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長編8
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豚になった女房

朝、目が醒めたら隣で寝ていた女房が豚になっていた。

ピンクが滲んだ白いブタ。ヨークシャテリアというのだろうか。ミニブタよりもひと回り大きい。

体長は八十センチ程であり、もともと身長が百五十ちょっとの女房のサイズそのままで、手足が極端に短くなった大きさだ。

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女房の麻梨香と出会ったのは、五年前。

会社の同僚の紹介だった。

普段からぽっちゃり目の可愛い子が好みだと公言していた俺に、それならぴったりの子がいると引き合わせてくれたのだ。

話を聞くとその同僚の彼女の古くからの友人だと言う。

大人しい性格でずっと彼氏ができないままでいる麻梨香を何とかしようと相手を探しているところで、俺に白羽の矢が立ったということらしい。

でもはっきり言って見た目は俺の好みだった。

小柄でややぽっちゃり、可愛い顔立ちはほぼストライクゾーンど真ん中。

何故この子に彼氏ができないのか理解に苦しむほどであり、正直俺は同僚に騙されているのではないかと思ったほどだ。

数回会ってすぐに交際を申し込むと一発でOK、俺は有頂天になった。

そして二年程の交際期間を経てプロポーズし、その後約一年の婚約期間を経て正式に結婚した。

しかしこの結婚する迄の三年間で俺は気付くべきだったのかもしれない。

麻梨香の本当の姿に。

いや別に交際期間に見せていた姿が偽りだったわけではない。彼女が男だったとか、妖怪だったと言う訳でもない。

とにかく無精なのだ。そして家事は何もできない、やろうとしない。

昼間はちゃんと会社員として仕事をしているようなのだが、帰ってくると何もしない。

交際期間中、俺の住むアパートへは何度も遊びに来たが、それ以外は必ず外でデート。

ひとりで暮らしているはずである彼女のアパートへは一度も招いてくれなかった。

おそらくゴミ屋敷かそれに近い状態だったのだろう。

そして婚約時に彼女の実家へ挨拶に行った時、彼女の両親は不安そうな目をして、何度も俺に本当に娘を貰ってくれるのか、大丈夫かと聞いていたっけ。

何故そんなことを聞くのか、きちんと確認しておくべきだったのかもしれない。

でも彼女にとって、そして俺にとって幸いだったのは、俺が極端に諦めの良い性格をしているということ。

結婚してすぐに彼女が何もしないことに気づいたが、腹が立ったのも束の間ですぐに諦めがついた。

高校を出て独り暮らしを始めてからずっと、基本的に家事は全部自分でやってきた。

麻梨香という同居人が増えたことによりそれ自体は幾分増えたものの、やることは変わらないと思うようにした。

家事をまったくやらない男性と結婚した女性は世の中に山ほどいるだろう。それと同じだ。

何もせずにテレビの前でごろごろしている姿を見ていると彼女がぽっちゃりしている理由が何となくわかる。

でもそのぽっちゃりが良くて結婚したんじゃないか、そう諦めるしかないのだ。

その体型、顔立ち、仕草、会話、そこまではほぼストライクなのだ。

それでも仕事で酷く疲れている時などは、どうしても文句を言いたくなる時もある。

「そんなに食べてごろごろして寝るだけの生活をしていると豚になっちゃうよ。」

それでも麻梨香は、へへへっと笑うだけなのだ。

そんな麻梨香が、まさか本当に豚になるなんて思ってもみなかった。

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**********

その日の朝、俺はいつものように麻梨香の横で目が醒めた。

こんな生活だが仲が悪いわけではなく、いつも同じベッドで寝ている。

しかし寝ぼけた頭のまま、手を伸ばして触れた麻梨香の感触がおかしい。

何だと思い、布団をめくるとそこに寝ていたのは白い豚だった。

「うわっ!何だ?」

突然現れた豚は、暴れるわけでもなくゆっくり頭を持ち上げて俺を見ると再び枕に頭を乗せて二度寝の体勢に入った。

(な、何でここに豚がいるんだ?麻梨香は?麻梨香はどこへ行った?)

ベッドルームを見渡しても麻梨香の姿はない。

「麻梨香?何処にいる?麻梨香?」

慌ててベッドから飛び降りて家中を探したが、麻梨香の姿は何処にもないのだ。

何が起こっているのか理解できず、再びベッドルームへ戻ると先程の豚はベッドから降りて、部屋の隅にある姿見の前に四つ足で立っていた。

自分の姿をじっと見ている。

豚は鏡から視線を外すと、ゆっくりと俺の方を向いた。

ぶひ

よく見ると、豚は目にいっぱい涙を浮かべているではないか。

そしてよたよたと俺の傍まで歩いてくると、立ったまま見ていた俺の膝に顔を摺り寄せてきた。

(何なんだ、この豚は…随分人懐こい豚だな。)

麻梨香のことが気になりながらも俺はしゃがんで豚の頭に手を置いて撫でた。

ぶひ

また小さく豚が鳴いた。

丸いその顔がどことなく麻梨香に似ているなと思った時に、ある考えが頭を過った。

(いや、まさか、そんなことがあるわけがない。)

しかし、突然いなくなった麻梨香、そして麻梨香がいたはずのベッドで寝ていたこの豚。

ベッドを見ると、麻梨香が着ていたパジャマや下着がくしゃくしゃに丸まって置いてある。

「まさか、お前、麻梨香か?」

ぶひ

いや、そんな馬鹿な。

俺はどう理解してよいのか分からず、思わず豚から一歩離れた。

するとその豚は悲しそうな目で俺を見上げ、またよたよたと鏡の前に移動した。

ぶひ~ん

再び鏡を覗き込んだ豚は、耳を覆いたくなるような悲しい声を上げてその場に伏せてしまった。

ぶひ~~ん

鳴き続けている豚を見ていると、この豚はやはり麻梨香ではないかという思いが強くなってくる。

「麻梨香?」

思わず呼び掛けると、伏せて鳴いていた豚が顔を上げてこちらを見た。

間違いない。これは、この豚は麻梨香なのだ。

いったい彼女に何が起こったのだろう。

「こっちへおいで、麻梨香」

豚は黙って俺の後をついてきた。

そのままリビングへ行きソファに座ると、豚も短い足で苦労しながらソファへと上がり、俺の横にお座りをして俺を見た。

お座りをする豚というのは初めて見たような気がするが、なかなか可愛い。

「なあ、麻梨香、何か夕べ変な物を食べたか?」

麻梨香は首を傾げた。確かに夕べは俺と同じものしか食べていない。

「何か、いつもと違う事をした?」

夕べもいつもと同じで麻梨香は何もせず、スマホを弄ったり、テレビを見たり、ごろごろしていただけだ。

「何か変な夢でも見た?」

すると突然顔を上げて大きく目を見開いた。

ぶっ、ぶひっ、ぶ~っ、ぶひ、ぶひ、ぶ~

何を言っているのかまったく解らないが、どうやら何かおかしな夢を見たようだ。

その夢のせいで豚になってしまったというのか?

いったいどんな夢なんだ。

しかしそんな事より、麻梨香を元に戻す方法があるのだろうか。

もちろん医者に見せても無駄だろう。

お寺か神社なら何とかなるのか。

しかし突然こんな姿に変わったのだから、また突然元に戻るかもしれない。

しばらく様子を見ることにしよう。

ぶひ

「あ、そうか。朝ご飯だな。ちょっと待ってて。」

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***********

こうして豚になってしまった麻梨香との生活が始まった。

でも、麻梨香が豚になったからと言って生活はあまり変わらない。

人間の言葉は喋れないが、俺の話すことは普通に理解してくれるし、そもそも普段から何もしていなかったのだから。

変わったところといえば、まずトイレ。

麻梨香は自分で洋式便所を使うことが出来ない。

トイレで用が足せずにう〇こまみれになって鳴いていた麻梨香を見て、慌ててペットショップへ行って犬用のトイレトレーを買って来てそれで用が足せるようにしたが、そのトレーの後始末が増えた。

そして風呂。

毎日一緒に風呂に入り、豚毛のブラシで体を洗ってやる。

人間だった頃の麻梨香はひとりで入っていたし、意外に長風呂だった。

でもその位なのだ。

はっきり言って洗濯は自分の分だけになってかなり楽になったし、食事の量も変わらない。

調べるとミニブタなどの専用ペットフードがあるようだが、それはあまりに可愛そうであり、口で直接食べられるよう食器を替えただけでこれまで通り、俺と同じ食事を食べている。

そして夜は大人しく同じベッドで寝ているのだ。

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***********

そんな生活が一週間を過ぎたが、麻梨香が元に戻る様子は全くない。

そこで俺は諦めて、麻梨香が行方不明になったということで警察にも届け、麻梨香の会社へも休職扱いの依頼をした。

警察の聴取も思ったより簡単で、朝目が醒めたらいなくなっていたということで押し通すと、それ以上あまり深く追及されることもなかった。

幸い結婚して転居したマンションがペット可ということもあって、強引に周囲から麻梨香を隠さなくとも済んだ。

もちろんわざわざ表に出すようなことはしないが、天気の良い週末は、家に籠る麻梨香の気分転換にとドライブなどには出かけた。

近所の人達から見れば、女房に逃げられてペットとして豚を飼っている変わり者という風に見られているに違いない。

まあ、当たらずとも遠からずといったところだが。

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*************

そして一年が過ぎたが、やはり麻梨香が元に戻ることはない。

相変わらず、時折悲しい目で俺の事をじっと見ている時もあるが、でも可愛いのだ。

ペット。

そんな風に考えたくはないが、犬や猫を可愛がって飼っている人達とやっていることは全く変わらない。

いつか元に戻る日が来るのだろうか。

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**************

そして気がつくと七年の月日が経っていた。

最近、麻梨香の食欲がめっきり落ちてきたし、動きも鈍くなってきた。

調べてみると、豚の寿命は十年から十五年。

いや、麻梨香はそもそも人間なんだからそんなことはないと思いながらも、やはりその体は豚なのだ。

豚になった時、麻梨香は二十八歳だった。

換算すると四歳ぐらいだろうか。

それから七年ということは、もう十一歳ということになる。

人間に換算すると、もう六十か七十のお婆さんなのだ。

俺はまだ三十七なのに、ひとりで勝手に歳を取りやがって。

人間だったら人間らしくもっと長生きしろよ。

しかし麻梨香は目に見えて弱ってゆき、そしてとうとう豚のまま、俺の腕の中で息を引き取ってしまった。

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ペット用の火葬場で焼いてもらった麻梨香の骨が可愛い骨壺に入って目の前に置かれている。

もちろん埋葬許可証などないから、ちゃんとしたお墓に納骨も出来ない。

麻梨香との結婚って一体何だったんだろう。

考えてみれば、結婚当初から家のことは何もせず一緒に住んでいるだけの麻梨香はペットのようなものではなかったか。

無精で何もしない麻梨香を許容してしまった俺がいけなかったのだろうか。

でも、寿命が短くなったことを除けば、彼女の望むような生活を送っていたんじゃないのか。

彼女は幸せだった。

そう思いたい。

でも俺のこの十年間はいったい何だったのだろう。

目の前の骨壺を見ていて、ふとある単語が頭を過った。

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『豚骨』

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気晴らしにラーメンでも食いに行くか。

◇◇◇ FIN

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