汗ばんだ手を無造作にズボンの横へ擦り付ける。
冷たくない彼女の手が、俺の右手を掴み、俺達は街の喧騒の中へ飛び込んだ。
手を引かれ、露店の並ぶ通りの人混みを歩いて行く。
高校二年の夏。祭りなど行く予定は無かったのだが、城崎に無理矢理連れ出された。
彼女が身に纏う紫色の浴衣には、何匹か金魚のようなものが游いでいる。
彼女が動く度に、深紅の髪飾りが美しく揺れた。
あまりの美しさに、思わず見とれてしまう。
「しぐ、何ボーッとしてんのさ!」
城崎の声で、ふと我に返った。
「あ、あぁ、悪い。」
「旦那様!りんご飴があります!あっちは何でしょうか!?すごいすごいっ!お祭りですっ!」
俺の横では、露がありえないくらい楽しそうにしている。
それもそのはずだ。露にとって、夏祭りは今日が人生初なのだから。
「露、好きなもの買っていいからな。金魚すくい以外なら…」
金魚が嫌いなわけでは無いが、ただ飼うのが面倒なのだ。従って金魚すくいだけはなるべくしてほしくない。
「え~、しぐはイジワルだなぁ。夏祭りなんだから、金魚すくいくらいやらせてあげたら?」
「いや~、でも飼うのがさ…」
「お屋敷の庭に池があります!そこで飼えないでしょうか?旦那様、金魚さん…」
水色に色とりどりの花火が咲く浴衣を着た青髪の少女は、俺を見上げて金魚すくいをねだってくる。
こんなに甘える露を見るのも、今回が初めてだ。
「お、おぉ、その手があったな。よし、それなら大丈夫だ。」
「やったぁ!」
嬉しそうに笑う露を見て、亡き妹のことを思い出す。
そういえば行ったな、夏祭り。俺が中学一年の頃だ。妹のひなは、まだ小学三年生だったか。
あの時も楽しかった。
夜空に咲く火の花を眺めながら、来年も一緒に行こうと約束したきり、一度も行っていない。
ひなが生きていれば、毎年一緒に行っていたのかもしれない。
「ほら~、しぐ!ボーッとしてないではやく行こうよ!」
「旦那様~!楽しそうですよ~!」
二人の声が少し遠くから聞え、俺の脳を優しくノックした。
「おう、今行く!」
俺はそう言って、二人が待つ方へと歩いていった。
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街を歩いていると、人に混じって何かが視界に入ってくる。
それは、角の生えた人のようなものだったり、宙を游ぐ見たこともない美しい魚だったり、姿形は様々だが、恐らく妖怪の類いなのだろう。
こんなものまで見えるのだから、時々自分が怖くなる。
それでも、今までとは違う。
露は勿論、ゼロや城崎、それに、十六夜さんだっている。
露には、それらが見えていないようだったが、城崎にはしっかり見えているようだ。
ふと、城崎が俺の視線に気付いたのか、顔を近付け小声で話掛けてきた。
「ねぇ、あれ何か知ってる?」
城崎はニヤリと妖艶な笑みを浮かべ、その魚のようなものに目を向けた。
顔が近い、良い香りがする。
城崎からは、いつもほんのり甘い香りが漂ってくる。
そして今更だが、彼女の美しい顔が目の前にあることで、少し鼓動が高鳴った。
「え、あれって、あの魚?」
「そう、あれね、死者の霊魂が姿を変えたものなの。綺麗でしょ。」
「ああ、綺麗だな。」
死者の魂は姿を変えるとあのような姿になるらしい。
どうすればその姿になるのかは、城崎も知らないらしい。
しかし本当に綺麗だ。
俺が歩きながらその魚に見とれていると、すぐ耳元で囁き声が聞こえた。
「あの鬼みたいなのは、ただの妖怪だけどね。」
城崎の口が俺の耳に触れそうなくらい近くまできていた。
至近距離で囁かれ、かなりゾクゾクした。
彼女の吐息が耳に当り、なんだか擽ったい。
「そっ!そうなのかぁ!」
驚いて変な声を上げてしまい、それを見た城崎が吹き出して笑っている。
露も俺の素っ頓狂な声が聞こえたのか、声を出して笑っていた。
「お前、急に耳元で囁かれたら驚くだろ。」
「はっはぁ!!だってボーッとしてんだもん!どんな反応するかなぁって思ってさ~。」
やれやれ、相変わらずだ。
だが、たまにはこういうのも悪くはない。
夏がこんなに楽しいと思ったのは、本当に久しぶりだ。
「あら~、しぐるくん。よかったわ~来てくれて。」
不意に、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
振り返ると、十六夜さんが着物を着て立っていた。
「十六夜さん!来てたんですか。」
俺がそう言うと、十六夜さんはフフフと可愛らしい声で笑った。
「来てたも何も、わたしのおうちはすぐソコだからね。フフフ。でも本当によかったわ、三人揃って仲良さそうにして。」
そう言われると、少し照れ臭い。
隣の城崎を見ると、少し頬を赤らめていた。
彼女も、俺と同じような気持ちなのだろうか。
「そうだわ、わたし一人だと寂しいから、露ちゃん借りてもいいかしら?もう可愛くて可愛くてたまんないわ~」
十六夜さんは、そう言って露の頭を撫でた。
ちなみにこの二人、ほぼ身長同じだ。
「え、露が構わないならそれでも良いですけど、四人で行動するのはどうです?」
俺がそう提案すると、十六夜さんはウフフと笑ってこう言った。
「いいえ、あなたたち二人があまりにも仲良くしてたから、邪魔したら悪いかなってね。ねぇ、露ちゃん。」
そしてまた露の頭を撫でる。
「はい、そのようですので。私は十六夜さんと金魚掬いします。」
露も乗り気なようで、ニコリと笑ってみせた。
俺達、そんなに仲良さそうに見えただろうか。
そう言われて、無性に恥ずかしくなった。
城崎も恥ずかしがっているようで、顔を赤くしながらこう言った。
「いやいや、そんなんじゃないし!日向子ちゃんったらからかわらないでよ~。」
「フフフ、あまりいじめても可哀想だから、このくらいにしておきましょうかね。さぁ露ちゃん、行きましょ!」
そう言うと、十六夜さんと露は二人で祭の喧騒の中へと消えていった。
何故か残された俺達は、これからどうすれば良いのか?
そんなことを考えていると、城崎が口を開いた。
「ねぇしぐ、ちょっと歩き疲れちゃったからさ、何処かに座らない?」
たしかに、ずっと歩きっぱなしだったから、俺も疲れた。
「あ、ああ、そうだな。そうしようか。」
俺達は座れる場所を見付け、そこに腰掛けた。
「二人きりだね…」
そう言ったのは城崎だった。
「あ、うん。」
少しだけ鼓動が早くなった。
「あのね、しぐには、話しておきたかったんだ。あたしの過去のこととか、あと、色々…」
「ああ、聞かせてくれ、お前のこと。」
こう言った俺は、きっと微笑んでいた。
「あたしが、中学2年の時のことなんだけどね。」
そう言って、彼女は自分の過去を語り始めた。
その物語は、彼女の人生の分岐点ともいえるものだった。
作者mahiru