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娘の幸(さち)が先日、ちょっとした事故にあって足を怪我してしまった。
住宅街の側溝に落ちて、足をくじいてしまったのた。大した怪我ではなかったのだが、しばらく家で安静にしていなくてはいけない。
2歳半のやんちゃ盛りに、それは少々酷だ。アニメのDVDを見せたり、オモチャで遊んであげたりと、手を変え品を変えあやしているが、そろそろグズり始めている。なにか手を考えなくては。
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今日は日曜日。
「ここのところ幸にかかりっきりだったし、今日は羽を伸ばしてこいよ」と旦那が云うので、買い物がてら街を散歩をしている。
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足はなんとなく自然公園に向かっていた。ここは同世代の子供を持つママ友たちとの交流の場所だ。遊具の類はないがとにかく広いので、子供たちを自由に遊ばせておいて私たちは世間話に花を咲かせるのだ。
でも今日は少し様子が違った。公園の一か所にいくつもシートが並べられており、大勢の人がその周りに集まっている。ああ、そういえば今日は近所のフリーマーケットの日だった。
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「さっちゃんのママー!」
陸くんのお母さんが声をかけてきた。
「こんにちはー。あら陸くんもこんにちは」
「ちわっ!」陸くんが元気にバンザイしながらお返事をしてくる。相変わらず元気いっぱいだ。
「どう、さっちゃんの怪我の方は?」
「ええ、ホント大したことなくて。でもお外に出られないからグズっちゃって。今日は旦那が見ててくれるんで私もちょっと息抜きなんです」
「そうよねー。うちも2、3日雨でお外出られなかっただけで、陸バクハツしそうだったもんねー」
「ねー」陸くんがお母さんの方を見て首をかしげる。かわいらしい。
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「でも今日フリーマーケットの日だったんですね。幸が怪我しちゃって参加できないなって思ってたから、すっかり忘れてました。せっかくだから何か幸にお土産買っていこうかしら」
そう云って私は周りのお店を見渡す。
文庫本、古着、キッチン用品、民芸品…。少し離れたところにぬいぐるみを並べているお店があった。
私は陸くんのお母さんに挨拶をしてからそのお店に向かう。
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そこには初老のおばさんが座っていた。近所では見たことのない顔だ。
シートの上には抱えるほどの大きさのものから、手のひらサイズの小さなものまで、様々なぬいぐるみが並べられていた。
見知ったキャラクターがひとつもない。どうやら全てハンドメイドのようだ。それにしてはよくできている。おまけに、
「え、こんな大きなぬいぐるみで800円ですか?こっちも500円、300円⁉」
おばさんはニコリと微笑んだ。
「ええ。私の趣味で作っているものだから。おひとついかが?」
あまり大きなものは部屋に置いておきづらい。私はちょうど幸が抱えられるくらいの中ぐらいの大きさのぬいぐるみを選んだ。
毛糸の髪に、ボタンの目をした可愛い顔の女の子のぬいぐるみだ。小さなワンピースを着ていて、そちらもよくできている。
「じゃあ、これください」私は500円玉を手渡す。
「はい、ありがとう。大事にしてあげてね」
私の顔をじっと見てから、おばさんはそう云った。
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「ただいまー」
「おう、おかえり。幸、ママが帰ってきたぞ。痛て、痛てて」
幸はご機嫌ナナメで旦那の腕の中で大暴れしている。
私はそんな幸に隠していたぬいぐるみを見せる。
「はい、さっちゃん、お土産でーす」
とたんに幸の顔が輝く。早く渡せとばかりにバタバタと手を伸ばす。大当たりだったようだ。
「みっちゃん!」
幸はさっそくぬいぐるみに名前をつけて遊び始めた。
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その後はずっとぬいぐるみと一緒。
遊ぶ時も、お昼寝の時も、ごはんの時も、
「さっちゃん、お風呂も一緒は無理だって」
脱衣所でしばらく娘と争う。
なんとか風呂場に持ち込むのは思いとどまらせたが、幸はいつもより短時間で風呂を済ませると、パジャマを着る間ももどかしくぬいぐるみの元に駆けていこうとする。足の怪我などなかったかのように。
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当然、寝室にもぬいぐるみを抱えてきた。
私は添い寝をして寝かしつけようとしていたが、その間も娘はぬいぐるみと何事かお話をしてクスクスと笑ったりしていた。
少しすると幸は寝息をたてはじめた。
私は布団から抜け出すと、家事を済ませ、旦那と一緒にしばらくテレビを見てから床についた。
我が家ではいつも、幸を挟んで川の字で寝ている。今日はそれにぬいぐるみのみっちゃんも加わって4本線になっているわけだ。
真っ暗な部屋の中、私と旦那はしばらく小声で話をしていた。
「今日のフリーマーケットでね…」
「お隣の佐藤さんたらね…」
「こないだ陸くんもマンホールに落ちそうになったって…」
私の話しかけに、はじめは反応を示していた旦那だったが、そのうち「うん…うん…」と相槌しか返ってこなくなり、しまいにはイビキで返事をしてくるようになった。私も寝るか。
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どれくらい寝ていただろうか。
耳元で泣き声がして私は目を覚ました。
幸が泣いている。それもひどい泣き方だ。
それでも旦那は相変わらずイビキをかいて寝ている。この人は地震があっても朝までは起きない。
「さっちゃん、どうしたの?怖い夢見たの?」
私は幸を抱きしめる。私と幸の身体の間に別の感触があった。ああそうか、ぬいぐるみを抱いていたんだっけ。
「ママ、ここ、いたい」
「ん?」
暗闇の中、幸が自分の腕を私の顔の前に出してきたようだ。
私は枕元にあった携帯に手を伸ばすと、その液晶の明かりを幸の腕にかざす。
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そこには、小さな歯型の噛み跡があった。
怖い夢を見て、知らずに自分で自分の腕を噛んでしまったのかもしれない。
「よしよし、痛いの痛いの飛んでけー」
そういって娘の腕の噛み跡を撫でてやる。
それで幸は一旦は大人しくなっていたが、また急にビクンと体を震わせると、
「った!」
と云って体を丸めた。
何事かと思い、掛布団をどかしてみる。パジャマがめくれ上がってかわいいお腹が出ている。そのおへそ辺りを手で押さえて幸が再び泣き出した。
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「どうしたの?痛いの?」
私は幸の手をどかして、携帯の液晶の明かりでその辺りを照らした。
噛み跡があった。小さな歯型の。
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おかしい。
腕ならまだしも、自分のお腹を自分で噛むことはできないだろう。
何か布団の中にいる?動物?家の中に?
私は起き上がって、とりあえず部屋の電気を点けようと思った。
それでも蛍光灯の紐を引っ張らなくてはいけないので、あわてて立ち上げると幸を踏みつけてしまいかねない。
私は携帯の明かりを頼りに幸の位置を確認してから、手をついて身体を起こそうとする。
その時、携帯のかすかな明かりの中に、娘の抱くぬいぐるみが映った。
毛糸の髪にボタンの瞳、かわいいワンピースを着た女の子。その顔に。
小さなお口が付いていた。
その奥にびっしりと、小さな歯が並んでいるのが見えた。
液晶の明かりがふっと消えた。
作者綿貫一
こちらの噺もよろしくお願いします。
『ハーメルン』
http://kowabana.jp/stories/25059