長編9
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ソロキャンプ

間もなく五十になるこの歳になって、ソロキャンプにハマっている。

旦那は、もちろん仕事だし、週末はゴルフに夢中で、仲が悪いわけではないが、ほぼ専業主婦である私の相手をしてくれることはない。

ふたりの子供は、無事大学を卒業し就職して家を出てしまったので、結構気楽なのだ。

一昨年に学生時代の友人達から強引に誘われてキャンプへ出かけたのがきっかけでその楽しさを知り、それからソロキャンプをするようになった。

旦那は自分が自由にゴルフをしたいこともあるのだろう、一泊程度なら家を空けると言っても笑顔で送り出してくれる。

一度、釣りがしたいという旦那と一緒に来たが、あれこれと煩く、それっきり旦那と一緒に来る気はなくなった。

旦那は通勤用の自分の車を持っているため、キャンプへ行こうと思い立つと、ほぼ私専用となっている軽のハイトワゴンに荷物を詰め込んで、南アルプスの山間にあるお気に入りのキャンプ場へ出かける。

キャンプ場として整備されていないような場所にも泊まってみたが、トイレなどいろいろ不便な事も多く、やはりいろいろな意味でのんびりするにはキャンプ場が安心だ。

お気に入りのキャンプ場は南アルプスに位置し、周りが林で囲まれた静かなサイトで、すぐ近くに渓流がある。

このサイトは隣のサイトと少し距離があって、木に囲まれ非常に落ち着けるところが気に入っている。

車をサイトに乗り入れると、車のルーフバーを利用してタープを張り、テーブルや椅子、焚火台等を並べて準備は完了。

基本的にテントは張らずに車の中で寝る。

オバサンとはいえ、やはり女性ひとりで寝るとなると、ロックの掛かる車の中が安心なのだ。

軽自動車とはいえワゴン車だけあって、後席を倒せば荷室の奥行きは百八十センチ以上あり、マットを敷くと手足を伸ばしてぐっすりと眠ることが出来、そして木々の間から差し込む太陽の光と、鳥の声で目覚めるのだ。

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******

今日もいつものキャンプ場に到着すると、川の近くにあるお気に入りのサイトに車を停めていつものように準備を始めた。

サイトが閉鎖される真冬を除いて頻繁に来るのだが、紅葉の始まるこの時期が一番好きだ。

木々の美しさもさることながら、羽虫も少なく、なにより焚火のぬくもりを好ましく感じられる季節。

そして今回は、新しい楽しみがあった。

先月、真鍮製の古いオイルランタンを手に入れたのだ。

友人の祖父が亡くなり、その遺品を整理していた時に出てきたのだそうなのだが、いつの頃の物かは分からない。

その友人は、キャンプ道具やアンティーク調の物には全く興味がなく、キャンプにはまっている私ならとプレゼントしてくれたのだ。

普段はLEDのランタンを使用しているのだが、冷たく無機質な光であり、山の中で夜のひと時を過ごすにはそぐわないと思っていたところだった。

テーブルの上にランタンを置いて火を灯すと、やや赤みがかった柔らかい光が周囲を照らし、赤いワインの色もいつもと違って見えて、いつもよりも美味しく感じる。

道具を並べ終わり、炭火を起こすと夕食だが、特に凝ったものを作るわけではない。

普段、家で食事を作り続けているのだから、ひとりでのんびりズボラ飯というのも楽しみのひとつ。

お気に入りは、昔大好きだった男優がTVコマーシャルでやっていたように、分厚く切ったハムを串に刺してジュージューと火で炙り、それをハフハフとかじりながら、冷えたビールを煽る。

これが至福の時。

子供の頃は、ハムなんてペラペラなものだと思っていたのに、あのコマーシャルは衝撃だったな。

女性らしくなんて関係ない。オバサンのソロキャンプなんだから。

そして食事の後は、ワインをちびちび飲みながら読書の時間だ。

少しずつゆっくりと薪を足しながら、静かに本の世界へ浸る。

今読んでいるのは、アガサクリスティーのミステリー小説だ。

伏線が至る所に張り巡らされているミステリーだと集中して読むことが必要なので、このように外乱のない場所で読むにはもってこいであり、好んで読んでいる。

そうして今日もすぐに本の世界に没頭していった。

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*********

本から目を離すのは、薪を足すときと、ワインを継ぎ足す時だけ。

ストーリーがひと区切りついたところで顔を上げると、近くのサイトで騒いでいた家族連れの声も聞こえなくなっていた。

時計を見るともう十一時になろうとしており、ワインのボトルも半分程空いている。

渓流の音を聞きながら、目の前に置かれたランタンの炎がわずかに揺れているのを見つめた。

このランタンだけでなく焚火もそうだが、なぜ、炎はじっと見ていられるのだろう。

LEDの光は目が痛くなるだけで、見つめる気には絶対にならない。

ランタンのわずかな炎の動きに従い、照らされた周囲もわずかに揺らめいている。

「なんだか不思議な世界・・・」

何となく幻想的なその様子にしばらく見入っていると、ふと奇妙な事に気がついた。

タープが張ってある場所から林まで数メートルあるのだが、その地面にはランタンの光で焚火台やタープを支えているポールなどの影ができている。

その中に、主の分からない影があるのだ。

その影は、今座っている場所から二メートル程離れた場所から始まり、林に向かって伸びている。

しかしその影の始まっている場所には何もない。

何もない地面の上で突然始まり、向こうの林まで続いている。

影は特にこれと言った形を成しているわけではない。

電柱の影と言えば解かり易いだろうか。幅三十センチ程で始まり、向こうへ行くほど幅が広がっている。

しばらく見ていたが、炎の揺らめき以上に動く様子もない。

逆に言えば、炎の揺らめきでゆらゆらと動くのだから地面の変色などではないということになる。

ひょっとして空中に何か浮いているのかと思い、周辺やタープの上を確認してみたがそれらしいものは何もない。

そもそもランタンの光でタープの上にある物の影が映るはずはないのだ。

「何だろう、気持ち悪い。」

このまま寝てしまおうかと思ったが、何も分からないままでは、それはそれで落ち着かない。

正体を突き止めて、なんだということになれば安心して眠れる。

《幽霊の正体見たり、枯れ尾花》と言うではないか。

恐る恐るその影へと近づいてみた。

近づくにつれ、その棒状の影に並んで自分の影が地面に映る。

影の始まっている部分に近づくとそこにしゃがんで地面を確認してみた。

単なる土であり、近くにあった木の枝で表面を削ってみたが、黒い部分に変化はなく、やはり影としか思えない。

「何なのよ、これ。」

影の伸びている先に目を移すと、棒状の影の横にしゃがんでいる自分の影が見える。

その時、突然棒状の影に変化が現れた。

ちょうど自分の影の頭辺りで、棒状の影の一部が盛り上がってきたのだ。

“何だろう”と思い、それが”逃げなければ”という感情に切り替わる前に、その盛り上がりはあっという間に細長く伸びて、私の影の首の辺りへ達した。

その途端、実際に私の首に何かが触れたのだ。

掴みかかるような激しい感触ではなく、すっと撫でるような感触。

「きゃっ!」

反射的に体をのけ反らせて、その何かを避けたが、自分の目には何も見えない。

その勢いで尻もちをつき、もう一度影の方を見ると、尻もちをついた自分の影へ細長く伸びた影がさらに近づこうとしている。

それはもうはっきりと腕の形をしていた。五本の指も見える。

「ひっ、ひえっ!」

慌てて影から遠ざかろうと体を反転させて車の方へ駆けだした瞬間、あのランタンが視界に飛び込んできた。

―そうだ、光を消せば影は消える!

慌ててテーブルへ飛びつくと、ランタンの炎を吹き消した。

一瞬にして辺りが闇に包まれる。急いでテーブルを離れて車に背中をつけた。

闇の中、周辺の様子を窺う。

満月ではないものの月明かりがあり、少しすると目が慣れてきた。

…!!

誰かが立っている。

目を凝らして見ると、短髪に白い開襟シャツ、そして黒ズボンの若い男。

まるで戦時中のような服装だ。

そして夜目にもはっきりと分かるくらい青白い顔。

立っているのは、ちょうど先程の影が始まっていた辺り。こいつの影だったのだろうか。

間違いなくこの世の存在ではない。

男は私のことをじっと見つめている。

幽霊と思しき存在に遭遇するのはこれが初めてだ。

逃げなければと思うのだが、蛇に睨まれた蛙のように体が全く動かず、声も出ない。

そのまま男の事をじっと見返すだけしかできずにいると、男は口を動かした。

しかし声は聞こえず、何を言っているのか分からない。

すると男も自分の声が届かないことに気づいたのだろう、口を閉じると寂しそうな、悲しそうな眼差しに変わった。

そして私から目線を外すと、ゆっくりと滑るようにこちらへ近づいてくる。

そのままテーブルの横まで来ると、男は再び私に顔を向け、右手の人差し指で火の消えたランタンをゆっくりと指差したのだ。

あのランタンが何だというのだろう。

そもそも素性のよく分からないランタンだ。何かいわくがあるのか。

数十秒だったのか、数分だったのか、その男はしばらくその態勢のまま動かなかったが、やがてそのまますっと空気に溶け込むように消えてしまった。

しばらくそのままの姿勢で様子を窺っていたが、もう男の姿は現れない。

テーブルの横に置いてあった荷物からLEDランタンを取り出すと周辺の様子を確認したが、いつもと変わるところはなく、あの電柱のような影も全く見えない。

今起こった事が幻覚だったようにも思えてくるくらいだ。

今日はこのまま帰ろうかとも思ったが、しばらく様子を見ていても何も起きる様子はなく、折角来たのだからという気持ちもあり、LEDランタンを点灯させたままでタープから吊り下げ、車の中へ入ると毛布に包まった。

しかし、今の男は何だったのだろう。

―ランタンの光による不思議な影

―戦時中のような服を着た若い男の幽霊

―ランタンを指差す姿

―そのランタンは友人の祖父の遺品

詳細はわからないが、ぼんやりと糸はつながっているような気がする。

あの若い男は私に対してランタンを指差しただけで、何の危害も加えてくる様子はなかった…

しかし何が言いたかったのだろう。

そんなことを考えているうちに、いつの間にか眠りに落ちていた。

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*********

夢を見た。

夢だったんだと思う。

目を開けて、体を起こすとそこは淡い光に照らされた薄暗い家の中だった。

木造の古い造りの家で、祖父母が昔住んでいた田舎の家に似ている。

灯りのある方へ顔を向けると、そこには座机があり、誰かがこちらに背を向けて胡坐をかいて、何か書き物をしている。

すると私が動いたことに気がついたのか、上体を起こしてこちらを振り向いた。

先程の若い男だ。

男は私を見て優しく微笑むと、囁くような声で話し掛けてきた。

「ゆみ、起こしちゃったか。ごめんな。お兄ちゃん、もう少し勉強してから寝るから。」

お兄ちゃん?私に兄はいないし、そもそも私は”ゆみ”という名ではない。

この人は一体誰なのだろうか。

机の上には、ランタンが置いてある。

あのランタンだ。

そう思ったところで目が覚めた。

いつもの車の中だ。

点けっぱなしで外に掛けてあるLEDランタンの光が、窓のカーテン越しに入ってきており、車の中は薄明るい。

(変な夢を見たな)

そう思って寝直そうと寝返りを打ったところで、足元に誰かが座っているのに気がついた。

正座をしてこちらを覗き込んでいる。

余りの驚きに悲鳴も出ない。

「何度も出てこないでよ!私に何の用があるの!」

泣きそうな気分で男に向かってそう叫んで睨みつけた。

すると男は私に向かって頭を下げ、もう一度あの悲しそうな目で私を見つめると消えていった。

彼の言いたいことが、何となく解ったような気がした。

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**********

翌日、キャンプ場から戻るその足で友人宅へ寄り、ランタンを返した。

友人に昨夜起こったことをありのままに話し、このランタンはこれまで通りに家のどこかへしまっておくべきだと進言した。

後日、あのランタンを譲ってくれた友人が祖母から聞いた話によると、あのランタンは祖父の親友の物だったそうだ。

その友人がいつも勉強の時などに使っていた物を彼が戦死した際に形見として譲り受けたとのこと。

そして、祖母の名は”ゆみ”。

おそらく、若くして戦死した彼は、ランタン自体に思い入れがあったわけではなく、残した妹のことが気掛かりで、彼女の傍にあったあのランタンに宿っていたのかもしれない。

その後、その友人がそのランタンをどうしたのか知らない。

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*********

私はその後も同じキャンプ場でソロキャンプを続けているが、もうあの男に出会うことはない。

夜になりランタンの光を見るとふと思い出し、もの悲しい気分になるが、それだけだ。

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ちなみに、オイルランタンの柔らかく暖かい光に魅せられた私は4,980円で新品を買った。

アンティークショップにも良さそうな物があったのだが…

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もちろん、こんな買い物は旦那に内緒。

ゴルフ代に比べれば安いものだ。

◇◇◇ FIN

Concrete
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