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中編5
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沈む村

静かな山あいにひっそりと佇む村。

霧深い早朝、空を隠すほどに重くたれこめた雲が村を包み込む中、村外れの古い民家に日高俊一は立っていた。

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都会の喧騒を離れ、心の安らぎを求めてここを訪れたが、その期待とは裏腹に村の空気にはどこか息が詰まるような、冷えた重苦しさが漂っていた。

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民家は年代不明の古びた佇まいで、窓もひとつとして開かれていない。

村のどこを歩いても、その全てが時間に取り残されたかのようで、まるで動きが感じられない。

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まわりには、人の気配さえ失われたように静寂が支配しているが、風が吹き抜けるたび、どこからともなく低く唸るような音が聞こえる。

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俊一の頭をよぎるのは、旅館の主人が村の入り口で口にした不穏な言葉だった。

「…この村には何かが宿っている。過去に触れてはならぬものが…」。

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ただの噂話に過ぎないと笑い飛ばしたはずなのに、静まり返る村の中でその言葉が頭にこびりついて離れない。

まるでその「何か」が彼の周りを這いずり回っているかのように、背筋が冷たくなる。

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民家の奥から、かすかな音が聞こえた。ごく微かにだが、確かに人の声のように聞こえる。

誰かがこの家にいるのだろうか…。

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俊一が耳を澄ますと、その声は途切れ、再び沈黙が支配する。

しかし、次の瞬間、奥の部屋からドアがゆっくりと開く音が響いた。

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俊一は暗闇の奥に目を凝らしたが、黒い闇の塊が飲み込むように彼の視線を跳ね返してくる。

手探りで壁に触れ、冷たい木の感触を感じながら足を進めた。

足元がきしむ音が響き渡るたび、薄暗い廊下の隅々からこちらを見つめるような視線の感覚に襲われた。

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やがて、奥の部屋へと続く襖の前で俊一の足は止まった。

震える指先で襖に触れると、何かしら重く冷たい力が襖の向こう側から押し返してくるかのように感じられる。

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その時、低く、かすれた声が微かに響き始める。

「……ヤッ…カ…テ……タ……」

耳元で囁くかのように聞こえたその声に、俊一の心臓は激しく打ち始めた。

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後ずさりしようとしたが、何かに引き寄せられるかのように、むしろ足は襖を開ける方向に動き出してしまう。

自分でも止められない奇妙な力に駆られ、襖を一気に引いた。

その向こうには薄暗い和室が広がっていた。

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古びた畳と、埃まみれの掛け軸。部屋の中央には、ぼろぼろに崩れかけた小さな人形が一体、無造作に置かれていた。

人形の顔は醜く歪んでおり、両目には黒い穴だけがぽっかりと空いている。だが、その空洞から何かがこちらをじっと見つめているような気がした。

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その瞬間、部屋の空気が異様に冷たくなり、背後の襖が「ピシャリ」と音を立てて閉まった。

俊一は驚いて振り返ったが、そこにはもう出口が見当たらない。

壁一面が闇に飲み込まれ、もはやここから出られないかのような閉塞感が彼を包み込んでいた。

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人形の方から、再びかすれた声が漏れる。

「…ヤット…カエッテ…キ…タ…」

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心臓の音が耳を覆い、俊一の手のひらには冷たい汗が滲み出す。

逃げ出したい衝動に駆られながらも、彼はどこかで感じていた。

「ここに来たのは偶然ではない」

自分の過去、あるいは見えない何かに導かれるようにして、この場所に足を踏み入れてしまったのだ、と。

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もう一度人形を見ると、その目の空洞の奥からじっとりとした黒い液体が垂れていた。

それが床に染み込み、黒い影のように広がっていく。

俊一は後ずさりしようとしたが、足が床に張り付いたかのように動かない。

影はじわじわと彼の方へ伸び、足元を包み込もうとする。

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その時、俊一の耳にまた囁き声が響いた。

「オマエモ……ココ…ニ……」

逃げられない。

俊一はその瞬間、ここがただの古びた民家ではなく、誰かの怨念や執念が残る「帰れない場所」であることを悟った。

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俊一は必死に体を振りほどこうとするが、影はまるで生きているかのように絡みつき、彼の足を押さえつけて離さない。

その冷たさは骨の芯まで染みわたり、じわじわと意識を曇らせていく。

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そのとき、不意に部屋の片隅で何かがかすかに揺れるのが目に入った。

ふらつく視界の中、俊一はその方向を凝視した。

そこには、薄汚れた布で包まれた小さな何かが、わずかに震えているのが見える。

まるで「それ」が彼の気配に気づき、動き出そうとしているようだった。

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俊一の頭には、幼い頃の記憶がふと蘇る。

誰にも話したことのない、隠し続けてきたある出来事。

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子供の頃、彼は村の奥、立ち入り禁止区域にある古い井戸に石を投げ込み、ある「祟り」を呼び込んでしまったことがある。

その後、祖父母から厳しく戒められ、村を離れて二度と戻らないように言われた。

なぜ今の今まで忘れていたのか。

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布で包まれたそれが、まるで彼の罪を裁くかのように、ゆっくりとほどけ始めた。

そこから現れたのは、呪われた井戸の底から現れたかのような、見覚えのある、しかし酷く歪んだ顔だった。

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その顔には、痛みと怒りが渦巻き、じっと彼を見つめている。

眼の奥に沈んだ暗い光が、俊一の罪を責め立てているようだった。

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彼の足を押さえ込んでいた影は、じわりと彼の全身を包み込み、冷たい闇が体に染み込んでいく感覚が広がる。

視界は次第に薄暗くなり、耳元には、途切れ途切れの囁き声が響き始める。

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「オマ…エ…ガ……ヨンダ…ンダ……」

その言葉に俊一の心は恐怖と絶望でいっぱいになるが、もう逃れる術はなかった。

彼の意識が闇に溶け込む寸前、最後に見たのは、暗い部屋の隅で不気味に微笑む、あの呪われた顔だった。

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闇が完全に俊一を包み込んだとき、村の空には再び静寂が訪れた。

村外れの古い民家も、何事もなかったかのようにひっそりと佇み続け、誰も俊一がそこにいた痕跡を知ることはなかった。

村に深く根付いた「何か」だけが、彼の存在を密かに飲み込んでしまった。

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翌朝、霧が村を覆う中、村の誰もがその静けさに違和感を覚えず、いつも通りの一日を始めていた。

村外れの古い民家の軒先には、何かが新たに佇んでいるのを気づく者はいなかった。

そこには、一体の古びた人形が置かれていた。

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無残に崩れた姿で、ぽっかりと黒い穴が開いたその目が、冷たい朝の光を吸い込み、ぼんやりと村の方を見つめている。

その人形の足元には、血にじんだような紙片が落ちていた。

紙には達筆で「祟られし者、帰る場所なし」とだけ記されている。

誰が書いたのか、それとも、何が書かせたのか…。

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その民家を見つめると、どこかで微かに何かが囁くような声が聞こえる気がする。

低く掠れたその声は、まるで遠くから絶え間なくこちらを呼んでいるかのようだ。

「カエラナイデ…」「ココニイル…」

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村に新たな朝が訪れても、村の静寂は破られることなく続いていく。

ただ一つ、霧の中で聞こえる微かな囁き声だけが、朝の空気に混じる。

次の「招かれし者」を待ちながら。

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