祖母の話をしよう。
祖母は昔から躾に厳しい人だった。両親と私は祖母と同居していた。祖母は共働きしていた両親の代わりに、まだ幼い私の身の回りの世話をしてくれたのだ。
祖母は礼儀作法に厳しい人だった。目上の人間には敬語を使いなさいと口喧しく言われていたし、脱いだ靴を揃えたりしないままだと頬をひっぱたかれた。まだ子どもだった私は、祖母に叩かれたことがショックで大泣きした。祖母はそんな私の手を引き、玄関に連れて行った。
「靴を揃えないとは何事だ。死人はもう靴を履けないのだよ。こんな風に脱ぎ捨てたままにしておくと、死人が来て靴を履いてしまう。だから靴はきちんと揃えなきゃあ」
泣いている私の頭を撫でながら、祖母はそんなことを言った。癇癪持ちな祖母はカッとなるとすぐ手が出るのだけれど。泣かせるのは悪いと思ったのか、普段より優しくなる。典型的な飴と鞭である。
だが、子どもというのは悲しいかな一度した過ちは繰り返してしまうものだ。
ある日、私は近所の子と遊ぶ約束をしていた。一旦家に戻り、ランドセルを自室に置いて、また慌てて玄関へと舞い戻った。
その瞬間、私は凍りついた。玄関には大勢の人間が立っていたからだ。老人もいれば若人も、それに私と同年代くらいの子どももいた。まさに老若男女というわけだ。
肩を並べ、俯き加減で立ち尽くす人々。どの人も顔色が土気色で、蜃気楼のようにぼんやりとしている。彼らは無言で指を差していた。ひっくり返しになったままの私のスニーカーを。
普段の行いに対しても、祖母は口煩かった。特に戸や障子戸を開けっ放しでいると、次の瞬間には手が飛んできた。
「戸は何でもきちんと閉めなさい。隙間を作ったらいけないよ。隙間を作ることは心に隙を作ることだ。怠慢だ。死人はそんな隙に付け入るのだよ。隙間を作ると死人が覗くんだ。あちらの世界からこちらを覗きにくる。隙間を作るな。心に隙を生むな……」
祖母は口癖のようにそんなことを言っていた。私は身震いしながら祖母の話を聞いていたものだ。祖母から聞く話は全て教訓めいていて、そしてとても信憑性が高いように思われた。
私は戸をきちんと閉めるように心掛けた。おざなりな父や母が戸を開けっ放しにしていれば、走っていって必ず閉めるようにしたものだ。
……怖かったから。
どんなに小さな隙間も作ったらいけない。隙間を作ったら死人に覗かれる。それが怖くて、神経質なくらい戸の開閉には気を使ったものだ。脅迫観念に近いものがあった。それくらい徹底していたのだ。
ある日のこと。自室で勉強していた私は、ふと隙間風のようなものを感じて振り返った。見れば押し入れが僅かに開いている。私は飛び上がって驚き、慌てて閉めた。
やれやれ、布団を仕舞う際にでも閉め忘れていたのかな。今度は気をつけようと思い、また学習机に向かう。すると一分しないうちに、生暖かい隙間風が背中を撫でた。
びくりと体を震わせ、振り返る。また押し入れが開いていた。僅か五センチほどの隙間が出来ている。今さっきぴったりと閉め切ったはずなのに。
たてつけが悪いのだろうか。今度、母に言って直して貰わなくては。そんなことを考えながら、また押し入れを閉める。たてつけのせいにしながらも、何故か押し入れを開ける気にはなれなかった。
学習机に戻り、鉛筆を走らせる。だが、どうにも後ろが気になって仕方ない。こうしている間にも、白い着物姿の女の人が血走った目で隙間からジッとこちらを覗き込んでいるのではないかと思うと……気が気じゃない。
と。ころりと消しゴムが机から落ち、足元に転がった。それを拾おうと椅子から降りて手を伸ばしーーー硬直する。
先ほどとは比べ物にならないくらいの生暖かい風が、強風の如く全身を撫で回したからだ。うなじの辺りがぞくりとし、暑くもないのに汗が出た。
……そろそろと振り向く。押し入れは全開になっていた。
◎◎◎
大学を出た私は、長らく中学校の保健医として勤めていた。父が亡くなり、会えば結婚はまだかとせっついてくる母がいるため、実家にはとんと足を運ばなくなっていた。
祖母とはゆっくり話をしたかったのだけれど。実家に電話を入れれば十中八九母が取るし、祖母は携帯電話を持っていない。まあ、それは母もなのだが。
母は私が三十九にもなって結婚しないことが不安の種だったようだ。私だって結婚願望がないしたわけではなかったのだけれど……付き合っている彼から結婚の申し込みがなかったため、半同棲の生活が二十年近く続いていたのだ。
彼と私は幼なじみであり、幼少の頃から互いを知り尽くした仲だ。小学校、中学校は一緒で高校と大学はそれぞれ違うけれど。ちょうど大学受験の際に二人して村を出たものだから、金がない者同士ルームシェアをしようと私が言い出したのだ。
「家賃は半分ずつ払えばいい。いいじゃない、私達は家を出たばかりでお金ないんだし」
彼は最初はその申し出に対して首を縦に振らなかった。女性と一つ屋根の下で暮らすなんて悪いとか、そんなことを話していた気がするけれど……私は寧ろ彼と一緒にいたかったから。
お金の面で助かることも否定しない。だけれども、私は彼が好きだったから。付き合うためのキッカケが欲しかった。やや強引だけれども。
……若い男女が一つ屋根の下で共に生活していれば、よほどのことがない限り、一線を越えないことはないだろう。それでも彼と結ばれたのは、同棲から二年ほど経った後だったけれど。
やはり幼なじみというものはいい。昔から知り尽くした相手というのは安心出来る。彼は少しひねくれ者で、私は頑固者だから、時々喧嘩もしたけれど……大喧嘩に発展するではなく、彼から謝られて終わりだ。彼はひねくれ者だが、基本的に争い事を好まない穏やかな人だった。
ぬるま湯に浸かるような居心地良さがかえっていけなかったのだろうか。同棲に慣れ、無事に就職先も決まり、生活が安定してくると、私達はその適温に慣れてしまうのだ。
慣れてーーー慣れ過ぎて。しまいにはふやけてしまう。
つまり、結婚だ。
ほとんど結婚しているような生活だったが……たかが書類一枚とはいえ、婚姻届に判をついてないのだから、私達はまだ他人同士。正式な夫婦ではないのだ。
同棲生活を始める時は私から言い出したが、ならばプロポーズも私からというわけにはいくまい。一応、私だって女なのだし、結婚を申し込む立場よりも申し込まれる立場に憧れるのだなら。
だがーーー彼はなかなかプロポーズしてくれなかった。彼にも彼なりの道徳観や考えがあってのことだと我慢していたが、女としての立場からにも限界がある。二十代も後半になってくると、同級生が結婚したとの通知を何枚も貰うから余計にだ。
一度、彼を問い詰めたことがある。私のことをどう思っているの、結婚する気はあるの、と。思い返せば、つくづくプライドのない考えなしなやり方だったけれど……まだ若くて活力のあった私には、こうして相手を問い詰めることが最善の策だと思ったのだ。
彼は私の勢いに蹴落とされそうになりながらもーーー寂しそうに笑った。それが返事だった。
それから私達の間では、結婚の話はピタリと止まった。妊娠して認知させてやろうかとか、いっそのこと別れようとも思った。何度も何度も。
でも、結局別れずに至っている。結婚に挑み切れない彼も彼だが、彼を捨て切れない私も莫迦なのだ。互いに臆病な私達は、ぬるま湯みたいな関係をズルズルと続けるしかなかった。
彼が異変を言い出したのは、つい二ヶ月ほど前である。夕食の支度をしていたら、彼が急に立ち上がり、「あ」と言ったきり黙った。虫でもいたのかと思い、振り返る。目が合うと、彼は崩れるように失神した。
最初は病気か何かだと思い、慌てた。しかし、そこは仮にも保健医。脈拍や呼吸を確かめてみたが、安定していた。
疲れて貧血を起こしたのかもしれない。だが、心配性な私は救急車を呼んだ。病院に運ばれた彼は間もなく目を覚ましたのだけれど……やはり様子が変だった。
付き添いとしてずっと傍にいた私の顔を見ると、ギョッとしたように目を見開く。医師や看護士が様子を見に来ても同じような反応をした。まるで得体の知れない化け物と遭遇したかのように。
幸い体調には何の問題もなく、翌日には退院出来たのだが……隣にいる私と目を合わせようとせず、どころかよそよそしい態度を取られたのには頭にきた。彼を問い詰め、何かあったのかと責めると、しばらくの沈黙ののちにこう言った。
「……孔が見えるんだよ」
顔の輪郭いっぱいに広がる黒々とした孔が見えるのだそうだ。
信じ難い話ではあったのだけれど。彼の恐怖は凄まじく、私の顔すら見たくないようだった。精神科と名の付く病院を片っ端から巡り、薬を処方されたらしいが、効果は今一つであるらしかった。
彼もまた教員であり、私と同じ中学校に勤めていた。三年生のクラスを受け持ち、学年主任を勤めていたのだけれど……「受け持ちの生徒ですら名前が呼べない。顔の区別が出来ない」と日頃から嘆いていた。
精神的に参っている彼を見ていられず、私は思わぬ行動を起こした。何年かぶりに実家に帰ったのである。村で祓い屋をしていた祖母に会って話を聞けば、解決の糸口が見つかるかもしれないと考えたからだ。
実家へと帰ると、母は留守で祖母が迎えてくれた。久し振りに見た祖母は、年のためか顔色が悪く、痩せてしまっていた。こう言っては悪いが、骸骨のようだった。
二人で卓袱台を挟み、お茶を啜る。昔話に花を咲かせた後、いよいよ本題を切り出した。
幼なじみの彼と付き合っていること。最近になって彼が「人の顔に孔が空いている」と妙なことを言い出したこと。精神科に通っているが、良くならないことを洗いざらい話して聞かせた。
祖母は骨ばった両の手で湯飲みを包んで黙って聞いていたが……ポツリポツリと話し始めた。
◎◎◎
……私は祓い屋なんてご大層な呼び名で呼ばれているけれどね。本当は祓う力などないのだよ。
怪異を祓うことなど誰にも出来やしない。だって怪異とは世界に繋がるモノなのだから。なるようにして起きた現象に過ぎないんだよ。
人間からしたら不気味なことこの上ないことだけれど……世界を相手に刃向かえるわけないだろう?そんな世界にはびこって、好き勝手しているのが人間なのだから。
私に出来ることは祓うことじゃあない。”お願い”をすることだよ。下手に出てこうべを下げてお願いをする。どうか私達の暮らしを脅かさないで下さいーーーとね。
お願いしたからといって聞き入れて貰えるものでもない。時に交渉は決裂し、何度か命からがらの目にあったこともある。だがね、それでも私達はお願いするしかないのだよ。怪異相手に、世界を相手に、どうかどうかと手を摺り合わせることくらいしか出来ない。
いいかい、霧子。よく覚えておきなさい。
怪異は祓ってどうにかなるものではないのだよ……
◎◎◎
その日は実家に泊まった。朝起きてみると、母が朝食を用意してくれていた。だが、朝食は二人分しかない。母と、そして私の分。祖母の分がないのだ。
母に抗議したが、のらりくらりとはぐらかされるばかりだった。私は席を立ち、祖母を呼びにいった。
祖母の部屋に行くと、珍しく戸が微かに開いていた。小さい頃、私がきちんと戸を閉めないと目くじらを立てて怒った祖母にしてみればあり得ない話だ。祖母でもたまにずぼらなところがあるのだと思いつつ、「おばあちゃん」と呼んだ。だが、返事がない。
まだ寝ているのかと隙間からそっと部屋を覗く。祖母はいたーーー天井の梁で首を吊ってゆらゆらぶら下がっていた。自殺だった。
祖母の遺書によると、自殺には母が関連しているらしかった。父が死んで、祖母と母は二人きりで暮らしていたのだが、どうやら二人は折り合いが悪かったらしい。
遺書には祖母の母に対する恨み言でビッシリと埋め尽くされていた。その数、便箋八枚分である。孫娘に対する私への恨みつらみは書かれていなかった。というよりも、私に対する言葉は一切なかった。
◎◎◎
私は今、屋上にいる。彼が死に場所として選んだ屋上に立っている。
私の隣には、不幸にも彼の死に際を目撃してしまった哀れな生徒がへたり込んでいた。まだうら若き中学生、自殺なんて目の当たりにしたことなどなかったのだろう。がっくりと肩を落とし、俯いている。
だが、同情する気はない。可哀想だとは思わない。むしろその生徒が憎かった。憎たらしかった。
彼の自殺を止められなかったからではない。たかだか十代前半の子どもに、一介の大人の自殺を止められる筈もないのだから。それくらいは私にも分かる。
だから、そうじゃない。私が怒っているのは、そんな理由からじゃない。
彼の死に際に立ち会ったことが赦せないのだ。祖母が死んだ時もそうだったが……大切な人の死に際には、私が一番近くにいたかった。
一番近くで死を見届けたかった。死に様を見届けたかったのに。
生徒の後ろに、何者かが立ち尽くしている。顔中に汚ならしいハギレを纏った白衣姿の化け物が。私はこいつを知っている。遠い昔、祖母から聞いていたのだ。
『もしもし』
こいつに返事をしてはいけない。こいつに返事をすると、「成り代わって」しまうから。一言でも交わすと取り憑かれ、一生さまよい歩く哀れな木偶の坊と化すのだ。
『もしもし』
生徒はびくりと肩を震わせ、後ずさりした。だから私は言ったのだ。
「返事、してごらん」
……お前がいけないんだよ。
『もしもし』
作者まめのすけ。-2