないかとも思いましたが、そういう休みの日は、ちゃんと張り紙が外してあった筈だと記憶しています。

 間違い無く、2日連続での『森』でした。

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 まさかの2日連続の森、その事実に私はある種の歯痒さを覚えました。いっその事、渡辺だとか、松本だとか、全く関係の無い苗字だったのなら、もう、しりとりも終わりなのだろうと諦めたでしょう。

 しかし、恐らくちゃんと、しりとりは続いているのです。この不確かな焦らしが、何とも言えない不快感を募らせます。

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 おそらく、明日も私はこの斎場を覗くでしょう。

 きっとその筈です。何せ私は、まだ一度もクイズに正解していないのですから。

 クイズが続いている以上、止(や)める訳には行きません。しりとりだって、最後に「ん」が付くまで終わらないのです。

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 また次の日が来ました。

 私は「今度こそ!」と意気込んでおりましたが、案の定と言いますか、やはりそこには、同じ『森』の一文字がありました。

 これで、3日連続の『森』です。まだたった3回連続でしたが、あまりにも森が続き過ぎて、この苗字にも見飽きてしまいました。

 この分なら、明日もきっと森さんが葬儀をあげるのでしょう。もしそうだとしたら、なんともつまらないです。

 最早私は、森さんの事が嫌いになりかけてさえいました。

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 ……そんな時だったんです。

 明くる日の事でした。私は、また同じように斎場に掲げられた苗字を確認し、未だ変わらない『森』の字に飽き飽きしていました。

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 しかしその日、私の受け持つ患者である『森』さんの容態が、急変したのです。

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 森さんは元々、心臓を悪くしての入院でした。ですが病状は治まり、あとは経過観察の為にもうしばらくだけ入院生活を続けてもらおう、という所まで回復していました。

 このまま何事も無く、退院するのだと思っていました。

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 そんな森さんが、突如苦しみ出し、その日の内に死亡したのです。

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 私は途端に怖くなりました。

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 確かに森さんは高齢で、容態の急変はあり得ない話では無いかもしれません。しかし、私の経験上初めて対面するくらいの、前触れの無い、突然の死でした。

 明らかに不自然な急死であった為、その時は医療ミスを疑いすらしました。ですが、手術を行なった医師も、私達看護師も、誰一人、些細なミスひとつありませんでした。

 確かに私自身、森という苗字の人間に対して、少しばかり空気の読めない連中だと思っておりました。しかし、だからと言って、仕事で手を抜くという事はありませんでした。誓っても構いません。

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 急死した森さんは、この病院の近くに住んでいる方でした。

 という事は必然的に、葬儀が行われるのもあの交差点の斎場という事になります。

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 そうです。『森』という苗字の人間が、立て続けに火葬される、あの斎場なのです。

 まるで、何日も先の葬儀者の名簿を作る為だけに、人智を超える何者かによって殺されたのではないかと、そう思わずにはいられませんでした。

 唐突な森さんの死に対し、動揺を隠せないでいる私に対し、「こんな事はたまにあるのだから、いちいち気にしないのよ」と、ベテラン看護師の先輩は言います。

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 違うのです。これは、“病院ならば起こり得る事故”では無いのです。悪魔のような、或いは死神のような、理不尽な神様の“悪趣味な遊び”なのです。

 医療従事者の私達がどれだけ手を尽くそうが、それを踏みにじるように嗤って奪い去る、残酷な戯れなのです。

 そんな遊びで、その日その日の死者が決められるのです。病人だろうと、健常者だろうと、関係無しに命を奪われるのです。

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 私は恐怖しました。1人でも多くの人間を救おうと働く私達の努力など無価値だと嘲笑う、残酷な“人殺しの神様”に、私は恐怖したんです。

 そして、そんな神様の遊びを面白いと思ってしまった自分自身を、今更ながら反省しました。

 深く懺悔し、数日前の自分自身と、人殺しの神様を憎みました。誰かの死を娯楽にするなんて、人で無しにも程があります。そう、憤慨しておりました。

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 ……しかし、“人殺しの神様”に対する本当の恐怖は、まだ先にあったのです。

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 それから数日、当たり前のように森家の葬儀は続きました。葬儀場の予約でも取るように、病床の森さんを殺したくらいなので、当然なのでしょう。

 このまま一族根絶やしになるまで、森さんの葬儀は続くのかと思われました。

 ですがそうなるよりも先に、人殺しの神様は意外な程あっさりと、“しりとり”のループから森さんを解放したのです。

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 その前兆は、丁度この病室で亡くなった森さんの葬儀の日にありました。

 先に話した、退院出来るまで回復したのに急死した、あの森さんの葬儀の日です。

 その日もよく混む交差点から、嫌でも斎場に掲げられた苗字が見えます。そこには当然、『森』の文字がありました。森さんが急死してからも毎日、同じ苗字が貼り出されていました。

 人殺しの神様は、例え投げやりになっても、まだ“しりとり”を続けるつもりのようでした。

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 しかし、その日掲げられた『森』の苗字は、いつもと少しだけ違っていたのです。

 いや、名前がおかしかったというより、苗字が書かれた下地の紙の様子が、どこかいつもと違ったのです。

 斎場の看板は、最初に話した通り、参列者への案内の為に葬儀者の苗字が書かれた紙が貼り出されます。

 少し詳しく言うと、看板の下部に額縁の如くガラス板で覆われた箇所へ、A4サイズ程の用紙に書いて収められるのです。

 その『森』と書かれた用紙にその日、丁度一文字を上下に分断するように、二つ折りにされた跡があったのです。

 もう1週間は同じ苗字だった為、同じ紙を使い回していたのかも知れません。遠くからなら分かりませんが、その交差点はいつも混むので、近づいてみると、ゆっくり折り目まで確認出来ました。

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 その日それを見た私は、手を抜き始めた斎場のスタッフに対し、嫌悪感を募らせておりましたが、ただそれだけでした。

 しかし更に次の日あの交差点を通りがかった時、私の顔からは血の気が引き、鏡を見るまでもなく青ざめていくのが分かりました。

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 斎場に掲げられた苗字が、変わっていたのです。

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 あろう事か、その苗字は…『林』でした。

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 そうです。

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 “私の苗字”です。

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 運転しながら私は、半ばパニックに陥りました。

 何故?どうして?

 ずっと葬儀が行われていたのは『森』さんだった筈です。

 何日も何日も、ずっとずっとそうでした。

 昨日だって、間違い無くここには『森』の一文字だけが掲げられていて、斎場のスタッフが横着して用紙に折り目を付けたまま貼り出していて……

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 そこまで思い返して、私は、はたと気が付きました。

 もしかして『森』の字が、折り目によって縦半分に分断され、『木』と『林』のニ文字になったのだとしたら…?

 しかし、『木林』だなんて苗字、私は聞いたこともありません。もしかしたら、日本のどこかにそんな人が居るのかも知れませんが、そうだとしても、昨日ここで火葬されたのは、間違い無く“病院で亡くなった森さん”なのです。“木林さん”では無いのです。

 これは疑いようの無い事実です。なのに、そんな事情さえ無視して、そこには『林』の文字がありました。

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 私は絶望しました。人殺しの神様は、どこまで性格が悪く、どこまで不条理で、どこまで理不尽なのでしょう。

 ここまでずっと、悪趣味なしりとりは続いています。一文字の苗字の時にどうなるかは、『森』さんで見せつけられました。

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 もし、林の苗字が、森と同じく何日も続いたら?

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 今まで他人に向いていた銃口が自分へと向けられ、私の背筋に冷たい汗が流れます。

 この地域に、どれだけの林さんが居るのかは分かりません。これから毎日葬儀が行われる、何分の1が私なのでしょう?銃口が離れないリボルバーは、毎朝遊び感覚で死のルーレットを回します。

 神様の気まぐれ1つで、私はいつだって殺されるのです。病人であろうと、健常者であろうと関係ありません。

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 ……それからの日々は地獄でした。

 惰性で続く“しりとり”は、依然終わる気配がありません。

 林原でも林田でも何でもいいので、他の苗字に変わって欲しいとどれだけ願っても、頑なに張り出された苗字は変わりません。

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 そして現実に、多くの『林』さんが死にました。

 知らない林さんも、知っている林さんも亡くなりました。

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 最初に、祖母が亡くなりました。余命幾ばくも無い高齢でしたので、自然死と言えばそうなのでしょう。

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 続いて、同じ苗字の旧友の母が亡くなりました。小学校の時に同じクラスで、一学期は席が前後だったので、よくお喋りしていた子の、私も顔を知る母親でした。

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 そして、甥っ子が亡くなりました。私の姉自慢の、僅か4歳の男の子でした。

 老いも若きも、もはや関係ありませんでした。

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 次々と、同じ苗字の人間が死んでいきます。

 あの斎場の交差点を通りかかる度に、わざわざ分かりやすく掲げる文字が、嫌でも目に付いてしまいます。

 あの場所は、意地悪なくらい毎朝混雑するのです。

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 思わず目を伏せたまま通行しようとして、右折車両とぶつかりそうにもなりました。

 心臓が止まる思いをして、その例えが冗談でも大袈裟でもない事に震えが止まりませんでした。

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 ……もう、限界でした。

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 どうして私が、こんな思いをしなければならないのでしょうか。

 あの“しりとり”を面白いと思ってしまったから?森さんの死に不満を抱いたから?人殺しの神様に憤慨したから?

 どのような理由であれ、納得出来るはずがありません。

 どう考えても、理不尽な神様が全ての原因のはずです。

 しかし、命を握られている私には、もう神様に非難を向けることなど、恐ろしくて出来ません。

 ただただ怯え、自分が『林』という苗字である事を呪いました。

 こんなのはあんまりです。神様相手に、どうこうしようなんて不可能なのです。

 それからも毎日、あの斎場には同じ苗字が張り出されます。

 毎日毎日毎日、弾切れを起こすまで葬儀は続きます。

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 姉が死にました。息子の後追い自殺でした。

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 両親が死にました。飲酒運転の逆走車と正面衝突して、運転席の父が即死し、助手席の母は次の日に死にました。ご丁寧に、相手の運転手だけは一命を取り留めました。

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 旧友が死にました。通り魔に心臓を刺されたそうです。「誰でも良かった」のだと、選ばれて殺されました。

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 あまりに身の回りで人が死ぬので、「お前は呪われているから」と、恋人からは別れを切り出されました。

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 いつの間にか、純白の白衣よりも、黒く塗りつぶされた喪服の方が長く着ていました。

 私の周りには、もう誰も居ません。

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 それでも、死ぬのが怖いです。

 不条理を押し付けて来る神様が、どこまでも恐ろしいのです。

 私が『林』である以上、遅かれ早かれ、殺されるのです。

 私は、あと何日生きられるのでしょう?誰も教えてはくれません。ただあの看板だけが、いつの日か私が死ぬ事を公表するのです。

 そう、あの看板に『林』の文字が、ある限り……

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 …………ねぇ、橘さん。

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 『橘』さんの苗字って、珍しいですよね?

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 私と同じ一文字の苗字なのに、人殺しの神様の“しりとり”には一生挙がらないような苗字です。

 だから、「羨ましいな」って、思ったんです。

 そしてちょっと、「ズルいな」って、思ったんです。

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 両親が事故で死んだ時、私気付いたんです。

 ――ああ、“しりとり”に割り込まれないように、他の苗字の人は死なないんだなって……

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 その時に私、橘さんの顔が浮かんだんです。

 あんなにも悲惨な事故に遭って、死なないどころか、片足を骨折した程度で済んだ橘さん。

 理不尽に急死した『森』さんとは、まるで違います。  

 その急死した森さんが利用したベッドは、その後丁度空いていたからと、直ぐに急患の方へと回されました。それが、あなたでした。

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 ……橘さん、余所見運転をしていたんですってね。

 あの交差点。あの斎場の前。そこで、毎朝毎朝、何を見ていたのでしょうか?

 楽しかったですか?面白かったですか?

 強ばらないで下さいよ。別に、責めている訳ではありません。本当です。

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 私はね、面白いと思っていたんです。

 自分が当事者になる、その時までは……

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 …………ねえ橘さん。もし…もしも、『橘』という苗字が、あの場所に掲げられたら、どうなるでしょうね?

 珍しい苗字ですから、きっと該当人数も少ないでしょう。つまり残機も少ないですし、直ぐに一家全滅です。

 とは言え、そもそも“しりとり“に挙げられることが無いでしょうから、関係無いのかも知れませんけれど。

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 ……やっぱり、ズルいですよね。

 そう、思いませんか……?

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 …………おや?橘さん、眠たくなってきたのですか……

 駄目ですよ。お薬はちゃんと、確認してから飲まないと……

 ひょっとしたら、“医療ミス”があるかもしれないんですから……

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 …………おやすみなさい、橘さん……

 ……どうかゆっくりと…、お眠り下さい……

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 …………あそこの看板、そろそろ新しい苗字が掲げられると良いですね………………」

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神様のルールを逆手に取ってしまった。
そんな方法があるとは……うまくいったかどうかは分かりませんが、恐ろしい。

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