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まずはこのブランコを御覧ください。
どうでしょう?
ブランコの違和感は、そう、2台あるはずの座板がひとつ除かれていること。
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では、次のベンチを御覧ください。
どうでしょう?
小さなベンチで、放置されてから随分と時が経っているのがわかります。
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このふたつは、日曜の昼間に同じ公園で撮ったものです。
周辺は住宅街であり、親子連れが一組くらい遊んでいてもおかしくないのに、誰も来ていない。
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ベンチの背板裏に付けられた鉄板には
『◯◯バス停前ベンチ
平成21年 ◯◯青年団寄贈』
と打ち込まれているのがどうにか読み取れます。
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たった15年の経過でこんな錆び方をするだろうか?
というよりこのベンチ、いちど燃やされたようにも見える。
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穏やかなはずの昼間の公園に、この違和感。
日常の違和感を紐解いていくと、その先には何があるのか?
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なるべく簡潔に御説明していきますが理解がスムーズになるようにこうして、つい先日、私が実際に撮影した写真を挟みながらお話を進めましょう。
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今年の春のこと、長らく連絡を取っていない友人Kから画像付きのメールが届いた。
添付ファイルを開くと、おそらく民家の外構を、道路から撮っている写真。
そのまま載せると場所がバレてしまうので、少し加工して掲載します。
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ブロック塀に設置されているのは、下部が欠損している街区表示板。
ここにも、違和感。
この画像では少しわかりにくいかもしれないけれど、画面中央、その土地の住所を示す、あの縦に細い標識が何かの理由で破壊されています。
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メールの文面にはこうある。
『とつぜんごめん、ひさしぶり。ちょっと久々に酔っ払ってるからなんとなくメールです。
肩コリが最後にこっち来たのいつだっけ?
また一緒に呑みたかったんだけど、っていうかちょっと代わってほしいことがあってさ。
それ送るから受け取って』
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数年前、仕事の関係で沖縄に通っていた頃に知り合った同年代の男性で、当時はよく夜もすがら一緒に酔っ払っていたのを思い出す。実家にも何度もお邪魔した。
けれど、私が東京に戻ってからはだんだん連絡も疎遠になっていた。
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”それ”とは何だろう? ”代わって”とは?
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すぐにまた新しく友人Kからのメールが来た。
『ごめん、忘れてください。わるかった。
友達に頼むようなことじゃなかった。安心してね』
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なんだか釈然としなかったけれど、かなり酔ってるのかなと思って、とくに返信もせずに放っておくことにしました。
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数日後、また友人Kのアドレスからのメール。
連絡先リストから最近交流があった人達に向けて、彼の父親が送っているものでした。
『生前は息子が御世話になりました』というシンプルな内容のもので、つまりは訃報。
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日程を組めないまま季節は移り、 彼の実家へ御挨拶に伺うことができたのは7月に入ってからのこと。
自身の休暇の意味合いも含めて、沖縄での自由時間を3日間ほど設けていました。
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菓子折りを片手に、わりとのんびりした気分で目的地へ向かう。
公園を横切った際、冒頭のブランコと、あのベンチを見つけたのでした。
最初は小さな、違和感。
どのような意味がその光景にあるのか知るのは後々のこと。
普段から興味を惹くものはすぐ撮影しているので、ここでもなんとなく何枚か公園内を撮っておいたのでした。
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事前に連絡していた時刻にも間に合い、御両親にお悔やみを述べ、友人Kの実家の仏間で線香をあげる。
御両親に、別れ際まで問えなかったことがひとつあります。
死因。
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友人Kのあのメールには、ただ酔っ払っていたからというだけでは説明しづらい”違和感”がありました。
メールの文面には、『また一緒に呑みたかった』とあった。『呑みたいな』のような望みではなく、まるでもうそれが不可能であるかのような、断念しているかのような。
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とはいえ若い息子に先立たれたおふたりへ、やはりあれこれ尋ねるのはまだ早すぎる気がしました。
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長居せずに玄関を出て、友人Kの実家の外構沿いを歩きだすと、彼のメールに添付されていた写真と同じ景色にでくわした。
そうか、ここだったのか。
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違和感はあった。けれど、御両親がまだ玄関先でお辞儀をしていたので撮影は控えました。
あのブロック塀に設置されていた、下部の欠損した街区表示板。今はそこにもう”それ”は無く、新品の街区表示板が取り付けられていました。
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彼が私の元へ実際に送ろうとしていたのはあの欠損した街区表示板であるように感じました。
他に”それ”らしきものは見当たらない。
けれど”それ”は、きっと付け替えの際に撤去されてしまったのだろう。
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友人Kの死にはあの欠損した街区表示板が関係しているのかもしれない。
けれど追求していくにはまだ、考える材料があまりに不足していました。
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彼の育った町を散策してみよう、と決めて、たくさんの写真を撮りました。
今はとにかく、違和感を集めなければならない。
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落書きでひどく汚れた幼稚園の看板。
その幼稚園の駐車所には通園バスが停まっていて、ちょうど昇降口の足元にプラカード。
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『弾薬庫 建設反対』
沖縄では至るところで見られる基地反対のメッセージだ。
けれど、なぜこんなところに落ちているのだろう?
どうしてこんなものを、園児の目に触れる場所に放置しているのだろう?
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あのメールを書いていた時、友人Kはいったい何を感じ、考えていたのか。
何を伝えようとしていたのか。
ひとりのともだちとして私は、それを知りたくなりました。
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まずは、あの公園の違和感のひとつ。
焼かれたようなあのベンチについてとりあえず調べてみたい。
『◯◯バス停前ベンチ
平成21年 ◯◯青年団寄贈』
Googleマップを頼りに◯◯バス停へ辿り着くと、そこには真新しいベンチが置かれている。あのベンチと形状の違う、横に長いものだ。
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その場でGoogleマップからさらにバス停を拡大すると、2020年に記録されたストリートビューが残されていました。
権利上ここには載せられませんが、4年前には確かに、あの公園のベンチと同じ形状のものが置かれていたようです。特に錆びてもおらず、綺麗な状態であることが確認できます。
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ここ4年以内にあのベンチに何かが起きて、それが公園の隅に放置されるに至った。
けれどそこから先は、どう検索しても◯◯バス停について何かを知ることはできませんでした。
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町の真ん中に、小さな図書館を見つけました。
半分は公民館のようなものに見えましたが、地方新聞のストックされている棚を発見。大量の記事を拾い読みしていくと、あのベンチに何が起きたのかが判明しました。
というより、あのバス停で何が起きたのか。
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2022年4月20日未明、◯◯バス停にて、殺害された男性の焼死体が発見された。
犯人は、刺殺ののちに被害者をベンチに横たわらせ、ガソリンを掛けて火を付けた。
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そこで焼かれたのは、前日から行方不明になっていた10歳の少年。
犯人は不明。
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この小さな町で、ほんの2年前にそんな怖ろしいことが起きていた。
強い違和感がある。
少年が殺害された上に遺体を乱暴に燃やされ、犯人は不明というこの事件が、どうして全国的に報じられないのか?
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あのベンチを撤去するのは当然だけれど、きちんとしたルートで処理するのでもなく公園の端に投棄して、もう誰も近寄りたくないのかそのままにしている。
まるで無かったことにしたいみたいに。
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新聞記事には、被害者の少年の名前も載っていた。
本名さえわかれば、SNSの検索次第ではどのあたりに住んでいるかくらいはわかる(時間をかければあなにもできます)。
夕方には少年の住んでいたであろう一軒家を突き止めて、その家の玄関前に辿り着きました。
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灯りは点いていない。
おそらくもう、誰も住んでいないのでしょう。
まさか無断で敷地内へ入り込むわけにもいきません。
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家の周囲を歩いていると、外壁に、街区表示板。
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……手掛かりがありました。
設置されていたのは、下部が欠損した街区表示板。
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友人Kが最期に伝えようとしたもの。
過去の少年の惨殺事件。
判明した共通点がひとつ。
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”欠損した街区表示板”。
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まだ少し長引きそうです。
今回はここまで。
作者肩コリ酷太郎
画像はすべて肩コリが実際に現地で記録したものです。
あまり長くは続けません。
どうぞ御一読ください。