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24年07月怖話アワード受賞作品
長編10
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徘徊

平日の夜や休日の昼下がり、意味もなく落ち着かない、不安な気持ちに苛まれることはない?

会社での仕事もそれなりにこなし、休日の今日は掃除もしたし、洗濯も終わっている、飯はさっき食べたばかり。

でも何かやり残しているような気がする、しかし何をすべきなのか全く分からない、イライラして思わず大声で叫び出したくなるような、そんな気分。

自分でも気づかないところで心が病んでいるのだろうか。

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**********

家に霧丸という名の十七歳になるわんこがいる。

十七歳と言えば、人間なら百歳になるのだろうか。

俺は、小さい頃に父が他界し、母と二人で暮らしてきた。

その俺が小学生の時に、生後二か月で親戚から譲って貰った白い小型犬。

父の代わりとなり働いていた母が、うちでは無理だ、飼えないというのを一生懸命面倒見るからと無理に頼み込んだ。

最初は反対していた母も、いざ家に来ると暇を見つけては可愛がり、ふたりと一匹でずっと一緒に暮らしてきたのだ。

そんな霧丸もこの歳になり八キロを超えていた体重は五キロを切るほどに痩せてしまい、足腰が弱って以前のように走り回ることもできない。

よたよたと、まるで生まれたての小鹿のよう。

もう目も充分に見えていないのか、歩きながら壁や家具にゴンとぶつかるし、名前を読んでもほとんど反応してくれない。

先週あたりからご飯もあまり食べなくなった。

そろそろお迎えが来るのだろうか。

それでもクッションの上に寝かせていると、くーん、くーんと甘えた声で鳴き始める。

もう自分でクッションから起き上がることもままならないのだ。

クッションから抱き起して立たせてやると、部屋の中をくるくる、よたよたと歩き回る。

目的があるわけではない。

ただひたすら部屋の中をくるくると、時には全く同じ場所で時計回り、反時計回りにくるくると回っている。

それを三十分、一時間と繰り返し、疲れるとまた数時間眠る、その繰り返し。

そんな霧丸を見ていて、ふと思った。

「俺と同じかもしれない。」

何かすることがあるわけではない、何をしていいのか解らない、でも胸にわだかまった不安な気持ちに押しつぶされそうでじっとしていられないのだ。

“徘徊”

そんな言葉が頭を過った。

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***********

夜になっても一向に気分は晴れず、俺はじっとしていることが苦痛でスマホだけ握りしめて家の外へ出た。

近所にやや大きい公園があり、その中には人工の小川が流れている。

その川沿いに木々が植えられ、そしてその間を縫うように遊歩道が設置されており、俺の馴染みの散歩道だ。

くねくねと曲がりくねった道は全長五百メートル位だろうか。

ゆっくり歩いても三十分もあれば往復できる長さ。

昔はいつも霧丸を連れて歩いた道だ。

昼間は散歩する人達や子供達で賑わっているのだが、この時間になると時折ジョギングをする人と行き交うくらいで、ひと通りは非常に少ない。

それでもこの夜の遊歩道には一定間隔で淡い乳白色の街灯が立っている。

午前零時で消えるのだが、今はまだ八時過ぎであり、穏やかな光で遊歩道や周囲の木々を照らしてくれる。

そんな遊歩道を気の向くままにゆっくり歩いていると少し気分が落ち着いてきた。

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この遊歩道には、ほぼ真ん中辺りに公衆トイレがある。

特に我慢していたわけではないが、このトイレの前まで来た時にふと用を足す気になった。

他には誰もいない静かなトイレで小便器の前に立つ。

用を足していると、ふと何処からか話し声が聞こえていることに気がついた。

「・・・・・」

小さくぼそぼそした声で、何を話しているのか全く分からない。

女性の声のようだがしわがれており、かなり高齢のような気がするのだが、話し相手と思しき声は全く聞こえない。

独り言だろうか。

声は壁向こうの女子トイレからのようでもあるし、出入り口の向こうからのようでもあるが、所詮自分には関係のないことだ。

用を済ませると手を洗ってトイレを出た。

「ん?」

トイレを出たところに人が立っている。

ちょうど街灯が逆光になっていた為、一瞬その姿がはっきりと確認できなかったのだが、そのまま足を進めて少し前に進むとその姿がはっきりと見えた。

そこに立っていたのは、薄いピンク色の下着一枚の姿で長い白髪を後ろで束ねた小柄な老婆。

シュミーズというのだろうか。シースルーで膝丈キャミソールみたいな極めて薄い下着姿なのだ。

ぺったんこに垂れたおっぱいが夜目にもはっきりと透けて見える。

徘徊

またその言葉が頭に浮かんだ。

その様子はどう見ても認知症を患った老人の徘徊としか思えない。

俺には全く関係がなさそうな老婆だが、このまま知らぬふりをして家に帰り、もし彼女が何か事件や事故に巻き込まれたりしたら寝覚めが悪い。

仕方がない。

俺はスマホを取り出すと警察へ連絡を入れた。

「・・・ええ、○○公園の遊歩道の途中にある公衆トイレの前です。・・・はい、年齢は八十か、九十か、よく解らないですが、身長は・・・」

場所と状況を伝えるとすぐに来てくれるという。

その間、老婆は若干口を開けたぽかんとした表情で俺の方を見つめていた。

街灯の光の具合だろうか、その顔は何か塗っているのではないかと思うくらい異様に白い。

俺は電話を切ると、老婆を驚かさないようにゆっくりと近づいて行った。

「お婆さん、そんな恰好で寒くない?」

とにかく警察が到着するまで、どこかに行ってしまわないようにしなければならない。

「お婆さんは何処に住んでいるの?」

老婆は何も答えず、相変わらずぽかんとした表情で俺を見つめたままだ。

「僕も時々散歩に来るんだけど、今日は人も少なくて静かな夜だね。」

別に返事なんかしてくれなくていい。とにかく警察が来るまで時間を稼ぎたいだけなのだ。

老婆は依然として俺の事をじっと見ている。

はやり認知症を患い、会話が充分に理解できないのだろうか。

「お婆さんは、これからどこへ行くつもりなの?」

すると老婆がいきなりニヤリと笑い、しわがれた声でボソッと答えた。

「あの世」

いや、確かにお迎えが来るのはそう遠い未来ではないだろう。

でも俺はそうではなく、今この後どこへ行くつもりなのかを聞いただけ。

「あんた、ワシと一緒に来てくれ。」

老婆はそう言うと俺の方へゆっくりと近づき、笑みを浮かべたまま俺に向かって顔を突き出してきた。

「いや、お婆さん、僕は若いからあの世に行くのはまだまだ遠い未来の話だよ。お婆さんとは一緒に行けないな。」

すると老婆は皺だらけの顔でもはっきりと分かるくらい、眉間に皺を寄せ、歯をむき出し怒鳴った。

「いいや、あんたはワシと一緒に来るんじゃ!」

こ、怖い

認知症の老人とは話が噛み合わないことが多々あると聞いていたが、話が合わないというレベルではない。

ひょっとするとこのまま飛び掛かってくるかもしれない。

恐怖心が一気に湧きあがり、思わず逃げ出そうと腰を引いた時だった。

パタパタパタ

背後から小走りに走る足音が聞こえ、振り返るとそれは男女ふたりの警官だった。

助かった。

しかし老婆は突然くるりと踵を返し、すたすたと驚くような速さで女子トイレの中へ駆け込んでしまったのだ。

過去に徘徊で警察と何か嫌な思いをしたことがあったのかもしれない。

「お、お巡りさん!今、お婆さんがトイレの中へ・・・」

「ええ、見ていました。すみませんが、ここでしばらくお待ち願えますか?」

近づいてきた警官は俺に向かってそう言うと、女子トイレだからだろう、まず女性の警官が中に入り、続いて男性の警官が中へ入って行った。

「お婆さん!」「お婆さん!何処ですか?」

トイレの中からふたりの声が聞こえる。どこかに隠れてしまったのだろうか。

俺はすぐに老婆が警官に抱えられてトイレから出てくると思っていたのだが、ふたりはなかなか出てこない。

どうしたのかと思いトイレの中を覗いて見ると、トイレの中央で困った顔をして立っていた。

「どうしたんですか?お婆さんは?」

すると女性警官が俺の方に近づき首を横に振った。

「いないんですよ。他に出口はないはずなのに。外で見ていてお婆さんが出て行ったりしていないですよね?」

俺は思い切り首を横に振った。

お婆さんが消えた?

「我々はもう少しこの近辺を探してみますので、あなたはお帰りになって結構です。」

念のためということで氏名と連絡先だけ聞かれ、ふたりの警官と別れると、俺はさすがに散歩を続ける気にならず、そのまま家に向かって遊歩道を歩き始めた。

(いったい、あのお婆さんは何者だったのだろう、いきなり消えるなんて。しかも一緒にあの世へ行こうだなんてとんでもない事を言う。ひょっとして幽霊だったりして。でもあの格好は何?)

自分の足元を見ながらそんなことを考えながらとぼとぼと歩いていたのだが、あと少しで遊歩道が終わろうとするところだった。

(ワシと一緒に来るんじゃ・・・)

突然何処からともなく先程のしわがれた声が聞こえ、俺は頭から水を掛けられたようにゾッとしてその場で固まってしまった。

そして恐る恐る顔を上げると・・・

で、出た!

数十メートル向こうの暗闇にあの老婆が立っているではないか。

シュミーズのピンク色と白い顔が妙に浮き立って見える。

そして俺が視線を向けた途端、老婆はスーッと滑るように俺の方へ近寄ってきた。

「う、うわっ、お、お巡りさん・・・」

振り返ってみたが、背後に小さく見えるトイレの辺りにはふたりの姿どころか、持っているはずの懐中電灯の光も全く見えない。

大声を出せば来てくれるだろうか。

その時だった。

“ヴ~ッ、ワンワンワン!”

突然犬の鳴き声が聞こえたかと思うと、俺の足元から老婆に向かって一匹の犬が飛び掛かって行ったのだ。

「え?き、霧丸?」

真っ白で背中にところどころ黒いブチが入った珍しい色。

シュナウザーには珍しいピンと立った耳は間違いなく霧丸であり、怒った時の唸り声も間違いない。

しかし、走れるはずなどないのに、なぜこんなところに?

(う、うぎゃ~っ)

俺に向かって両手を上げて迫っていた老婆は、ふくらはぎに霧丸が噛みついたと思った瞬間に悲鳴をあげ、その場でかき消すようにいなくなってしまった。

「た、助かった?」

思わずその場にへたり込んでしまったが、すぐに霧丸を目で探した。

「霧丸?おい、霧丸?」

また老婆が現れるのではないかと怯えながらも、きょろきょろと霧丸を探したが周囲にその姿はない。

なんと、老婆と一緒に霧丸も消えてしまった?

そう思った途端、俺の胸に言いようのない不安な気持ちが爆発した。

「霧丸・・・霧丸!」

跳ねるように立ち上がると、俺は夢中で自宅へと駆け戻った。

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*********

「霧丸!」

靴を脱ぐのももどかしく家の中に走り込むと、霧丸はいつものようにクッションの上で横になっていた。

「なんだ、寝ていたのか。」

ほっとして霧丸の傍へ寄ったが、すぐに呼吸をするたび上下に動いていた胸が微動だにしていないことに気づいた。

「き、霧丸・・・」

揺すってみても全く反応が返ってこない。

死んじゃった・・・

思わず抱き上げた霧丸は、まだ温かかった。

たった今、逝ったばかりなのだろう。

自分の命が尽きるところで、俺を助けに来てくれたということか。

「霧丸・・・お前・・・ありがとう・・・」

感謝の気持ちに合わせて、長年連れ添った相棒の死に際に傍へいなかった申し訳なさから、ぐったりと力の抜けた霧丸の亡骸を思わず両腕でぐっと抱きしめた時だった。

ヒュイーン

霧丸が細く弱く鳴いた。

それはおそらく俺が抱きしめたことにより、肺の中に残っていた空気が押し出されただけなのだろう。

でも俺には霧丸の最後の別れの挨拶にしか聞こえなかった。

涙が目から溢れてくる。

俺が帰ってくるまで霧丸の死に気づいていなかった母親も号泣し、徐々に冷たく硬くなっていくその小さな躯をふたりで撫でながらその夜を過ごした。

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*********

翌朝、警察から連絡が入った。

あの後、公衆トイレの近くでネグリジェ(シュミーズではなかった)姿の老婆が絞殺体で見つかったそうだ。

公園から少し離れた所に住むその老婆は、やはり重度の認知症で、普段から徘徊することが多々あって家族も手を焼いていたらしい。

俺も参考人として警察に呼ばれたが、あの老婆とは何の関わりもなく、直接的な嫌疑を掛けられることはなかった。

そして数日後、近所に住む不良高校生グループの少年が犯人として検挙されたと聞いた。

あの夜、少年達が公園でたむろしていたところに徘徊していたあの老婆が現れ、噛み合わないやり取りにキレた少年の犯行だった。

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**********

認知症が死後の霊体にどのような影響を及ぼすのか知らない。

ただあの老婆は、昨夜の俺と同じようにやりきれない何かに突き動かされるようにあのような姿で徘徊し、その挙句に公園の草むらでひとり冷たくなっていく時、たまたま通り掛かった俺に一緒に来て欲しかっただけだったのだろう。

可哀そうだとも思うが、トンデモなく迷惑な話。

道連れにするなら普通は殺した相手じゃないかと思うが、自分を殺した相手と一緒には逝きたくなかったということなのか。

それでも見知らぬ人を道連れすることはないだろう。

認知症の人の考えることはわからん。

とにかくあの公園にはしばらく足を踏み入れない方がいいかも知れない。

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でも・・・

一緒に消えてしまった霧丸。

まさかあのババア、霧丸を一緒に連れて行ったりしてないよな・・・

霧丸は優しくて人懐っこいから・・・

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霧丸には、俺が死ぬときまで虹の橋のたもとで元気に待っていて貰わなきゃいけないんだぞ。

もし勝手に橋の向こうへ連れて行ったりしていたら・・・

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虹の橋から地獄へ突き落してやる!

◇◇◇ FIN

Concrete
コメント怖い
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@いも様
コメントありがとうございます
頑張ります

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しっかりした話だなー。

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