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祖母の家に泊まる時の為、僕には自室として二階の屋根裏部屋が宛がわれている。今回は薄塩も一緒だ。
窓の外に見えるのはひたすらに山の景色。新緑の季節を迎え、山は濃淡それぞれの緑に染まっている。
友人の薄塩が、驚嘆の声を上げた。
「おぉー、山だー。」
さっきも同じようなこと言ってなかったか?
グロッキー状態で車から降りた時、確かそんな発言を聞いた気がする。
お前は其れしか言えないのか・・・と考え、瞬時に納得した。其れしか言えないのだ。何せ本当に山しかないのだから。
「にしても本当に田舎だな。いや、俺達の町も大概田舎だけどさ。」
薄塩が勝手に窓を開けた。初夏とは思えない冷たい風が部屋に吹き込んで来る。
「うわっ。」
思わず声を上げた。一緒に小雨も吹き込んで来たからだ。
「あれ。止んだと思ってたんだけど、まだ降ってたか。」
薄塩が少し驚いた様子で窓を閉める。
部屋がびしょ濡れという程ではないが、畳が少し湿った。
「すまんすまん。」
あはは、と笑いながら薄塩が荷物からタオルを取り出した。床を軽くなぞるように拭く。
「あっ。普段使ってないから汚れるぞ。」
「え?いや、綺麗だけど?」
ほら、と此方に差し出されるタオル。淡い青地の其れには埃一つ付いていなかった。
「本当だ。今回は薄塩も居るし、叔母さんが掃除してくれたのかな。」
「何時もは違うのか?」
「うん。何時もは自分で・・・・・・」
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コン
窓の方から微かな音が聞こえた。目を遣ると窓の外に黒くて細い何かが見えた。
「薄塩!後ろ!窓!!」
バッと薄塩が振り向き、窓を見る。
だが、窓の外に、あの黒くて細い何かの姿はもう無かった。一瞬で引っ込んでしまったからだ。
薄塩が此方を向き、少し困ったような顔で笑う。
「ごめん、俺には見えなかった。」
「・・・・・・うん。」
どうして僕だけに見えるのだろう。僕の前だけに現れるのだろう。一体あれは何なのか。木の枝にしては動きが明らかに可笑しかった。何より、今まで此の家であんなもの、見たことなかったのに。
胸の中に不安の影が差す。
慌てて窓に駆け寄り、屋根の方を見た。あの黒くて細い物は、確か上に向かって引っ込んでいた。ならば、何か居るなら、屋根の上だ。
顔を目一杯上げ、体をギリギリまで乗り出す。
・・・何も居ない。黒々とした瓦が見えるだけだ。
薄塩がサッとカーテンを閉め、問い掛ける。
「何を見たか、説明、出来るか。」
僕は戸惑いながらも、なんとか「はい。」という返事を絞り出した。
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初めて見たのは、薄塩がクロワッサンドーナツを食べている時。
二回目は、曾祖母の話が終わり薄塩が立ち上がって此方を見た時。
そして、三回目。僕の部屋に着き、薄塩が窓から背を向けた瞬間。
「どうして、僕しか見てないんだろうな。」
話を終えた僕がそう言うと、薄塩は少し考えた後に言った。
「それ、もしかして、お前だけしか見てないっつーより、俺に見られたら不味いってことなんじゃないか?」
成る程。そういう考え方も有りえる。然し・・・
「薄塩に見られたら不味い・・・・・・。って、なんでだ?」
そもそも、僕は今までに何度も此の家に来ているのだ。其れなのに、今までに一度だってあんなものを見たことはなかった。現に、今年の正月だって・・・。
思案する僕を見て、薄塩も首を捻る。
「いや、今まで来た時は見なかったんだろ?普段の帰省との一番の違いは、やっぱり俺が居るかどうかってところな気がしてさ。」
「薄塩が居るかどうか?」
おうむ返しをすると、小さく頷かれた。
「自意識過剰かも知れねーけど。言ったろ?監視されてる気がするって。」
「薄塩に見られたら駄目で、薄塩を監視している何か・・・・・・。」
「まあ、其れが何かは、俺もとんと検討が付かないんだけどな。」
薄塩に分からないのだ。僕にも分かる筈が無い。
けど、もし害を為すものなら・・・
「大丈夫だろ。」
見透かしたような一言に、思わず顔を上げた。
薄塩は呑気そうな顔で笑っていた。
「多分、害はない。そんなのが居たら家に入った時点で分かる筈だし。・・・お前も変な感じとかしなかったんだろ?」
ポン、と肩を叩かれた。
「そんな顔すんなよ。折角テスト終わったんだし、あんまごちゃごちゃ考えるのは止めとこう。大丈夫だから。な?」
「・・・うん。」
安心、ではないが、少しだけ落ち着いた。
僕が返事をしたのを確認すると、彼はもう一度ニッと笑う。
「姉貴も居ないんだし、そうそう厄介事には巻き込まれないって。」
「うん。」
そうだ。今日はのり姉が居ないのだ。
何時も面倒や騒動を起こす彼女は、今頃お家でお留守番である。居るのは人畜無害且つ地味な僕と薄塩だけ。そう考えると、益々安心だ。
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「おーい、そろそろご飯だから降りてきてー。」
叔母さんの声が下から聞こえた。
薄塩が先に階段に繋がるドアへと向かう。
「行こう。」
僕も軽く頷き、後に続いた。
カーテンを開いてチラリと見た窓の外には何も居なくて、一先ずホッとした。
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夕飯は此の家には珍しく肉や魚が多く並んだ。叔母さん達の気遣いだろう。
今年で確か小学二年生になる従姉妹は、思いもよらぬ御馳走に大層喜んでいた。久し振りに訪れた僕にも、初めて会う薄塩にも目もくれず、ひたすらに幸せそうな顔で唐揚げを頬張っている。
・・・まあ、唐揚げが有ろうと無かろうと、彼女は最初から僕に興味なんて無いのだが。
机に目を戻すと、何時の間にか大量のビールと日本酒の瓶が並べられている。此の場に居る人物で酒を飲むのは叔母さんと祖父だけだが、其れにしては随分と多い。
・・・・・・飲まされないよう、気を付けなくては。薄塩はきっとちゃんと断れないだろう。其処も考えて、勧められたら僕が毅然とした態度で断らなければ。
「二人とも、遠慮しないでどんどん食べてねー。」
僕が密かに決意をしていると、叔母さんがご飯茶碗に此れでもかと炊きたてのご飯をよそい、手渡して来た。
「頂きます。」
先に受け取った薄塩が手を合わせ、神妙な顔で箸を手に取る。
どうやらまた緊張しているらしい。
・・・・・・まあ、仕方無いか。
「頂きまーす。」
僕も箸を持ち、従姉妹が独占している唐揚げの皿に手を伸ばした。
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食事を始めて直ぐ、薄塩がハッとした後尋ねた。
「コンソメ、お前もしかして此処で料理習った?」
「分かるのか。」
少し驚いた。本当にその通りだったからだ。
叔母さんと祖母が二人してキャアと歓声を上げた。
「分かるもんなのねぇ!」「すごーい!」
叔母さんはお酒が入っているから反応がややオーバーになっているが、祖母は此れが素である。
其れほど反応されると思っていなかったのだろう。薄塩は口の中でゴニョゴニョと何か言いながら、たじろいだ。
祖母が嬉しそうに話す。
「○君は昔っから甘えッ子でねぇ。ミツに料理や洗濯を教えるでしょ?その時も『僕も僕も』なんて言いながら付いて来て、何時も一緒になって教わって、結局最後は嫌々やってたミツより上手になってるんだから。」
因みに、ミツ、というのは僕の従兄弟である満治の渾名である。ミツハルのミツ。
此の家に生まれた男子は皆、何故か幼い頃から家事を一通り仕込まれるのだ。
「甘えッ子ねぇ・・・。」
隣の薄塩がニヤリと笑って此方を見た。低いテーブルの下で組まれた足を、爪を立てて全力でつねり上げる。
声は辛うじて抑えたらしいが、薄塩の顔が分かりやすく歪んだ。
僕が何をしたのか分かったのだろう。取り成すように叔母が言う。
「本当、何時の間にこんなしっかりした子になったのかしらねー。うちの愛美も早くこうなってくんないかなー。」
愛美とは、今、当に唐揚げを頬張っている従姉妹の名前である。序でに言うならば、彼女は祖母達に家事を習わされていない。
強制的に家事を習うのは男子だけなのだ。
「愛美ちゃんも直ぐしっかりしますよ。僕なんて目じゃないぐらいに。女の子は成長が早いし、叔母さんの娘です。地頭からして違う。」
そう言うと、叔母さんは豪快に笑った。
「そんなおべっか使わなくてもいいよ。もう、本当に子供らしくないんだから。」
そして、持っていたコップの中のビールを一気に煽る。
「薄塩君はさ、○○君と仲良いんだよねぇ。」
どうやら、酔いが回って来たらしい。
絡み酒。今日は随分とペースが早い。
「何処で知り合ったの~?この子、あんまし人の多い所に行きたがらないでしょ?あ、学校?」
「いえ、公園で・・・」
哀れ薄塩。叔母さんは滅多に酔わないのだが、一度酔うとしつこい。暫く離してもらえないだろう。
・・・けれど、此れでもう彼女が僕を構うことは無くなった。
ホッと安堵の溜め息を吐く。
「美智子の酒癖も参ったものね。」
祖母が困ったように笑い、チラリと此方を見る。
「助け船、出してあげないの?」
黙って頭を振る。
あはははは、と華やかな笑いが斜め前から上がった。叔母さんだ。
薄塩も案外楽しそうにしていた。流石、鬼嫁ならぬ鬼姉であるのり姉と同居しているだけある。
あしらい方が堂に入っている。
じっと見ていた祖母はふふふと笑った。
「良いお友達じゃないの。」
何だか素直にそう思えたので、声に出さないにしても頷いて見せようと思った。
その時、背後から音が聞こえた。
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コツ、コツ、
棒でガラスを突いたような微かな音。けれど、不思議とハッキリ聞こえた。
慌てて立ち上がり、障子を開けて外に面した廊下に出る。
ガラス戸の外、ソロソロと動く黒くて細い何か。
間近で見たから間違いない。さっきと同じ物だ。
人の腕だった。
僕が枝か何かだと思っていたのは、痩せ細った人の腕だった。
後ろを振り向くと、祖父が僕を見ていた。
・・・・・・いや違う。見ていたのは、あの腕だ。視線の動きで分かった。
「どうしたの?」
能天気な口調で叔母さんが問い掛ける。
僕は黙って頭を振った。
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夕食が終わり、僕が皿を纏め始めると、祖父が部屋から出て行くときにボソリと言った。
「・・・片付けが終わったら、仏間に。」
薄塩も一緒に連れていくべきか尋ねようとしたが、擦れ違いざまのことだったので、彼はもう扉の外に行ってしまっていた。
・・・とにかく、早く洗い物を片付けてしまおう。
大皿を数枚重ねていると、後ろから苦し気な呻き声が聞こえた。
見ると、薄塩が従姉妹にじゃれつかれている。
気に入られたのか。珍しい。
薄塩が此方に助けを求めてきた。能天気なものである。他人の気も知らないで。
「コ、コンソメ・・・助け・・・て・・・。」
僕は従姉妹に登られて潰されている彼に近付き、差し出された手に、ピン、と軽くデコピンをした。
作者紺野
どうも。紺野です。
最近従姉妹が会うたびに「ねえコンソメ(薄塩の悪影響でこう呼ばれるようになってしまったのです)はキャラ弁作れないの作れないの作れないの・・・」と頻りにキャラ弁をねだってきます。
お弁当は見た目より味と栄養バランスだと思うんだけどなぁ・・・
あ、次回に続きますよ。皆様宜しければ、どうぞお付き合いください。