長編13
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深夜の庭に

松村和夫が職場で仕事をしていると、携帯電話に着信があった。

妻の晴美からだった。

電話に出ると、晴美は憔悴しきった声で言った。

「悠太が病院に運ばれたの」

悠太は十二歳になる和夫の息子である。

「学校で何かあったのか?」と和夫。

「グラウンドで遊んでたら、雷に打たれたらしくて」

この日は朝から晴れていたが、午後から急に大雨が降り出していた。

「意識はあるのか?」

「ううん、命に別状は無いみたいみたいなんだけど、ずっと目を覚まさなくて……」

晴美は耐えられずに泣き出した。

「分かった。とにかく俺もすぐに病院に行くから」

和夫は会社を早退して病院に向かった。

晴美に教えられた病室のドアを開けると、悠太はベッドに寝かされていた。

付き添っていた晴美に話を訊く。

幸い左肩に火傷を負っただけで、命に別状は無いらしい。

ただ、脳に何かしらの障害が残る可能性があるらしく、悠太が目を覚まさなければ確認できないという。

「悠太……」

和夫は涙ぐみながら、悠太の頭をやさしく撫でた。

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悠太が目を覚ましたのは、雷に打たれてから二日後の事だった。

晴美から連絡を受け、和夫は会社帰りに病院に向かった。

悠太はベッドで体を起こし、晴美と楽しそうに話していた。

「心配させやがって」

和夫は悠太の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。

だが、まだ安心はできない。

和夫は矢継ぎ早に質問した。

「何か、変な事は無いか? 身体が動かせないとか、話しにくいとか、上手く考えられないとか」

悠太は笑って返事をした。

「大丈夫だって。お母さんにもたくさん訊かれたけど、どこも変じゃないよ」

「良かった」

和夫はようやく安心した。

その後、悠太は大事をとって三日間入院したが、体調に変化はなく、無事に退院した。

学校にも問題なく通い始め、松村家にまた平穏が戻った。

……かに思えたのだが、ある日、和夫が仕事から帰宅すると、悠太が妙な事を言ってきた。

「ねえねえ、お父さんが何を考えてるのか当ててあげる」

和夫は学校でそのような遊びが流行っているのだと思い、特に気にする事もなく付き合ってあげる事にした。

「お、面白いな。当ててみろ。何を考えててもいいのか?」

「うん、いいよ」

「じゃあ……」

和夫は頭の中に流行歌の歌詞を思い浮かべた。

すると、悠太はその歌詞を歌い出した。

「正解だ。どうして分かったんだ?」

「すごいでしょ。他にも当ててあげる」

「そうだな……」

和夫は自分の父親、すなわち悠太の祖父の生年月日を思い浮かべた。

悠太が知らない情報のはずだった。

しかし、悠太はこれもピタリと言い合てた。

「正解だ。どうやって分かったんだ? 心理学か何かか?」

「ううん、僕ね、人が何を考えているのか分かるようになったんだ。雷に打たれてから」

「……」

和夫は驚きのあまり絶句した。

悠太は障害を負わなかった代わりに、超能力に目覚めたという事だろう。

その事が、この子の人生に何か影を落とす事になりはしないだろうか。

和夫の心配をよそに、悠太は平然と言った。

「あのね、これだけじゃないよ。僕が考えてる事を、話さずに人に伝える事もできるんだ。やってみるね」

悠太がそう言い終わると、和夫の頭に、突然ある言葉が浮かんだ。

『今日は友達と缶蹴りをして遊んだ』

言葉だけではなく、缶蹴りで遊ぶ子供達の映像までもが頭に浮かんだ。

また、その時の悠太のウキウキとした気持ちまでもが伝わってくる。

和夫は恐る恐る言った。

「今日は、友達と、缶蹴りをして遊んだ」

「正解。僕が考えてた事とおんなじ。すごいでしょすごいでしょ」

「あ、ああ」

どうやら悠太は雷に打たれた事で、テレパシー能力に目覚めたようである。

和夫は過去に似たような話をテレビ番組で観た事を思い出した。

それは海外のドキュメンタリー番組で、雷に打たれた少女が未来予知能力に目覚めるという内容だった。

番組を見た時は嘘話だと思っていた和夫も、息子が実際に超能力に目覚めたとなると、実話だったと思うしかない。

和夫はテレパシー能力によって何か弊害が生じないか考えた。

知りたくない相手の気持ちを知ってしまうという問題がまず思い浮ぶ。

しかし、その程度の問題であれば、あまり心配はいらないように思える。

他の弊害は特に思い付かないが、漠然とした不安に胸を締めつけられた。

悠太が自分の部屋に戻った後、和夫はすぐに晴美に相談した。

晴美はテレパシーの事を既に知っていたが、さして心配していないようだった。

人の思考を読める方がむしろ好都合な事が多い、と考えているらしい。

それには和夫も同意できたが、説明できない嫌な予感もしていた。

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悠太が退院してから二日後の夜。

就寝していた和夫は、喉が渇いて目が覚めた。

二階の寝室を出て一階のキッチンに行き、コップに水を注いで飲む。

その後、また寝室に戻ろうとした時、引戸の向こうに誰かが立っているのが見えた。

松村家のキッチンはリビングと繋がっており、リビングから庭に出られるガラスの引戸があった。

引戸は透明なので、中から庭の景色を見る事ができる。

その庭に、誰かが立っているのだ。

「うわぁ」

和夫は思わず声を上げた。

すると、庭の人影が振り向き、こう言った。

「お父さん?」

人影の正体は、悠太だった。

「なんだ、悠太か、おどかすなよ」

和夫はほっと溜息をつき、引戸を開けて尋ねた。

「なんでこんな時間に庭になんか出たんだ」

「なんだか眠れなくて」

「……そうか。できるだけ早く寝るんだぞ」

「うん」

和夫は悠太と短いやりとりをし、寝室に戻った。

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翌日、和夫はまた夜中にふと目が覚めた。

喉が渇いているわけでも、トイレに行きたいわけでもない。

このまま目を瞑れば眠れそうだ。

だが、昨夜の出来事を思い出した。

また悠太は庭に出ているんじゃないだろうか。

そう思うと気になって、ベッドから出た。

時計を見ると深夜二時を回っている。

寝室を出て、リビングに向かった。

電気を付けて庭の方を見ると、予想通り、悠太がこちらに背を向けて立っていた。

和夫は引戸を開けて悠太に声をかけた。

「今日も眠れないのか?」

「うん」

悠太が振り向いて答える。

「昨日はいつ頃寝たんだ?」

「お父さんと話した後にすぐ寝たよ」

「それならいいが……。どうしたんだ? 悩み事でもあるなら、お父さんに言ってみなさい」

「悩んでる事なんて無いよ。大丈夫」

「大丈夫って事は無いだろ。眠れないんだから。もしかして雷のせいかな」

「違うよ。元気だもん」

「いや、明日は丁度休みだから、病院に行こう」

「大丈夫なのに……」

「万が一って事がある。病院で検査してもらおう」

「……うん」

悠太は不服そうに頷いた。

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翌日の土曜日、和夫は悠太を連れて病院に行った。

そこで精密検査をしてもらったのだが、悠太の身体に異常は見つからなかった。

和夫は検査結果に少し安心したものの、悠太が眠れない理由が分からないままなので、不安な気持ちは消えなかった。

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その日の夜から、和夫は毎晩リビングに悠太の様子を見に行った。

悠太は必ず庭にいた。

そんな生活が続いたので、悠太は明らかにやつれていった。

満足に寝ていないのだから当然だ。

目の下に隈ができ、顔色が悪い。

好きで夜更かしをしているわけではないので、「早く寝なさい」と叱りつけて解決する事でもない。

和夫は悠太が可哀想だったので、何とかしてやりたくて堪らなかった。

だが、病院にはもう行ったので、これ以上してやれる事も無さそうだ。

深刻に悩む和夫を見て、晴美は笑って言った。

「成長期なんだからこういう事もあるでしょう。あんまり悩みすぎると、あなたまで不眠症になるわよ」

たしかに晴美の言う通りなのかもしれない。

成長期はホルモンバランスが乱れやすいと聞いた事がある。

それが睡眠に影響していたとしてもおかしくない。

もし原因がそれだとすれば、不眠症は時間の経過とともに勝手に治るだろう。

和夫は悩むのを止め、しばらく様子を見る事にした。

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その夜、和夫は夜中に目を覚ました。

最近は悠太の様子を見るために毎晩起きる事が習慣化してしまい、夜中に必ず目が覚めるようになってしまった。

和夫は悠太が寝ている事を願いながらリビングに向かった。

だが、この日も悠太は庭にいた。

和夫は可哀想だと思いつつ、何もできない自分が歯がゆかった。

声をかけても仕方がない。

黙って寝室に戻ろうとした時、悠太の笑い声が聞こえた。

和夫は驚いて庭を見た。

悠太以外に誰かがいるわけでもなく、携帯電話で通話しているわけでもない。

悠太はこちらに背を向け、一人で笑っていた。

深夜の何も無い庭で……。

和夫はその不気味な光景をしばし呆然と眺めていた。

悠太は、誰と話しているのだろうか……。

和夫は引戸を開け、悠太に声をかけた。

「なんで笑ってるんだ」

「あ、お父さん」悠太は笑うのを止めて言った。「今日、学校で面白い事があったから、思い出して笑ってただけだよ」

「本当か? 誰かと話してたんじゃないのか?」

「そんなわけないじゃん。僕一人だし」

和夫は庭を見渡した。

やはり、自分達以外に誰もいない。

「……そうか、早く寝るんだぞ」

「うん。おやすみなさい」

「おやすみ……」

和夫は寝室に戻った。

ベッドに入り、目を瞑る。

先ほどの不気味な光景が脳裡に浮かんだ。

悠太が言っていた事が本当なのか気になり、その日はなかなか眠れなかった。

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翌日、和夫は朝起きて、昨晩の出来事を思い返した。

冷静に考えてみると、悠太は嘘をついているとしか思えなかった。

思い出し笑いをしていただけと言っていたが、それであれだけの大笑いをするとは考えにくい。

悠太はやはり誰かと話していたのだ。

眠れないというのも嘘で、その誰かと話すのが楽しくて毎晩起きているという可能性もある。

話し声は聞こえなかったが、今の悠太であれば声を出さずにテレパシーで通話する事が可能だ。

では、いったい誰と話しているのか。

あんな深夜に、一人の庭で……。

和夫は悠太の話し相手が人間ではないような気がした。

そうなると恐ろしく思え、親戚に相談する事にした。

相談相手の名前は河野佐江子。

和夫の祖母の妹で、あまり面識は無かったが、霊感があると祖母がよく言っていた。

和夫は会社から帰ると、祖母に連絡先を聞き、藁にもすがる思いで河野さんに電話をかけた。

「はい、もしもし」

優しそうな声のお婆さんが電話に出た。

「あの、河野佐江子さんですか?」

「ええ、そうですが」

「私、松村和夫です。松村千里の孫の」

「え? ああ、和夫ちゃんね。どうしたの、突然」

「実は、相談したい事がありまして、少しだけお時間をいただけないでしょうか?」

「いいわよ。暇だから」

「ありがとうございます。息子の事なのですが――」

和夫は悠太が雷に打たれてテレパシー能力に目覚めた事、それから毎晩一人で庭に出て、誰かと話している様子である事を話した。

河野さんは話を聞くと、こう言った。

「すぐに庭に出る事を止めさせた方がいいわね。和夫ちゃんは、雷伝助の話を知ってるかしら」

「いいえ、知りません」

「江戸時代の話なんだけどね、商人の息子で伝助って子供がいたの。この子が外で遊んでいる時に、雷に打たれて倒れたらしいの。一命は取り留めたんだけど、それから超能力に目覚めたらしいわ。当時は神通力って言ったみたいだけど」

「悠太と同じですね」

「そう、ただ、目覚めた能力は悠太君よりも多かったみたい。悠太君と同じようにテレパシー能力もあったし、手を触れずに物を動かしたり、風を起こしたりする能力まであったらしいわ。この事は町ですぐに有名になって、伝助は人々から雷伝助と呼ばれるようになった」

「それで、伝助はどうなってんですか?」

「それがね、伝助は神通力に目覚めてから、夜にふらふら外へ出かけるようになったの。家族が後をつけてみると、誰もいない空き地に一人で立って、ケタケタ笑ってた。家族は怖くなって、お寺の住職に相談したのよ」

和夫は伝助が悠太とほとんど同じ状況である事に戦慄した。

河野さんが続ける。

「住職は妖怪が伝助の神通力に目を付けて、自分達の仲間にしようとたぶらかしているに違いないから、夜に外へ出すなとおっしゃった。でも、親がどれだけ叱りつけても、伝助は外に出るのを止めなかった。そしたらね、伝助が親に言ったの。あと四日だけ外に出させてくれたら、もう二度とこんな事はしないって」

和夫はごくりと生唾を飲んだ。

嫌な予感しかしない。

河野さんが語る。

「親はその事を住職に伝えた。すると住職はこうおっしゃった。四日後に妖怪達は伝助をさらっていくだろうから、その日は伝助を柱に縛り付けてでも家の中にいさせろ。もし、それができれば、妖怪達は伝助を諦めるだろうってね。四日後の夜、親は伝助を言われた通り柱に縛り付けた。でも伝助は見張りが居眠りをした隙に、縄を神通力を使ってほどいて、外に出てしまったの。それっきり、伝助は行方知れずになったそうよ」

和夫は悠太が行方不明になる事を想像してゾッとした。

「悠太は、伝助と同じ目に遭ってしまうのでしょうか?」

「このままだとそうなるわね。でも、悠太君が目覚めた超能力はテレパシーだけなんでしょう? だったら、外に出さない事はそんなに難しい事じゃないと思うわ。とにかく、悠太君が夜に外へ出ないようにする事、いいわね」

「はい、分かりました。相談に乗っていただいてありがとうございました」

「いえいえ、どういたしまして」

和夫は河野さんにお礼を言い、電話を切った。

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河野さんに相談をした日の夜、和夫は深夜に目を覚ますと、リビングに行った。

やはり悠太は庭にいた。

和夫は引戸を開け、強い口調で言った。

「悠太、今日から外に出るのは止めなさい」

悠太は不思議そうに言った。

「え、どうして?」

「どうしてもだ。眠れないなら部屋の中で起きていなさい。とにかく中に入るんだ」

和夫は悠太の腕を掴んだ。

「嫌っ」

悠太は和夫の手を振りほどいた。

「嫌じゃない、さっさと家に入るんだ!」

和夫は悠太を怒鳴りつけた。

悠太は泣きそうな顔で言った。

「じゃあ、あと四日だけ庭にいさせて。そしたらもう庭に出るのを止めるから」

和夫は水を被ったように全身が冷たくなるのを感じた。

悠太の言葉は、雷伝助が言った言葉と丸っきり同じだ。

「お前は、やっぱり化け物と話してるのか?」

悠太は首を振った。

「違うよ。だから、あと四日だけここにいさせて」

これ以上言ったところで無駄だと思い、和夫は黙って寝室に戻った。

だが、四日後はこうはいかない。

伝助のように、縛り付けてでも家にいさせなければ……。

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四日後の夜、和夫は悠太をベッドに寝かせ、手足を無理やり縄で縛った。

晴美には河野さんの話を聞かせ、事情を説明したが、嘘話に決まっていると笑われた。

そして、晴美は悠太を縄で縛る事を反対したが、縛るのは今日だけという約束で同意してくれた。

その夜、和夫は悠太の寝室で一晩中起きて、見張りをする事にした。

悠太はベッドに横たわりながら、「外に出して」と何度も頼んできた。

和夫は「ダメだ。早く寝ろ」とだけ返事をした。

見張りを始めてからどれだけ経っただろうか。

ベッドの横に座っていた和夫は、少しの間だけ眠ってしまった。

目を覚ますと、ベッドに悠太の姿がない。

ほどかれた縄がベッドの上に散らばっていた。

いったいどういう事だろうか。

急いで廊下に出ると、晴美が自分の寝室に戻ろうとしていた。

和夫は晴美に掴みかかって言った。

「おい、まさかお前が縄をほどいたんじゃないだろうな!」

晴美は困惑した表情で答える。

「う、うん。悠太がテレパシーでトイレに行きたいって伝えてきたから……」

和夫は激しい怒りを覚えたが、ここで晴美と喧嘩をしている場合ではない。

急いでリビングに向かった。

引戸が開いている。

やはりトイレに行かず、庭に出たのだ。

「悠太、悠太」

和夫は悠太の名を呼び、裸足で庭に飛び出した。

暗闇の中に、悠太の姿があった。

和夫は背中から悠太を抱きしめた。

「悠太、家の中に戻ろう。ここにいちゃいけない」

悠太は和夫の顔を見ると、にこりと笑って言った。

「もう大丈夫だよ」

「大丈夫って、何がだ」

「本当は今日、宇宙人が地球に総攻撃をしかける予定だったんだ。侵略のためにね。だから僕がテレパシーで説得してたんだよ」

「う、宇宙人? 妖怪じゃないのか?」

「違うよ」

その時、空から異様な轟音が鳴り響いた。

ゴゴゴゴゴという、機械が作動するような音だった。

悠太が空を見上げて言う。

「ほら、宇宙船の音だよ。透明な宇宙船が何隻も停まってたんだ。それが引き上げていくんだよ。僕のテレパシー能力を怖がってね」

どうやら悠太が言っている事は本当らしい。

和夫は安堵して言った。

「なんだ、妖怪じゃなかったのか。それならそうと早く言ってくれれば良かったのに」

「言ってもお父さん信じないでしょう? それにテレパシーで詳しく伝えようとしたら、もの凄く疲れるし。宇宙人と話すために力は残しておかないといけないから」

「そうだったのか。それじゃあお父さんは、うっかり宇宙人の侵略を助けるところだったんだな」

「うん、お母さんに感謝しないと」

「ふっ、そうだな。さっき怒っちゃったから、謝らないといけないな」

二人は笑い合って家の中に入った。

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翌日の夜から、悠太が庭に出る事はなくなった。

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