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リミナルスペース:ある警備員の話

長編12
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リミナルスペース:ある警備員の話

俺は数年前、警察の世話になった。

飲み屋で知り合った女と一夜を共にしたが、その女から不同意性交で訴えられたのだ。

しかしその時の女は酷い泥酔状態で、実際に誘いを掛けてきたのは向こうなのだから、俺に非はなかったはずだ。

警察でもそれを主張し、結局不起訴にはなったものの、そのせいでそれまでの仕事は世間体を理由にクビとなり、その後はなかなか思うような仕事につけずに、今は夜間警備の仕事をしている。

今年二十四になるのだが、ボロアパートに住み、生活もギリギリという状態で、前科がついたわけではないが、全く今後の人生の展望が見えない。

この先の俺の人生がどうなるのかよく解らないものの、取り敢えず今の仕事に対しては真面目に勤務し、勤めている警備会社にもそれなりに認めて貰っている。

そして先週、勤め先の課長から突然に呼び出され、配置転換を命ぜられた。

これまでは駅前にある中規模商業施設の夜間巡回だったのだが、今週から駅から少し離れたオフィスビルの夜間警備を担当することになった。

そこは四階建て二棟からなるビルで、このふたつの建物の間は全ての階で長さ十メートル、幅二メートル程の窓のある渡り廊下で繋がれ、建物の間を自由に行き来が可能だ。

半年前まであるIT企業が使用していたらしいのだが、コロナ禍以降在宅勤務が増えた影響で事務所の統廃合が進み、このビルも売却の対象となったのだが、なかなか買い手がつかずに空きビルのままとなっている。

「申し訳ないが、前任者からの詳細の引継ぎは出来ないから、巡回の手順や確認ポイントは昼勤者から確認してくれ。」

「引継ぎが出来ないってどういうことですか?」

課長の話によると、前任者は突然行方不明になってしまったのだそうだ。

その人とは、コンサート会場等の臨時警備で駆り出された時に何度か一緒になったことがあり、穏やかな初老の男性で真面目そうな人だった。

あの人が?

行方不明になったその日、彼は通常通り勤務開始の連絡を会社に入れ、その後に連絡が無いままいなくなってしまったのだそうだ。

朝になって彼から連絡が無いことに気づいた課長は、勤務中にどこかで倒れたのかもしれないと、数人でビル内を探したが見つからず、自宅に連絡してみても帰っていなかった。

家族が行方不明として警察へ捜索願を出したようだが、会社としては警備に穴を空けるわけにはいかない為、急遽俺がその代役に決まったというのが経緯らしい。

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********

勤務初日、夜八時にそのビルへ行き、裏口の鍵を開けて中へ入ると一階奥にある警備員室へと向かった。

このビルの警備は、朝八時から夜の八時までの昼勤、そして夜八時から翌朝八時までの夜勤の二交代制だ。

通常の二十四時間勤務であれば、八時間の三交代が一般的なのだが、この仕事の場合、巡回時間以外はほぼ休息時間であり、十二時間きっちり働いているわけではない為、それほど厳しい勤務ではない。

「お疲れ様です。」

昼勤の彼と交代する際にざっと説明を受けた。

これまでの勤務先だった商業施設とは異なり、ここは基本的に空きビルで大半のフロアはガランとして何もなく、昼間はこのビルの購入を検討している人を案内する不動産屋の対応などがあるのだが、夜間は異常が無いことを確認するだけで特別注意を払わなければならないことなど何もないのだ。

電気は通っているため、巡回するフロアまで行くと照明を点け、異常がないことを確認すると照明を消して次へ移動する。

四フロア、二棟と言っても、一時間も掛からずに巡回できるのだ。

早々に現状把握を兼ねて一階から四階までひと回りしてみたが、何の変哲もない空きビルだ。

警備員室へ戻ると、特にすることもなく、机の上に置いてある業務日誌を開いてみた。

業務開始時間、巡回時間、終了時間以外は、『特に異常なし』のオンパレード。

もちろん頻繁に異常があるようでは困るのだが、異常がないにしてももう少し気の利いた文言を書いて欲しい。

まあ、後から日誌をチェックする警備会社の管理職にとってはこの方が楽なのだろう。

そんなことを考えながら、パラパラと業務日誌をめくっていると、あるページが目に留まった。

それは一か月ほど前の日付で、記録しているのはあの行方不明になった男性。

備考欄に小さな絵と共に何か書かれている。

『十一時から夜明けまでの間は三階の渡り廊下を使わずに巡回します』

そしてその横に書かれている絵はその巡回ルートを矢印で示しており、一階、二階は渡り廊下を使ってS字に両方の建物を巡回するが、三階まで昇ると渡り廊下を使わずにそのまま四階へ上がり、四階の渡り廊下で反対の建物へ移るとそこから反対側の建物の三階へ降りるような順路になっている。

このルートは確かに三階の渡り廊下は通っていない。しかも絵の三階の渡り廊下には✕印が付いていた。

「どういうことだ?」

先程八時過ぎの時点では一階から四階まで渡り廊下を使って両方の建物をS字に巡回してきたが何事もなかった。

この十一時から夜明けまでの深夜帯、三階の渡り廊下に何があるのか。

一般的に考えれば、時間が時間だけにこの場所には幽霊のようなものが出るということか。

しかし俺はそんな物の怪の存在など信じていない。

そんなものをがっつり信じていると夜間警備の仕事などできないと思う。

しかしこのメモ書きを記してから一か月後に彼は行方不明になっているのだ。何かそれと関連があるのだろうか。

俺は人一倍好奇心旺盛な性格であり、このミステリアスで面白そうな話に俄然興味が湧いた。

ちょっとワクワクする。

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*********

基本的なルールとして、建物内の巡回は三時間に一回となっている。

従って八時の次は十一時、そしてその次は午前二時、そして最後が午前五時。

今の時期、五時前にはかなり明るくなっているから、問題になるのは十一時と二時の二回だ。

時計の針が十一時を指したところで俺は懐中電灯を握って立ち上がった。

逸る気持ちを押さえて一階から順に見回り、二階を終え、三階へと足を踏み入れた。

取り敢えず三階のフロアに異常が無いことを確認すると、フロアの照明を消して渡り廊下に続くドアの前に立つ。

時計を見ると十一時半になろうとしていた。

大きく深呼吸をしてドアを開ける。

「何だこりゃ?」

ドアから懐中電灯を翳して渡り廊下を覗くと、長さ十メートル程のはずの渡り廊下が奥へ向かって延々と続いているではないか。

反対側にあるはずの向こうの建物のドアは懐中電灯の光も届かない暗闇に沈み、黒い点となって全く見えない。

「何だ?何が起こっているんだ?」

慌ててドアの横にある照明のスイッチを押した。

瞬時に渡り廊下の天井に設置されている照明が灯る。

「あれ?」

明るくなった渡り廊下は、いつもの何も置かれていない只の短い通路だった。

何かの見間違いだったのだろうか。

もう一度スイッチを押し、照明を消してみる。

「おおっ?」

懐中電灯に照らされた渡り廊下は再び延々と続く長い廊下へと変貌したではないか。

もう一度照明を点けるとまた普通に戻った。

一体何が起こっているのだろう。

俺は照明を点けたまま、ドアから渡り廊下へ恐る恐る一歩踏み出した。

その瞬間、いきなり照明が消え、目の前には先程の長い長い廊下がまた現れた。

そしてそう思った途端、踏み出した足が床に沈み込むような感覚に襲われたのだ。

「うわっ!」

俺は反射的に体を捻じって元のフロアに転がるようにして戻った。

「何だ、何が起こったんだ?」

そのまま渡り廊下に立っていたら床にめり込んでいたのだろうか。

顔を上げると渡り廊下の照明は消えたままで、まるで地下鉄のトンネルのように闇へと続いている。

じっと見ていると吸い込まれそうだ。

そこでふと前任者が行方不明になったということを思い出した。

ひょっとすると前任者はこの渡り廊下を向こう側へ渡ろうとしたのではないか。

俺は起き上がると、四階へ上がる階段を駆け上がった。

そして四階の渡り廊下のドアを恐る恐る開くと、照明を点けていないにもかかわらず、そこは二階や前回通った時とまったく変わらなかった。

あの奇妙な状況はあの業務日誌にあった通り、三階だけのようだ。

ゆっくりと足を踏み入れてみたが、何ら異常はなく反対側の建屋に達することが出来た。

俺はそのまま三階へ駆け下り、今度は反対側から三階渡り廊下のドアを開けてみた。

そこは向こう側から見たのと同じ風景だった。

懐中電灯の光が届かないような長い渡り廊下が遥か向こうへと続いている。

どうして前任者が巡回時にこの渡り廊下を避けようとしたのかは理解したが、何故この深夜の時間帯だけこの廊下はこんな状態になるのかが分らない。

それとも実際は何も変わっていないのに、このように見えているだけなのだろうか。

そして新たな疑問も生まれた。

もし前任者がここへ足を踏み入れた為に行方不明になったのだとしたら、一度はこの渡り廊下を使用しないように自ら決めたにも関わらず、どうしてここへ足を踏み入れたのだろう。

いくら好奇心旺盛な俺でも、このままここへ足を踏み入れてみる気にはならず、一旦そのまま警備室へと戻った。

コーヒーを淹れながら先ほど見たことを頭の中で振り返ってみる。

物理的には十メートル程の渡り廊下が無限と言っていいほど奥に続いているように見える。

錯覚としか思えないが、反対側からも同じように見えるというのはどういうことか。

そして前任者の事や、ついさっき足に感じた床にめり込むような感覚を考えると、何らかの理由であの場所に異次元世界、もしくはあの世と呼ばれるような場所への口が開いているということなのだろうか。

ばかばかしいと思うのだが、他にどのような説明が付くというのか。

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***********

午前二時の巡回の時間になった。

俺は先程と同じように三階まで見回ると再びあの渡り廊下の扉を開いた。

変わらない。

相変わらず渡り廊下は無限の奥行きを持って続いている。

照明を点けると見た目は元に戻る状況も変わらない。

ドアのところに立ったまま、照明を消して懐中電灯で廊下の天井、床、左右の窓のついた壁を照らして何か変わったところがないかよく見てみた。

摺りガラスになっている窓ガラスは懐中電灯の光を白く反射し、床に貼られたグレーの塩ビタイルと共に奥へ向かって無限にずらっと並んでいる。

そこでポケットからテニスボールを取り出した。

誰かが持ってきたのか、落とし物だったのか分からないが、警備室の机の引き出しにあったものだ。

それを思い切り渡り廊下の奥へ向かって投げ込んでみた。

この長い廊下が単なる目の錯覚であれば、ボールはすぐに向こう側のドアに当たり跳ね返ってくるはずだ。

天井の高さが二メートル半ほどしかない為、それほど遠くへは投げられないが、それでも数十メートル先で床に落ちたボールは何にも当たる様子はなく、そのまま奥へと床を転がってゆく。

目の錯覚ではなかった。

そのまま転がるボールを懐中電灯で追いかけていたのだが、もう懐中電灯の光が届かなくなるかと思われたところで、不意にボールが消えた。

「手?手が出た?」

俺の目には、ボールが床の上を転がっているすぐ横の闇からすっと白い手のようなものが伸び、それがボールを拾い上げたように見えたのだ。

俺はもう巡回どころではなく、そのまま警備室へ駆け戻った。

いくら物の怪の類を信じない俺でも、あの三階の渡り廊下では常識で説明できないことが起こっていることを認めざるを得なかった。

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*********

そして朝五時が来た。

外はもう明るくなっている。あの業務日誌に書かれていることが正しければ、三階の渡り廊下はもう問題がなくなっているはずだ。

巡回どころではない。俺は警備室を出ると真っ直ぐ三階へ向かった。

渡り廊下へのドアを恐る恐る開けてみると、そこは両脇の窓ガラスから夜明けの光が明るく差し込む、他の階と変わらない十メートル程の渡り廊下だった。

「いったい何なんだ、ここは。」

恐る恐る足を踏み入れてみるがおかしなところは全くない。床もしっかりしている。

しかしこの場所にだけあのような現象が起こるのであれば、何かしらその原因があるはずだ。

ゆっくりと渡り廊下の中央まで進んだが、妙なところもなく、おかしな気配もない。

ただ、投げ込んだはずのテニスボールはどこにもなかった。

一体何が起こっているのだろう。

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***********

何事もなければ、通常は職場から直帰するのだが、俺は会社へと向かい課長が出社してくるのを待った。

もちろん昨夜の出来事を相談するためだ。

信じて貰えるかどうかわからなかったが、とにかく話してみようという気になった。

他に相談できる相手がいなかったということかもしれない。

「そうか・・・」

話を聞いた課長は、それを疑うような言葉は何も言わなかった。

「実は是枝君からも似たような話を聞いていたんだ。」

是枝さんというのは、行方不明になった俺の前任者だ。

やはり三階の渡り廊下で異常が起こり、深夜帯の巡回ルートからあの場所を外したいとの相談だった。

業務日誌にメモを残したあの時期だろう。

「こんな仕事をしていると、夜間警備でいろいろ不可思議な事が起こることは日常茶飯事とは言わないが結構あるんだ。だから僕は彼の巡回ルート変更の申し出を承認した。」

課長はそう言ったがすぐに首を傾げた。

「でも、是枝君が話していた深夜の渡り廊下の様子と、君が話してくれた様子がちょっと違うんだよね。」

前任者の話では、あの渡り廊下を深夜に覗くと、空間の広さはそのままなのだが、天井や床、壁、窓、渡り廊下全体がうねうねと蠢いているように見えていたそうだ。

まるで何かの映画で見たことのあるような、巨大生物の体内に入ったようだと言っていた。

その違いは時期的なものなのか、それとも見る人によるものなのか。

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********

とにかくあの三階の渡り廊下だけ避けていれば問題はないのだ。

君子危うきに近寄らず。

翌日から俺は前任者がしていたように、十一時以降の深夜帯は三階の渡り廊下を避けるルートで巡回することにした。

八時、十一時と、何事もなく巡回を終えた。

そして午前二時の巡回の時だった。

三階のフロアのチェックを終え、照明を消すと渡り廊下を使わずに四階へ上がろうとした時だった。

「・・・・・」

何か声が聞こえたような気がした。

もう一度三階のフロアに戻って耳を澄ませると、その声は何を言っているのか分からないが、渡り廊下のドアの向こうから聞こえてくるようだ。

無視した方がいい。

俺の心の声が囁いたが、警備の仕事をしている以上、もし本当に人がいたら問題だ。

渡り廊下へのドアのところまで行くと、ドアを開ける前に渡り廊下の照明を点けた。

ドアの外周からうっすらと光が漏れてくる。

「誰かいるんですか。」

その漏れてくる光に俺は少し安心して声を掛けながらゆっくりとドアを開けた。

「うわっ!何だこれ!」

ドアを開けた途端に渡り廊下の照明が消えた。

そして目の前にあったのは、通路全体がうねっている渡り廊下だった。これが課長の言っていた前任者が見ていた状態なのか。

「!!」

そしてよく見るとうねっている床の合間に前任者である是枝さんの頭が見え隠れしているではないか。

大きく目を見開き、今にも叫び出しそうに大きく口を開けている。

しかしそれが見えたのはほんの一瞬で、是枝さんの頭はすぐに床に沈んでしまった。

俺は慌てて扉を閉じた。

今のは何だったんだ。

俺はどうしようか悩んだ末、もう一度ドアを開けてみた。

そこには先程のうねる部屋は存在していなかった。

その代わり、目に前には昨日と全く同じ、果てしなく続く通路があった。

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***********

警備室へ戻り、コーヒーを片手にほっと一息ついた。

たった今、あの長く続く渡り廊下を見た時にふと思った。

どのような理屈なのかは全く分からないが、あの三階渡り廊下の空間は見る人の心理状態を反映するんじゃないのだろうか。

あのクソ女の言い掛かりで将来を見失った俺に視えるのは、あの先の見えない延々と続く真っ暗な廊下。

前任の是枝さんが私生活で置かれていた状況は分からないが、あのうねる渡り廊下からすると相当に混沌とした状況に追い込まれていたのかもしれない。

そしてその中へ足を踏み入れた途端、その空間に飲み込まれてしまうのだ。

あの是枝さんのように。

もし俺があの先の見えない通路に入り込んだら、永久にあの長い長い廊下を歩き続けることになるような気がする。

とにかく深夜のあの空間に足を踏み入れては絶対にいけない。

何故にそのような空間が三階の渡り廊下に現れてしまったのだろうか。

ただ・・・

俺がテニスボールを投げた時、遥か向こうでそのボールを拾い上げた白い手。

あれは、将来俺に訪れる何らかの救いの手のような気がする。

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あの白く美しい手。

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あの渡り廊下に入ってあの手のところまで行けば、それを確かめられるのだろうか。

◇◇◇ FIN

Concrete
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