その人形に出会ったのは、私が海外旅行をしていたときだった。どこの国に行ったかはあえて伏せる。
町中で行商人の男が、地べたに布を広げて雑貨を売っていた。ナイフだの箱だのが布の上に並んでいたが、その中に一際目を惹く人形があった。ドレスを着た美しい女性の人形で、陶器で出来ていた。高さは三十センチほどある。他の雑貨は薄汚れたものばかりだったが、人形は新品同様に輝いていた。
私はその人形がいくらなのか尋ねた。大した値段ではなかった。人形に興味などない私だが、旅の思い出になるだろうと、それを買った。
日本に帰ると、私はその人形を家の書斎に飾った。それからだ。私の生活が一変したのは。
任される仕事のすべてで高い成果が出るようになったり、友達から紹介された女性と意気投合し、付き合うことになったりと、やけに幸運が舞い込むようになったのだ。
物は試しとパチンコをやってみると、面白いくらいに当たった。パチンコだけではない。競馬だろうが宝くじだろうが、仕事を辞めても贅沢ができるくらいに当たった。
これが偶然であるはずがない。私は外国で買ったあの人形が、幸運を招いているのだろうと考えた。
そうなると気がかりなことがある。もしあれが幸運の人形だとすれば、どうして行商人は手放したのだろうか。
うまい話には裏があるものだ。この人形は最初こそ幸運を呼び寄せるが、その代償として、結局は手に入れた幸運を覆すような不運をも引き寄せるのではないだろうか。
心配になった私は、人形を有名な占い師に見てもらうことにした。その占い師は人形が強力な呪物だと言い、もっと詳しい人を紹介するから、その人に話を聞くべきだと助言してくれた。
占い師が紹介したのは大崎さん(仮名)という初老の男性で、知る人ぞ知る呪物研究家らしい。
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私は人形を持って大崎さんの家を訪れた。家の中には禍々しいオーラを放つコレクションが大量に置かれていた。
人形を見せると、大崎さんはこう言った。
「これは奴隷人形です。私も実物は初めて見ます」
「これが奴隷ですか」
人形は美しいドレスを着飾っているので、てっきり貴族をモチーフにしていると思っていた。しかし、どうやら違うらしく、大崎さんが説明してくれた。
「そうです。このドレスを着た女性は奴隷ですよ。モチーフとなった女性は、本来ならもっと貧しい服を着ていたはずです。人形には都合良く豪華な服を着せてますがね」
『都合良く』という言葉がひっかかったが、私がそれを尋ねる前に、大崎さんが口を開いた。
「この人形を手に入れてから、あなたは運が良くなったんですよね」
「はい、それはもう、偶然では片付けられないくらいに」
「それはこの奴隷が、持ち主であるあなたを主人とあがめて、幸運を引き寄せてくれるからです」
「それって、何か悪いことに繋がらないんですか?」
「どうしてそう考えるんです?」
「だって、そうでしょう。これは外国の行商人から買ったんですが、幸せになるだけだったら、私に売るはずがありません。何か悪いことが起こるに決まってますよ。幸せになった分、それを覆すような不幸に見舞われるんじゃないですか? 気を遣う必要はありません。隠さずにおっしゃってください」
「いいえ」と、大崎さんは首を振った。「奴隷人形はそんな悪さをしませんよ。ただの……可哀想な奴隷です」
「可哀想というのは?」
「この人形はね、呪いの儀式をして作られるんです。その儀式というのが、なんというか凄惨そのもので、詳しく言うことは避けますが、簡単に言うと奴隷を拷問するわけですよ。その奴隷が長い間苦しめば苦しむほど、その苦しみが転じて、主人である貴族が幸福になれるというわけです。この人形には、そんな哀れな奴隷の魂が込められているんですよ」
「……」
私は言葉を失って人形を見つめた。人形はやさしく微笑んでいる。
「あなたは先ほど、幸せになればなるほど、その分不幸にも見舞われるのではないか、と言いましたね。でもその心配は無いんですよ。だってその不幸は既に、この奴隷が一身に受けてくれたんですから。いや正確には、あなたが経験した幸福感とはとても釣り合わないくらいの苦痛を受けたんです。何の見返りも無しにね」
「……そうだったんですか」
私は人形が『哀れ』や『可哀想』などという言葉ではとても言い表せない境遇にあることを知り、大崎さんに尋ねた。
「私はこんな力で幸福になんかなりたくありません。どうにかして奴隷の魂を解放してあげられませんか?」
「うーん……」
大崎さんはしばらく考えて、こう言った。
「別に何もしなくていいんじゃないですか? 人形を壊せば幸運を引き寄せる力は無くなるでしょうが、奴隷の魂がそれを望むとは思えません。だってそうでしょう? 今更そんなことをしたって、奴隷が過去に受けた地獄のような苦しみを、無かったことにはできないんですから。人形を壊すということは、その苦しみを無意味なものにするということです。あなたは何も悪くないんだから、人形の力にあやかりなさいな。それが奴隷の魂を供養する唯一の方法でしょう。あなたに人形を売った行商人は、それが嫌だったんでしょうけどね」
「……分かりました」
私は大崎さんにお礼を言って家を辞した。
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帰宅すると、私は人形に「あなたが望むなら、幸運を引き寄せることをやめてください」と、手に入れた国の言語で言った。そして、今まで幸運によって手に入れたお金のほとんどを寄付してしまった。
その後、人形の効力が切れたのか確かめるため、パチンコをしてみた。結果、まったく当たらなくなっていた。効力が切れたのだろう、と最初は思ったが、よく考えると、ギャンブルのお金はすべて寄付すると決めていたので、もはやギャンブルの当たりは私にとって幸運ではなくなっている。そのため、人形がそれを察して力を使わないだけかもしれなかった。
だから、あの人形が力を失ったのかどうかは今でも判別できない。それからというもの、幸運と呼べるような出来事がある度に、それがどれだけ些細な事であっても、人形の顔が頭をよぎるようになり、素直に喜べなくなった。
それが嫌なので、いっそのこと人形を壊してしまおうかとも考えた。しかし、奴隷の魂を冒涜する行為に思えてできなかった。
せめて目に触れないよう物置きにでも仕舞っておこうかとも考えたが、それも人形に申し訳ない。結局できることといえば、人形を書斎から、比較的いることが少ない別の部屋に移動させることくらいだった。
だから私は心の中で、「人形が奴隷の意志によって自壊すればいいのに」とたびたび念じるのだが、そうなることはなかった。奴隷が壊れないことを望んでいるのか、それとも呪いに縛られていてできないのか、それとも私が嫌がるのを喜んでいるのか……。
人形は今も変わらず、私の家で微笑んでいる。
作者スナタナオキ